「父上っ!」

  スパンっ!と障子を開き、そこがもぬけの殻なのを見て取って嘆息する。

「佐助ぇぇぇ……」

 父の手足となって助けているであろう忍を怨嗟のこもった声で呼べば、どこからともなく彼の弱り切った嘆息が聞こえてきた。

「姫さん、ここは一旦退いて欲しいなーなんて……」
「どういうこと?」
「いや、それはちょっと俺様からは……」
「じゃあ、父上に会わせて」
「……ですよね……」

120.エンカウント

 突然の秀吉・半兵衛との会見の最後に、は、何故自分が軟禁されなければならないのかと問うた。
 それに対しての半兵衛の返答は飄々とした笑顔まで付いたもので。

「体調に問題無ければ好きにしてくれて構わないよ」

 あんなに慎重に相手の出方を探っていたというのに、あっさりと外出許可も面会許可も出て、は拍子抜けしたような、本当に大丈夫なのかと疑うような複雑な心地だった。
 それでは、軟禁の目的はこの会談だったとでも言うのだろうか。

 ただしもう少しだけ用意された部屋には留まって欲しいと言われて、不承不承頷いた。
 武田も伊達も豊臣配下の人間に世話になっている現状では断ることはできない。


 ともかく、軟禁は解けた。
 そうして、まずは意を決して、長い間会っていない家族――父・信玄に会いに赴いたのだが……


「流石に心折れそうなんですけど……」

 先ほどまで確かに父の気配があった筈の部屋を見回し、はため息をついた。

 佐助を先触れにし、父が静養している筈の部屋に訪れたものの、そこはもぬけの殻だった。
 どういうことかと佐助を呼んでも姿を見せない。
 何かあったのかと気配を探れば、少し離れた別の部屋に父の気配を見つけたが、そこを訪ねても不在。
 また別の部屋に急いで駆け付けても同じ。次も同じ。その次も。

 もしかしなくても、思い切り避けられている。
 何の冗談かと思うような城内鬼ごっこをしてまで。

 思ったよりも堪えるその事実に、がその場に足を止めたところに、影からの佐助の声とやり取りを交わした。

 とにかく父に会わせてと言ったに、佐助からの返事はなかった。

 静養中の父に素早い移動ができるわけは無いので、佐助が助けているのだろう。
 ならば、佐助とのやり取りは父とのそれと同義だ。

 会いに来たへの返答が、今は会わないということ。

「父上……」

 あの父に限って、どれ程に腹を立てていても、会ってさえくれないというのは無いように思う。
 そうなると考えられる可能性は――

「私の方が、合わす顔無いのに……」

 青い空を見やったまま思わず愚痴を零した。
 とて、意を決して父の元に赴いたのだ。

 何せ、逃げるように甲斐から姿を消して以来、半年以上もの間、一度も父には会っていない。
 手紙は送ったが、実際に顔を合わせるのは、本気で父を怒らせ手を上げられた時以来という気まずさだ。

 がまだ武田の娘として甲斐に居た頃。
 浅井に躑躅ヶ崎館を攻められ、織田・森蘭丸の放った不意打ちの一矢からを庇って瀕死の怪我を負った政宗――それに取り乱して止めに入った武田の臣下にまで実力行使に出た。
 その時に、初めては父の本気の怒りを買い、初めて手を上げられた。

 明らかにが悪かったし、その後、自分の意思で父にも誰にも言わずに甲斐から逃げ出したのだ。

 そんな次第だから、当然父に対しては申し訳なさでいっぱいだった。
 もう顔も見たくないと親子の縁を切られたって仕方ないかもしれない。

 だが……

「会ってくれるぐらい……」

 心許ない悲しさに襲われて尻すぼみになった自分の声に、余計に肩を落とした。
 子どもじゃあるまいに、父の顔色にこんなに振り回されてどうするのだと思う反面、どうしようもないなと思ってしまう自分もいる。

 明智光秀に無理やり暴かれた過去の記憶で、あんなことを聞かされたから余計だろう。

 ――「そんな娘は、知らぬ」

 考えたって無駄なのに、忌々しくも思い出してしまった。
 もしかしたら父も、がそのことを知ったと聞いて、会うのをためらっているのかもしれない。

 深いため息をついて、考えを振り切るように一つ頭を振った刹那、不意に気配を感じて顔を上げた。

 まっすぐに駆けてくる赤い覇気。
 やがて目の前に現れたのは、幼さを残した子犬のような笑顔ではなく、真剣な眼差しの弟分だった。

「……幸村」

 今まで体を動かしていたのか、切れた息を整えるように上下する肩に合わせて、赤い鉢巻きがひらひらと揺れる。



 少し離れている間に随分精悍さを増したような気がする眼差しが、喜色を滲ませてを射抜く。
 単純に嬉しいと思える心のままに、はふわりと微笑した。






「そうなんだ、みんな元気みたいで安心した」

 縁側で幸村と二人腰掛けて、父への手土産として持参した団子を頬張りながらの会話。

 会話のほとんどが、が甲斐を離れていた間のことを幸村がこと細かに話してくれて、が聞くという図式だった。
 こちらの事も話そうとしたのだが、それはお館様と共に聞くと言って苦笑された。

 父が会ってくれないと愚痴を零したので、大体のことを察してくれたのだろう。

 面と向かってゆっくりと向き合うのは本当に久しぶりで、少し緊張もしていたが、すぐに杞憂だったと分かった。
 幼い頃の記憶も大半を取り戻した今、姉弟のように育った幸村との気が置けない会話は、自然と安心できるものだった。

「幸村と話せたお陰で、憂鬱だった気分も吹き飛んだよ。ありがとう」

 久しぶりに触れる家族の温もりに、思わず笑みが浮かぶ。
 幸村はそんなを見遣って、曇りのない笑顔を浮かべた。

「――が嬉しそうだと、それがしも嬉しい」

 一瞬胸が高鳴ったのは、不可抗力だと思いたい。

 今までの暑苦しい我武者羅さが薄れて、大人の落ち着きというか頼もしさが増したような顔で、不意打ちのように甘い笑みを向けられては、どんな女性も弱いだろう。

「あ…あー……えっと、まだ怪我も治りきって無いのに、鍛錬してたの? 前よりもっと強くなったみたい、私じゃもう逆立ちしたって敵わないかも」

 誤魔化すように話題を変えて、傍らに置かれた二槍を見た。
 少し前に、父信玄から実力を認められ、贈られたものらしい。

「……いや、まだまだでござる」

 槍に手を置き、一度目を伏せた幸村は、すっと目を上げてを見た。

「まだまだ精進せねば、の夫たるには、まだ足りぬ」

 目の前の幸村に不意に以前の求婚のことを口に出されて、は思わず息を詰めた。

 ――「この幸村の熱き想い、覚えておいてほしい」

 甲斐を出奔する直前、まっすぐに想いを伝えてくれた幸村。
 が置き去りにして逃げてしまった、彼の真摯な想い。

 話さなければと思ってはいたが、いざその段になって尻込みしてしまっていた。
 想ってもらう資格が無いなどというのはただの逃げだ。
 向けられる想いに正直な気持ちで答えるのが、誠意というものだろう。

 は意を決して息を吸い込み、口を開いた。

「幸村、ごめ……」
「――謝らずともいい」

 途中で遮った幸村は、困ったような顔で笑っていた。
 その優しさに泣きそうになるのをぐっと耐えて、首を振る。

「想ってくれて、ありがとう。すごく嬉しかった。これは本当だよ。……でも、幸村の気持ちには応えられない。――好きな人が…いるの。ずっと傍にいたいと思う人が」

 いつだって簡単に想い浮かんでしまう鮮烈な隻眼が心を占めて、は頭を振って目の前の幸村を見つめた。

「だから、ごめんなさい」

 聞きたくも無いだろう謝罪の言葉を敢えて口にすれば、幸村は目を伏せて聞き、くるりと背を向けた。

は、俺が独眼竜より弱いと思うか」
「え……?」

 思いがけない言葉に、瞬いた時だった。

 間違えようのない青い気配が、猛烈な勢いで近づいてくるのを感じ取る。

「え、どうして……!」

 思いがけない事態に混乱して、何となく幸村と二人でいる時に出くわすのはマズイような後ろめたい気分になる。

 はとっさに気配を殺し、どこかに隠れた方が良いかと腰を浮かしたが、そうして迷っている内に、彼は怒涛の勢いで突進してきた。
 ――幸村に向かって。

「約束通り、勝負しに来てやったぜ、真田幸村っ!」

 その刹那、傍らで膨れ上がった赤い闘気に、は目を見開いた。
 ――仕掛けた彼よりも、迎え打つ幸村の方が格段に本気だという事実に気づいて。

 そして、先の幸村の言葉が蘇る。

 ――「は、俺が独眼竜より弱いと思うか」 

 幸村が彼の気配に気づいていてそう言ったのだとしたら……

 二人とも深手を負っている体で本気でやり合えばどうなるか――

「っっ駄目!!」

 考えるより先に、体が動いていた。
 反射的に幸村の肩を引いてその前に飛び出し、懐の短刀を抜く。
 電撃を纏った青い一刀の斬撃を、何とか受け止めて炎の力で勢いをいなす。

 彼の――政宗の瞳が大きく見開かれ、必死なと刹那に視線が交差した。

 殺しきれなかった勢いに押されて部屋の障子を突き破り、受け身を取った体は畳の上に投げ出された。

っっ!」

 幸村が叫び、慌てて助け起こしてくれる。

「何故こんな無茶をっ!」

 叱責され、苦笑を返した。
 確かに、独眼竜の一撃の前に短刀一つで割って入ったのだから、無茶には違いない。

 けれど炎の属性のお陰で、結果的に打ち身程度で済んだのだから、幸いだった。
 それに、説教したいのはむしろの方である。

「ごめんなさい。でも、それはこっちの台詞。二人とも大怪我負ってるのに、どっちが強いとか、言ってる場合じゃないでしょう。政宗さんも……政宗さん……?」

 その時になって、はようやく政宗の様子がおかしいことに気づいた。
 呼びかけても、ぴくりともしない。

 たちが居た場所に佇んだまま、青い顔でこちらを見つめている。

 不意に、かつての光景が思い出された。

 暗い夜、幽鬼のような足取り、振り上げられた刀、真っ青な顔色、打ちのめされたような瞳――

 鋭い胸の痛みまで蘇って、は拳を握りしめた。
 誰よりも守りたかった人を他でもない自分が傷つけてしまったのだと、何度後悔したか知れない。

「ッッ――――」

 堪らず駆け出し、政宗の体を抱き締めた。

「ごめんなさい、政宗さん――ごめんなさい」

 あの夜、昏倒して最後まで言えなかった言葉を繰り返した。
 次に目を覚ました時、政宗の記憶からは消えていて、ずっと言えなかった言葉だ。

 ピクリと震えた政宗が、ようやく口を開いた。

「…………? お前……」

 焦点の定まらなかった隻眼がようやくを映し、見開かれたまま名前を呼ぶ。

 毒に倒れて以来ようやく会えたという喜びのまま笑えば、ますますその一眸が見開かれた。
 目を瞠ったままの政宗が何事かを告げようと口を開きかけた、その刹那。

「――女、何をしている」

 冷たく硬い声が庭先から響き、三人ともはっとして声の主を見遣った。
 いつの間にか、細身のシルエットが玄関に続く渡り廊下に佇んでいた。

 相変わらず尊大な態度の彼――石田三成は、侮蔑するように三人を見回し、の上に視線を止める。

「秀吉様がお呼びだ」

 昨日と一言一句変わらぬその言葉に、ひくりと頬が引きつった。

 いくら刀を抜くような事態だったとは言え、彼の気配に誰も気づかなかったのはこちらの落ち度だ。
 だが、だからと言って、少しは状況を見てもらいたい。

「見て分かりませんか? 今は取り込み中です。秀吉殿には後で伺うと……」
「貴様に拒否権は無い。秀吉様をお待たせするなど、言語道断」

 取り付く島も無い三成に、どうしたものかと頭を抱えたが、彼は続けてこう言った。

「伊達と武田も後程広間に来られよと、秀吉様からのお言葉だ」

 政宗と幸村に向けられたそれに、三人は顔を見合わせる。
 どうやら、この大坂城で一先ず優先させなければならない事案らしい。

 は深いため息をついて、しぶしぶ三成に向き直ったのだった。




210406
CLAP