松永久秀が、死んだ。
たちがその報せを受け取ったのは、そろそろ大坂城が見えるかという頃合いだった。
後にしてきた大和の地で、伊達の武将として残った慶次が、半兵衛や秀吉とも力を合わせて見事に打ち勝ったらしい。
最期は『屍は残さないと決めている』と言って、松永自ら爆死したという。
当の慶次達より一足早く追いついて来てそれを報せてくれたのは、その一戦に力を貸してくれていた疾風だった。
「そう……お疲れ様、疾風」
労いの言葉を掛けつつも、の視線は沈んだ。
『自爆』とは、如何にもあの男らしい最期だ。
慶次たちや疾風が無事だったことと、過去のしがらみに片を付けられたことには安堵しつつも、同時にの中で苦いモノが残った。
――「君はそうして何も考えず、昔日の黒禍に戻りたまえ」
脳裏にふと蘇った言葉を打ち消すように目蓋を一度強く閉ざす。
再び開けた時には高速で移動する風景と、白い馬の背中が映った。
「What's matter? この期に及んで隠し事なんざすんなよ」
前置き無く掛けられた言葉に、はぴくりと反応する。
背中から直接響いて来たのは、無駄に心拍数を上げる低い声だった。
伊達政宗――松永の罠によって離され、ようやく再会叶ったばかりのの想い人である。
大坂城を目指すと政宗は、わずかな騎兵だけを連れてその道行きを急いでいた。
「……何でもありません。相変わらずの白斗の走りに惚れ惚れしてただけです」
「……HA! そうかよ。ぼんやりして落ちても知らねぇぜ」
心配に対して強がりで返すのは我ながら可愛げが無いと思うが、ここで強がりの一つも言えないようでは虎姫などと名乗れない……そう内心でまで可愛くないことを考えては苦笑した。
怪我から来る発熱や、松永の香に当てられすぎたせいで衰弱した体……コンディションは最悪に近く、一人で馬に乗ることも出来ない為に政宗の乗る白斗に同乗させて貰っているのだ。
手綱を握らない彼の前に乗っているので、自然抱き締められたような状態である。
本当に落ちないようにという配慮でもあるだろうから文句は言えないが、非常に居心地の悪い状況だ。
しかし、そうも言っていられないほどに事態は逼迫していた。
松永の奸計によって豊臣秀吉が追われた大坂城……今や近畿一帯の拠点とも言えるべきその巨大な城が心無い者に掌握されれば、まさに天下の一大事である。
だからこそも政宗も、因縁も恨みもある松永との決着を慶次に預けてまで大坂へ向かうことを優先した。
一刻も早く大坂城に辿り着かなければならない――そんな状況で、けれどにはもう一つ真面目な懸念があった。
――「明智の野郎が軍勢を連れて大坂に向かってるらしい。しかも、織田と接触してるっつー話もある」
政宗が大和で告げた情報は、嫌が応にでもの覚悟を促していた。
明智、織田――
どちらも、が過去の闇と向き合う時にその大元になっている名だ。
こうして体力が底をついた状態で無心に馬に揺られていると、自然と意識が昔に……過去の闇に引き摺られる。
――「放っておけば、世は朽ちる。殯宮に置かれた屍のように」
かつて、織田によって陥落した集落を見下ろしながらそう言った男がいた。
十年近く前の、松永久秀だ。
それがこの世の真理で、至極自然なことなのだと……確信に満ちたその響きに、幼いは感情の枯れた頭で思った。
確かに、それは正しい――と。
この疲弊した国から戦が無くならない理由。
人と人とが殺し合う理由。
それは、異なる思想の人間が一緒に暮らしているからだと。
それならば、全て壊して、何もかも混沌の闇に帰ればいい――当時従っていた魔王の思想と決して相反しないその思いを、確かには持っていた。
今となっては、倫理的に考えて馬鹿げたことだと分かるその歪んだ思想……
しかし、一度本気で抱いていたそれがまだの内に眠っていることも事実だった。
――「好きなように壊せばいい、それが世の真理」
嬲るようにそう言った松永の言葉を振り払い、は思わず、後ろから自分を抱く腕に手を置いた。
「……政宗さん…」
独り言として呟いたのは、虎姫になる前に呼んでいた呼び方の……愛しい名前。
全力で駆ける馬上で前に座って呟いたその言葉が聞こえた筈も無いだろう張本人は、抱く腕にますます力を込めることで応えてくれた。
は口の端を上げ、もう死人の言葉に振り回されることなどないように前を見据える。
あの男は死んだ……そして自分は、自分の守りたい人達は、生きているのだ。
一時でも同じ思想を共有し、道が別たれ……ついにこの世界を愛することの無かった松永には同情するし、哀れだと思う。
けれど、もう道を選んだには、そんな感傷など許されなかった。
背中に在る熱を感じながら……その熱を感じられる場所に居る自分の熱を感じながら……
「……立ち止まったりなんかしない……絶対に」
は決意を新たに、前方に見えてきた巨大な城郭を見つめた。
大坂の城下町は、噂に聞いた繁栄ぶりが嘘のように閑散としていた。
整備された大通りに人影は無く、じっと家の中に息を潜めている気配も伺えるが、大抵は無人だ。
武力で覇を唱えた覇王秀吉だが、これだけ巨大な城と街を作り上げたその人望やカリスマは確かなのだろう。
秀吉が城を追われたと聞いて、ほとんどが逃げ出してしまっているようだった。
「疾風、あっちはどうだ」
馬の速度を少し緩めて宙に向けられた政宗の問いに、ばさりと黒い羽を散らして降り立った疾風は併走しながら答えた。
「真田が築いた出城にて明智軍を止めることに成功。明智光秀と真田幸村が戦闘中です」
「! 幸村が明智と……?」
防御が薄い大坂城の南側に布陣して迫り来る明智軍に備えていた幸村率いる武田軍は、無事にその役割を果たしたらしい。
しかし、あの血も涙も無い明智光秀と戦っているのかと思うと、は姉代わりとして心配でならなかった。
そんなとは対照的に、政宗は口元を引き上げる。
「Good. 上出来だ。小十郎と成実はどうした?」
「こちらの位置を報告しましたので、間も無く合流するかと」
「Oh-key. あいつらが合流次第、抜け道から突っ込むぜ。統領にも言っとけ」
了と頷いて消えた疾風を見送ったは、またもスピードを上げた白斗に揺られながらつい南の空を振り仰いだ。
不機嫌な声が掛けられたのは、その時だ。
「そんなに真田が心配か?」
低い声にはっとしたは、そう言えばと思い出した。
あの松永が罠を張っていた洞窟に突入する前に、政宗とは喧嘩していたのだ――幸村のことで。
まだきちんと仲直りもしていない内に離ればなれになってしまい……今に至る。
どうやらまだ怒っているらしい政宗には反射的にムッとしたが、そんな状態で命がけで助けに来て貰ったことは確かで、はこれ以上誤解を与えないように慎重に返した。
「幸村は私の家族も同然ですから」
「……家族…ねぇ。そりゃ未来の旦那だからってことかい?」
折角こっちが歩み寄ろうとしているのに、わざとからかおうとしているのか本気なのか、とにかく政宗の言に腹が立ったはきゅっと唇を噛んだ。
「そうですね……幸村は男らしく求婚してくれましたしね」
ピクリと震えた自分を支える腕に、はこっそり苦笑した。
少しは溜飲が下がったが、政宗がこのまま引き下がる筈はない。
また売り言葉に買い言葉で喧嘩になるのは目に見えている。
そうなる前に、すかさず「でも……」と続けた。
「でも、私は…………」
思わず言い淀んで視線を落とした。
甲斐の虎姫としては、敵国伊達の当主などでは無く、父の後継者とも言われる武田主力武将の幸村を選ぶべきなのだろう。
嫁き遅れの傷物などと呼ばれる娘の身で、最善の親孝行だ。
けれど……
「……『でも』、なんだ」
「っ…………」
固い声で先を促してくる政宗に言い淀んだは逡巡し……次第に沸々と怒りが沸いてきた。
そもそもどさくさ紛れの告白じみたものでこちらの気持ちをとうに知っている癖に、幸村を心配しただけで責めてきたり、こうしてこの期に及んで言わせようとしたり……言わなくても分かれと言いたい。
それこそ、伊達や酔狂で家出までしてここに居るわけではないのだ。
本人にだって理性でどうにもならないこの想いを、本人に疑われるのだけは我慢ならない…!
頭に血が上ったは、そのままの勢いで行動を起こした。
激しく揺れ動く馬上のまま、内股に力を入れて体を固定し、拘束している腕をふり払って後ろを振り向く。
間近で見開かれた隻眼を思い切り睨み付けて、叫ぶように叩きつけた。
「『でも』、私が好きなのは、貴方ですから!」
そして、胸ぐらを掴んで引き寄せ――口付けた。
重ねるだけのそれは実際の時間にして2~3秒だっただろうが、にはとても長く感じられた。
しかし刹那の口付けも、固まってふと力の抜けた政宗の体がバランスを崩したことで終わりを告げる。
「ッ……shit!……白斗っ!」
「っっっ……!!」
すぐに我に返った政宗が白斗を止め、竿立ちになった馬体をを引き寄せたまま宥める。
も落ちないように政宗にしがみつき数秒後、何とか落馬の危機を脱してその場に止まった。
「…………」
「…………」
街中を抜けた外堀の手前――二人と一頭の荒い息が支配する。
それからやや後、政宗が静かに息を吸い、は反射的に身を竦めた。
――怒られる!
しかし帰ってきたのは予期せぬ反応。
その場で思い切り抱き締められたのだ。
むしろ抱き潰される勢いで抱擁を受け、は息を詰まらせた。
そして耳元に落とされる、泣いて逃げ出したいくらい艶のある声。
「お前っ…不意打ちも大概にしろよ。こっちが必死に我慢してる意味がねぇだろーが…!」
「っ……ま…さ………」
瞬時に飲み込まれた熱に浮かされそうになったその時――後ろから呆れた声が掛けられた。
「……ちょーっと、お二人さーん? もしもーし?」
はっと我に返って顔を上げれば、額を押さえた小十郎と半眼になった成実が佇んでいた。
「折角久しぶりにちゃんに会えると思って張り切って来てみれば……こんなとこでイチャつかないでもらえるー?」
「やっ…あっ、これはっ……!」
今のを見られていたとしたら言い訳のしようもない。
はとんでもない所を見られて大袈裟なくらい慌てふためいたが、政宗は一つ深いため息を落としただけで馬首を返した。
「成実、小十郎、余計なこと言ってねーでとっとと来い」
「って、あれ? 梵怒んないのかよ?」
「今回ばかりは成実殿に救われましたな、政宗様」
「Shut up! 小十郎! 遅れたら置いてくぜ!?」
再び体勢を整えて白斗を駆けさせた政宗に、は身の置き所に困って小さくなった。
「あの……政宗様……」
「……What?」
「すみませんでした。その……さっきの……」
恥ずかしさで言い淀めば、後ろからクッと微かな笑い声が返る。
「今は余計なこと考えんな。ああいうのは後でまとめてゆっくりだ」
「あっ…後でって……」
は言い返そうとして視線を落とした。
幸村たちが戦っている時に、自分は一体何をしているんだろう……
「……心配すんな。アイツは…真田は負けねーよ」
「え?」
まるで心を読んだかのような言葉に目を瞬く。
「過去にお前を攫ったのがあの明智の変態野郎で、その上米沢でも付け回して怪我させたっつーのを話したら、暑苦しく怒り狂ってやがったからな」
「幸村……」
その様子が鮮明に思い描けてしまいは呆れたが、それなら確かに大丈夫かもしれないと苦笑した。
そんなの頭を少し乱暴な手が不器用に撫でる。
「お前はそうやって笑ってろ」
背中から優しい視線を感じて、胸に温かな感情が広がる。
「はい……ありがとうございます。……政宗さん」
かつて呼んでいたその呼び方に、後ろで僅かに気配が揺れた。
は前を向いたまま穏やかに微笑む。
記憶の有る無しに関わらず……取り戻すとかどうかに関わりなく、彼はやはりが何度だって好きだと感じてしまうたった一人の人で……呼び方なんて関係無いのだと、ようやく割り切ったのだ。
政宗が記憶を無くして以降あれだけ頑なに侍女として『様』付けで呼んでいたのに、松永の罠にかかったあの時……はとっさに以前の通りに呼んでいた。
それで思い知らされたのだ。
にとって、伊達政宗という存在はたった一つ――それを認識する呼び方など何でも構わないのだと。
ただ意地になっていただけなのだ、と今になって思う。
最初こそ政宗に負担を掛けないように新入りの侍女としての呼び方に徹していただけだが、いつしか『政宗さん』は記憶を無くす前の彼そのもののように思えて……記憶が戻らない彼をそう呼ぶのは、失ってしまった記憶を永遠に失うような気にさえなっていた。
今この時に自分で掛けたその枷を外したのは、にとってそれが必要だったからだ。
大切なものがあるだけでこうも決定的に違う。
だから決して松永久秀のようにはならないと……これから対峙する闇を挑むように見据えた。
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