熱風を孕んだ空気が喧騒を伝える。
 騒然と逃げ惑う人々をも飲み込まんと、うねりを上げて――

「早く! こっちです、捕まって!」

 米沢――

 がこの世界に戻り、初めて触れた町。
 城下の人々、賑わう商店、澄んだ川や道端の花……そこでの掛け替えのない思い出――……

「急いでください!」

 町に広がった火は、乾いた空気に乗って瞬く間に広がっていった。
 その炎のただ中を、たちは懸命に走り回る。

「なるべく身軽に! 風上へ急いで!」

 突然襲撃された城下の避難は、思ったよりも困難を極めた。
 今は小田原に移ったとは言え、ついこの間まで伊達の本拠だった城下町である。
 家屋も住人も多く、当然その分混乱は大きい。

 目の前で自分の家が燃えていく……そんな絶望に打ちひしがれる人を前に、けれどそれでも生きて欲しいと――命だけは助けようと何度も声を張り上げる。

「病人や怪我人は手を貸します! お年寄りや子供を優先して!」

 は自分が乗っていた馬に怪我人を引き上げて近くの兵に託し、走りながら周囲に目を走らせた。
 炎の属性ではある程度その勢いを抑えることくらいは出来ても、消火することは出来ない――砂を噛むような無力感が這い上がるが、だからと言って投げてしまう訳にはいかない。

! あっちの辻で荷台が立ち往生してるぜ!」
「! 分かりました、すぐに行きます!」

 元同僚の伝令兵が掛けてきた声に、落ち込んでいる場合では無いと自らを奮い立たせる。
 そして、焦りのままにその彼に問いかけた。

 この元同僚は確か『外』への伝令として赴いた一人だった筈――

「政宗様は!? 先陣の様子はどうですか!?」
「依然防衛ラインを保ったまま踏ん張られてる! けど、あの敵の数じゃ――とりあえず小次郎様に報告に行くが……」

 確かに、この城下の避難誘導も人出は不足していて、援軍に出せる余裕は無い。
 は眉を寄せて、政宗が居るであろう方角を見つめた。
 敵が殊更多い訳では無い。
 ここにいる伊達の戦力が少なすぎるのだ。

101.炎の中

 あの後――城下の火事と明智軍に気付いた直後、政宗は即座に白斗に跨った。
 義姫を侍女に預け、その場を見渡す。

「小十郎! 半数を纏めて来い! 町の外まで明智の奴らを押し返す」
「はっ! ただちに!」

 その他の将にも、迷い無く次々と命を飛ばしていく。

「小次郎! 城下の民を一人残らず逃がせ」
「あに…っ、いえ筆頭! 私もお伴を……」
「Shut up! 米沢はお前の城だ。その城下の民はお前が預かる命だ――You see? お前が責任持って助けろ、いいな!」
「は…はい…! Yes,sir!」
「Great! 上出来だ。期待してるぜ」
「は! 必ずや!」

 一度は渋った小次郎もキリリとした顔で請け負い、その場を離れる。
 残ったのは、慌ただしく準備に走り回る面子を除いては、政宗と、そして義姫たちのみになった。

「――母上」

 喧騒に興奮して嘶く白斗を御しながら、政宗は馬上から母親を見下ろした。

「アンタは小田原に戻れ。ここに居ても邪魔だ。…それとも、このままついでに出家でもしちまうかい?」

 名家の奥方が夫の死後も落飾していないということの方が不自然な時代だ。
 冗談とも本気ともつかない言葉に、しかし義姫はふと口元を引き上げた。
 その仕草など、驚くほど似ている母子である。

「うつけ。そなたのような荒くれ者の暴れるこの俗世から去るなど、この母にはまだ出来そうに無いわ」
「……Ha、過保護なのは昔から変わらねぇな」
「馬鹿な子ほど何とやらと言うもの」
「………」

 今までになく素直な義姫と上手くリアクションの取れない政宗……その様子に、は思わず噴き出しそうになった。
 こんな微笑ましい光景、少し前なら想像も出来なかっただろう。
 しかしその穏やかな空気は早くも終わりを迎える。

「わたくしはここを退かぬ。ここは我が夫の城じゃ」
「……今は小次郎の城だ。任せてさっさと出な」
「そなたらだけに任せておけぬ」

 続いていた会話は徐々に険を含んだものになり、睨み合う眼光は鋭くなっていく。
 おまけに二人の米神が引き攣っているのがには見えた。
 つい先ほどまで微笑ましい母子のやり取りだったのに……

 は思わずため息をついた。
 似た者同士なのだ。
 しかし両方の気持が分かってしまうだけに如何ともし難かった。

 政宗は母の身を案じて。
 義姫は子供たちの心配と――そして亡き夫の愛した土地を守りたいという想いから。

 ここはどちらの味方をするべきか、考える間でも無かった。

「大体、わたくしが居らねば今頃はこの城も武田に……」
「母上、勘違いすんなよ? アンタは嵌められただけだ」
「なぜそうと言い切れる!」
「ちょっと考えりゃ分かんだろうが!」
「娘がこうだからと言って、親まで同じとは限るまい」

 エスカレートしていく言い争いに唐突に自分のことが出て、ははっと顔を上げた。
 気づけば二人の視線がじっとを見つめている。

「えー…と、父は私よりももっと曲ったことが大嫌いですけど……」
「甘いわ! 戦となれば話は別じゃ」
「それはそうかもしれませんが……」

 は――そして恐らく政宗も、今回の米沢の一件に武田は絡んでいないと思っている。
 理屈では無く、信玄の人と為りを見てそう感じると言った方が正しい。
 それを会ったことも無い義姫に説明するのは難しいだろう。

「Huuー……埒が開かねぇ」

 溜息をついた政宗はちらりと顔を上げて視線を向けてきた。

、母上を連れてすぐに小田原に戻れ」

 そら来たとばかりに予想通りの言葉だった為、は動じずにこりと微笑んだ。
 それに何かを感じたのか、政宗の表情が僅かに強張る。

「お言葉ですが、私もお東様には残っていただいた方が良いと思います」
「オイ――」
「一度反旗を翻した最上家御当主が亡くなられた今、最上勢が何らかの行動を起こした場合、鎮められるのはお東様だけでしょう。それに城下の人たちの避難も少しでも人手があった方が良いですし」

 勿論、避難誘導の先頭に立って指揮されるおつもりですよね? そう問えば、すかさず無論だと返って来た。

「オイ、ちょっと待て――」
「米沢の人たちにとってもお東様が先頭に立たれればどれだけ心強いか」

 の言うことが正論である為か、政宗は不機嫌そうに口を噤んだ。
 こういう所はちっとも変わっていないと思い、は笑みを深める。

「それに、米沢は私にとっても大恩のある町……こんな時に自分たちだけ逃げるなんて出来ません」

 同意を求めるように義姫を見れば、恩を売るつもりかとばかりに眉を寄せられた。
 それ以上に苦虫を噛み潰した顔の政宗が、短く吐き捨てる。

「ご託はいい。命令だ」
「聞けません」
「Ah!?」
「例え主命でも、譲れないものはあります!」

 眇められた眼光の奥で、お互い子どものようにムッとしたのが分かった。
 後は、売り言葉に買い言葉の応酬。

「Shut up! 怪我する前に引っ込め!!」
「怪我って言うなら、いつも先陣切ってる政宗様の方が断然多いじゃ無いですか!!」
「うるせぇ! 俺はお前だから逃げろって言ってんだ!」
「私だって、貴方だから傍を離れるつもりは無いって言ってるんです!」

 カッとして言葉を叩き付けた直後、はたとその場の空気が止まった。
 自分が恥ずかしいことを言ったと――そして言われたとが自覚したのは、怒るのも笑うのも失敗したような政宗の顔を見た瞬間。

「っ……勝手にしろ! …ただし残るなら城下からは出んなよ!!」

 無理やり怒ったように馬首を返して去っていく政宗を呆然と見つめている所に、背後からため息が漏れた。

「そなたら、元服前の童でもあるまいに……」
「や…その……えぇーと……」

 情けないことに、何の言い訳も出てこなかった。
 よりによって母親の目の前だとか、無意識だったとか、とにかくもう恥ずかしすぎる。

「かような体たらくでは先が思いやられるわ。いつになったら孫を抱けるのやら」
「は……孫……?」

 一瞬呆けたがようやくその意味に思い当った頃には、息子と同様に短気な母親は既に馬上の人となっていた。

「先刻の威勢が形だけでは無いというのを見せてみよ――

 初めて名前を呼ばれたとか、その笑い方は息子に似すぎだろうとか、呑気な思考だけが空回りした。
 二の句も継げない内に駆け去って行った華奢な後姿を見送って数秒、ようやくゆるゆるとため息が漏れる。

「弱み握られたのかも……」

 この先のことを思って憂鬱なのは確かだったが、嫌な気はしなかった。
 不器用な彼女なりに、を『』として認めてくれたのかもしれないと、そう思えたから――





「――

 一瞬前に現れた気配に声を掛けられ、は押し上げていた荷台から目を上げる。
 近くの兵にそちらを任せて踵を返すと、音も無く自分の影が盛り上がり、疾風が姿を現した。

 明智軍と接触してから既に一刻余り、その直後に遅れて合流した黒脛巾は、政宗の護衛などの最低限を除いてほぼ総勢で米沢周辺の警戒と牽制に走り回っていた筈だ。
 丁度苦戦しているという政宗の様子が気がかりだったので尋ねようとした矢先、疾風が先にとんでもない一言を告げた。

「大量の火薬の臭いがする」

 思いもよらない言葉に、は思わず目を瞠った。

 未来の世界でも馴染みは薄かったが、火薬が人の命を奪う危険極まりないものだということは知っている。
 銃にも使われている為、戦場でその臭いがすること自体は不自然ではないが、わざわざ疾風が報告して来るほどの量だとすると――
 まして現在、この城下は火の海になろうとしている……そんな所で大量の火薬――爆薬に引火でもしたらどうなるか。

 想像するだに恐ろしく、はぶるりと身を震わせた。

「政宗様には?」
「頭領が報告している」

 黒脛巾の頭自らが動いているということは、政宗もほぼ間違い無く意識を向けるだろう。
 だが、先ほどの伝令の話では、前線もかなり分が悪いらしい。
 そして他に気を取られていて凌げるほど、この局面は甘くない。

「――どうする?」

 疾風の問いかけにも、思わず瞳が揺れる。
 いつものようにの指示を仰いでくれる友人に、けれど即答することは出来なかった。
 今この場でに与えられ、するべき役目は、何を置いても城下の民を避難させることである。

(だけど――)

 どうしても忍び寄る不安に……焼けつくような焦燥感に囚われる。
 何の根拠も無く、嫌な予感がした。

 の中の闇が、怯えるようにざわりとさざめく。

 そこでふと、違和感に気付いた。
 政宗が居る筈の最前線の更に先方から火の気配が弱まっていく。

「……これは……闇の属性……? それに……」

 一体誰がと呟いた刹那、一頭の蹄の音が聞こえてきた。
 振り向いて煙の向こうに互いの姿を認め、軽く目を見開く。
 
「何をしている!」
「ご無事ですか!?」

 言葉は同時だった。
 はなぜ彼女――義姫が単騎でこんな表まで出て来ているのかと驚いたのだが、相手の方でも何かに驚いているらしい。
 しかし、それらに構っている余裕は無かった。
 城下の避難誘導の責任者たる小次郎に次ぐ決定権――それを持つ彼女にここで会えたのは渡りに船だ。

 果たして、勢い込んで口を開いたのも、またもや同時だった。

「早う行けっ!」
「行かせてください!」

 再び重なった言葉は宙に浮かび、目を瞬いて見詰め合うこと数秒……どちらからとも無く笑いが零れた。
 理屈では無いものを、互いに感じているのだろう。
 心配する相手が同じ……そして全てを掛けるものが同じであるが故かもしれなかった。

「怪我なぞしているようなら引っ叩いてきやれ」
「それじゃ足りないくらいです」

 何処に、誰が、と言葉にする必要は無かった。
 短い会話は物騒な言葉であっさりと終わり、一礼に後のこと全てを託しては駆け出す。
 民の避難が最優先なのは変わらないが、彼女に任せたのだから大丈夫だろうと確認に似たものを抱いた。

 そして自身は、自分の向かう場所へと迷い無く意識を切り替える。

(政宗さん――!)

「疾風! 最短でお願い!」
「承知」

 言葉と同時に疾風に抱えられて高く跳躍した。

「っっ……!!」

 しかし上空に飛び出してすぐ、戦場で動じないと決めたというのに、は思わず息を呑んだ。
 それだけの光景が、眼下には広がっていた。

 かつて、この世界に来てから初めて見た城下町――政宗に連れられて見せてもらった温かみに溢れた人々の暮らし。
 政宗が誇りにし、守りたいと望み、それがそのままの大切にしたいものになった。

 その米沢は――上空から見た城下は、まさに火の海だった。
 自身や父や幸村が扱う紅蓮の炎とは違う……もっと禍々しい黒炎が暴れ狂い、全てを灰燼に帰そうとしている。

 ギリリと、知らずに噛み締めた口内で血の味がした。
 目に焼きついた炎から目が離せない。
 一つ一つ蘇る大切な思い出が焼き切れていくような――濃くなっていくばかりの焦燥感に、身体は凍り付き、しかし訳も無く喚きたくて堪らなくなる。

「っ…急いで…!! 一秒でも早く――!!」

 抱えていての変化に気付いたのか、疾風は躊躇無く僅かに進路を変えた。
 本当に『最短ルート』で炎上した櫓に突っ込む。

 普通なら慌てるところだろうが、は無言で炎の属性を叩きつけ衝撃を相殺した。
 この焦燥感と不思議なほどの不安の前では、そんなもの何でも無い。

「っ見えた……!!」

 そうして程なく視認できた最前線。
 間髪入れずに飛んできた銃弾の群れが頬を掠め、焼けるような痛みが走る。

「…このまま行くのは危険だ」
「――大丈夫だから、お願い!」

 視界に入ってきた状況を認めての会話。
 一瞬渋った疾風は、が問答無用で上空から手を放そうとしたのを悟って軽く溜息をついた。

なら、この状況でも火薬を優先しろと言うだろうな」

 ほとんど確信に満ちた言葉に、は少し目を瞠って笑った。

「流石は、我が友。――任せたわよ」

 一般コミュニケーションどころか会話が無くてもこちらの意まで汲んでくれるようになった頼もしい友人に信頼の言葉を残し、は目標の真上で手を離した。

 すぐに表情を引き締め、滞空時間に固有技を乗せた矢を放つ。
 叩き落されることを前提とした炎の矢は、目標通りその敵にまっすぐに飛んだが、横手から入った二つの攻撃によって弾かれた。

「っ…!?」

 着地し、そこを狙ってきた攻撃を払って、声の主に振り向いた。

「政宗様! ご無事ですか!?」
「無事かってお前……!」

 随分驚いている様子の政宗に大きな怪我が無いことを見て取って、は僅かに安堵の息をつく。
 けれど、陣羽織はボロボロだし、傍に小十郎も成実もいない所を見ると伊達は思いきり分断されているようだ。

 そんな状態で一人でこの人数と闘っていたとは――……

「――ほぅ、虎の娘、か」

 の炎の煽りを受けていた一人が立ち上がって、抑揚の無い声でそう言った。

「こんな所で本当に出てくるとはな」

「我らが主殿の目も中々確からしい」
「あの娘一人奪うなど、簡単な仕事だ」

 そして次々と、先ほど両側から攻撃を仕掛けた二人がその横に並ぶ。

「鋭く――」
「素早く終わらせる」
「それが情け」

 三つ並んだ不気味な鬼の面――それを付けた男たちが交互に言い、獲物を構えた。
 しかもその敵意はに向けられている。
 更に周りには足軽たちがぞろりと取り囲み、穂先をこちらに向けていた。

 まさに、孤軍奮闘。
 しかも聞き流せないことを聞いた気がする。

「……、お前あのcragyな奴らともお友達か?」
「まさか。お面被って喜んでるような変態に知り合いはいません」
「HAHA! だとよ。You see? 分かったらふざけたお遊戯はあの世でやんな」

 三対二――数で言えば不利だったが、負ける気はしなかった。

「無駄なことを」
「仕方ない」
「力ずくだ」

 明智軍と共に現れた三人の武将――そしてここは、越後との境に近い米沢だ。
 自ずと導き出される答えに、は相手を睨み付けた。

「虎の娘はそんなに甘くないわよ――三好三人衆さん?」

 松永配下の武将で、現在は越後を任されているらしいと佐助から聞いた。
 なぜかをご指名らしいが、こちらは松永に用など無い。
 伊達を――この米沢を攻撃した人間になど。

「さっさと来な! Let's party! おもしろくなってきやがったぜ!」

 隣で漏れたあまりにも彼らしい言葉に、は間合いを計りながらも思わず苦笑した。

 状況は最悪。
 身を焦がすほどの炎の中。

 感じていた耐えがたい焦燥は政宗の傍に居ることでほとんど消えたが、それでも胸の奥の重いしこりは消えずに燻り続けていた。
 何かを予感するかのように――







090303
CLAP