知っている。

 爆発で体が吹き飛ばされ、谷底に落ちて行くその瞬間にあっても、政宗は確かにそう思った。

 ――「政宗さんっっっ!!!!」

 自分をそう呼ぶ、あの声……あの存在を。

 ――確かに"俺"は、知っている。

110.raival

 遠くから呼ばれたような気がして、俄かに意識が引っ張られる。
 途端にじわじわと這い上がって来る痛みや息苦しさに呻いた刹那、唐突に浮遊感が襲い、右頬に鈍い痛みが弾けた。

「ぐっ……は……………」

 急浮上した意識を引き上げるように目を開け、体を起こすと、板張りの床が見えた。
 焦点の合わないぐらぐらした視界を頭を振ってやり過ごし、彼は――政宗は顔を上げる。
 そして目の前に居た人物に、その隻眼を見開いた。

「は……こりゃ、随分なwakingだ……。起き抜けに…真田幸村の拳を、貰うたぁ…な」

 整わない息のまま、何とかそう口にする。
 自分の右頬の痛みと目の前の相手を見れば殴られたのだと予想はつくが、その他は一切状況が掴めない。
 幸村とは戦場で会って以来だ――覚えている限りでは。

「これで起きねば、起きるまで続ける所だ」

 苛烈なまでの……けれど静かに燃え上がる怒気を向けられて、政宗は何を……と眉を顰める。
 しかし、次の一言にそのまま固まった。

のことだ」

 幸村が告げたそのたった一つの名に、世界が一瞬時間を止める。


 ――「いやぁぁぁぁぁあああああああああああ!!」

 大切な女の発する絶望の悲鳴……。

 伸ばされた腕が、泣き顔が、見えた気がした。

 自分に向かって必死に伸ばされる声も、手も、鼓膜と網膜に焼き付いて。

 名を呼ばれた後に一瞬近くに感じた温もりは気のせいだったのか……直後の悲鳴と落下。

 スローモーションのように外へ放り出されながら、目まぐるしく頭に蘇る映像があった。

 かつても、泣きながら伸ばされた手………

 あれが走馬灯というものか何なのかは知らない。
 ただ、そこで見た人物だけは間違いようがない。

 ――だ。

 失くしてしまったとの記憶――それをあの瞬間だけ垣間見たのかもしれない。

 しかし、そんなことはこの際どうだって良かった。

 たった一つ確かなことは、が泣いていた……そして松永の元に残して来てしまった今も、泣いているということだ。

 
「………何処へ行く?」
「……Ha、野暮なこと聞くなよ、真田」

 政宗は答えて、壁を支えに立ちあがる。
 体のあちこちが痛んで、普段なら一月は療養しなければならないほどかもしれない。
 勿論、大事な人間を敵に捕らえられたまま、政宗は一日だって休むつもりは無かった。

の元へ行くつもりか」
「だったら…どうだってんだ」
「行かせぬ」

 幸村にそのまま乱暴に胸ぐらを捕まれ、再び殴り飛ばされた。
 背後の壁に激突して、僅かな血が吐き出される。
 武田主従の殴り合いを見ている限りは大分手加減しているのだろうが、今の政宗にとってはこれでも十分致命傷になりかねない。

「テ…メェ……、真田……! 何の…つもりだ…!」
「何のつもり? それはこちらの台詞だ! を伊達に置いていたのは、本人の意思を尊重したのもあるが、某もお館様もある程度は独眼竜という男を認めていたからに他ならぬ! それを……!」

 ギリリと拳を握りしめる幸村に、政宗も歯噛みした。
 沸々と湧きあがる怒りは押さえようがない。

「言われるまでも……ねぇんだ…よ!!」

 言葉尻に合わせて、政宗も幸村を殴り返した。

 目の前で。
 大切な女一人守れなかったことの悔しさなど、幸村には分からないだろう。

 今やいくつもの国を統べる身でありながら、何に変えても守りたいと思ったたった一人の相手。
 それを、本当に目の前で、易々と卑劣な松永の手に奪われ、そして容易く敗北したのだ。

「テメェなんぞにっ…分かってたまるか……て…ん……」

 ぐらりと世界が揺れて、目の前が赤く染まる。
 強く自分の手を握りしめたまま、苛立ちと焦燥と共に政宗の意識は再び落ちた。





「言っておくが、某はを守れなかった貴殿を許すことは出来ぬ」

 目が覚めて、開口一番にそう言われた。
 ひどく不快な台詞に、起き抜けの機嫌が更に一段と悪くなる。

 更に、諦めた訳ではござらん! だの、以前に申した宣戦布告はまだ有効でござる!
 だのと暑苦しく言う幸村に、政宗はぴくりと米神を震わせた。

 そう言えば、山本勘助が幸村がに求婚していると言っていた。
 幸村の言からして、それを正々堂々と暑苦しく政宗に突き付け、宣戦布告していたらしい。
 朴念仁だとばかり思っていた幸村のこの行動は意外で、普段であれば口笛の一つでも吹いて茶化す所だが、事がへの求婚というのだから笑えない。
 何せ、幸村は武田家の嫡子たちを差し置いて、の父・武田信玄の後継者とも目される男である。
 その幸村にが嫁いで二人で武田家を盛り立てていくのが如何に自然なことか、政宗にだって十分に分かる。

 つまり、その話を聞いて嫉妬にも似た不快なものを抱えている所に、が疾風に頼んで幸村を探していると知り、激昂して諍いまでしたのだ。
 それが松永の元へ乗り込む直前のことで……そんな諍いをしたまま、こうして離れてしまったことになる。
 その元凶たる幸村に元凶たる話を持ち出されて、怒りが湧かない筈は無い。

「Holly shit!……だが、喧嘩なら今度買ってやる。今はそれどころじゃねぇ……俺は忙しいんだよ」

 一旦寝たからか、先程よりも体がマシになっていた政宗には、やるべきことが山ほどある。
 手近の水を飲み干して自分に言い聞かせるようにそう言い、幸村を睨むにとどめた。
 幸村は無言でそれをまっすぐ見返し、布団の上に起き上がった政宗の横に腰を下ろす。

「……駿河を落とした直後であった。別働していた某の隊は、お館様が消息を絶たれたという報告を三河との国境で受け取った」

 こちらが聞く前に唐突に話し出した幸村に、政宗は片眉を上げた。
 求められて話す訳では無く、こちらから話してやる――そういうことらしい。

「すぐに隊を連れ、駿河へと向かったが、途中……松永からの文が届いた」
「Letterだ? お前に直接、か?」
「ああ。駿河へ向けて急いでいた某に、でごさる。佐助らの先導であったから、獣道も通ったにも関わらず」

 だとすれば、松永は最初から幸村に草を付け、逐一同行を把握していたということになる。

「で、信玄公は無事なのか」
「……恐らく、今は」

 そこで幸村は血管が浮くほど強く自分の膝を握って続けた。

「お館様は、織田に捕らわれている」

 意外な名前に、政宗は目を見開いた。

「Jesus……ここに来て魔王のおっさんかよ。松永と織田は切れたと思ってたが」
「事情は知らぬ。だが、松永はお館様を質に取り、要求を突き付けて来た。――躑躅ヶ崎館の空け渡し、武田の家宝・立て無しの鎧を差し出せと」
「刀の次は鎧かよ……どこまでもふざけた野郎だぜ」
「……某は」

 震える声がぽつりと落ちて、やがてわなわなとしたその震えは幸村の全身に広がった。
 政宗は思わず視線を反らす。

「某は、己が不甲斐無い。松永久秀が不穏な動きをしているという報告は以前から受けていたのだ……越後の次は奥州や甲斐に手を出すことも分かっていた。それなのに……!」

 傍を離れたのは不覚だったと悔恨を滲ませる幸村は、今までに繰り返しそうやって自分を責めて来たのだろう。
 政宗はそれを横目で見やって僅かながら自分の失言を認めた。
 幸村にとっては、国や天下というより仕える主君・信玄こそが全てであるように見えた。
 その命より大事な主君を守れなかったという悔しさは、確かに大きなものだろう。

 しかし、かと言って敵である相手に同情してやる謂れも無い。
 元より政宗は、じっとしているのは性に合わないのだ。

「それで、テメェはこんな所で何してやがる。信玄公もも松永にかっ浚われて、テメェは……」
「某とて!」

 幸村が苛立ちをぶつけるように床を殴りつけ、ドンと急ごしらえの櫓の一部が崩落する。
 外で小十郎の気配が揺れたが、政宗は僅かに視線をやっただけで、自分が微塵も動かないことで入室を留めた。

「某とて、それが出来ればとっくにしている。今も駆け出したいのを堪えているのだ……貴殿と同じように」

 強い光を湛えた瞳が政宗を射た。
 政宗もそれを真正面から受け止める。

「Ya、話は大体分かった。……んで、どうしようってんだ? テメェや俺の無駄にできねぇ時間を割いてまでこうしてんのは、まさか傷の舐め合いの為じゃねーだろうが」
「無論。全てはお館様とを救い出さんが為」

 その言葉に欠片の偽りも無いのを見て取り、政宗も大きく息をついて一つ腹を括った。

「いいぜ。その話、乗った」
「……某はまだ何も話してはいないが」
「委細承知したっつってるだろ。後は小十郎たちも集めて軍議で詰めりゃいい。……俺は寝る」
「なっ……だ…伊達殿!?」

 幸村の言葉を遮って背中を向けて寝転がれば慌てる声が聞こえたが、政宗はそれを無視して瞼を閉じた。

 先程幸村が言った通り、幸村たちは今はここから動けないのだろう。
 ここがどの辺りなのかも聞いていないが、恐らく甲斐にほど近い駿河領内だ。

 甲斐武田は背後に旧上杉領の松永・明智、東西に伊達、南の大部分を織田領に接している。
 伊達は政宗と約を結び、越後は客分として武田に身を寄せている上杉に見張らせたとしても、駿河が織田に落ちた今となっては織田との国境線は広大だ。
 諸々の小国がそれぞれ自国の国境線を守っている奥州とは違って、常に勢力の入れ替わっている甲斐では戦力が圧倒的に足りないのだろう。
 流石に甲府には誰か信用の置ける武将を配して守りを固めているだろうが、信玄不在の今、武田軍の要となる幸村が甲斐を離れることは出来ないはずだ。

 まして、家宝の鎧はまだしも、甲斐の要である躑躅ヶ崎館を明け渡すという条件を呑むなど論外である。
 敵が普通の……志ある大名ならともかく、松永や織田まで関わっているとなれば、本拠地を明け渡したが最後、甲斐は火の海になりかねない。

 そんなお家の事情を抱えて主さえ助けに行けない今の幸村が、敵でありライバルである政宗に持ちかけてでも為そうとすることなど決まっている。

「……貴殿とは、もっと純粋に戦場でまみえたかったが……今は、頼もしくも思う」

 しばらくうるさく呼びかけていた幸村が立ちあがり、去り際に戸口の所で静かにそう言った。

「全てが終わった後、への想いをかけて真剣勝負をしようぞ――伊達政宗」

 ここで「をかけて」では無い所が幸村らしい。
 全く暑苦しい……そう思いながらも、政宗も振り向かないまま口角を持ち上げた。

「望むところだ――真田幸村」

 ようやく一人になった空間で、政宗は重い瞼を閉じる。
 今は少しでも回復しなければ、何も出来はしない。

 そうは分かっていても、引きずられるように意識を失う刹那、脳裏に焼き付いた泣き顔は離れそうも無かった。
 




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