「……秀吉…殿の部屋じゃないんですか?」
幸村・政宗といる場に突然やってきた三成。
一旦彼らと別れたは、三成に案内される道を進みながら首を傾げた。
てっきり昨日と同じように秀吉の私室に呼ばれてたのかと思っていたら、どうやら別の場所に向かっているらしい。
城の本丸などというものは大体どこも似たような造りなので、初めて訪れる城でも大よその見当は付くのだが、何せこの大坂城は、今のところ日本一の大きさを誇る巨大城郭である。
伊達が本拠にしている小田原城も十分に大きいが、この大坂城は、規模や城に詰めている人数もそれを上回っていた。
そんな、ある意味迷路のようにも思える城の奥に、つい先日まで敵だった三成に言われるまま一人で付いて来たのは軽率だったかと思い始めた頃、三成は一つの部屋の前で足を止めた。
「中で支度しろ」
「え?」
意味が分からず聞き返したを他所に、三成は淡々と戸を開けて身を翻す。
何をと思う間もなく、部屋の中――豪華絢爛な衣装と大勢の侍女――に迎えられた。
「お待ちしておりました! ささ、お早く!!!」
鬼気迫る勢いに数人がかりで引き入れられて、襖が閉まった途端に着ていた服を剥かれて悲鳴を上げた。
何事かという些細な抵抗は、彼女たちの剣幕の前では為すすべもなく、あれよあれよと着飾られ、化粧まで施されて、気づいた時には部屋の外へ放り出されていた。
「行ってらっしゃいませ」
ぜいぜいと息が上がった全員に深く三つ指ついて見送られ、再びふすまが閉まった時には、外で待っていたらしい三成と二人だった。
「一体、何なんですか?」
呆然として三成を見れば、何やら驚いたようにこちらを見つめる彼は、ぽかんとした表情で固まっている。
「……石田殿?」
目の前でひらひらと手を振ってやっと我に返った彼は、「遅い!!!」といつもより五割増しな音量で言って歩き出した。
が着せられたのは、赤と金を基調にした豪華絢爛な――戦装束だった。
着替えさせられるということは、秀吉たち以外の人間も居るということだとは思うのだが、まさか本当に戦に出るでも無いだろうに、全く理解できない。
しかも、如何に侍女達が全力を尽くしてくれたとは言え、そういった正装を着付けられ、髪や化粧までいじられては、それなりの時間もかかろうというものなのに、無理やりさせておいて「遅い!」とはひどい言い草である。
「ほんとに、一体これから何があるのか、いい加減教えてくれても……!」
抗議してやると上げた声は、しかし三成が足を止めたことで中途半端に止まる。
目の前の閉じられた戸の両脇に、小姓風の少年が二人控えていた。
そして、気づいた。
部屋の中がそれなりの広さであること、やけに大勢の人が集まっているという事実に加え、先ほど別れた政宗と幸村の気配まであるということに。
着替えに時間がかかって、彼らの方が先に到着したらしい。
それとも、最初からこの予定だったのだろか。
何にせよ、この先は公式の場だ。
豊臣と伊達と武田――恐らくは、この三者による大坂の地を巡る問題についての。
こんなに着飾られたということは、怪我で動けない父信玄の代わりに武田の代表として出席しろということなのか……それにしても……
「――殿だ」
考えている間にも、三成が控えている小姓に告げ、一人が中へ知らせに走る。
ここまで来てしまったものは仕方ない!と自らの両頬を叩いて気合を入れたは、腹を括って顔を上げた。
「様の御成りでございます」
戸を開けられて部屋に入ったは、そこで待っていた光景にあんぐりと大きく口を開けた。
「どうぞお座りください」
傍らの小姓の言葉にようやく我に返ったものの、状況を把握するどころか、全く訳が分からない。
「……何かの冗談ですか……?」
座れと言われても、座れるわけが無い。
足を踏み入れた先は、大広間だった。
それは良い。
豊臣の家臣たち一同に加え、伊達からも政宗を筆頭に小十郎や成実・慶次を含んだ数名、武田からも幸村の他に勘助や重臣の姿もあった。
それも、半ば覚悟していたことだったので、飲み込む。
問題は、が通った入口が一段高くなった上段の間直通のものだったことだ。
見下ろす形の広間の方に、竹中半兵衛、大谷吉嗣、遅れて着座した石田三成を始めとした豊臣の重臣たちが揃って頭を下げており、その奥に客人用として伊達・武田の席が設けられていた。
「どうされました、様?」
チラリと笑った竹中半兵衛が目線で促した場所は上段の上座――通常は彼らを束ねる城主の豊臣秀吉が座るべき席だった。
当の秀吉は、と同じく上段の……しかし、正面では無く、その脇に控えるような場所に坐していた。
――ドッキリか何かに違いない。
は時代概念もそっちのけで、半ば本気でそう思った。
「あ…あの、私、帰りま……」
「――座ってくれ」
「……ええと」
三十六計逃げるに如かず――と思い素早く身を翻したものの、後ろから威厳に溢れた有無を言わせぬ声に促されては、とてもただで帰れそうにない。
それでも、豊臣の主であるその席に座る訳にも行かず立ち尽くすと、秀吉は構わず「皆、大儀である」と声を掛けた。
広間の全員が頭を上げて上座にいる秀吉とを見る。
身の置き所が無いにも程がある――と思いながら、もうこれから何が起こるかなど考えたくもないと遠い目になりそうなの前で、秀吉はこれ以上は無い爆弾発言を落とした。
「我は、本日をもって隠居することとした。後事は、このに託すこととする」
思い切り目を瞠って絶句したを余所に、秀吉に心酔していた筈の豊臣の重臣たちは、ははー!などと大仰な返事で持って再びに頭を垂れた。
眼下にずらりと並ぶその頭を見下ろしながら、は切に思った。
――誰か、夢だと言ってください。
いくら現実逃避したくても、起きた出来事は変えられない。
大広間での爆弾発言に茫然自失したまま固まったのせいか、元々その予定だったのか、その場は早々に解散となり、部屋を移して再び各国の代表だけが集まった。
つまり、秀吉・半兵衛・政宗・幸村・慶次である。
その席順がまた、一人が上座で、右手に豊臣・左手に伊達と武田という図式で、頭痛がする。
とて、豊臣秀吉の発言がいかに大きな意味を持つかくらいは分かっていた。
現状、最も天下統一に近いのは、織田と豊臣である。いや、侵略した土地・勢力だけで見れば、豊臣が一番大きな勢力と言えるだろう。
その当主の座を、豊臣に縁も所縁も無い他国の小娘に譲ろうと言うのだ。
「………一つ聞きますけど、正気ですか?」
麻痺した頭ではそれだけを言った。
場を移しての第一声に、半兵衛はにこやかに笑う。
「もちろん、本気だとも」
がずっと感じていた半兵衛への警戒は、これを――断れない公の場での公表を、狙われていたからだろう。
策が成ったと言わんばかりの得意げな仮面を剥ぎ取ってやりたい。
しかし、次に口を開いたのは、意外というか幸村だった。
静かな瞳で秀吉と半兵衛を見据え、全員が抱く疑問を投げる。
「は武田が姫。武田が将。豊臣とは縁も無い筈。理由を聞かせていただきたい」
「―― Ha, 確かにそいつは重要だ。特に竹中半兵衛――テメェはとずっと敵対してた筈だ」
政宗も重ねて言い、も当然聞かせて貰いたいと半兵衛を見やった。
「理由はいくつもあるよ」
手元の茶を一口飲んで、半兵衛は指を立てた。
「まずは一つ目、これはこちらの問題だね。豊臣には現状、後を任せられる人間がいない」
「我はもはや刀は握れぬ。この命もじきに潰えるだろう――我が覇道と同様に」
隣の秀吉がそう言い添え、はっとして見れば、彼の顔色は傍目にも青かった。
昨夜話していた時も床からだったし、衰弱しているようにも見えた。
原因は戦闘の負傷というよりも、恐らく大和で松永から受けた――毒。
が解毒薬を渡しはしたが、摂取した量と時間的に完全に中和するには至らなかったということだろう。
「秀吉には後継者がいない。元々彼一代で成し遂げられなければそこまでの夢だと承知していた」
ずっと黙ったままの慶次が、ぐっと拳を握りしめたのが見えた。
前に慶次から聞いた、秀吉が唯一愛した女性を自分の手で殺めたという過去――愛する人も、血を分けた後継者も作らず、全てを注ぎ込んで、あらゆる手段を使って、天下を取ろうとした。
「後継たる血族がいないのは分かった。しかしなれば、家中のいずれかが引き継ぐのが筋なのでは?」
すぐに疑問を口にした幸村の言葉は尤もだった。
この時代の『家』というのは、血が絶えて断絶する場合も多いが、大きければ大きいほど、何とかその家を維持しようとする。瓦解すれば大勢の家臣郎党が路頭に迷うからだ。
豊臣ほどの大大名家ともなれば、家臣の誰が継ぐかで血みどろの後継争いが起こるのが普通である。
「竹中、なんでテメェが継がねぇ?」
政宗の言う通り、確かに秀吉と二人三脚でやってきた半兵衛が第一候補だ。
だが、彼は淡々と首を振った。
「僕にも時間が無い。の薬のお陰で症状はかなり抑えられてはいるけど、不治の病らしいからね」
政宗と幸村が目を瞠り、揃ってを見た。
二人とも半兵衛の病自体を知らなかったのか、敵だった筈のが薬まで渡しているということに驚いているのか。
藪蛇を被りそうなは、ああー……と誤魔化すように視線を逸らせて、話を続けた。
「他にも、名のある武将がたくさんいますよね?」
「――多くが、先日の戦で命を落としてしまってね。残った中では、大谷吉嗣も僕と同じように病を患っているし、石田三成は……優秀な男だけど、彼は根っからの官吏でね。上に立つには向かない性格だ」
三成については、確かに、そんなことは無いと反論し難いものがあった。
現在武将として活躍しているのも、偏に秀吉に心酔している為と感じる。
「適任がいねぇってことか」
腕を組んだ政宗が言って、幸村がううむと唸った。
半兵衛は頷いて、もう一本指を立てる。
「二つ目の理由は、が秀吉と僕の命の恩人だからだ。――君がいなければ、僕らは今ここにこうしていないし、豊臣もとっくに織田か松永に飲み込まれていただろう」
そんなに何度も恩人と言われる程の事をした訳では無い……死ぬと分かっているのを見過ごすのは寝覚めが悪くて、薬を渡したに過ぎない。
「恩人への礼が大事なのは分かり申す。だが、だからと言って……」
「――そして三つ目」
反論しかけた幸村を遮って、半兵衛は矢継ぎ早に更に指を足した。
「僕はこれまでとは主に戦場で幾度か会ったけれど、毎回その独特な考え方には驚かされてきた。合理的なようで甘く、甘いようで周囲の人間を見事に動かす……初めて会う類いの人間だと思ったよ」
「それは――……買い被りです」
考え方がこの時代で異質なのは未来で育ったからだろうが、それを言うわけにも行かず、ただ首を振る。
「何故謙遜するのかは知らないけれど、昨夜、秀吉と三人で話してみて、君に託すのが一番良いと僕らは判断したんだ」
真正面から見据えられて、きっぱりとそう告げられた。
咳き込んだ秀吉も、そうだと頷く。
「我は天下泰平を目指して覇道を歩むと決めた。余計なものは全て捨ててこの道を押しとおってきた。しかし、それが破れたということは、間違っていたということだろう。ならば、別の道を行く者に後事を託すのみ――それが、我が友たちも認めたお前だ」
秀吉の衰弱しても苛烈な瞳が、断るのは許さないとばかりにを見据える。
"わが友たち"と聞いて慶次に視線を向ければ、彼は罰の悪いような苦笑を返した。
秀吉との友情を復縁出来たらしいことはめでたいが、半兵衛と一緒になってを推薦したらしいことはいただけない。
「――考えさせてください」
深いため息をついて、この場では言えたのはそれだけだった。
あまりと言えばあまりのことを唐突に突きつけられて、全く頭が付いていかない。
しかし半兵衛は、分かったと頷いたにも関わらず、更に言葉を続けた。
「最後に、この豊臣を――大坂の地をどうするのか……」
そうだ、そもそもそれが議題だったはずなのに、と息を詰めたを置いて、政宗と幸村に向けて彼は言った。
「この地を守り、織田を退けた伊達と武田に決める権利がある。ただし、織田がこのまま黙って見ているとは思えない。それを考慮して両者でよく話し合って決めてもらいたい。――豊臣の新当主と相談してね。その点でも、は適任だと思うよ」
「…………」
全員に無言で見つめられて、は固まった。
「武田に差し出しても、伊達に明け渡しても、両家と話し合ってが直接統治するでも、好きにしてもらって構わない。誰に託しても良い。が信じて託す人物なら、僕たちも安心して任せられるからね」
「ちょ…ちょっと待ってください!」
焦って制止したが、続ける言葉は持たない。
実家をおざなりにして、想い人とも中途半端で、立場があやふやなのは自業自得なのだが、ここでそれが鍵になるとは思わなかった。
そう、は突然鍵を持たされてしまったようなものだった――天下を手に入れる為の、重大すぎる鍵を。
210712
CLAP