「奥州筆頭、伊達政宗――推して参る!」
その言葉を皮切りに六爪――借り物の六本の刀を、政宗は勢いよく引き抜いた。
しかし、ただ刀を振り回すその遠心力だけで体に負荷がかかり、思わず顔を顰めた。
屈辱の負傷からまだ数日、如何に強靱な体とは言え回復していない。
初太刀を何合か斬り結んだだけで、もう大分息も上がっている。
「おや、若者が先達を差し置いて息切れとは……些か鍛え方が足りないのではないかね、独眼竜」
「Up yours!(くたばれ)これ以上くだらねぇことを言う前に、とっとと引導渡してやるぜ、じいさん!」
「良いだろう。地獄への引導とやらを渡してくれたまえ。尤も、卿が私に勝てたらの話だがね」
減らず口ばかり吐き出すとことんいけ好かない敵武将……それだけでも刃を向けるには足るが、相手――松永久秀は、伊達の兵を虫のように殺し、独眼竜である自分を吹き飛ばし、そして他ならぬを傷つけたのだ。
「――後悔するなよ?」
背中には、ようやく取り戻したがいる。
何度も思い描いたまっすぐな視線を後ろに感じながら、政宗は一刀流を構え直して目の前の敵に闘気を高めた。
「私は正直、賛成できかねます。武田と我々は仮にも敵同士なのですぞ」
時は一日遡って、武田の駐屯地――
軍議の席で眉間に皺を寄せて言ったのは、伊達軍の参謀でもある竜の右目・片倉小十郎だった。
敵陣の真ん中で――もっと言えば武田の真田幸村、猿飛佐助も同席している中で堂々と言ってのける片腕に、政宗は深々とため息をつく。
「堅苦しいこと言ってんじゃねぇよ、小十郎」
松永久秀の罠から逃れ、幸村と共闘の約定を交わした後である。
睡眠を取って僅かに体力を取り戻した政宗自身も似たり寄ったりだが、小十郎も負けず劣らず機嫌が悪かった。
敵陣の中で、怪我で動けない政宗を残したまま自らも倒れたというから、そのことを悔やんでいるのだろう。
しかし、だからと言ってヘソを曲げられては困る。
こうして呑気に軍議などしている内にも、松永に捕らえられたがどんな目にあっているか知れないのだ。
「そうだよ、片倉の旦那。うちの旦那とそっちの大将が決めたことだ。俺たちが何言ったって無駄無駄~」
「That's right ! 分かってんじゃねぇか、猿飛」
「……まぁ、こうしている場合でないのは確かでしょうな。それで、何か策はあるのですか?」
「策など不要」
佐助の言葉で小十郎が話を聞く気になったタイミングを逃さず、幸村は言葉少なに断じた。
「そちらの風魔が松永の元へ潜入している」
「Ah? 疾風だ? あいつはアンタらを探してた筈だろう。どういうこった?」
そこで初めて、疾風が少し前にここに立ち寄っていたこと――佐助と交わした会話の内容を聞いて、政宗はため息をついた。
「Haaー…I see. 単純なアイツなら間違い無く潜り込んでんだろ。……相変わらず、に事に関しては妙に鼻のきく奴だ」
自分で言ってから、政宗は感じた違和感に眉を顰めた。
以前にも疾風とに関する似たような"偶然"があったような気がしたのだ。
しかし、それが何なのかまでは、思い出せない。
――記憶が戻り始めてやがるのか?
政宗自身がに取り戻すと宣言したものだ……政宗は口の端を引き上げて、膝を立てて乗り出した。
「それなら話は早ぇ。オイ、猿飛。働いて貰うぜ?」
「はぁーー…やっぱし。…ま、しょうがないか。ならちゃちゃっと文書いてよ」
「Yaー. 待ってな」
文――疾風への命令を書き付けた紙を佐助へ渡し、口頭でも知らせておく。
「明晩、大和との国境だ」
「了解」
軽く請け負って即座に発った佐助は、後のことなど聞きもしなかった。
それを見送って、政宗は素直に感嘆した。
「随分と信用されてるらしいじゃねぇか、真田」
「……佐助はそれがしの忍だ。当然でござる」
いつもの暑苦しさと天然もなりを潜め、幸村はこの軍議の間も始終冷静で迷いが無い。
これが戦においての『甲斐の若虎』の本来の姿なのだろう。
今まではただ主の信玄に仕えるだけで表に現れなかっただけの。
「それから今一つ。政宗殿が寝ている間に、謙信公に書状を送り申した」
少し前の米沢での一件を思い出して、政宗は軍神か……と呟いた。
このタイミングでかの武将を頼るなら、それは即ち……
「そんなに信用していいのかよ。信心深い軍神っつったってただの人だ。おまけにありゃあまだ天下への野心だって捨ててねぇぜ?」
「謙信公ほどの武将ならば当然だろう。此度のことは、全て某の独断だ」
独断――その言葉に、政宗はぴくりと眉を震わせた。
「真田……てめぇ、甲斐の留守居以外に何かけしかけやがったな?」
幸村がここを動けなかったのは、織田や明智・松永などの他国から甲斐を守る為だった。
確かに、武田に身を寄せる上杉に、一時的にその守りを任せる――それが最も良策だ。
一時的といったのは、いくら上杉謙信が『義』を掲げる武将であろうと、それが長期に及ぶといろいろと支障が出る為である。
だからこそ、具体的に動きの決まっていない今まではその策に踏み切れなかった。今になって踏み切ったのは、伊達との共闘が成ったからだ……それは分かる。
だが、信玄の居場所も掴めていないこの時に動いたのは――他にも何かある。
「流石は独眼竜……地に墜ちても頭は働くようでござるな」
幸村らしからぬ嫌みを鼻で笑って受け流すと、幸村はさらりと言った。
「大したことではござらん。三好も奈良に赴いて春日山が手薄になっているこの期に、越後に戻られることを薦めたまで」
「何だと!?」
「チッ……そう来やがったか……」
驚いて声を上げた小十郎と、眉を顰めた政宗。
越後は、北の大半と関東を手にしている伊達が現状、地理的にも是非とも平定しておきたい地である。
中央に打って出るとしても、残された越後さえ自領にしてしまえば後顧の憂いは無くなる。
上杉軍が米沢に突如現れた時ももしやと思っていたが、やはり越後奪還の機を着々と狙っていたようだ。
上杉にとって一番邪魔な他国は伊達であっただろうから、幸村の目論見は立派に策士然としていた。
「俺たちをこっちに引き付けとくのと、甲斐の留守居役――上杉としちゃ悪くない交換条件だ。しかも、お前ら武田は腹も痛まない」
しかし、それをわざわざ政宗に堂々と言う所が、幸村らしかった。
HA!と笑うと、こちらの考えを読んだかのように「貴殿とは正々堂々相対したい」と言ってきて、その言に政宗は更に口角を上げる。
「Oh-Key、上等だ。いずれこの独眼竜が天下を平らげるまで、越後は一先ず預けとくぜ」
「天下を担うは、武田でござる」
それこそ上等だと笑って、政宗は地図に目を落とした。
「大和と大坂……梟雄と魔王か。デカイPartyだ。だが、knightの役目は俺が貰う」
「……それがしは、それがしのすべきことを為すまで」
僅かな間に一回りも二回りも成長したような幸村の眼を見つめて、政宗も改めて胸に刻んだ。
今すべきことを見失うような失態は犯すまい――と。
「――涅槃に下り損ねた身で余所事に頭を費やすとは、随分と分を弁えぬ愚行だな、独眼竜」
「……Han! いらねぇ心配だぜ、じいさん!」
思考を振り払った政宗は、相手から炎の気配を感じ取り、阻止するように松永を大きく弾き飛ばした。
幸村も、別動している小十郎も闘っている――こことは別の場所で、今この時に。
そして、いま政宗の背中にあるのは、政宗が一番守りたいと思うものだ。
「愚行ねぇ…年甲斐もなく若い娘に手ぇ出そうとするテメェの方がよっぽど分を弁えてねぇだろ! ――DEATH FANG!!」
僅かに体勢を崩した隙を逃さず斬り込むが、怪我のせいで踏み込みが甘く、今度は政宗が弾かれる。
松永はおかしそうに嘲笑した。
「なに、男女の間に老いも若いも因果等なかろう」
「ほぅ…?」
陣の奥、松永の背中に、父の形見でもある六爪が見えた。
自分の体力と周囲の状況を素早く確認しながらも不敵に笑う政宗に、松永は自分の剣を弄びながら朗々と述べる。
「宝とは各々にとって価値が異なる。私にとって、黒禍を抱いた虎の姫は得難き宝だ。希有だからこその宝……それを欲して何が悪い? 卿も卿の価値観で欲しているのではないかね?」
政宗は、ピクリと自分の米神が動くのが分かった。
「コイツを物扱いするんじゃねぇと何度言わせりゃ分かる!!」
――「そういうんじゃねぇんだ、は」
自分の声で紡がれる覚えのない言葉が不意に頭に過ぎって、政宗は目を瞠った。
思い通りにしたくて、出来なくて、無理強いなど論外で……それでも傍に置きたいと子どものように意地になって。
これは、確かに過去に政宗自身が感じた想い。
政宗はゆっくりと目を閉じた。
記憶を失おうとも消えずに残った想い――ならば一瞬も立ち止まることは許されない。
大名としても、男としても、人間としても成長しなければならない。
今すべきことは……目の前の憎い敵と命がけでカタを付けることでは無かった。
優先すべき第一は、別にある。
「……疾風!」
呼んだ直後、政宗たちと松永の間に黒い羽が舞い上がり、三人に分身した疾風が現れる。
それを見届ける間も無く、政宗は刀を収めて踵を返した。
へたり込んでいるを抱え上げようとすれば自分で歩けると言われ、肩だけは有無を言わせず抱き寄せて陣の外に出る。
するとすぐ目に付くところに、目的の三つの人影を見つけた。
「! 慶次さん! 竹中半兵衛! っっ……豊臣秀吉は…?」
気付いたが、覚束ない足取りで駆け寄る。
慶次と半兵衛の間に横たわるかつての覇王は、一目で分かるほどに生気が無かった。
外傷もひどいが、大量に吸い込んだ毒に体を冒されている証のように紫斑が浮き上がっている。
このままでは手の施しようが無いのは一目瞭然だった。
「秀吉……しっかりしろよ、秀吉! 俺と喧嘩の決着付けないまま寧々のとこに行く気かよ!」
「死んでは駄目だ、秀吉。君はこんな所で……こんな時に死んで良い人間なんかじゃない!」
秀吉をかつての友達だと言った慶次と、片腕としてずっと支えてきた半兵衛の、二人の悲痛な呼び声にも全く反応しない。
それを唇を噛みしめて見ていたが、不意に政宗を見た。
物問いたげな視線だけで、何となく言いたいことが分かってしまった政宗は、ため息をついた。
「Make it like. (お前の好きにしろ)」
軽く瞬いた後にふわりと笑って「ありがとうございます」と言ったその表情一つでどれだけ政宗をかき乱しているかなど、当のは欠片も気付いていないに違いない。
ふらふらと近づき、秀吉の傍らに膝をついたは、懐から小さな包みを取り出した。
「――これを早く」
「……?」
「解毒薬です。事前に飲むものみたいだけど、少しは中和出来ると思うから」
反射的に受け取った半兵衛の目が数瞬遅れて困惑に揺れる。
敵なのに何故――そう物語る視線に、は笑った。
「豊臣は、少なくとも織田や明智・松永とは違う……豊臣のやり方には賛同出来ないけど、"天下太平"っていう目指す場所は同じだから」
それに……と続けて、は困ったように苦笑した。
「私情だけど、後悔して欲しくない。――貴方たち三人ともに」
慶次にも、半兵衛にも……秀吉にも。
どこまでも甘いことを言うに、政宗は何も言わなかった。
甘くてぬるくて不器用で……それで自身が傷ついたとしても、自分の道をひたすら貫く。
それが、という女だから。
「――オイ、竹中。大坂城へ侵入出来る隠れ道を教えろ」
「……何だって?」
唐突な政宗の言葉に、半兵衛は一瞬呆気に取られ、次いで怪訝に眉を顰めた。
政宗はそれを見やりながら後ろを振り返り、疾風が足止めの役目を充分に果たしているのを確認して説明するために口を開く。
「明智の野郎が軍勢を連れて大坂に向かってるらしい。しかも、織田と接触してるっつー話もある」
その場に居た全員が、その情報に息を呑んだ。
政宗も、幸村たちとの軍議の直前に毛利に赴いている原田左馬之助を通じて知らされた情報だ。
「守りを固められてから落とすのは厄介だ。俺たちはすぐに大坂に向かう。――松永はお前等にくれてやるよ」
矢継ぎ早に告げた言葉にも、流石の半兵衛は眉を動かさなかった。
尊大に恩着せがましく言ってはいるものの、豊臣にとっては侵略者が変わるだけの話。
しかも、その大坂を取りに向かうために、ここにいる松永を任せて行こうと言うのだ。
しかし、城を追われた秀吉と半兵衛……たまたま難を逃れた豊臣の残党が城を奪還するために松永軍と交戦中らしいが、最早豊臣は死に体だ。
まして豊臣秀吉は生死も危うい瀕死の状態。松永久秀は、豊臣にとって紛れもない仇である。
そこに、豊臣は織田や松永と違うと――目指す先は自分たちと同じだと言った先ほどのの言葉。それらを総合して、豊臣の軍師である竹中半兵衛がどういう判断を下すのか。
「……狒々を囲んで歓談中に失礼。虫の息が集まって、逃亡の算段かね?」
朗々と響く低い声が聞こえて、襲いかかってきた黒い炎を雷で相殺した先に、松永が立っていた。
「――殿」
そして政宗の足下に跪いた疾風は、政宗の前に取り戻した六爪を差し出した。
如何に伝説の忍とは言え、予めの罠や不意打ちを得意とする松永相手に状況は厳しかったに違いない。
それでも、左腕に一つの太刀傷がある他は特に外傷もなく、足止めと六爪の奪還を果たした疾風に、政宗は手放しで「Well done! 良くやった!」と賞賛した。
対照的に松永は僅かにポーカーフェイスを崩して憎々しげにため息をつく。
「よもや金で動く傭兵たる伝説が、本気で伊達に忠を捧げていようとは……いやはや、世の移ろいはすさまじいな」
「HA! 隠居じじいにしちゃそうだろうよ。とっととこの世も引退しな!」
政宗は鼻で笑い、武田の陣で借りた六本の刀を投げ捨てて、ようやく手元に戻った馴染んだ六爪を腰に戻す。
しっくりくる感覚に息をついた所に、今度は後ろからふわりと陣羽織が掛けられた。
「長い間お借りしていてすみません……いえ、ありがとうございました」
「……You are welcome.」
謝罪と礼を告げてきたに、政宗はそう返すだけに留めた。
返されたいつもの青い陣羽織は、あの山間に張られた松永の罠に飛び込んだとき、寒そうにしていたに政宗が貸したものだ。
その時、二人は幸村のこと等が原因で諍いをしている最中で、ろくに口もきいていなかった。
そのまま政宗は松永に敗北し、は捕らえられた……それ以来の再会で、まだ和解すらしていない。
政宗はを助け出して言おうと思っていたことが山ほどあった。
それ以前に、早く思い切り抱き締めたいと思っていた。
だが、それらは全て後回しだ。
為すべきことを為した後のことだ。
政宗は陣羽織を着直すと、ようやく元の武装に戻った自分を見下ろし、息をついた。
そして松永を睨み付けたまま、慶次に告げる。
「前田、ウチのもんに舐めた真似をしやがった松永久秀を討れ――伊達の将としてだ」
言われた慶次が息を呑み、しかしすぐに頷いた。
「ああ、任された」
そのいつになく真摯な声音にGood.と返して、政宗は乱世の梟雄と言われた男に背を向けた。
「行くぞ、」
「政宗様……」
「もうここにゃ用は無ぇ」
告げた直後、戻ろうとした政宗の行く手で爆発が起こり、道が塞がれた。
肩越しに振り返ると、松永が指を弾いた体勢のまま余裕の笑みを浮かべている。
「卿に用が無くとも、私にはあるのだよ。君の腰に戻ってしまった竜の牙と……私の至宝にね」
しかしその直後、政宗との前後で再び大きく粉塵が上がった。
一つは前方の障害物を、疾風が破壊して道を空けたもの。
そしてもう一つは――後方の松永に、慶次と半兵衛が攻撃を仕掛けたもの。
「行け、独眼竜! !」
「、君にこれを預けるよ!」
更に、半兵衛が懐から取り出した一つの巻物が宙に向かって投げられ、は慌ててそれを受け取った。
「――」
「で…でも……」
慶次達を置いて行くことにか、因縁のある松永に背を向けることにか……尚も戸惑っているらしいに、政宗は短く告げた。
「真田と猿飛が、武田の一隊で明智を止めてる」
はっとが顔を上げる。
この期に及んで武田の名でしか動かせないことに、政宗は出そうになるため息を呑み込んだ。
「お前が今すべきことを考えろ」
何度も自分に言い聞かせていることを含めるように言えば、はじっと政宗の眼を見返してきた。
見透かされるような……ずっと見ていたいような澄んだ瞳と真正面から向かい合ったのは、僅か数秒。
「――はい、政宗様」
口の端を上げて笑ってそう言ったは、もう凛とした炎の気配を取り戻していた。
それに心からの満足感は覚えた政宗は、今度こそ戦場に背を向けて歩き出した。
小走りに追ってきていたの気配が一瞬だけ止まる。
そして小さく聞こえた声は、わざと感情を廃したような色だった。
「さよなら、松永弾正久秀。……可哀想な人」
111201
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