104.手と笑顔

 ――夜。

 は目が覚めてすぐ、辺りの暗さにそれを悟った。
 夜は好きでは無かった。
 あちらでも、甲斐に戻っていた時も、本当はずっと『闇』はにとって恐ろしいものでしかなかった。
 けれど、それを忘れさせてくれる人がいる……この世に一人だけ。

「……政宗さ……?」

 闇の中にいるのに不思議と恐怖感が無くて、ほとんど無意識にその名を呟けば、枕元の辺りで気配がゆれた。
 間違える筈など無い。が求めて止まない彼の気配。
 闇の中、近くで煙管を吸っていたらしい彼――政宗は、の声に反応して顔を上げる。

「目ぇ覚めたか。辛いとこはねぇか?」
「はい……」

 静かな質問に答えながら、視界に朧な紫煙がのぼるのをぼんやりと眺めた。
 煙草の臭いは昔から苦手だったが、政宗と会ってから嫌いでは無くなった。
 それどころか条件反射で安心してしまうなんて、現金なものだと自分でも思う。

「ここ…は……」

 目が覚めて、傍に政宗が居てくれる……それはにとって、闇の恐怖さえ払拭してしまえるほどの安心感を与えてくれる。
 何も思い煩う必要も無いという充足感……。
 しかし感じた違和感に、僅かに首を傾げた。

(ここは、どこだっけ……?)

 意識せずぼんやりと体を起こして、予想外の目眩に見舞われた。

「っ……?」
「オイオイ、無茶すんな。まだ熱が引いてねぇんだ」
「ね…つ……?」

 言われてみれば、妙に頭が重いし、体がだるい。
 ぞくりと這い上がった寒気に思わず近くの温もりに擦り寄って数秒……それが倒れそうになったのを支えてくれた政宗の腕だと知って慌てて離れた。
 羞恥心が膨れ上がって、なぜか弁解しなければという焦りに支配される。

「すっ…すみません…! やっ…違うんです、これはだからっ寒かっただけで……別にだからっ……!」
「………………くっ」

 余計に回転が鈍くなった頭では、何を言っても空回りする。
 自分でも何を喋っているのか分からなくなって泣きそうになったところで、政宗は耐えかねたように笑い出した。

「Ha...おま……病人の癖に……っ」

 下を向いてふるふると震えてまでいる政宗に、はようやく我に返ったものの、何だか遊ばれたようでおもしろくない。
 しかし抗議しようと口を開きかけて、再び感じた目眩に閉口した。
 政宗も流石に笑いを収めてが横になるのを手助けしてくれる。

 ようやく戻った床の中、熱に浮かされた頭で、それほど自分は重症なのだろうかと思った。

「私は…どれくらい寝てたんですか……?」

 すぐに返ってくると思った当然の質問に対する答えは、少しの間を持って違う形で返される。

「……ここは小田原だ」
「小田原……?」

 元北条氏の居城で関東の中心。現在の伊達の本拠となっている巨大な城塞都市。

 唐突に言われた地名に――そこでようやく、意識を失う直前の記憶が徐々に蘇ってくる。
 小田原、白石、米沢、最上、三好三人衆……明智光秀――――。

「っ父上っ……!!!」

 悲鳴じみた声が漏れて、慌てて身を起こす。
 しかし予想していたのか、身を乗り出した政宗によって途中で遮られた。

「Calm down」
「落ち着いてなんてっ……明智は……米沢はどうなったんです!? 武田は……父上は……っ」

 ――「甲斐の虎は我々が捕らえましたよ」

 嬲るようにそう言い、平然と戦場を突破して駆け去った明智光秀――
 は震える拳を握り締めた。

 こんな時に暢気に寝ていたなんて、自分が信じられない。
 しかもこの期に及んでまで朦朧としたままの思考に……その原因となっているだろう発熱した自分自身の体が腹立たしかった。

「離してくださいっ……!」

 すぐに明智を追わなければ――
 けれど、抵抗しようにも強い力で両肩を抑えた手はびくともしない。
 それを振りほどこうとがむしゃらにもがけば、逆に強い力で引き寄せられた。
 動きを封じるように、抱きしめられる。

「いいから落ち着け!」

 確固たる力強い声が直接響く。
 夜の静謐の中に、自分の荒い呼吸だけが落ちる。
 触れ合った部分が熱い……
 自分のものか相手のものか分らない熱に、興奮したままの頭が痺れた。

「信玄公のことはまだ分らねぇが、黒脛巾に探らせてる。山本勘助も疾風に送らせたから、直に帰ってくるだろ」

 言い聞かせるようにゆっくり語られた内容は、胸から響いての中に浸透した。

「明智も三好もあの後軍を引いた。米沢は…町は大半焼け落ちたが、民は無事だ。人間が生きてりゃ、町なんざいくらでも復興出来る」

 だから、心配無い。
 言われた言葉に、荒れ狂った感情が急速に凪いでいく。
 間近で聞こえる規則正しい心音が、昂ったの心を静めてくれた。

「……もう…大丈夫です……」

 どれくらいそうしていたか、は顔を上げて彼の腕から抜け出す。

「取り乱したりしてすみませんでした――政宗様」

 彼が『侍女・』にとっての『政宗様』であることも先ほどまで忘れていた。
 そんな体たらくで最悪の体調で飛び出して、一体何が出来るというのか。

 冷静になれと自分に言い聞かせて、心地よさからやってきた眠気を追い払った。

「Oh、そりゃ残念だ。俺はもうしばらくあのままでも良かったんだがな」

 和ませようとしたのか地なのか分らないが、平気で恥ずかしいことを言う政宗に同感だなどと言えるはずもなく、誤魔化す為に睨んで視線を外した。
 熱があるという体も頭も、何も考えずに眠ることを望んでいたが、まさかそんな訳にはいかない。
 靄がかったような思考を手探りするように尋ねる。

「――あれから、どれくらい経ったんですか?」

 物事を整理する為に最初の質問に戻ったが、今度はきちんと答えが返った。

「……Three days」
「! そう…ですか……。それじゃあ……」

 三日間――それの意味するところを考え、焦燥にかられる自分を一旦落ち着ける。
 とりあえず、にとって一番大切なことを聞かなければ。

「政宗様は、お怪我はありませんか?」

 その質問が意外だったのか、政宗は驚いたように隻眼を瞠った後、目元を和らげた。

「あぁ、掠り傷程度だ。俺を誰だと思ってる」
「……未来の天下人様、です」
「Yes, That's right! 分かってんじゃねぇか! 流石オレのhoneyだ」
「ハ…ハニーじゃありませんって……」
「違うのか?」

 ズルイ――悔しかったが、これ以上は地雷を踏む可能性が高く、諦めて口を噤むしか無かった。
 惚れた弱みである……勝てるわけが無い。

「お…お東様や小次郎様はご無事ですか?」
「Ha-nn..アイツらも竜の身内だ、そう簡単にくたばるかよ。二人ともピンピンしてるぜ? 尤も、まだ米沢に残ってるがな」

 焼け落ちた城下の普請や焼け出された民の仮住まいなど、諸々の手配をしているという。裏切った最上は、跡を継いだ嫡男が早々に人質を差し出し、恭順を示したらしい。
 はようやくまともな答えが返ってきたことに安堵し、そのまま矢継ぎ早に質問を繰り返す。

「皆は……軍の被害は大丈夫でしたか?」
「無傷って訳じゃないが、一戦交えたにしちゃ最小限だろーよ。かなり癪だが、上杉に借りが出来た」
「上杉に?」
「奴ら、頼んでもねぇのに勝手に援護に回ったんだよ。挙句、米沢の火消しも手伝ってくれたのはいいが、おかしなDancerや忍が大量に吹雪かせやがって、却って雪掻きが必要なくらいだがな」

 甲斐に戻っていた頃、同盟国である上杉に一度だけ援軍を率いて訪れたことがあるが、あの軍のテンションはある意味の知る中で最も異常だ。
 政宗の言う光景も何となく想像できてしまい、思わず乾いた笑いが漏れた。

「それは……流石は"義"の国ですね。それで謙信公は……」
「今頃は甲斐に入った頃だろうな」
「もう戻られたんですか?」
「あぁ。元々、越後の国境辺りの村から嘆願書が山ほど来て、駐屯してた松永軍を散らす為に出向いてきたらしい。その途中で三好と明智の軍が奥州に向いてるってんで後を追ってきたんだとよ。――本当か嘘かは知らねぇがな」

 ご苦労なこったと政宗が苦々しく言うのも道理で、いくら仇敵を追ってきたとは言え、無断で軍を伴って他国の領土に踏み入るのは敵対行為に等しい。
 その埋め合わせとして先手を打って援護に回り伊達の非難を封じて……あまつさえ貸しまで作ってしまった当たり、流石は軍神と呼ばれるだけはある。

 しかしそもそも、そんな智将が軽率な愚を犯すとは考え難かった。
 ここは何か他の目的もあったと考えるのが妥当だろうが、ここで詮索しても意味は無い。

「軍神も信玄公とは甲斐で分かれたきりらしい。お前が起きるのを待つって言ってたんだが、いやに若い家老が迎えに来て引っ張ってった……甲斐へ、な」

 最後の言葉に、も表情を引き締めた。

「私も謙信公と直接お話出来なかったのは残念です……若い家老って、直江兼続殿ですね?」
「Ya. 確かにそんな名だったぜ」

 以前に一度だけ会った曇りの無い目をした青年だ。
 確か、謙信の養子景勝の腹心で、知恵袋だと記憶していた。
 実直で裏表無く上杉に全てを捧げているような人だが、油断ならないとも感じた……彼が伊達領まで迎えに来たということは、かなり急を要していたということだ。
 何事かがあったのだ――甲斐で。

 その後、あの時引いた明智・松永軍に目立った動きが無いこと、各地からも特に動向は入って来ていないことを聞いて、は熱が上がったのか潤む視界を叱咤して政宗を見上げた。

「……政宗様、お願いがあります」
「――rejection.(却下だ)」

 即座に返されて、は目を瞬いた。
 大分前にも同じようなやり取りがあったなと苦笑が漏れる。

「お願いします。一月ほどお休みを……」
「駄目だ、許可出来ねぇな」
「――すみません、政宗様。例え何と言われても、私は行きます」
「行くな」

 有無を言わさぬ口調で強く言われれば大抵のことなら引き下がるが、こればかりは譲れない。

「……すぐに戻ってきます」
「行くなっつってんだろ!」
「っ!!」

 容赦の無い力で手首を掴まれ、は思わず痛みに呻いた。
 しかし、その痛みよりも政宗の剣幕に息を呑む。

 蝋燭に灯された儚い火が細かく震えた。
 布団の上に起き上がっていると、その傍らに坐している政宗――二人の距離はこうして手を伸ばせば届くほどに近い。
 こんなに目の前に居て、別に逃げようともしていないのに……それでも籠められた力が否定する。

(……私が、甲斐で逃げ出した距離)

 不可思議な力で消えて逃げたあの夜。
 何度後悔しても思い出すだけでもツライあの夜の……記憶は無い筈なのに。
 けれど、今の政宗の様子は確かにあの時のことが関係しているのだと感じた。
 は胸が軋むような痛みを感じて顔を歪める。

「政宗様……」

 どうすれば良いのか途方に暮れて呟いた名前は、思っていたよりも頼りなげに空気に揺れた。
 それに呼応するように揺れた政宗の瞳が繕うように伏せられ、自分が掴んでいる手に落とされる。
 僅かに緩められたそこは鬱血していて、彼は盛大に顔を顰め、短い舌打ちを漏らした。

「Shit……悪かった」

 そのまま流れるような動作で腕を持ち上げられ、その痕に口付けられた。
 それを情けないながらも一拍遅れて理解したは、口付けたまま上目使いに笑われて、無駄に垂れ流される色香に血が上る。

「いっ…いいえ全然! ちょっ…政宗様……!?」

 力いっぱい引いてもびくともしないその体制に慌てたを、またもやからかうようにして散々笑った政宗は、ふと自信に溢れた太い笑みを浮かべて、はっきりと言った。

「お前は俺についてくりゃいいんだよ」
「………え?」

 とっさに理解出来ずに聞き返したに、政宗はようやく手首を離して今度は包むように手を覆った。

「一人で行かせるなんざ論外だ。俺は松永と明智に用がある。お前は俺の傍に居ろ」

 尊大で、勝手な命令だ。
 けれど、途方も無く嬉しい言葉だった。

 ――「ただ――俺に、が、必要なだけ…だ!」

 かつて逃げ出したあの言葉。
 かつて振り解いたこの手。

 は、零れそうになる涙を堪えて、その手を強く握り返した。
 泣かないように殊更笑って、大きく頷く。

「――はい。私も、傍に居たいです」

 出来れば、貴方の作る天下のその先の世界でも――

 今度は間違えずにようやく言えた言葉に。
 政宗も大きく笑ってくれたから。

 この光がある限り、は『』自身でいられると――
 どんな状況でも闇に呑まれずにいられると。

 これから対峙するものを前に、深く自分に刻み付けたのだった。
 政宗の手の熱さと、笑顔と共に。





090614

番外.愛の戦士

バサラでは「無敵なのにー」の残念な愛の人を名前だけ登場させてみました。
……ということで、ものすごく中途半端なところで四章終了です。
CLAP