111.白波

 惜しみなく吹く海風を胸いっぱいに吸い込み、慶次は鼻歌でも歌いそうな陽気にのんびりと息をついた。

「いや~、こうやってのんびり船旅ってのも悪くないもんだよな~。なぁ、左馬之助! 夢吉!」
「ああ、全くだね。波の音と言い、カモメの鳴き声と言い、この気持ち良い風と言い、陸に居ちゃ分からないことだらけだよ」

 連れの原田左馬之助もそう同意し、相棒の夢吉もキーキーと手を叩く。

「ホント言うこと無しだよなー! まあ、こんな恰好でさえなけりゃあさ」
「そこだけが難点だ。折角の船旅を自由に満喫出来ないなんて、勿体ない以外の何物でも無いね」
「だよなぁ。……てことで、何とかなんない?」

「………お前らなぁ」

 二人のやり取りを聞いていたのか、それに答える形で横手から呆れた声が上がって、慶次たちはそちらへと視線を向けた。
 ちなみに二人して背中合わせに一本のマストにぐるぐる巻きに縛られているので、体は全く動かせない。

「アンタも可哀想だと思わないかい? 鬼ヶ島の鬼さん」

 水を向けた鬼――長曾我部元親は疲れたように深々と溜息をついた。

「まぁ、海の上が最高なのには同意見だがよぉ」



 慶次が伊達の本拠・小田原を出てから既に十日余り。
 ほぼ同時期に米沢を出た原田左馬之助とは途中の宿場町で合流して、馬を乗り潰しながらも大急ぎで中国の安芸へとやってきた。

 しかし、まっすぐに毛利の本拠・広島城を訪ねても、そこには当主毛利元就はおろか、居ると踏んだ長曾我部や浅井の姿も見えず、伊達の使者だと告げても取り次ぎもしてもらえなかった。
 もう一つの居城・吉田郡山城も訪れてみたがそこにも元就らの姿は見えず、独自に探しまわってようやく淡路島近くの湾内に当たりを付けた。

 口の達者な左馬之助の活躍もあって、地元の漁師に舟を出してもらい、四国を睨むように停泊していた大型船に潜り込めたまでは良かったのだが……。


「長曾我部殿、正面から行っても駄目、裏から行っても駄目というのでは、俺たちに一体どうしろと言うのですか?」

 淡々と左馬之助が問う。
 この船――要塞船・富嶽に辿り着いた瞬間、「伊達の犬どもを捕らえよ」という言葉と共に問答無用で拘束されたのだ。

「俺に聞くなよ。そういうのは元就本人に聞くんだな」

 元親の視線を辿って見遣れば、捕まえるだけ捕まえて後は甲板に簀巻きにしたまま放置していた毛利元就が、悠々と船室から出てきたところだった。
 一言文句を口にしようとした慶次は、しかし元就の後ろから走り出てきた黒い影にそれを阻まれる。

はっ……は、無事…?」
「アンタは……」
「浅井長政殿がご内室、市殿ですね?」

 左馬之助の言葉に、これが魔王の妹か、と慶次はまじまじと相手を見つめた。
 長く艶やかな黒髪と黒々とした瞳を持つ絶世の美女だが、流石実の兄妹だけあって信長に似た禍々しい気配も感じる。
 前田家は織田に仕えていたが、慶次はこの姫君に会うのは初めてだった。
 しかし、から話を聞いていたので初対面のような気もしない。

「ああ、は元気だぜ!」
「我が伊達にて恙無くお過ごしです。今頃は政宗様と共に軍を進めておられるかと」

 慶次と左馬之助が請け合うと、市は「そう……」と言葉少なに心底安堵した様子で息をついた。

「市」
「あ……ごめんなさい、長政様」

 更に後ろからやってきた男が、どうやら浅井長政だったらしい。
 夫に呼ばれた市は、可憐な立ち居振る舞いで長政の傍らまで戻った。

 改めて、元就、長政、市と向かい合うように、慶次と左馬之助は三人を見上げる。

「我は毛利元就。伊達の使者と申したな。まずは名を名乗れ」

 縄は解かれないまま自己紹介させるつもりらしい。
 慶次は肩を竦めて左馬之助に目線を送ったが、相手は素知らぬ顔でやるなら早くしろとばかりに黙っている。

「……それじゃあ、好きにさせて貰いますかね……っと!」

 言い様に慶次は、予め夢吉がかじっていてくれた縄目を切ってその場に高く跳躍した。
 いつもの大剣は取り上げられているので今一様にならないが、ダンと大きく一歩を踏んで見栄を切る。

「俺は伊達の武将、前田慶次! 以後お見知りおきをってね!」
「同じく伊達が将、原田左馬之助宗時と申す。本日は毛利元就殿に我が主・伊達政宗様の意向を伝えに参りました」

 いつの間にか左馬之助もちゃっかり自由の身になっており、しかしこちらはきちんと拱手して名前と用向きを伝えた。
 その二人に対して眉一つ動かさなかった元就は、淡々と言葉を紡ぐ。

「前田の風来坊に、独眼竜の懐刀が二人揃って何用だ。この富岳でも探りに来たか、それともここにいるいずれかの首を狙って来たか」
「残念ながら、そのどちらでもありません」
「アンタたちが織田の魔王さんと豊臣の脅威に晒されてるのは知ってる。松永と明智なんて得体の知れないもんが出て来た今、東国でも手を焼いててねぇ。そこで、東西から一緒に何とかしようって相談だ」

 左馬之助は順序立てて話そうとしたようだが、慶次はその必要も無いとして簡潔にまとめた。
 どうせ、縛られた時に懐にしまっていた政宗の書状とからの文も取られてしまっているのだ。
 政宗の方は伊達としての正式な同盟依頼だし、の方の中身は見ていないが、先程の市の行動はその文を読んだからだろう。

「毛利の大将さん、まどろっこしいのは無しにしないかい。俺はからアンタたちの話を聞いてる。あの子の文を読んだから、こうして出て来てくれたんだろ?」

 正式な使者として来ているのだからの口添えが無くとも会談には応じてくれたと思うが、あと数日はこのまま放置されていた可能性も高い。
 慶次の言葉を肯定するように、元就は無表情のまま「いいだろう」と答えた。

「織田が脅威であるのは事実……このまま無為に過ごすほど、時も無い」

 それじゃあ、と顔を輝かせた慶次だったが、後ろから左馬之助がその腕を掴んだ。

「左馬……」
「慶次、動くな」

 真面目な低い声に驚いて背後を振り返れば、後ろにいる元親の上方マストから弓兵がこちらを狙っていた。

「……こりゃ一体何の真似だい?」

 慶次の問い掛けに、元就は淡々と……けれど、とんでもない一言を返した。

「伊達の客将、を我らが預かる――それが同盟の条件だ」

 そして片手を上げると、ざっと周囲に夥しい数の弓兵が現れ、矢先が一斉に慶次と左馬之助に向けられた。
 否と言わせないその構えに、慶次と左馬之助は呆気に取られて溜息をつく。

「これまた……も厄介な御人に気に入られたもんだ」
「非凡な人を引き寄せる魅力を持っておいでなのでは?」
「持ってんのは不幸の星かもしれねーよ?」

 この期に及んでも軽口をかわす二人は、そうしている間にもざっと油断なく周囲を見回したが、突破出来そうな隙は無い。
 を差し出して主家の望む同盟を得るか、断って矢の的になるか――
 そんなもの決まっていると慶次が口を開くより早く、左馬之助が即答した。

「お断りします」
「…おいおい、伊達のあんちゃん。元就は本気だぜ? それにここにゃ俺や浅井の二人も居る。大人しくした方が身の為ってもんだ」
「御忠告ありがとうございます、長曾我部殿」

 しかし――と続ける左馬之助に迷いは無かった。
 確かとは二、三度しか面識が無かったと思ったが……

「甲斐の虎姫殿を勝手に差し出すなど、伊達の一存では出来かねます」
「我は虎姫など知らぬ。伊達の客将を出せと言ったまで」

 確かに表向きはは虎姫としてではなく、ただのとして……一介の侍女として伊達にいる。
 だからこそ元就も『客将』と言ったのだろう。
 けれど左馬之助は断固として首を横に振った。

「何と言われようと答えは変わりませんよ。私は我が殿に八つ裂きになどされたくありませんので」 
「――ならばここで果てよ」

 元就の手がまっすぐにこちらへと振られ、夥しい数の矢が一斉に射かけられる。
 悪態をついた慶次が、遠心力を使って払いのけようとしたその時、左馬之助が一声叫んだ。

「駄目だ、慶次! 一撃も返すな!」
「でぇぇえ!?」

 慶次は慌てて体の動きを止め、両手両足と口まで使って避けきれなかった矢を受け止める。
 しかし矢の雨が途切れて隣を見れば、先ほどまでそこにいた左馬之助の姿はなかった。

「ほぅ……独眼竜の懐刀とはよく言ったものだ」
「政宗の奴、忍のダチまで居たたぁな」

 元就と元親の声にその視線を辿っていけば、マストの上で弓兵の弓を悉くへし折った左馬之助の姿があった。
 驚いたのは、慶次とて同じである。
 流石に政宗、成実、小十郎らと共に学んだ幼なじみだけあって腕が立つとは思っていたが、まさか……

「――忍という訳ではないよ。幸い人より少し器用だったので、見よう見まねで覚えただけだから」

 衆目を集めた左馬之助は何でもないようにそう言って身軽にぶら下がっていたマストから足を離し、音もなく慶次の横に着地した。

「見よう見まねって……普通の人間には出来ねーだろ」
「褒め言葉と受け取っておくよ、慶次」

 笑顔が怖い……とは日々学習している慶次は言わなかった。
 手にしていた弓の残骸をその場に捨てて、左馬之助は改めて元就に視線を戻す。

「毛利殿、今の私たちは正式な伊達の使者なので、あなた方に害をなすつもりは毛頭ありませんよ。試すのも結構ですが、今は時間の猶予も無いことをお忘れ無く」
「くっ、言われてんぜ、元就」
「黙れ、鬼めが」

 そのやりとりを聞いて、慶次はふとの言葉を思い出した。
 四国を奪われた長曾我部が毛利を頼ることを確信している風だったは言ったのだ。

「あの二人は幼なじみだそうですよ。それに二人は否定するでしょうけど、同じ瀬戸内を愛する者同士、敵でも絆で繋がった友達なんです」

 そして、元親の存在があったから元就は闇に飲まれずにいる――と、そういうようなことも言っていた。
 全部の意味が分かった訳では無いが、敵でも友達ということなら、慶次にも少しは分かる。
 だからこそ、ここに来たと言っても過言では無いのだから。

「毛利元就さん、頼むよ! 俺は伊達の武将だけど、実はそれ以外にも下心があるんだ!」
「下心だと…?」
「ああ、豊臣秀吉……あいつとは昔っからの付き合いでさ。派手な喧嘩もしたし、今じゃ敵だけど、でもやっぱり俺にとっちゃ友達なんだ!」
「友……」

 その言葉に、能面のような元就の表情が微かに動いた。

「秀吉だけはどうしても俺のこの手で止めたい。あいつのツケは俺が払わなきゃならない。――だから、四国の奪還に手を貸すよ。その代わり、俺が秀吉を一発殴るのにも手を貸してほしい!」

 隣でため息をつく左馬之助に慶次がゴメンなと小声で謝れば、小さく首を振られた。

「慶次はそれで良い。政宗様も殿もご承知のことだろう」

 それを聞いて少しほっとした刹那、後ろの元親が大きな声で笑い出した。

「ぶわーっはっはっは! いやー、いいねぇ、前田慶次! アンタみたいな馬鹿正直、久々に見たぜ。なぁ、元就! 浅井の!」
「あの姑息な豊臣の友とは俄に信じがたい」
「まあ、少々明け透けすぎるが、悪ではなかろう。正義とも言い難いが」
「まあそう言ってやるなって。元就、俺とお前も正反対だろーがよ」

 そう言って元親が元就の肩を叩けば不機嫌そうに払いのけはしたものの、元就は深いため息をついて慶次に頷いた。

「……………良かろう。伊達との同盟、独眼竜の提示した条件で飲んでやろう」

 やや拍子抜けするほどすんなりとまとまった話に慶次が唖然とする間に、左馬之助は淡々と礼をする。

「ありがとうございます、毛利殿。では、同盟の誓約書を……」
「ちょ…ちょっと待ちなよ、毛利さん! 同盟を飲んでくれたのはありがたいけど、を人質云々ってのはいいのかい?」
「……慶次、ちなみにあそこで俺たちがその条件を飲んでいたらどうなっていたと思う?」
「え、どうって……」

 左馬之助に言われて想像した慶次の頭の中では、政宗が暴れ狂い大惨事となり、平時であれば信玄を始めとした武田勢が一気に毛利へ攻めかかり、更に本人が簡単に従うはずもなく、慶次は惚れた弱みもあって確実に――命を落とす。
 あまりにもぞっとしない想像に身を震わせた慶次の横で、元親が笑った。

「アンタが想像してるようなことも勿論怖ぇだろうが、まあそりゃ無事に奥州まで帰り着いた時の話だ。その前に頷いたその瞬間に、ここで蜂の巣か矢襖になってたと思うぜ? を簡単に売るような奴らにゃ、ここに居る野郎どもはかなり短気だからよ」

「アネキを売るなんて絶対許せねぇ!」
「んなことしやがったら奥州ごと波に沈めてやるぜ!」

 口々に船のあちこちから罵声が上がり、慶次は乾いた苦笑を返す。
 どうやらここでもは大いに受け入れられていたらしい。

 とにかく、得物も返して貰い、船室へ移動して今後のことを話し合おうとなった時、唐突にそれは訪れた。

「! 何者だっ!」
「――おや。少し離れている間におっかない人が加わったようだ」

 何かの気配に気づいた左馬之助が短刀を投げ、それを受け止めた人物がその黒衣をはためかせながら飄々と甲板に着地する。

「望月六平太、ただいま戻りました」
「望月――……毛利と豊臣の二重草」

 呟いた左馬之助に、慶次がはっとしてその忍を見る。
 秀吉に何か動きがあったのかという予感は、半分だけ当たっていた。

「元就様に報告致します。大坂城にて謀反あり。落ち延びた豊臣秀吉は単身奈良へ向かいました。軍師の竹中半兵衛がそれを追い、船を出した模様……間もなく、この近海を通ります」
「何だって!? でも何で秀吉が一人で奈良へ………」

 驚く慶次を余所に、六平太は更に驚愕する報せを告げた。

「また、駿河の山中で伊達軍と松永軍が衝突。甲斐の虎姫が松永に捕らわれたようです」

 これには、全員が虚を突かれて驚きを露わにした。
 一早くそれを脱したのは元就で、短い言葉を残して船室に消える。

「六平太、詳しく報告せよ」
「御意」

 後に残された面々もすぐに我に返って元就に続き、最後に残された慶次は間もなく半兵衛がやって来るという海上を振り返った。

 秀吉が向かった奈良――大和は、松永久秀の本拠。
 松永に捕まったというもまた、そこに囚われている可能性が高い。

 果たしてそれらはどう関係しているのか……
 分からないことだらけの暗雲立ちこめるその先に、慶次の脳裏にの笑った顔だけが思い出された。

「頼む……無事でいてくれよ、

 その笑顔が失われないように……胸元に入れた合わせ貝を強く握りしめた。





100322
またまた久しぶりに登場の方たちがぞろぞろと。
元就はアニメのドラマCDを聞いて勉強しようと思ったのですが、
聞けば聞くほど人でなしでどうしようかと思いました(笑)
なので、狐花での元就さんは既にデレた後仕様になってます。
オリキャラとしての初登場は政宗様の幼なじみ原田左馬之助。
某漫画ぼ●たんの彼を少しモデルにして、忍ちっくにしてみました。
CLAP