北条氏が治めていた城塞都市小田原――
堅固な守りを誇るこの都市は現在、奥州・関東に渡ってを統べる伊達氏の本拠として繁栄している。
戦国の習いというか、凄惨な様相を呈して北条が伊達に滅ぼされてからまだ日は浅いが、新しい城主が善政を敷いた為、土地の民も各地の領主たちも概ね反発無く受け入れていた。
その小田原城は現在、対明智・松永への出陣準備で城下の商人も巻き込んで上を下をの慌ただしさに包まれている。
そんな中、唯一平素と変わり無く静かなのが、ここ二ノ丸だった。
「そんな所で寝ると風邪ひきますよ?」
縁側で寝そべっていた慶次は、部屋の中からそう声を掛けられて僅かに顔を上げた。
室内では、本来寝ていなければならない筈の病人が布団の上に半身を起こし、書簡を手にしている。
慶次は最初こそそんな彼女に小言を浴びせたが全く改める気配も無く、その頑固さを知っているだけに早々に諦めた。
その癖、こちらの心配だけしてくる彼女――にひらひらと手を振る。
「ああ、大丈夫大丈夫。丈夫だけが取り柄ってね。それとも何かい? 俺がここにいちゃ邪魔なのかい?」
「そうですね。気が散るし」
「はは、相変わらず正直だねぇ! まぁ、番犬代わりなんだから我慢しなって」
小気味良いやり取りに声を上げて笑えば、番犬という言葉に反応したは困ったような顔で苦笑した。
小田原に着いて早数日……疾風から政宗がにした狼藉を聞いて感情任せに独眼竜を張り飛ばした慶次は、やるせない思いを抱えたまま外に出た。
本当はそのまま前夜の内に飛び出したというを探しに行こうかとも思ったが、彼女が待っているのは自分では無いと分かっているだけに我慢した。
適当に馬を走らせ気晴らしして夜になって戻れば、そこに政宗の姿は無く、を追いかけて白石城に向かったという。
ようやくか、今度こそ上手くいって二人仲良く帰ってくるだろう――
ほっとしたような切ないような思いでそう思っていたというのに、舞い込んで来たのは越後との国境で明智軍と衝突したという報せだった。
あまつ、数日前から行方不明になっていた政宗の母親までそこに現れたという話もあり、弟の小次郎を大将に小十郎・成実など武将たちは大慌てで出陣し、白石の政宗もそのまま出るとのことだった。
政宗が行くなら、ほぼ間違いなくも同行するだろう。
そう踏んだ慶次もすかさず小十郎の隊にでも入れてもらおうと思ったが、留守を頼むと言われて留め置かれた。
何しろ、彼らが出払ってしまえば後の小田原に残るのは元は伊達と相対していた他家の一族ばかりである。
そんな所を他国に攻められたら、前田としても寄る辺を失う。
元来じっとしていられない性分だというのに、まんじりともせず待ち続けること数日。
明智との戦いに上杉が乱入してきただの、が怪我を負っただの聞かされた時の悔しさは尋常では無かった。
「アンタがついていながらどういうことだい、独眼竜!!」
戻ってきた政宗にそう一番に噛みついたのは慶次だった。
他の小田原留守居だった面々も何か言いたそうではあったが、その場で一番政宗に遠慮が無いのが自分だっただけである。
「前田慶次……いいから引っ込んでな」
関係無いとばかりに邪険にするそんな態度にも腹が立ったし、最初からあの夜の事もあって許せなかったのに、政宗がどうしてもの傍を離れなかったから怪我から熱を出した彼女の看病だって渋々任せた。
それなのに、である。
翌朝部屋を覗いてみたら、手など繋いで、あろうことか政宗までちゃっかりの横で寝こけていたのだ。
ぶちりと早々に忍耐を放棄し、慶次は主家に当たる政宗を容赦無く蹴り飛ばした。
当然の如く目を覚ました政宗が身を起こす前にこちらも目を覚ましたを背に庇うように移動すれば、地獄の底のように機嫌の悪い目を向けられた。
だが、そんなもので怯む慶次では無い。
腹立たしさで言えばこちらの方が遥かに上回っているのだから。
「何すんだ、AHhhhhnn!?」
「何するだってぇ!? わざわざ聞くんじゃねーよ。女を力でどうこうしようとした男を信用出来る訳ねぇだろうが! も良くなってきたみたいだし、仏の顔はここまでだよ」
「あんだと、コラ……そういうお前は信用出来るってのかよ。人の女に横恋慕してるような男がよ」
「横恋慕ぉ? そりゃ聞き捨てならないね。に会ったのは俺の方が何年も早いんだ。横恋慕なのはアンタだろーが!」
「Han! 時間なんざ関係あるか! あんまり野暮なことばっか言ってっと、馬に蹴られる前に竜の牙を食らうことになるぜ?」
「へぇ、そりゃおもしろい。やって貰おうじゃねぇの!」
「上等だ、てめぇ覚悟し………」
「――――ストップ」
気に食わなさすぎる相手との口論は激しさを増し、お互い得物の柄に手を掛けて抜こうとした刹那に、傍観者に徹していた姫君の声がその場に響いた。
ちらりと見やると、二人の男に取り合われている自覚も無さそうなは、半身を起したまま米神を抑えていた。
若干気崩れた夜着の合わせを握っている様子から慎みを持つくらいの余裕はあるらしいが、まだ半分寝ているようにも見えるほど眠そうだ。
少し掠れた声に、思わずうなじなどに目をやってしまう。
しかしその直後にキッとした視線を向けられて思い切り怯んだ。
「ここが何処だか分ってるんですか?」
「え……と、…さんのお部屋です」
「そうです。もっと正確に言うと? 政宗様」
「Ya, 俺のHoneyの寝所だ。おら、前田! 分ったら邪魔者はとっとと……」
「はにーって何だよ! 大体こんな時に奥州筆頭がこんなとこに居ていいのかよ!」
「うっせー! 俺がどこにいようがお前には関係な……」
またもや始まってしまった口論の途中で、ブチという音を聞いたと思った。
「ここは一応病人の部屋です! しかもこれでも乙女の寝床なんですから、もういい加減にしてください!!」
ぶわりと熱気と火花が散り、慶次は奇しくも政宗と同様にゲッと唸った。
部屋の中で火を使うとどうなるかくらいの理性は残っていたらしいは、それでも情け容赦のない声音ではっきりと言った。
「疾風、成敗」
「了解」
直後に超至近距離に感じた殺気は本物で、慶次でも本気でかわして間一髪だった。
それでも政宗と二人して吹き飛ばされ、城の壁に激突する。
はその結末を見る気も無いようで、早々に障子を閉じて布団に戻ったようだった。
政宗は盛大に毒づいて疾風に食ってかかっていたが、直後にやってきた鬼のような右目に連れられて、本丸の方へ連行されて行った。
「前田の。暇なら、のとこで番犬でもやってろ」
そんな言葉を残して。
それから一日、慶次は律義にその言葉を守っての部屋に陣取っているという訳である。
まあ、願ったり叶ったりであるから構わないのだが。
「番犬だなんて……ほんと、小十郎さんも何考えてるんだろう……」
独り言のように溜息をついたは、微妙に気恥ずかしそうな顔をしていた。
当然慶次はおもしろくなくてむくれる。
「へー……はそんなに独眼竜に会いたいんだ。一分一秒も離れてたくないってわけかい?」
「そっ…そんなんじゃっ! 私は……そう! もっと上杉の話を聞きたいと……」
「上杉ねぇ……春日山なら俺もしばらく居たことがあるし、知りたいことなら何でも聞きなよ」
誤魔化しであるのは明らかだったが、慶次は政宗の話から離れたいのもあって、敢えてその話題に乗ってやる。
の父親である武田信玄――慶次の友である上杉謙信の唯一無二のライバルであるあの甲斐の虎を明智は捕らえたと言ったらしい。しかも忍に探らせたところ、確かに甲斐に信玄は不在であるようで、若虎と呼ばれる真田幸村・真田忍隊の姿も見えないという。
伊達が明智・松永と事を構えるのは先日の国境の返礼と自衛の意味合いが強いが、同行するの目的は父親を助けることだ。
伊達軍が大急ぎで出陣の準備をして要するのは後二日――つまりそれだけしか無い静養に充てられる猶予期間に、はこうして無茶な調べ物ばかりしている。
それだけ行方も知れない父親を助けたいということだろう。
慶次としては、そんなに全面的に協力するつもりだ。
惚れた相手の為に少しでも力になりたいと思うのは、至極当然だった。
「そう言えば、慶次さんが越後に居た時って、ずっと春日山のお城に滞在してたんですか?」
「ん? 城? なんでそんなこと聞くんだい?」
「いえ……あそこは今、松永軍が占拠してるじゃないですか。天然の要害だって言われてますけど、抜け道なんてあったりするのかなーって」
既に春日山での攻城戦まで想定しているらしい虎姫に、慶次は目を瞠って笑った。
笑った拍子に、頭の上に居た夢吉が落ちてキーキーと文句を上げる。
「はは、参ったねぇ。大した病人だ。だけど、そっちの面では俺はあんまり役に立てないと思うよ。確かに入り浸ってたけど、謙信のとこに居候続けんのも迷惑だと思ってさ、半分くらいは兼続ん家に居たよ。幸村も居たことあんだぜ?」
「兼続殿? 幸村?」
意外な名前だったのか、思い切り虚を突かれたような顔のに、慶次はそう言えばと思いだした。
「前に話した時は、その辺のことは話して無かったかなー」
近江付近で会って数日共に旅をした時、慶次はをからかい半分に、自分のいろんな話を聞かせた。
だが、思ったよりも早く目的の町についた為、上杉のことはほんの障りほどしか話していない。
「兼続と会ったのは城下の祭りでさー」
避難してきた夢吉をあやしながらも興味を引かれたらしいは、書簡を置いて聞く態勢に入っていた。
それに満足げに微笑み返した慶次は、当時に思いを馳せながら話し始めた。
――"前田の大傾奇者"
そう呼ばれるようになったのは、元服してしばらく経ってからのことだった。
その頃の慶次はねねを亡くし、秀吉とも決別し、一度に幼馴染二人を失った傷を抱えたまま家を飛び出しており、そんな呼び名が付くほど大っぴらに遊び呆けていた。
京の都であちこちの用心棒まがいなことをしながら花街に入り浸り、喧嘩と祭にはいの一番に駆け付ける。
食べたい時に食べて寝たい時に寝て、何も考えなくてもいいように……。
しかし、気ままな暮らしというのは結局自分の気分次第なのだから飽きるにも早い。
数年ももたず早々に倦んで、風の吹くまま気の向くまま各地を放浪でもしようと思い立った。
その最初に上杉を選んだのは、ただ単に当主謙信に面識があったからである。
面識と言っても昔秀吉と悪さをしに乗り込んで目こぼしして貰ったほどで、断られればまた暴れてやればいいとくらいにしか思っていなかった。
ところが、久方ぶりに現れた無礼者でしか無い慶次を、謙信は客人として遇し、慶次もその懐の深さに感じ入って、いつしか友人という間柄になった。
そんな慶次が兼続に会ったのは、春日山城に居候を始めて数カ月経った頃である。
その頃はまだ家老という地位では無かったが、謙信の養子景勝の右腕として周りから親しまれていて、謙信も殊更目をかけていた。
「お主が前田家の風来坊殿か!」
初対面と思わせないようなあっけらかんとした第一声で、慶次は一目で相手のことが気に入った。
上杉家でもそれなりの地位であった筈なのに自ら祭の準備で民を手伝い、一番に踊り始めたりと場を盛り上げていたのも自分に近しいものを感じたのかもしれない。
その晩は兼続の友人たちも含めて彼の家で飲み明かし、年が近いこともあってすっかり意気投合してしまった。
「兼続ー! お前新婚なんだってなー! 奥さん美人で羨ましいねぇ!!」
「……これはしたり。実は私も、これ以上無い美人だと思っておるのだ。自慢の妻だからな!」
本当に誇らしげに笑う顔には一点の曇りも無く。
兜の前立てに『愛』を掲げるその純粋さは、とても好ましいものだった。
「――なるほど。それは慶次さんと気が合いそうですねー。私も敵じゃなかったらお友達になれたかも」
納得して頷いたに、慶次は盛大に噴き出した。
「一時期同盟を結んでいた頃に人質紛いで春日山に行った幸村なんかすっかりコロリといって「弟子にしてくだされー!」とか追いかけ回してたらしいぜ?」
敵同士なのに、と続けて笑う慶次に、は額を押さえた。
兼続は誠実な人柄の上教養も深く、それは卒の無い気配りも出来る人物だから、今より若かった幸村がすぐに懐いたのも頷ける。
暑苦しく慕うその光景が容易に想像できたのか、は溜息をついた。
「…………幸村ってば」
幸村らしいけど。と言ってくすくすと笑ったは、やがて瞳を曇らせて視線を落とした。
「――? どうかしたかい?」
「いえ……幸村とも随分会ってないなーと思って。……佐助と二人で無茶して無きゃいいけど」
甲斐には若虎の姿も見えない――その報告を今さらながらに思い出した慶次はあちゃーと天を仰いだ。
折角その話から離れて休養させる為に話していたのに、これでは本末転倒である。
何とか取り繕う言葉を探した慶次は、近づいてくる気配に気づいて顔を上げた。
女性のようで足音が軽いが、妙に荒々しい。
の方は相手が分かったのか、微妙な表情になった。
「――その方ら、ここで何をしておる」
「お…おかえりなさいませ、義姫様」
珍しく緊張したようながその名を呼び、訪問者がお東の方と呼ばれる政宗の母だと知って、慶次も慌てて頭を下げた。
若い頃は鬼姫とも呼ばれたこの女性は、先日行方不明になったかと思えば米沢での最上の謀反に参加していただの武田を手引きしていただの噂されているが、その米沢の復興の為に現地で指揮を取っていると政宗が明言していた。
まだ旅装束も解いていない所を見れば、今しがた米沢から戻ってきたのだろう。
慶次としてはに累が及ばなければどうでも良いが、こんな恰好でここに来たということはそのに用があるのだろう。
表向きは伊達の配下・前田の武将として控えながらも、慶次は油断無く義姫を窺った。
するとふと、その息子に良く似た鋭い眼差しが慶次に向けられる。
「前田の根なし草が、かような場所に何用じゃ」
随分な言われようだが、問題はここに居ることをなぜか咎められているということだった。
それも、その敵意丸出しの視線から、どうやらに近づく不埒者という意味で、だ。
「……右目さんが番犬してろって言うもんでね。どうもここの本丸には堪え性の無い狼がいるみたいだからさ」
「ちょ…ちょっと慶次さん!」
挑発するようにそう言えば、は慌てたが当の義姫は目をすっと細めただけだった。
それだけでも美人がやると迫力があったが、慶次にとっては何でも無い。
「アンタこそ病人の部屋に何の用だい?」
「病人……のう。妾もそう聞いた故、わざわざ出向いてやったのだが、どうやら部屋を間違えたらしい。ここには床から起き上がって書を広げた挙句、茶飲み話に花を咲かせている呑気者しかおらぬようじゃ。――そうであろう、」
「う……いや、えっと…………………すみません。大人しく寝ます」
こちらに火の粉が飛んできたと首を竦めたは、苛烈な眼光の前でしかし反論する要素も見つからなかったのか、素直に布団に潜り込んだ。
誰が何を言っても――それこそ政宗でさえ無駄だろうと思っていただけに、その素直さには慶次も驚いたが、何やら米沢で一戦やり合ったというからその辺のことが関係しているのかもしれない。
あっさりと従ったに、義姫は満足そうに笑んで扇を広げた。
「そうじゃ、母の言うことには素直に従うものじゃ」
「はい、すみま…………へ? はは……??」
「なんじゃ、妾は政宗の母なのだから、そなたにとっても義母であろうが」
は瞬時に赤くなってぱくぱくと口を開閉させたが、やがてぐったりと頭を押さえた。
慶次にもその心情は十分分かる。
人の話を聞かないのは、間違いなく遺伝だ。
「ちょいとそこのおばちゃん。勘違いで姑ヅラされちゃが可哀相ってもんだよ」
「おば……!!」
義姫は一見大きな息子がいるように見えないほど若々しい美貌を保っているが、勿論わざとだ。
絶句して眦を釣り上げた鬼姫と慶次の視線がバチバチと宙で火花を散らした。
と、その時、絶妙の間合いでどすどすと五月蠅い足音が近づく。
「Hey, honey! 調子はど……――ア? 前田に、母上まで!? いつ戻ったんだよ!?」
「たった今じゃ。騒ぐでは無いわ」
騒々しい息子に、負けないくらいの大声で即答する母親。
騒ぐなと言った傍から更に幾つかの足音まで響いてきた。
「梵! 悪いこた言わねぇから今は戻れ!……て、お東様!?」
「殿! 小十郎殿が間もなくここに討ち入りに……おっ御方様!!」
伊達三傑の二人が血相を変えて飛び込んで来たかと思えば、主の生母を認めて慌てて膝を折る。
「討ち入りって……」
恐らくこの場で一番冷静なの呟きは黙殺された。
いや、城主親子には耳にさえ入って無かっただろう。
「政宗。その方、何をやっておる!」
「Ah…?」
「このような馬の骨を近寄らせるなど、伊達家の男児とも思えぬ情けなさぞ」
「馬の骨……てのは、前田のことか? それとも成実か? 小十郎か?」
叱責に対する意趣返しなのか何なのか、鼻で笑ってそんなことを言った政宗に、義姫の目が丸くなり、は頬を引き攣らせた。
「! 親も親なら子も子じゃな! 信玄公も若かりし頃は随分と浮名を流して…」
「母上」
お鉢が回ってきたと首を竦めたは、父親のことを出されて途端に顔色が悪くなった。
生死も行方すらも知れない今の状況でその父親のことを悪し様に言うのは余りにも無神経だ。
しかし抗議しようとした慶次よりも一瞬早く、政宗はただ一言でその母を止める。
それで義姫も自分の失言に気付いたらしく、罰が悪そうに口を閉じた。
ようやく静かになった部屋に、些か不機嫌な政宗の溜息が響いた。
「……で? なんで母上がここにいる? 米沢から戻ったんなら真っ先に俺のとこに顔見せるのが筋じゃねぇのか?」
「――それはすまぬの、政宗殿。米沢で負った怪我が元で床に伏せった者が居ると聞かされては、見舞いに来ぬ訳にも行かぬ故」
これが親子の会話かと、の後ろに控えた慶次は呆れてしまった。
二人とも驚くくらい意地っ張り同士らしい。
素直にが心配だったと言わない母と、それを分かっていながらわざと皮肉る息子。
やれやれと溜息を付いた慶次だったが、それはしっかり見逃されなかった。
「…それはそうと、そこの節度を弁えぬ根無し草をもう少しまともに躾けてはどうじゃ。臣下でありながらに手を出すなど、不忠以外の何ものでも無いわ」
「「………不忠?」」
義姫の言葉の最後に、と慶次の声が綺麗に重なり、二人は顔を見合わせた。
その面前で、政宗の額にぴしりと青筋が浮かぶ。
「Ahhhnn!? 手ェ出した、だぁぁ!?」
「ちょっ…待てよ、独眼竜! 俺は別に何も……」
「そ…そうですよ。ただ楽しくお話してただけで……」
「へぇぇ……楽しくお話……ねぇ」
隻眼が細められてその口が不気味な弧を描く。
埒が開かない――そう感じたのは、竜の親子を除いた面々の総意だったに違いない。
傍で見ていた成実も呆れたように溜息をついた。
「殿もお東様も心狭すぎだし突っ走りすぎ。ちゃんの気持ちも確かめずに奥方扱いしたってしょーがないじゃん」
「お…く………?」
成実の言葉との呟きに、その場がシンと凍った。
更に表から「政宗様ぁぁぁぁぁぁ!!」という右目の怒声も近づきつつある。
慶次がちらりとを見れば、恥ずかしいやらウンザリやら、諸々を超越してぐったりと疲れ果てていた。
伊達に来て日の浅い慶次でさえ関わり合いになりたくないこの状況は、お世辞にも病人に良いとは言えないだろう。
そもそも出来ることならこんな天気の良い日には町で賑やかな空気でも味わいたい。
「けど、惚れた弱みなんだよなぁ……よっしゃ、兼続みたいに愛の戦士とでも洒落込みますか」
溜息をつきながら呟いて、慶次はを守るために腰を浮かせる。
既に主からの鉄拳制裁を受けている成実は別としても、数秒後にはこの部屋に居る人間全員を巻き込んで激戦必至だ。
「まぁ、恋も喧嘩も上等ってね」
両方とも、元来自分が一番好むものである。
高揚感を止められずにの前に移動した慶次は、しかし軽く袖を引かれて振り返った。
「慶次さん、ありがとう……ごめんなさい」
何が『ありがとう』で何が『ごめんなさい』なのか……
既に伝えてある慶次の気持ちも知った上でのそれに、慶次は思わず笑ってしまった。
嬉しいけれど申し訳ない――そんな可愛い顔で言われれば、どうしようもなくなってしまうのに。
「……なぁに、いいってことよ! を泣かせる奴ぁ俺が相手だ、どっからでもかかってきな!」
傾奇者と謳われた見得で「前田慶次、罷り通る!!」と声を上げれば、部屋中の殺気がギロリと慶次に突き刺さった。
けれど、それすらも今の慶次にとっては心地よいものだった。
『前田慶次』が、恋しい人の為の喧嘩という楽しい一幕を前に心踊らない訳がない。
その後、小田原城の唯一平和であった二ノ丸の一室がどんな末路を辿ったのかは、推して知るべしである。
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結局部屋を吹き飛ばすほどの乱闘になって、部屋の主は忍の友に脱出させて貰いましたとさ。
というわけで、四章完結記念番外でした。
大河仕様な兼続の「これはしたり」が書きたいが為に回想入れたのに、それよりも慶次が出張りすぎて兼続が霞みままくったような…。
政宗様が全然かっこ良くない話でごめんなさい。その分5章は頑張ります!