125.嫁取り

 「――を嫁にくれ」

 堂々と胸を張って、腕組みすらして端的に発せられた言葉に、その場は凍り付いた。

 場所は、たった一日前にと信玄が謝罪し合った部屋と同じ――大坂城内の武田に与えられた区画の広間。
 上座に信玄が座り、下座の脇に幸村や勘助、その他主だった重臣まで並び、幸村の後ろには佐助。

 一方、訪問者として廊下側に伊達三傑が並び、その布陣の中で信玄と相対する形で政宗と、無理やりその横に座らされたが居た。

 武田の姫であるをそこへ座らせただけでも米神を震わせた信玄に、間髪入れずに前置きも無く政宗が言い放ったのが、先の一言である。

 伊達三傑たちは諦めの境地で沈黙し、幸村たち武田勢が呆気に取られる中、信玄だけが政宗と睨み合ったまま微動だにしない。
 
 は一歩も引かない両者を交互に見て、現実逃避したい心地で虚空を見上げた。

 昨日から怒涛の展開すぎてついていけない――何故こんなことにと考え、今朝のことを思い出して深いため息をついた。







 昨夜、城内の外れの庭園――その隅にあった茶室として建てられたらしい庵で、想いが通じ合ったばかりのと政宗は、その熱に浮かされるままに一夜を過ごした。
 ただでさえ病み上がりの体はつらかったが、想い人と思い思われ結ばれた幸せな夜だった。

 問題は、その翌朝である。
 
 気だるさと共に目を覚ましたは、体に残る痛みや痕跡に恥ずかしさを覚えつつも、ようやく結ばれた相手が甘く抱きしめてくれる――そう信じていたというのに、狭い庵には誰の気配も無い。

 体を起こして周囲を見ても、脱ぎ散らかされていた筈の服は畳まれていたが、それは一人分。
 そのまま着ようにも、情事の後で清めもせずにというのは憚られるし、ここには侍女や手を借りられそうな人も居ない。

 途方に暮れていた所にようやく政宗が帰ってきて、水の入った桶と手ぬぐいを持って来てくれたのは良かったのだが、言った言葉が……

「起きたか、。すぐ出るから支度しな、hurry!」

 これには、夢を壊された乙女としては流石にむくれた。

「…………政宗さんって、本当に伊達男とか呼ばれてるんですか? あまりにも情緒無さ過ぎません?」

「……なんだ、情緒たっぷりにこの俺が手を貸してやろうか?」

「っっ結構です!!」

 あっという間に押し倒されそうになって、は炎の属性を使って無理やり距離を取った。
 後ろを向いていろと厳命してその隙に体を拭きながら、これが初夜の翌朝なんて間違っていると泣きたくなった。

「……大体、そんなに急いでどこに行こうって言うんですか?」

 仕方なくそう水を向けると、縁側に座って律儀に携帯していたらしいキセルをふかしていた政宗は、当然のように答えた。

「嫁取りに決まってんだろ」

「よ……め……?」

 思わず脳裏に「お嬢さんを僕にください」と頭を下げる政宗を想像しかけたが、そんな時でもへりくだる独眼竜は想像できなかった。

「……今の状況分かってて言ってます?」

「Of course. むしろ甲斐の虎が同じ城内にいるなんざ、Perfect timing――これ以上はねぇ機会だろ」

 が着替え終えた瞬間に立ち上がった政宗は、善は急げとこちらの手を取って歩き出す。

 また横抱きにされては敵わないと、も体のつらさを押して必死についていった。



 やっとのことで二の丸の伊達が借り受けている区画に辿り着けば、慌てた三傑に迎えられた。

「政宗様! 病み上がりのお体でまで連れてどこに行かれていたのです!」

「梵もも朝帰りなんて隅に置けないぜー!」

 厳しく叱責する小十郎と、口笛拭いて囃し立てる成実――

 いつもの光景だが、いつもと違っていたのは、図らずも『朝帰り』という言葉にが反応してしまったことで……

「って……あれ……?」

 よほど赤くなっていたのか、鈍い成実さえも呆気に取られて立ちすくむ。

 その様子をただ口の端を上げて傍観した政宗は、豊臣から借り受けているらしい城内の侍女たちを呼んで、の支度を頼んだ。

「こいつを頼むぜ、正装だ。――ああ、この前の陣羽織もcoolだったが、虎姫としての衣装でな」

 これには、もぎょっとした。

「えっ、正装って……人様のお城でそこまでしなくても……!」

「何言ってんだ。こういうのは見かけがサマになってなきゃ始まんねーだろ。――ああ、お前たちも早く支度しろよ」

 当然のように命じられた三傑は、顔を見合わせた。
 政宗が幼い頃から腹心として傍にいる彼らでも、流石に何のことか分からないらしい。

「政宗様、今度は一体何をされるおつもりですか?」

「何って、嫁取りに決まってんだろーが!」

「嫁……って!? えぇぇ!? ちょっ……怒涛の展開すぎない!?」

 驚愕に揺れる三人に、はついつい同情してしまうが、三人三様に驚きを露わにしていたその視線が揃ってばっとの方を見た。

 まさか政宗が勝手に言っているだけとでも思われたのか、いつものようにが反論すると思われたのか……
 だが、に否があるわけでもなく、言えることは何もない。
 三人の視線に耐えかねて思わず赤くなって俯くなどとしおらしい反応を取ってしまったが、それにも何やら衝撃を受けた様子の三人は、物凄い剣幕で政宗に詰め寄った。

「政宗様……貴方という方は、まさか無理やり……!?」

「……順序が違うのではありませぬかな、殿」

「……ほんとに合意の上なんだよな……政宗?」

 一方的に非難されて、キレた政宗が刀を抜く――などといういつもの反応すら無く、政宗はただニヤリと笑って流して、三人をさらりといなした。

「いいから、huyyu,up! 遅れた奴は置いてくぜ?」

 そう言って自分も支度する為に奥に歩いていく後ろ姿を茫然と見送る三傑たち。

 も数人の侍女たちに半ば強引に連行される最中、背後で呆気に取られた言葉だけが聞こえた。

「……あんな機嫌良い梵、怖すぎなんだけど」

「……もうああなったら止められねぇか……」

 ああなったら止められない――も溜息と共に深く同意した。

 小田原で侍女として傍にいたのだから、彼の衣装や小物などのこだわりは良く知っている。

 例え借りものだろうが、例え急いでいようが、支度はこだわる。

 政宗はどこまで行っても、どこにいても政宗だった。

 



 そんなわけで、支度が整い次第に突然武田信玄の元を訪れた正装した伊達の面々とに、一体何事かと家中は上に下にの大騒ぎになったらしい。

「伊達が武田に嫁取りに来たんだ、当然だろ」

 などと騒ぎの首謀者である政宗は嘯いていたが、素早く座が設けられ、端的すぎる『嫁取り』ワードを政宗が告げて、現在の現実逃避したいような静寂という訳である。

 呆気に取られる武田家中で、流石の知恵袋が仰々しく口を開いた。

「……それは、伊達と武田で天下を二分しようという申し出ですかな」

 勘助の言葉にまた場がざわめく。
 豊臣がに当主を譲ると言ったことは既に知れ渡っている。
 は武田の姫。
 豊臣からの話があって数日後に、そのを嫁にしたいと伊達が申し入れたということは、勘助の言うように二家で同盟を結び、豊臣の領地を分けようという申し入れだ――と、当然そう取られるだろう、普通は。

 だが、政宗は一笑に伏した。

「Ha! それはまた別の問題だ。ただ俺は、俺の女の実家に嫁取りの挨拶に来たに過ぎねぇ」

 『俺の女』やら『挨拶』やら、どうも親の許可をもらいに来たという認識とは違うらしい。
 それがこの時代の普通なのかと思ったら、「それが頼む側の態度か!」「我が武田の姫に図々しい!」などと途端に喧噪が飛んで、この場で非常識なのは誰かということがすぐに分かった。
 当然、そんなことを気にする人ではないのだが。

 案の定政宗は太々しい態度を崩さないまま、余裕たっぷりにとんでもないことを告げた。

「何と言われようが、はもう俺の奥だ」

 そう言って肩を引き寄せられ、その耳元で「なぁ、Honey」などと甘く囁かれて、は先ほどの言葉の意味に気づき、「何をっ!!!」と大きな声で叫んで膝立ちになった。

 一気に場の注目が集まったのを感じ、しまったと思ったが後の祭。

 成実がぼやいていたように、どうやら政宗はこれ以上無く上機嫌で、いつも以上に我が道を爆走しているらしい。

 は、まるで大漁旗掲げて暴走する伊達軍の戦列に並んでいるような感覚に陥り、思わず苦笑した。

 仕様が無い。
 政宗と共にいると、昨夜覚悟を決めたのだから。

「――父上、私は伊達政宗殿に嫁ぎたく思います」

 は自分の口ではっきりとそう伝えた。

 僅かに瞠られた父の目と真正面から対峙しても、ただ真摯に受け止める。

 俄かに武田の重臣から、「裏切り」や「間者」、「篭絡された」などと声が聞こえたが、かつては甲斐の虎の娘として気にしていたそれらも、自らの道を定めた今となってはもうさほど気にならない。

 揺るがなく見つめ合う父娘の様子を見ていた勘助は、「これは困りましたなぁ……」とわざとらしく嘆息した。

姫様はお館様の元を出奔して行方知れずとなられていましたが、他家で出世され、この度は豊臣家の当主にまでおなりになった。この戦国の世に、己が力でこれほど立身出世されたのは、かの豊臣秀吉殿に次いで、女人では姫様が抜きんでておられます。いや、さすがお館様の姫! まさに武田の誉れ!」

 芝居がかった勘助の口上にまたもや場がざわめく。

「その上、囚われていたお館様救出にも尽力され、こうして我らが再びお館様の元で集えたのも偏に姫様のおかげというもの。これほどの才ある女人――いや御方であるのだから、豊臣や伊達が欲するのも止む無し……されど、だからこそ、武田としては姫様を手放すのはこれ以上ない痛手」

 最大級に持ち上げてくれるのはありがたいが、この流れは困る――口を挟もうとしただったが、勘助に好々爺とした笑みを向けられ、まだ続きがあるのだと悟った。
 だが、その言葉を引き継いだのは、勘助自身では無く意外な人物――

「確かにそれは困り申したな、勘助殿。姫は最早我らの後ろ盾無くとも大国豊臣の主――これでは、止めたくとも止められぬ」

 いつもの赤い戦装束ではなかったが、そう錯覚するほど、戦場にいるかのような空気をまとって、幸村がそう告げた。
 常にない静かで理性的な声音に、場がしんと静まり返る。

「――まことに、困り申した。どうなさいますか、お館様」

 場に居合わせた全員に考える時間を与えるようにたっぷりと間を取って、勘助がそう信玄に流した。
 信玄はしばし瞑目し、その視線を政宗に向けた。

「伊達の。お主に我が娘を幸せにできるか?」

「ああ。俺以上にを幸せにできる男はいない。断言するぜ」

 間髪入れずに返した政宗に、は胸が締め付けられる。
 確かに、その一言でこんなにも幸せに感じられるのは、政宗の言葉だけだ。

「お主は先ほど、天下の事とは別問題だと言うたが、これほどの大事。完全に脇に置いておくことは出来ぬ。お主はどうするつもりじゃ」

「そいつは今までと何の変りも無い。独眼竜は天下を一飲みするまで進むまでよ」

 いつでもぶれないシンプルな言葉。
 小十郎を始めとした伊達の人間やにはそれで十分だったが、武田の中からは「それでは答えになっておらぬではないか!」と野次が飛び交った。

 ふと、信玄の視線を感じ、父としばし見つめ合ったは腹を括らなければならないと悟って大きく息を吸った。

「――――静まれ!」

 父譲りの大声で一喝すれば、ビリビリと空気の振動が部屋の障子を揺らし、ようやく静かになる。

「……政宗さん、私も意思表示しといていいですか? ついでなので」
「Ha, 嫁取りのついでに天下を語るなんざ、最高にcoolだぜ、Honey」

 いつもの癖でハニーじゃない!と否定したいのをぐっと堪え、こんな公衆の面前で口づけでもしてきそうな勢いの政宗をかわして立ち上がった。
 ばさりと重い打ち掛けを捌き、広間の面々の方に向き直る。

「父上の質問に、政宗殿は天下を目指すと答えた――それの何が答えになって無いと言うのですか?」

「……豊臣はどうするのです! 目下の問題は、豊臣の治めていた広大な領地を武田と伊達のどちらが手に入れるか――これで実質天下の覇者が決まろうというものではありませぬか!」

 非難するように上がった声に、は一つ深呼吸して集中し、昨日掴んだばかりの闇から光に転じるような力と本来の炎の属性を束ねて一気に解放した。
 重苦しくも眩いような気が膨れ上がるように広間に満ち、場を制圧するように全員の意識がに吸い寄せられた。


「――何を勘違いしているのです? 豊臣を引き継ぐのは武田でも伊達でもなく、この私です。……武田信玄の娘であり、伊達政宗のつ…妻である、このです!」

 勢いで言ってしまってから猛烈な羞恥を感じたが、ここでそれを見せるわけにはいかない。

 は昨夜、あらゆる覚悟を決めたのだ。
 政宗と共に生きる為に……平和な国で大切な人たちと生きていく為に、背負うものがどれだけ大きいとしてもやり遂げてみせると。


 再び深呼吸と共に属性の力を抑え込むと、張りつめていた広間の空気が一気に弛む。
 裾を返して信玄の方へ向き直ったが、今度は政宗からも少し離れ、三者が等距離になる位置に座り直した。

「父上、政宗さん、提案があります――」

 武田・伊達・豊臣の三家当主の話し合いであることを示すように、二人のみを見つめる。
 今度は何も野次が飛ばず、も部屋の隅々まで届く声量で続けた。

「この国にとっての……この国に暮らす全ての民にとっての危急の問題は、織田信長の蛮行です。――信長の闇は、とても危険です。この国に戦う相手がいなくなったとしても戦をやめないでしょう。今以上に戦乱吹き荒れる世となり、田畑も家も焼かれ、国は滅びます」

 未来で習った歴史では英雄のように描かれることも多かったが、実際にこの世界の信長と幼少期に数年過ごしただからこそ断言できる。
 もし信長が天下を取り、その蛮行を止める者がいなくなれば、確実に人の生きられない国になると。

「まずはこれを止めることが最優先。――ですから、織田を討つまで三国で同盟を結ぶのはいかがでしょう。更に、武田と結んでいる上杉、伊達と結んでいる毛利・長曾我部・浅井とも結び、信長包囲網を敷くのです。無事に事が成った暁には、改めてこうして話合いの場を設けましょう」

 じっと二人を見つめれば、彼らは父でも夫でも無い大国を統べる大名の顔だった。

「――いいだろう。伊達は異存ねぇぜ」

「――武田も承知じゃ」

 両者から承諾が返り、ほっとしたのも束の間、今までのやり取りが何も無かったかのような軽さで政宗は最初の話題に立ち返った。

「で、信玄公。嫁取りの返答をもらおうか」

 信玄の目が軽く瞠られる。
 そして何故か同盟の話よりも眉間の皺を濃くして、唸るように答えた。

「――に免じて許す。ただし!」

 一度言葉を切った信玄は、怪我人とは思えない動作でその場に立ち上がり、片手の扇子をびしりと政宗に突きつけた。

「尾張の魔王めを討ち取るのが条件じゃ! それ以外は認めぬ!」

 言うだけ言って足音荒く出て行った信玄の後をやれやれと勘助が追い、はっと我に返った武田の者たちも慌てて追って行った。

 幸村もに一瞥しただけで黙って行ってしまう。


 後に残された政宗と、伊達三傑の中で、綱元が頬を掻いて首を傾げた。

「条件付き……ということは、お二人の関係は結局どうなるのです……?」

 深々とため息をついた小十郎はいつも以上に疲れて見えた。

「……許嫁ってとこか」

「だははははは! まだまだちゃんを娶るのはお預けだなー。ご愁傷様、梵」

 腹を抱えて笑って見せた成実の挑発にも、しかし政宗は鷹揚に笑っただけだった。

「お楽しみは魔王退治の後ってだけだ。それに、許嫁ってのも悪くねぇ」

 どうやらまだ上機嫌は継続中らしい――
 今度は腰を抱き寄せられ顔まで寄られた段階で、ようやくは気付いた。

 政宗が上機嫌だった原因は、もしかしなくても自分と深い仲になったからだと――。

 爆発しそうになる恥ずかしさを気力で耐え、いつも以上に色気を向けて来る政宗の顔を押しやった。

「とにかく、最初の試練クリアですね!……あと政宗さん、人前で不埒なことしたら次から燃やしますから」

「照れなくてもいいじゃねーか」

「そういう問題じゃありません!」

 絶対に自分の容姿に弱いことを知っていてやっているとしか思えない仕草で迫ってくる政宗と、凶悪な色香に耐えきれず逃げる、基本は見守っているだけなのにいつも尻ぬぐいさせられる羽目になる伊達三傑――

 表面上の関係は変わっても変わらない絆に、もう一つの家族とも言える温もりを感じては東の空を仰ぎ見た。

 日ごとに禍々しさを増していくように思える気配が近づいてくるのを感じつつ、決意を新たにするのだった。





240702
五章終了。六章はいよいよ織田戦です。
CLAP