108.竜の宝

「一つ……二つ……また一つ。人は生まれて壊れることの繰り返しだ」

 切り立った崖を背景に、戦国の梟雄と呼ばれる男の声が朗々と響く。

「やぁ、独眼竜とその右目、そして虎姫。よく来たな、と言いたいところだが、機嫌はあまり良くないようだ」

 飄々と言う男の感情は窺えない。
 しかし、そうしている間にも谷上に磔にされた仲間たちの悲鳴は続いている。
 は込み上げる嫌悪感や怒りの感情で言葉に詰まった。

 聞けば松永は、使者として唯一解放した伝令兵の目の前で、仲間を一人簡単に斬り殺したという。
 そんな輩を前にして……しかも、この光景を目の前にして、機嫌が良いなど天地が逆さになっても有り得ない。

「テメェ……自分がしたことを良く分かっていないようだな!」

 淡々とした松永の物言いに最初に食ってかかったのは、意外にも普段人一倍冷静な小十郎だった。
 早くも腰の刀を抜きそうな剣幕だったが、そう言えばこの件に関しては小十郎は最初から怒っていたのだと思い返す。
 やはり相手の要求が政宗の大切にしている刀であるのも大きいだろうし、何より伊達の大切な仲間を人質に取る卑怯なやり口に憤っているのだろう。

 しかし松永は、そんな小十郎の前でも悠々と笑って見せた。

「ふっ…そいつは失敬。これで勘弁してくれたまえ」
「っ…何っ!?」
「えっ……!?」

 誰がどう動くまでも無かった。
 一呼吸の間に、松永は剣を持った手を無造作に振った。
 ブツリという非情な音に、の思考も停止する。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「っ……喜兵衛さんっ…!!」

 ようやく出た声は、悲鳴のように辺りに残響したが、それが向けられた空間には既に何も無い。
 そこには、太い柱を支えていたまさしく『命綱』を微塵の躊躇もなく切った松永久秀が居るだけだ。
 柱に括りつけられたまま悲鳴を上げて落ちて行った仲間は、も良く知る元同僚の一人で……けれどこの高さの崖から落ちて生きてはいないだろうことは明白だった。

「ふっ…さぁ、貰うべきものを貰えば以上で終わりだ」

 この男には何を言っても無駄だ――もしくは問答の余地なしと判断したのか。
 純粋な怒りの前に、言葉は何も必要なかった。
 も政宗も小十郎も、三人ともがほぼ同時に無言で武器を構えた。

 絶対に許せない――それだけははっきりしている。

「ははは、宝、刀のために部下を見捨てる……真っ当な考えだな、私も見習うとしよう」
「勘違いするなよ」

 他の命綱へと視線を向ける松永を牽制するように小十郎の刀の切っ先が上がる。

「テメェを倒して皆を救う、それだけのこと」

 や政宗よりも一歩前に居た小十郎は、研ぎ澄まされていく殺気を松永に向けながら目線だけを後ろに向けた。
 その視線が、に次いで政宗に向けられる。

「政宗様、ここはこの小十郎にお任せを。あなたやの手を薄汚い血で汚す必要はない…!」
「OK…その粋、見せてみろ」

 三人でかかった方が確実だが、確かにあまり刺激しては捕虜の命が危ない。
 政宗の了承でも弓を下げ、小十郎は裂帛の気合と共に松永に斬りかかった。

「卿らは何を怒っているのかね?」

 一刀流の手本のような小十郎の突きを無駄の無い動作でかわしながら松永は言う。
 それは本当に理解出来ないといった響きを持っていた。

 はふと、妙に納得している自分に気付く。
 そうだ――この男は、こういう人間だ。

「分からねえとはな…テメェは芥以下だ…!」

 型通りに次々と技を繰り出す小十郎の斬撃を、松永はゆっくりとした…けれど紙一重のかわし身で掻い潜っていく。
 片手で西洋式にも見える両刃剣を操る松永は余裕があるように見えるが、それでも一撃一撃が重い小十郎が徐々に推しているのは確かだった。

「ヤツに隙をあたえるな。あいつの腐った魂ごと、叩き斬ってやれ…!」
「心得ております。……これ以上好きにはさせん!」

 政宗の言葉に頷いた小十郎は、相手の動きを封じる為に一呼吸の間に高速の連撃を浴びせた。
 その幾つかを捌ききれずに小さな傷を負った松永は、弾かれるように後ろへ後退する。

「いやはや苛烈、苛烈。しかし私はこれと決めた物はすぐに欲しい性分でね……あまり焦らさないでくれないか?」

 そう言って笑いながらも、大きく後ろへ跳び、足元にあった何かの壺をこちらへ蹴り飛ばした。
 それは半円を描いて三方に飛び、たちそれぞれに迫る。

 何だと訝しむ脳裏に、氷穴での爆音が蘇った。
 もし、これが手榴弾のような『爆弾』だとしたら……

「っ…駄目です! 斬らないでよけて……!」

 とっさに政宗たちに叫ぶも時既に遅く、直後三か所で爆音が響いた。

「っっっっ………!?」

 避けるタイミングを逸したも反射的に目を瞑ったが、違和感に目を開けるとそこは一面の煙の中……
 煙幕だと気付いた時には、既に背中を取られていた。

「ようやく手に入れることが出来たよ、虎姫――いや、
「ぐっ……!!」

 容赦の無い力で後ろに腕を捻り上げられ、痛みに呻く。
 徐々に煙が晴れて事態を把握した双竜は目を剥いた。

っ!!」
「松永テメェ……!!」

 しかしの喉元――頸動脈の辺りに松永は剣を突き付け、双竜の動きを止める。
 睨み合うこと数秒、武器を下ろしたのは政宗だった。

「下がれ、小十郎。あの野郎は本気だ」
「フッ…賢明な判断だよ、独眼竜」
「いけませ……っ!!」

 諌めようと口を開いただったが、腕を掴まれている力が強まって逆に悲鳴を噛み殺した。
 敵地に無理やりついて来た挙句にあっさり捕まるなんて、とんだ失態である。
 自分の不甲斐無さに歯噛みするを拘束したまま、松永はゆったりと双竜の間を通り抜け、元の場所へと戻った。

「何をそんなに目くじらを立てる必要がある、諸君。私は最初から、竜の宝と爪を所望すると言っていた筈だ」
「宝って刀のことじゃ……」
「誰が二者同一などと言ったのかね?」

 全員が茫然と絶句する。
 確かにはっきりとは聞いていないが、宝=刀という図式は誰の頭にも自然と浮かんだものだ。
 まして宝が人間などと……いや、問題はそこでは無い。

「私が…独眼竜の宝だなんて、それこそ誰が言ったんですか? 私はそんなんじゃ……」
「聞かずとも、ここ最近の伊達を見ていれば誰にでも分かる事だ。君は昔から己が価値を知らぬままだな」
「昔……だと…?」

 よりも先に反応を示した政宗に、松永は片眉を上げた。

「おや、知らなかったのかね、独眼竜。私とは、魔王に与していた頃の同輩なのだよ」
「…………」

 でさえ"そうらしい"としか言えない現実味を欠いた話に、政宗の視線は険しくなった。
 しかし、それすらも心地よさ気に松永は陶然と笑みを刷く。

「その頃からずっと望んでいた――何よりも血の雨が似合う稀有な姫君をね」
「私はっ……」
は茶碗や茶釜じゃねぇ! 生きた人間をcollectionしようなんざ、悪趣味だとは思わねぇのか!」
「悪趣味?」

 鸚鵡返しに言って、松永は心底おかしそうに笑った。
 拘束されたままのは、背後で高まる力にひやりと背筋が凍りつく。
 松永久秀はと同じく炎の属性を操るが、彼の炎はとも幸村とも違う……もっと闇の気配を濃厚に纏った黒炎だ。
 その気配がうねりを上げて膨れ上がる。

「絵に描いたような偽善で大変結構。だが生憎、私は正直者でね。欲しいものを我慢などしない、それが世の真理というものだろう?」

 記憶の奥底で聞いたのと同じ台詞に、の頭が痛み出す。
 なぜか、強い雨音が聞こえた気がした。

 月の無い闇夜、朽ちた廃墟に、打ち捨てられた屍――

「Ha! 破壊僧じみた説法なら余所でやってくれよ」
「フッ…卿とは意見が合わないようだ。ならば、は私が貰い受けても何の問題もあるまい」
「それこそ生憎だったな。そいつは俺のだ」
「語るに落ちるとは悲しいな、独眼竜。物扱いを責めているのでは無かったのか?」

 似たようなやり取りを、雨の夜にも聞いていた。
 血の臭いの中で、何の感情も抱かずに。

「てめぇこそ、を手に入れてどうするつもりだ? ご自慢の茶道具に並べて満足する為か?」
「いやなに、それも楽しそうだが、彼女の美徳はそれだけではあるまい。卿も私の評判くらい聞いていよう。――女性は実に有意義に楽しむことが出来る」
「っテメェ!!」

 後ろから頬を撫でられ、はその手を大きく振り払った――かつても、そうしたように。

「「……私に触るな」」

 昔の自分の言葉と重なるようにして落ちた言葉に、わざと手を放した松永は口角を上げた。

「そう……その顔だよ、

 無意識に後ずさった足は縺れて、その場に転倒した。
 けれど、視線は松永から逸らせない。

!!」

 呼ばれて初めて、はそこが廃墟ではないことを思い出した。
 今の自分が一人では無いことも。

 はっとして振り向けば、何よりも愛しい隻眼と視線が合った。

 ――この人と一緒なら、大丈夫。

 何を考えるでもなく、無意識に伸ばした手が宙に伸びる。
 それが視界の高さになった頃、伸ばした先でさっと影が動いては我に返った。

 一瞬の隙をついた小十郎が、流れるような動作で松永に斬りかかる。
 しかし、松永はそれを苦もなく剣で受け流し、押し返した。
 そのまま、転んで地べたに座り込んでいたの髪を鷲掴み、捕虜の柱に目を向ける。

「ふっ…どれ…………」

 無造作に振り上げられた剣に、は目を見開いた。
 自分の心配をしたのではない。
 松永の剣はまたもや捕虜の綱に向けられていたのだ。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「やめろぉぉぉぉ!!!」

 その柱に括り付けられた仲間と、小十郎の怒声が重なった。
 剣が振り下ろされる刹那、間一髪のその刹那に、その声が割って入った。

「――待て!」

 声を上げた政宗は、再び抜いていた刀を鞘に戻し、両側の腰に釣っていた刀帯ごと六本の刀を外した。
 何の躊躇もなく、父の形見にして宝刀であるはずのそれをその場に投げ捨て、松永をその隻眼で真っ直ぐに射抜く。

「くれてやる。そいつらを解放しろ」

「筆頭!」
「そんな……」
「駄目です!」

 林立する柱の上で、命の危険に晒されながらも全員が一様にその行動を諌める言葉を発した。
 中には啜り泣く声まで混じって、松永を罵倒する言葉へと変わる。
 それだけでも、伊達軍の絆を窺い知るのに余りあった。

 それらを受けた松永は、体を震わせ――哄笑した。

「フ…ハハハハハ! いや見事、見事」

 わざとらしく拍手までして政宗に向き直る。

「卿は全く持って清らかな男だ。ハハ……実に救いがたい」
「能書きはいい。とっととそいつらとを返しな」

 誰もが怯えるような竜の逆鱗を押し込めた言葉にも、松永は頓着なく足を進め、投げ渡された六爪の一つを拾い上げた。
 そして口元に浮かんだ満足げな笑みに、今まで感じた中で一番大きな悪寒がぞくりとの背中を這い上がる。

「竜の宝と爪、確かにいただいた。――以上で終わりだ」
「……俺を怒らせんじゃねぇ。外道は外道らしく地獄に落ちな」

 ちらりと、松永の視線が政宗の足元に向けられた気がした。
 ひやりとした……手足から心臓まで凍りつくような感覚。

「いやはや、地獄とは気の利いたことを言う……ハハハハ……全くだ」

 言葉が終わると同時に掲げた指が鳴らされ、乾いた音と激しい爆音が同時に轟いた。
 政宗が立っていたまさにその地面で爆発が起こり、上がった黒炎と共にその体が衝撃に吹き飛ばされる。

「ぐあぁぁぁっ!!!」
「政宗さんっっっ!!!!」

 その時、頭で何かを考えたわけではなかった。
 全ては一つの想いで一色に染まる。

 ――政宗さんの傍にっ……!!

 頭も心も――全身が熱くなり、は無意識に……手を伸ばしたのと同じように、政宗を追っていた。
 ――その存在ごと。

 そのまま大気に溶け、政宗の元へ――……

 しかし空間を飛ぼうとしたその刹那、左手を焼けるような激痛が襲い、その場に引き戻された。 

「政宗様ぁぁぁぁぁぁ!!」

 とほぼ同時に叫んだ小十郎が、政宗を追って自身も谷底へとその身を投じる。
 目の前でそれを見ていることしか出来なかったは、文字通り、地面にその左掌ごと縫い止められたまま……絶叫した。

「いやぁぁぁぁぁあああああああああああ!!」

 自分が着ていた服の裾が……氷穴でぶっきらぼうに貸してくれた陣羽織の青が視界に入る。

 仲間達の絶望の声と、松永の愉悦に染まった哄笑と。
 どこまでも澄んだ青い空を最後に、の意識は闇に堕ちた。





091127
CLAP