107.梟雄

「オラオラオラァァ! どけっつってんだよ、Ahhhhhhnnnnnn!?」
「政宗様に刀向けた奴、前出ろ! 前だ!!」

 完全に怒りモードに火が付いた双竜が、雷撃を迸りながら怒涛のように駆けて行く。
 その後ろで流れ玉ならぬ流れ敵兵を切り伏せながら、は晴れない心で山頂を見上げた。

 斥候に向かわせた伝令兵たちが捕まったと聞いてから敵陣に乗り込むまで……要した時間は最低限だが、捕虜とされてしまった兵たちが心配でならない。
 そもそも、罠と分かりきった信玄の目撃情報を確認することにしたのはの存在があったせいである。
 自分のせいでかつてお世話になった元同僚たちを危険に晒してしまった……その上死人まで出してしまったとあっては、申し訳なさでどうにかなりそうだった。
 更に、相手の要求は政宗の大切にしている刀だ。

「人質か……松永久秀、姑息な真似をしてくれる」

 スピードを重視する為に救出は政宗本人と小十郎の二人だけで行くと決められた時も、だからは同行することを譲れなかった。
 それを強硬に反対したのは政宗だ。

「お願いします!」
「駄目だ」

 そんな簡潔な会話の押し問答が続いたが、にも政宗が反対する理由は分かる。

 ――「あの娘一人奪うなど、簡単な仕事だ」
 ――「『君と私の仲でつれないことを言わないでくれ、』」

 米沢で松永軍の三好三人衆と戦った時、彼らは松永久秀の命令でを捕らえようとしていた。
 松永とが知り合いであると示す言葉も出ていた。
 政宗はあれから松永や明智との因縁について一切に聞くようなことは無かったが、気にならない訳が無い。
 にしても、徐々に思い出してきているとは言え、過去の記憶のほとんどはまだ失くしたままではっきりと説明することは出来なかった。

 だからは出陣準備期間に、政宗と三傑に自分が分かる範囲のことを話した。

 武田の末姫として生まれ育ったが、幼い頃に何者かに誘拐されたこと……。
 そのことも含め、子ども時代の記憶のほとんどを失っていること。
 そして……子どもながらに織田軍に従軍し、魔王の手足として薙刀を振るっていたらしいこと――
 唯一思い出した慶次との出会いや、最近の浅井夫妻・長曾我部・毛利・山内と親交があったことも簡単に話した。

 それらを話したからどうということは無いが、松永のことは覚えていないと政宗も承知しているはずだ。
 けれど、相手まで忘れているわけでは無いのだから、捕らえようとしてきた相手の懐に飛び込むような真似が歓迎されないのは当然。

 それでも、人質になっている元同僚たちを救出する為に……そして戦場で政宗の傍から離れない為にも、安全な場所でただ待っているだけなど我慢できなかった。
 結局またしても政宗を怒らせて言い争いになり、最後は勝手に付いて行くという強硬手段に出た訳だが。

「小十郎、気合入れてついて来いよ!」
「無論…聞かれるまでもありませぬ」

 固い絆で結ばれた、息の合った主従の背中――
 今まではわざとを無視していた政宗だが、今は違う。
 戦いの中に身を置き、相棒である小十郎と周りの敵だけで完結する世界――のことなど念頭から綺麗に忘れ去っている。

 改めて思う。
 小十郎は竜の右目と呼ばれるだけあって、政宗と二人で道を切り開いていく様は、まさに一対の竜のようだ。
 ぴったりと完璧に息のあったコンビネーションでお互いの弱点を補い合い、まさに向かう所敵無しである。
 予想通りと言うか、の出番など全く無く、むしろ二人にとっては邪魔者と言えるかもしれなかった。

 不安を抱えながらもこの奥にいる松永久秀目指して進むしか無いにとっては、政宗に眼中にさえ入れてもらえないこの状況は思ったよりも堪えるらしい。

「こんな時に……それも小十郎さん相手に今更嫉妬って………どうかしてる」

 溜息をついて、自分にも出来ることはある筈だと言い聞かせる。
 せめて青い背中に遅れないように、懸命に足を動かした。

「虎姫! 覚悟――!」
「…申し訳無いけど、まだ死ぬ訳にはいかないの」

 まだ父の安否さえ掴めていないのだ――こんな所で倒れる訳にはいかない。
 勢いこんで斬りかかってきた敵兵を返り討ちにして、周囲に矢を放って道を切り開く。

 この敵陣――信玄の目撃情報があった場所は一見何の変哲も無い山だったが、一歩足を踏み入れれば大歓迎とばかりに武装した松永軍が待ち構えていた。
 地理で言えば甲斐を越えて駿河に入った辺り……つい最近、織田の謀略により奪われた土地だ。
 織田と松永については不透明だが、かつて松永は織田配下であったのだから無関係とは言えないだろう。
 かつ、敵の足軽に至るまでが会った事もないを『虎姫』だと確信していることからしても、信玄への繋がりが濃厚である。

(だとすれば、父上は織田に……?)

「――! ボサっとしてんじゃねぇ!!」
「は…はい!」

 戦モードの小十郎に怒鳴られて、は死角から襲ってきた刃をよけ、矢を番えた。
 それを放ちながらちらりと前方を見る。

 伊達の双竜こと政宗と小十郎は絶好調で、軍勢を率いていなくとも、敵のほとんどがこの二人によって蹴散らされていた。
 それはもう、二人にとっては物足りない程に。
 かつて竹中半兵衛もこの二人の力量を試すような戦いを仕掛けてきたらしいが、今回はそういった気配も感じられない。
 かと言って侮っているというのでも無いし、これではまるで……

「Shit! これじゃぁ、warm-upにもならねぇぜ!」

 まさにが思っていたことを政宗がぼやいたその時、敵方の守りについていた武将を倒して進んだ先に、天然の氷穴が口を開けていた。

「氷!?」
「…油断するな。この中じゃ、矢なんざ役にたたねぇぞ」
「あ、はい! 大丈夫です!」

 政宗と違い、無理やり付いてきたをもきちんと気遣ってくれる小十郎の言葉に、慌てて薙刀と小太刀に持ち変える。
 真冬でも無いのにと、一面凍り付いた洞穴を奇妙に思ったが、なるほど中は驚くほど寒かった。

 寒さに弱いは、まるで冷凍庫のようなその気温に一気に縮み上がる。
 しかしその刹那、頭の上から何か布のようなものを投げつけられて視界が翳った。

「なっ……何……」
「………Shut up. 寒ぃんなら黙って着とけ」

 慌てて手に取ったそれが見慣れた青であるのを認識したと同時にそんな言葉を掛けられて、は弾けるように顔を上げて相手――政宗を見つめた。

「政宗様……」

 既に政宗は背を向けて待ち構えていた敵の一団に向かって走り出していたが、袖を通した陣羽織から感じる不器用な温もりにぽろりと涙が落ちた。
 この不安の闇の中で、政宗のたった一言がどれだけ自分にとって大きいのか……改めて思い知る。

「――泣くほど怖いなら戻ってもいいんだぞ、
「小十郎さん……いえ、大丈夫です。ごめんなさい、これはちょっと油断したっていうか……」
「テメェ、小十郎っ!! 何してる! 置いてくぜ!?」

 やれやれと肩を竦めた小十郎が、謝りながら政宗を追いかける。
 嫉妬した相手にまんまと慰められてしまったも苦笑して涙を拭い、二人の後を追いかけた。
 しかし、すぐに嫌な気配に気付き、足を止める。

「来たか」
「今度は気付いたようだ」
「仕方ない。計画変更だ」

 聞き覚えのある声と大きな地鳴り。
 直後に三人の目の前に大きな氷塊が落下してきて行く手を塞いだ。

「こりゃ大層な歓迎だな。partyの準備はバッチリって訳か?」
「切り崩して進むしかありませんな」

 しかし氷塊を一つ一つ壊して進むのには時間がかかる。
 その上、向こう側には横穴でもあるのか伏兵の気配。
 更に、その奥には先程一瞬声の聞こえた三好三人衆が待ち構えているのだろう。

「……小十郎、奴らの狙いはこの俺だ。俺が奴らを引きつける…お前が隙をつけ」
「承知致しました。この小十郎にお任せあれ」

 そう言って同時に構えた双竜だったが、はわざとそれを遮るように後ろから属性を乗せた矢を構えた。

…?」
「やっぱり付いて来て正解でしたね」

 問いにそれだけ返して、何か言われる前にと瞬時に収束させた炎を乗せて固有技である一矢を放つ。
 直接当てれば派手に砕けて洞穴事体が危険かもしれない……そう危惧した結果、鳥を象った炎は掠めるように氷塊の間を通り抜け、ついでとばかりに松永軍の何人かの服にも引火した。
 伏兵どころか、引火した数人は途端に飛び上がり、一気に視界が開けた周囲は火を消そうと慌てた敵兵で大混乱に陥る。

「……隙を突くならお二人で一緒にどうぞ」

 想像以上の混乱ぶりに、動揺を誤魔化すようににっこりと微笑む。
 呆気に取られていた双竜はそんなに目を瞠り……やがて政宗は大きな溜息をついた。

「……はぁ。well done.行くぞ、小十郎。竜の爪は安くねえってことを教えてやんな」
「……承知」

 隙を突くというよりも、これでは混乱に乗じてスルーするといった方が正解かもしれないが、流石に奥の三人はそれを許さなかった。

「思ったより早かったな」
「虎姫が居るとは予想外だ」
「まさか本当に連れてくるとは」

 どういう意味だと眉を顰めるの前に、政宗は刀を持った利き手を上げて制した。

、お前は後ろの掃除でもしてな」
「でも……」
「Are you OK?」
「………Yes, sir.」

 相手は三人で連携が得意とは言え、息の合った双竜の敵では無いだろう。
 有無を言わせぬ命令に渋々頷いて、二人が三好に専念出来るように後ろの雑兵に向き直る。
 背後で戦闘が始まった気配を感じながら、もなるべく多くの敵を沈黙させようと持ち替えた薙刀を振るった。

「Ha! That is easy!」

 さほど時間もかからずの周りにも敵兵の姿が見えなくなった頃、三好三人衆全員の気配が落ちるのと同時に洞穴の奥が爆音と共に開いて太陽の光が差し込んだ。
 氷穴を脱出するというのに、ひやりと冷たい感覚が背中に這い上がる。

「思ったよりも早いな……感心、感心。独眼竜、卿は時間を守る男かね?」

 開いた穴から聞こえた声に、ゾクリと寒気が走った。
 駆け出した二人を追いかけて嫌がる足を動かせば、洞穴を出てすぐの……目の前に広がった光景に絶句する。

「助けてくれーー!!」
「ひぃぃぃぃぃ!!」
「チクショー! ぶっ殺すぞテメェ!」
「見捨てないでくれぇぇぇ!!」

 洞穴の先は、断崖絶壁の崖の上。
 その淵から虚空に迫り出した板の上に太い柱が数本建てられ、見知った仲間たちが人柱のように括りつけられていた。
 危うい均衡を支えているのは、薄い板と柱を支える二本の綱のみ。
 そして、それら悪趣味に過ぎるものを後ろに従えて悠々と立っている初老の男こそ――

「松永…久秀」

 怯えを孕んだの呟きは仲間たちの声に掻き消されたが、それでも一瞬目が合った。
 はっと息を呑んだ刹那、松永の目元が楽しそうに細まる。

 ――「これは興味深い……嗜虐心をそそられる格好の逸品だ」

 禍々しい愉悦を湛えた空虚な視線に貫かれたのは、失った記憶の中にある自分。
 
 ――「欲しがれば良いのだ――欲望のままに。それが世の真理」

 朗読するような声は、虚ろな闇に響いて……
 逃げ場の無い蜘蛛の巣に絡め取られたような焦燥がの胸に燻る。

「生憎だが、アンタに使う時間はねぇ」

 しかしそこに明確な理由がある訳では無く――
 先の言葉に応えて足を進める政宗を、ただ見守ることしか出来無かった。





091127
CLAP