106.罠

 絶対に自分が正しいとは言わないが、間違っていないとも思う。
 そういう辺りが『頑固者』と呼ばれる所以で、頑固者同士が喧嘩した時にはどうやって仲直りすれば良いのか、には見当もつかなかった。

「……前科がアレだし」

 以前の本格的な喧嘩…というか諍いの時には、米沢で何と一ヶ月も口をきかなかったし顔すら合わせなかったのだ。
 あの時、国境が襲撃される事件がなければ、そのまま一生会わないなんてことになっていたかもしれない。

「でも、私が謝るべきなの、これって……」

 ぶつぶつと呟く様は気味が悪いかもしれないが、構ってはいられなかった。
 は、想い人である政宗と些細なことが切欠で喧嘩の真っ最中だったのである。




 事は、が政宗と小十郎の会話を聞いてしまったことに始まる。

「それにしても、真田幸村まで消えるたぁな」

 武田の話題はの前だと遠慮しているのか、政宗の口から幸村の名前を聞くのはひどく久しぶりだった。

「真田が信玄公の側をそう容易に離れるとも思えません。むしろ共に消息を絶っているのなら二人が無事である可能性は高いかと思いますが」
「そんなことを言ってんじゃねーよ。そりゃあんだけお館様お館様うるさかったんだ、今もべったりくっついてんのかもしんねーが、そうすると真田まで敵の手に落ちたってことじゃねーか。心酔してる主も守れずテメェも敵の手に嵌るたぁ、ガッカリだぜ」

 ガッカリ……確かに政宗の言ってることは確かであるが、何だか無性に悔しかった。
 幸村はにとって、弟のようなものである。
 掛け替えのない大切な家族だ。
 ……勿論、求婚してくれたことだって忘れてはいないが。

 とにかく、幸村は幼い部分や未熟な箇所はあっても、あれでいて戦のことになれば頭は切れるし、政宗のライバルと言われるほど武にも優れている。
 好きな人と大切な家族がライバルというのは複雑な気分だが、お互いに認め合っていると思えば誇らしかった。
 それなのに……

「――疾風」

 別に気配を感じていた訳ではないし、黒脛巾は全て出払っている筈だった。
 だが試しに友人を呼んでみたら本当に彼は現れて、は思わず溜息をついた。
 休憩中で本隊とは離れた森の中である。

「疾風、貴方偵察の任務中でしょう。どうして私についてるの」
「殿の命令だ」
「え、政宗様の……?」

 思ってもみなかった言葉に目を瞠る。
 それだけ心配してくれているのかと思えば顔がにやけそうになったが、慌てて首を振って疾風に詰め寄った。

「とにかく居てくれて良かったわ。お願いがあるの。真田忍隊を……いえ、佐助を探してくれない?」

 幸村と一緒に佐助まで姿を眩ませているということは、独自に動いているということだ。
 あの佐助に限って、何の手がかりも残さず倒れたりする筈が無い。
 確信を持ってそう頼んだのだが、疾風は珍しく仮面の下で顔を顰めたようだった。

「殿の命令を無視して勝手なことは出来ない」

 正論である。
 だが、今まで散々命令を無視して独断で行動してきた疾風らしくなくて首を捻ったは、何となく聞いてみた。

「疾風……あなた何か怒ってる?」
「怒ってはいない。………だが、は伊達に戻ったと思っていた」

 要領を得ない言葉に、ぱちぱちと目を瞬く。

「こうして戻ってるじゃない」

 分からないままそう言えば、そういう意味ではない、と疾風は微かに首を振った。

「ここに居ても、中身は武田のままだ。現に武田の忍を一番に信頼している」
「………それって、焼きもち…?」

 ふと呟いた言葉は忍である疾風には届いた筈だが、何も答えなかった。
 以前、小田原に来たばかりの頃に佐助に対してそういう素振りを見せていたのを思い出し、は思わず苦笑する。
 『伝説』『最強』とまで謳われる忍に対して抱く感情では無いと思うが……まるで大きな子どものようで可愛いと思ってしまった。

「別に佐助だけを信頼してる訳じゃないよ……佐助がどれだけ動いてたって、それを見つけられなければ意味が無いでしょう? でも疾風なら絶対に見つけてくれる。だから、お願いしてるの。疾風と佐助を信じてるから」

 子どもに噛んで含めるようにそう説明したに、疾風は無表情でそうか、と一言返した。

「ならば、行って来る」
「そうそう、だから別に武田って訳じゃ………え? は…疾風!?」

 気が付けば疾風の姿は既にその場には無く、はたと我に返ったは、たらりと冷たい汗が流れるのを感じた。
 疾風は政宗の命令で他の黒脛巾のように偵察には加わらず留まっていると言っていた。
 それを勝手に佐助探しへと向かわせたのはだ。

「…………ちょっと……マズイかも………」

 殿の命令を無視して勝手なことは出来ないと名言した疾風を、何だか成り行きでが無理やり行かせたような……そんな困った図式がいつの間にか………

「Hey, princess. コソコソと真田幸村を探すつもりか?」
「ひゃっ……!!」

 思考に耽っているところに唐突に耳元に声を落とされ、は文字通り飛び上がった。
 これが敵ならとっくに首を取られている。
 まあ、相手が政宗だからこそ無意識に油断したのだろうが……
 そう思って暢気に振り向いただったが、その自分の行動をすぐさま後悔した。

 振り向いた先に居たのは、地獄の閻魔のように機嫌の悪い独眼竜だったのだ。

「こんな人気の無い場所で忍と逢引かと思や、別の男を助ける算段たぁ恐れ入るね」
「べっ…別にコソコソなんて……」

 取り合えずこの場を何とか切り抜けなければと慌ててそう言ったが、ズバリと「現に俺に黙って黒脛巾を使ってんじゃねーか」と一番痛いところを突かれてはそれ以上弁明のしようも無い。

「……まぁいい。俺もアイツとは今度こそケリ付けるつもりだからな」
「ケリ……ですか」
「Yes, 俺とアイツはライバルって奴らしいからな」

 それが武のライバルだと分かっていても思わずドキリとしてしまった。
 尤も、記憶を失っていなかったとしても、幸村に求婚されたことを政宗が知るはずは無いのだが。
 知られていなくて本当に良かった……と不幸中の幸いを噛み締めていたに、政宗は相変わらずの機嫌の悪さで告げた。

「真田幸村は、お前に求婚してるらしいな」
「っっっっっ!!??」

 これでお茶でも飲んでいたなら、盛大に吹き出した上に器官に入って呼吸困難に陥っていただろう。

「なっ……だっ……!?」

 何で、誰が、というの心の声を読んだのか、政宗はにべも無く言い放った。

「お前が寝てる間に、山本勘助が言ってたぜ。姫様には武田の若虎っつー婚約者も同然の相手が居るんだから、さっさと返せってな」

(か ん す けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!)

 一体何を言ってくれるのだと甲斐に居る筈の相手を思い切り罵るの前で、政宗はその独眼を細めてどこまでも険悪に睨み付けてくる。

「俺ぁ、そんなもんは真田の片恋かと思ってたが、わざわざ隠れて疾風に頼むってことは、虎姫様も満更じゃねーってことか」
「ちっ…違います! 私はただ、幸村が心配でっ……だって幸村は……!」

 バキボキと、突然の轟音に驚けば、真上の木の枝のいくつかが小さな落雷を受けて無残に裂けていた。

「幸村幸村うるせぇーんだよ!!」

 一方的にそう叩き付けられ、足音荒く去っていく政宗の背中を見送りながら、は……憤慨した。
 一体誰がいつ、幸村幸村と連呼しただろうか。
 むしろ、今まで伊達に迷惑を掛けない為に武田のことは極力口に出さないようにしてきたというのに、あの言い方はどうだ。
 しかも、が好きな相手が政宗自身であると、本人も知っているというのに、まるで幸村と浮気でもしているような言われ様……

「――成実さん! 配置変わってくれませんか!? すみませんが、宜しくお願いしますね!!」
「えっ…ちゃん!?」

 しばらく時間が経っても一向に機嫌を直さず聞く耳さえ持たない政宗に嫌気が差して、そうしては半ば強引に成実と配置を変わって貰い、小十郎と共に中軍についたのである。

「……意地張って、前みたいにこじれても知らねぇぞ」

 前を向いて馬を進めながら、そう淡々と助言してくれた小十郎に、は眉尻を下げて言い訳しようと思ったが何も言えなかった。

「私だって知りません…!」

 半ば悲鳴のように言い捨てて、小十郎よりも一歩先に馬を進める。
 この竜の右目は以前の喧嘩の時も誰よりも身近で知っているからそう言ってくれているのだろうが、ここで簡単に謝れるくらいならとて苦労は無いのだ。
 そもそも、こちらの言い分を聞かない政宗相手にから折れるというのは、もう土下座して一方的に否を認めて謝り倒す……それくらいのことをしなければならないだろうが、には自分がそこまで悪いことをしたとはどうしても思えない。
 結果、事態は好転どころか会わない事でどうにも悪化の一途を辿っているのだが……

「――小十郎様、…殿。筆頭がお呼びっスよ」

 顔馴染みの伝令隊が二人を呼びに来て、は顔を顰めて小十郎と視線を合わせた。
 とうとう我慢できなくなった政宗が直々に文句を言ってくるのだろうか……そう身構えただったが、行軍を止めてまで張られた天幕に入れば、奥の床几に腰掛けた政宗の前に地図が広げられていて、はっと意識を引き締めた。

「この先の山中で、信玄公らしき一団を見たっつー商人を見つけた」
「父上たちを……!?」

 思わず顔色を変えて駆け寄ったに、この時ばかりは政宗も普段どおりにあぁと頷いた。

「先行させてた斥候からの報告だ。ここらを往復してる商人の男が縄を掛けられた捕らわれ人を見たらしい。巨漢の入道で擦り切れた着物は上物、菱紋まで入ってたってーな。しかも二~三日前のことらしいぜ」
「商人の男……ですか」

 政宗の説明に小十郎が思案しながら尋ねれば、成実もそうなんだよねーと頷いた。

「訛りも地元のもんだったらしいし、侍にも慣れてない感じで、怪しいとこは何にも無かったってことなんだけどー」
「罠……の可能性が高いでしょうな」

 綱元が締め括り、は地面に視線を落とした。
 確かに、こうやって移動している伊達軍の行く手にこの報せ……しかも、情報源は一見怪しい要素が皆無の商人とあっては、十中八九罠だろう。
 だって、冷静な部分ではそう思う。
 けれど、もし……万一、本当だったら……?

 脳裏に怪我を負って捕らわれている父の姿を想像してしまい、ギリと奥歯を噛み締めた。
 数秒の沈黙の後、やおら溜息をついた政宗は、I think so. とぼやいて続けた。

「だが、罠だろうが何だろうが、敵の出方を見なきゃ始まらねぇ。小十郎、黒脛巾で帰ってるのは?」
「いえ、まだ誰も戻っておりません」
「チッ、しゃーねー。……伝令隊から数人物見を出せ。武田の人間が居るかだけでも探れってな。俺たちは取り敢えずここで野営だ」
「御意」

 政宗の決定に、小十郎がその場を下がり、成実たちも野営の準備に動き出す。

「……あの、政宗様……」
「――綱元、兵糧のことだが……」

 折角意を決して話しかけたというのに避けるように無視されて腹が立たなかった訳ではないが、ほぼ罠だと分かっていて物見を立てたのはにも配慮してくれたのだろうと……そう思えたので黙って天幕から出た。

「お礼くらい言わせてくれたっていいのに……」

 自主的に馬たちの世話を手伝いながら、彼の相棒である白斗にそう愚痴を零す。
 ともかく、これで物見に立った伝令隊の元同僚たちが戻れば、罠だろうがそうでなかろうが少しは事態が動くに違いない――

 そう思って野営で眠りについた翌日、帰った来た物見は、想像を絶する報告を携えていた。

「何だと!? 全員捕まったってーのか!?」
「は…はいっ……! 俺以外全員生け捕った挙句、仲間の命を助けたければ要求を呑めって……野郎、目の前で吾郎太を……!!」
「クソッ! やっぱり罠かよっ! で、その下種野郎ってのは……」
「松永久秀です!」
「!!」

 その名前を聞いた刹那、の耳奥に人質を前にして哄笑する男の声がまるですぐ傍に居るように聞こえてきた。
 そして冷血非道と呼ばれる男が人質に取っているのは、のかつての同僚たちなのだ……。

「Shit! 奴の要求ってのは何だ」
「そ…それが……竜の宝を――爪を所望する、と」
「竜の……爪」

 全員の視線が政宗の背後に置かれた刀に向けられた。
 六爪と呼ばれるそれは、まさに独眼竜の爪である。
 先代である政宗の父から贈られたというその六爪は、政宗の何よりも大切な宝と言っても過言ではないことはこの場の誰もが知っていた。

 しばらくの沈黙の後、ゆらりと政宗が立ち上がった。
 周囲の空気がバチリと爆ぜて、竜の怒りを物語っている。

「――小十郎、分かってるな」
「はっ。皆の命、必ずや救い出しましょう」

 まさしく阿吽の呼吸で、双竜は歩き出す。
 その場に集まった武将、そして兵士たちも当然のようにそれに続き、も小十郎の後ろへと続いた。

 明らかな罠と分かっていても、仲間の誰一人として見捨てない――
 伊達のその流儀は誇れるものであるが……

(この…悪寒は何なの……)

 身を震わせるの頭に響くように、いつまでも不気味な哄笑が響き渡っていた。





091026
CLAP