「私たちは加わらなくて良いんでしょうか…」
「フン、俺の知ったことか。あれはヴォックスの管轄だからな」
王都での三軍会議の翌日――
アーリグリフ城は、シーハーツとの戦争準備と昨日の捕虜の追尾で、俄かに騒がしくなっていた。
中庭から次々とエアードラゴンを操った疾風が飛び立っていく。
そんな中、城の一室で、普段あまりこの城に足を向けようとしないらしいアルベルは、溜まりに溜まった書類に埋もれていた。
いつもよりも機嫌が五割増は悪いと思われるアルベルに苦笑して、は雪の降りしきる窓の外を眺める。
そこから見える小型艇に昨日のことを思い出し、そっと溜息をついた。
王の御前を辞して、捕虜となった二人組のことでも探ろうかと城内を歩いていたの耳に飛び込んできたのは、捕虜脱走の報だった。
聞く所によると、シーハーツの隠密の手引きで牢破りをしたらしい。
アーリグリフとしては、これで彼らはシーハーツの人間だと確信したようなものだが、実際は他所の惑星から来た人間だと知っているは首を傾げる。
一体どうなっているのか――?……慌しく人が行き交う廊下で思わず立ち止まって考え込んでいたの腕に誰かがぽんと触れた。
「? ウォルター様」
「ちょっと、いいかの? 話があるで、ワシの執務室まで来て貰えると助かるんじゃがな」
いつもとは少し違う真剣味を帯びた目に、は緊張しつつも同行した。
暖房が入れられた彼の執務室に通され、真ん中の椅子に腰を下ろすなり、話を切り出された。
「率直に聞くが、お主は何者じゃ?」
「私は……」
「アルベルに記憶喪失だと言ったというのは、奴から聞いて知っておる。だが、それが嘘だと言う事をお主が隠す気配も無いとも、聞いておるんじゃがな」
「………………」
は無言で俯いた。
これまでの印象からして、このウォルターは王の参謀といった所だろう。
年の功もあって、知識も豊富。その上頭が固いわけでも無い、アーリグリフの中で一番話せる人物かもしれない。
だが、だからといっての事情を信じてくれるだろうか?
「では聞き方を変えよう。さっき王の前で言ったことは本音か否か」
「っ! ウォルター様、私は……っ!」
王と同じく、アルベルにも忠誠を誓うと言った事――アルベルを頼むと言われ、首を縦に振ったこと――
それだけは疑われたくなくてとっさに顔を上げたは、ウォルターの穏やかな瞳に出会った。
「――すまんな、分かっておるよ。試すようなことを言って悪かったのぅ。じゃが、こんな状況じゃからな……おぬしは分かってくれると思うが……」
「――はい。私こそ、助けてもらった身で申し訳ないと……………ウォルター様は、私のことについてどこまでお聞きですか?」
の素朴な質問に、ウォルターは溜息と共に首を横に振った。
「ほとんど何も知らんよ。アルベルの奴は、記憶喪失のおぬしを拾ったとしか言わんかったからの。――だが、おぬしはどう見てもこの辺りのただの小娘ではあるまい……というのは、ただのワシの勘なんじゃがな」
悪戯っぽくウィンクをやってのけたウォルターに、も笑う。
しかし、意を決してウォルターを正面から見た。
「ウォルター様、これから私が言う事は、ここだけの話ということにして貰えますか? それ以前に、信じて頂けないかもしれませんが――……」
「――よかろう。それは、アルベルも知らん話なんじゃな?」
一つ遠慮がちに頷いて、は窓から見える墜落した小型艇を眺めた。
「私は、アレを知っています」
ウォルターが驚いたように呼吸を止めた。
「それは……」
「はい、つまりアレに乗っていたという捕虜は私と同じ世界の人間だということです。けれど、私はその二人の顔も、名前も、目的も知りません」
黙って続きを促すウォルターに従って、は室内に視線を戻す。
「ただ言える事は、アレはシーハーツのものでは無いということです」
やけにきっぱりと言うに、ウォルターは探るような目を向けた。
「それは、真か? ならばなぜ、奴らをシーハーツの隠密が助けに来たのだ?」
「それは私も疑問に思ったのですが――……私はアルベル様に助けられるまで、アーリグリフもシーハーツも知りませんでした。それは捕虜の彼らも同じ事……ですから、どこの勢力とも繋がっている筈は無いのです。――ただ、考えてみると、シーハーツからすれば他勢力の人間だと分かっているのですから、何か目的があって彼らを必要としたのではないでしょうか。情報か技術か……」
「なるほどな……」
ウォルターは暫く考え込むように髭を撫で、やがてに視線を投げた。
「確かに、すぐには信じられん話じゃな……だが、筋は通っている」
「………………」
「――取り敢えずは、よく話してくれたと言っておこうかの。その話が本当だとしても、どちらにせよ捕虜を取り戻せば明らかになることじゃ」
「はい……」
「ご苦労じゃったな、。もう戻ってもよいぞ」
「え?」
は、意外な言葉に目を瞬いた。
その様子に、ウォルターは苦笑する。
「どうやらおぬしも、ひどく訳ありのようじゃ。話すつもりは無いようだし、今日はアルベルに嬉しいことを言ってくれたからの。それでチャラということじゃな」
「ウォルター様……」
ありがとうございます、と深くお辞儀して、部屋を辞そうとしたの背中に、ウォルターがもう一つ疑問を投げかけた。
「今の話、なぜアルベルにも黙っておくんじゃ?」
「…………ウォルター様の言う通り、私が事情を明かさないのは訳があるからです。でも、アルベル様に深く尋ねられたら……」
苦く笑って、は頭を下げると、今度こそその部屋を後にした。
窓の外は、また吹雪き始めたようだ。
思考からふっと意識を戻すと、は嫌々ペンを走らせているアルベルに振り返った。
少し考え事をしていた間に、また書類が増えたようだ。
その異常な量に、流石には眉を顰めた。
「何か、お手伝いしましょうか?」
「……いらねぇ。こんなもん、ただサインしていくだけだからな」
中身もろくろく確かめずにサインしていくアルベルに嘆息し、は仕方なしに散らかった書類を整理し始めた。
「それにしても、すごい量ですねー。一体どうして、こんなことになったんですか?」
「俺だけのせいじゃない。ヴォックスの奴が、自分は捕虜の追跡で忙しいとか何とか言って、仕事を全部こっちに押し付けてやがるんだ」
「――ヴォックス様が?」
何気ない会話で出た名前に、はしばし考え込む。
「……アルベル様、その書類、まだまだかかるんじゃないですか?」
「ああ? ……あと二日はここに缶詰だろうな」
流石にウンザリしたようなアルベルの横で、は置いていた弓を装備した。
「では、アルベル様があと二日は帰れない旨、修練場の方に報せて来ます」
「……一人で行く気か?」
書類から顔を上げてこちらを見たアルベルに、は止められるだろうかと思い、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。
「あ、もしかして、私を心配してくれてるんですか?」
「なっ……、そんな訳あるか、阿呆!」
「ふふ、でも少しは強くなりましたし、装備も万全ですから大丈夫ですよ」
「ほぅ……つい十日前に、雑魚に殺られかかってた馬鹿はどこのどいつだったか、もう忘れたのか?」
お前の頭はザルか、と口の悪さを披露するアルベルに、は困ったなぁというように溜息をついた。
「アルベル様、私が居なくなると寂しいんですか? でも、すぐ戻ってきますから……ね?」
「ね? じゃねぇ!! 誰が寂しいだ! とっとと行って来いっ!!」
顔を赤くして怒鳴ったアルベルから逃げるように部屋を飛び出し、は苦笑した。
怒らせてわざと許可を貰うつもりだったのがまんまと成功したのはいいが、流石に少し調子に乗りすぎたかもしれない。
けれど、素直すぎるほどこちらの口車に乗ってくるアルベルが存外かわいく思えたりもして……
(癖になりそう……)
アルベル本人が聞いていれば間違いなく刀を抜くようなことを思いながら、は王都の城門を潜っていった。
04.3.14