かなりの高さを落下した為、体にかかる衝撃も並大抵では無かった。
生い茂っていた木々にぶつかって少しばかり弱まり、更に下に川が流れていたのは僥倖としか言いようが無い。
体を刺すような冷たい激流の中で意識を保てたのは、腕の中に命より大切な主を抱えていたからだ。
何とか岸に這い上がって、傍らの傷付いた体を検分する。
自分はともかく、主は落下する前にも爆発の衝撃を直接的に受けたのだ。
あばらや肋骨、手足の骨もヒビくらい入っているかもしれない。
すぐに命をどうこうするような外傷は無いものの、頭を打っているということも有り得るし、何よりひどく消耗している。
「政宗様…お気をしっかり……この小十郎、命に代えても貴方を死なせたりなどしない!!」
自らの傷は意識の外に追いやって、小十郎は主――政宗を背に乗せた。
歩き出す前に一度だけ、落ちて来た上方を見上げる。
崖や木に遮られて何も見えなかったが、二度と見たくなかった表情が瞼の裏に苦く張り付いていた。
とにかく必死だったからそのまま全てを放り出して来てしまったが、あそこには拘束された伊達の兵たち……そして、主とその周りにとって何よりも大切な女が居たのだ。
「政宗様を死なせはしない――の為にも」
そして、も必ず取り戻す――政宗の為に。伊達の為に。
「俺自身の為にも……!」
それほど時間を置かず待機させていた本隊の一部と合流出来た小十郎は、一旦政宗を安全な場所に寝かせて守りを置き、自らは伝令隊と共に偵察に出た。
冷静に考えれば自分も手当てを受けて休養するべきなのだろうが、とても休める気分では無い。
森の中を草木を分けながら慎重に進み、意識を研ぎ澄まして周囲の気配を探る。
まるで手負いの獣だなと、自嘲にも似たものを感じながら進んでいた小十郎だったが、もうじき関が見えてくるという所でぴたりと足を止めた。
「どうかしたんですかい、小十郎様」
「静かにしろ。……何か聞こえる」
僅かばかりの多数の人の気配と、具足の擦れ合うような音――
何処かの軍がこの先に駐留している。
そんな確信を抱いた時、感じた気配に小十郎は反射的に刀を抜いた。
「――おっと。相変わらずおっかないねぇ、右目の旦那は」
「! お前は――!」
目を瞠った小十郎の前に、飄々と……けれど僅かな違和感をもって迷彩柄の忍は舞い降りた。
敵意を向けられた訳でもないが、敵国の忍である相手――猿飛佐助と慣れ合うつもりもない。
しかし、常ならば下ろさなかったであろう刀を鞘に戻したのは、罪悪感があるからだと自分でも分かっていた。
「あらら、今日はやけに友好的じゃないの」
「……お前は信玄公や真田と共に行方不明だと聞いていたんだがな」
「まあ、そういうことらしいね」
こちらの様子がおかしいのも分かっているだろうに、流石の佐助は如才なく答え、小十郎の後方にちらりと視線を向けた。
「とりあえず、俺様はその真田の旦那の使いでここに居る。――そういう訳で、竜の旦那とウチの姫さんに会わせて欲しいんだけど?」
「………俺たちがここを通るってのが分かってたような口ぶりだな」
「そりゃあ、勿論アンタたちが来るのを待ってたのさ。大和へ行くには、必ずこの関を通る筈だからねぇ……尤も、逆方向から来るとは思わなかったけど?」
確かに、小田原から陸路で大和へと抜けるには、この先の関を通ることになる。
しかし、あの松永が罠を張っていた山から落下し、川で流された為、関を通らずに過ぎてしまい……そして今は、小田原への帰路だ。
合流した本隊も小十郎たちを探して獣道を通って山を迂回してきた為、関は通っていない。
「……真田も武田も伊達の敵だ。それを分かった上で言ってんだろうな?」
「武田の姫さん連れ回しといて言う台詞じゃないね――っていう喧嘩腰は一旦置いといて。実は、風魔の旦那に会ってね」
「疾風に?」
そう言えば、が政宗にこそこそ隠れて、真田たちの安否を確かめる為に疾風を遣わした――と愚痴っぽく聞かされていた。
疾風は黒脛巾の所属で政宗の直接指揮下にあるが、あのどこまでも変わっている伝説の忍が最優先するのは雛のすりこみの如く懐いているであり、それについてどうこう言うのはとっくに諦めている。
どうやらの指示通り、首尾良く真田たちを見つけられたらしいが、それにしては本人を見かけない。
――あるいは、の元へと向かったのか。
「それで? 姫さんは……は後ろの本隊に居るの?」
いないと知った上で言っているのだとようやく気付き、小十郎は長い溜息をついた。
佐助も相当負傷しているようだが、小十郎の方が満身創痍である。
おまけに真田幸村も居るとなれば、一戦交えたとて関を突破するのは不可能だろう。
「とりあえず、怪我人を休ませて貰おう。話はそれから――政宗様の代わりに俺が聞く」
「それで? そのままウチの姫さんを放置してアンタたちだけとっとと引き上げてきたってわけだ?」
会見用にと関の櫓の中に急場で拵えた床几の前。
佐助の皮肉が籠もった言葉にも、伊達の参謀はそうだと淡々と肯定した。
場に居るのは佐助とこの片倉小十郎、そして先程からほとんど口も利かない佐助の主・真田幸村の三人だ。
佐助がちらりと視線を飛ばしても、いつもは五月蠅いくらいの幸村は頑として口を引き結んだまま難しい顔で黙り込んでいる。
信玄のことがあり、甲斐を出てからというものこの手の表情は多くなったが、それでも今日は一段と不機嫌である。
槍でも持ち出しそうな殺気に似た怒気を背中に感じ、勘弁してくれと思いながらも、佐助は冷静に小十郎の話を聞いている自分に気づいていた。
本当なら、自分だって十分に怒っている。
を大切に思っているのは佐助だって同じだ。
けれど、いつも怒らない幸村が怒気を丸出しにしていることで、返って佐助は冷静でいられるのだろう。
思えば、今は疾風と名乗っている風魔小太郎に遭遇した時から、何やら嫌な予感がしていたのだ。
つい、今朝方のことだ。
幸村の指揮の下、僅かの手勢と忍び隊を率いて身を潜めていた佐助の元に、突然疾風は現れた。
の命令で、幸村と佐助を探していたのだと言う。
「ありゃー……姫さんにもよっぽど心配掛けちまってるらしいね、どうも」
「……勘違いするな。は伊達の人間としてそうしたまで」
「それこそ勘違いかもしんないよ?」
途端に険悪な気配が漂うが、の使いで来たという疾風と事を構える訳にも行くまい。
それに、が疾風ほどの忍を使ってまで武田や幸村、佐助たちを案じているのは、妙に気分が良かった。
しかしはた、と別なことに気付く。
「ちょっと待って。風魔……いや、疾風の旦那がここに居るってことは、の護衛は別の忍が付いてるのか?」
「いや。殿の命令で護衛を命じられたのは俺だ。だが、はそれよりもお前たちを探すことを望んだ」
つまり――今のには誰も身辺警護する人間が居ないということ。
佐助は絶句して、深々と溜息をついた。
ひやりと、危機感が胸に刺すようだった。
ついそれを責めるように疾風に向けても致し方ない。
「言われたまんましか行動できないなんて、俺様の自論じゃあただの犬だ」
言われた疾風は、仮面越しにも少し面食らったようだった。
「……それでは、忍の本分を越える」
「そりゃご尤も。だけどまあ、ウチの旦那や大将や……姫さんも、本来の忍以上の働きを求めて、相応に扱ってくれるからね」
「……………………」
無言の疾風に思い当たる節が有りまくりなことは聞くまでも無い。
佐助は更に追い打ちを掛けるように……けれどただ事実を口にする。
「未確認だけど、松永がを欲しがってるって話がある」
「!」
「それに、傭兵として忍を大量に集めてるって話も聞くしね」
「…………………………」
佐助も口を噤んだ。
松永はあの織田信長にさえ一目置かれる将だ。
それがどういう『欲しがる』なのかは分からないが、捨て置けない情報なのは確かで、もし本気だったとしたら……
――後手に回った時点で、既に手遅れかもしれない。
結局、疾風は何も言わずに姿を消した。
この一連のことを幸村に報告すれば、かつて傭兵として北条に仕えていた疾風がどういう行動を取るのか……予測の範囲で、自分の胸に収めたようだった。
そしてそれらを踏まえた上で、幸村は今、片倉小十郎と対峙している。
「――仔細は分かった」
視線を落したまま、幸村は挨拶以外ではこの日初めて口を開いた。
ピリリと、佐助の背中が緊張する。
「貴殿は下がって休まれよ。この先のことは、直接伊達殿とお話する」
これには、伊達の参謀と名高い小十郎まで緊張したのが分かった。
「政宗様はまだ意識が無ぇ。話なら俺が……」
「これ以上の問答は無用」
抑揚の無い声で切り捨てて、幸村は腰を上げた。
「意識が無いなら殴ってでも起こすまで。拙者は、が身を寄せていた独眼竜に話がある」
はっきりと言い切った言葉には些かの揺るぎも無かった。
(こりゃ眠れる獅子……若虎が目を覚ましたってやつ?)
心の中で軽口を叩きながらも、直接殺気を向けられている訳でもない佐助まで冷や汗が伝った。
「……追わなくていいのかい? 右目の旦那」
迷いの無い足取りで出て行った幸村と、それを黙って見送った小十郎。
佐助が問えば、途端にゆらりとその体が傾いた。
「旦那!?」
驚いた佐助が確かめると、小十郎は完全に意識を失っており、あちこち怪我を負った体は発熱もしているようだ。
大分気を張り詰めてもっていたのだろうが、それでも無理が来たのだろう。
目が覚めた時に、敵陣のど真ん中で意識を失ったと知ったら、この堅物の伊達軍参謀はどんな反応をするのだろうか。
「悪いね、右目の旦那。代わりに真田の旦那を見張っとくって言ってあげたいのは山々だけどさ……俺様、そこまで野暮じゃないんだわ」
幸村が政宗に話があると言った以上、武田と伊達のことよりものことだろう。
ここ最近の幸村の様子を知っているだけに、佐助は元より止めるつもりも無い。
小十郎が政宗に絶対の忠誠を捧げるように。
佐助の主も、間違いなく、あの幸村だから。
「まあ、殺す事は無いでしょ――――多分」
あまり説得力の無い言葉は、幸い眠れる右目には届かない。
佐助は一度幸村が去って行った方を見て、が捕らえられたという方角へと視線を向けた。
小振りの烏が一羽、暗雲を象徴するかのように飛び立っていった。
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CLAP