38.雪の雫

 最初に訪れたFD空間の町・レコダ市から転送で飛んで、目的のジェミティ市に足を踏み入れると、そこは様々な色と光で溢れかえっていた。
 数々のテーマパークが入り乱れたようなその場所に、フェイトたちもも茫然としていたようだが、アミューズメントシティだというこの町に着いて、アルベルだけは一人ほっと息をついていた。

 人々は生きていく為に働く必要など無く、みんな暇を持て余している。日がな一日娯楽で時間を潰すくらいしかすることが無く、仕事を持っている者を羨んでいる――レコダはそんな町だった。
 早朝から夜中まで働いても働いても日照りや飢饉の為に今日食べるものすら無く、生きていく為には隣国に戦争をしかける他無かった――そんなアーリグリフで生まれ育ったアルベルにとっては、まさに反吐が出る光景だ。

 一秒たりとあんな町の空気など吸っていたくなかったアルベルにとっては、レコダのような町さえ離れられればどこでもいい。
 それに、このジェミティは理解できないものだらけだというものの、生命力に溢れていて嫌いでは無いと感じた。

 そんな街の中を仲間たちと共に見て回りながら、アルベルはそっと隣を歩くの様子を窺った。
 このFD世界に来てからというもの、彼女の顔色は悪くなる一方だ。

 何がそうさせるのか――確実なその理由の一つは、レコダで会ったフラッドの話だろう。

 このジェミティにあるレースやバトルチェス――種類は違えど、アルベルたちが住む世界も、そうやって作られた娯楽の一つだという。
 <ゲーム>や<プログラム>という言葉自体には馴染みの無いアルベルだったが、ディプロに乗っている時に訓練用に設置されていたファイトシミュレーターというシステムを体験していた。
 あの狭い部屋の中に実際に居るかのように現れたモンスターや武器は、その<プログラム>によって作り出されたものだと聞いている。
 世界があのようにFD人によって弄ばれているものだという話は、アルベルにとっても衝撃的だったし、許せない事柄だった。

 認めたくない、こんなふざけた世界など破壊してしまいたい――そんな凶暴な衝動さえこみ上げたが、の存在がそれを止めさせた。

 支えてやりたいと…守ってやりたいと思った気持ちは自分でもどうしようもないもので……
 だからこそ、もう以前のように一時の激情だけで力を振るうことは出来なくなった。


「オイ……お前、大丈夫なのか?」

 街の中心付近にあったエターナルスフィアへの参加ゲートから不思議な部屋に入ると、の様子は目に見えて悪化した。
 それを見兼ねて声をかけたアルベルは、見上げてきた顔色にギョッとする。
 血の気の引いた額には珠のような汗が浮いていて、傍目にも疲労した様子は見ているだけで痛々しい。

(……大丈夫です)

 筆談する余裕は無かったが、の無理に作ったような笑みからそう言っているだろうことはアルベルにも分かった。
 だが、それが強がりだということも容易に読み取ることができる。

「――オイ、フェイト」

 先頭に立って部屋の中を検分していたフェイトに声をかけると、フェイトもようやくの様子がおかしいことに気づいたようだ。

!? どうしたんだ、一体……真っ青じゃないか!」
?」

 マリアやソフィア、クリフも戻ってきて、の様子を心配そうに覗き込む。

「大丈夫…ってお前、全然大丈夫そうに見えねぇぞ。どこか痛むのか?……頭? バンデーンとやりあった時のアレか?」

 間近から読唇術で会話するクリフに苛立ちのようなものを覚えながらも、から漏れたであろうその言葉に眉を寄せる。

 同じく考え込んでいたマリアが重々しく一言呟いた。

「レアレイズ……」
「ぁん?」
「何ですか、マリアさん?」

 全員の視線を受けて、思考に耽っていたマリアは顔を上げる。アルベルが支えているに視線を留めて、口を開いた。

「フラッドが言っていたでしょ? は<レアレイズ>――稀少な存在だって。あれだけの情報からの検索でそれが分かったということは、レアレイズという存在自体、何かしら特殊なプログラムだということじゃないかしら?」

「そうか…僕たちとは根本的に違うプログラムだとしたら、だけがこんな風になるっていうのも……」

「――そう。何らかのシステムとのプログラムが相反し合った影響…ということも考えられるわ。つまり――簡単に言うと、はこのFD世界とは相性最悪というわけ」

 あくまで仮説だけれど、と付け足したマリアの言葉に、は何かしら考えているようだった。
 声を失ったとは筆談以外にコミュニケーションの術を持たないアルベルは、ただ黙って見守るしかない。

「とにかく、ここから一度エターナルスフィアにアクセスしてみましょ。向こうに戻ったらの状態も落ち着くかもしれないわ」

 マリアの意見に全員頷いて、またデバイスの操作に戻る。
 フラッドから貰った認証ディスクを使って、マリアの技術で開発者用ページから情報を書き換えるという力技らしい作業を終えると、ようやく準備は整った。

「それじゃあ、行くわよ。目標座標はエリクール三号星でいいわね」
「うん。――それから、はマリアの傍に居た方がいいよ」
「そうだね。<アルティネイション>の力で、少しでも負担を減らした方がいいよね」

 フェイトとソフィアに促されて、はアルベルの手を離れ、マリアの隣に移動する。
 いまだ慣れない転送の光が自分たちを包んでいく中、アルベルはの身体だけが赤く発光しているのを見た。 







 目の前の視界が開けると、そこはよく知る場所だった。

「ここは……」
「――フン、見慣れた場所だ」

 カルサア出身のアルベルにとっては、庭のような場所――カルサアとアリアスを繋ぐ、国境の高地、アイレの丘だった。

 先日の戦争で最後の激戦地となったここも、今は既にいつもの穏やかさを取り戻していたが、明らかに以前とは違う部分が存在した。

「エクスキューショナー!?」
!?」

 辺りにいつものモンスターの代わりに徘徊するエクスキューショナーにフェイトが驚きの声を上げるのと、マリアの悲鳴が上がったのは同時だった。

 アルベルが驚いて振り返ると、ぐったりと意識を失ったがマリアに支えられている。

「チッ……オイ、貸せ」

 マリアからひったくるようにしてを抱きかかえると、アルベルはの首元に手を当てる。手から伝わる弱々しい脈の感触と、こちらに転移する瞬間に見た赤い光が脳裏で交錯し、華奢な身体を抱き上げたまま早足に歩き出した。
 命に関わるようなことではないと…自分にそう言い聞かせるが、せり上がってくる焦燥感はどうにもならない。

「アルベル! 一体どこに……」
「ここからなら、ジジィのとこが一番近い」

 カルサアに屋敷を構えるアーリグリフ風雷団長のウォルター――ここから近く、しかも設備も整っている彼の屋敷なら、をすぐに休ませることもできるだろう。
 急に姿を消したことについての小言は食うだろうが、それくらい、甘んじて受けようというものだ。

 アルベルはちらりと腕の中に視線を投げた。
 顔色が悪く、いつもは元気すぎるくらいに生き生きしている瞳は今は力無く閉じられている。
 そのことに、どうしようもない焦燥感は更に増して、アルベルは半ば走るように足を急がせた。







 雪が、降っていた。
 首都アーリグリフならともかく、このカルサアで降るのはひどく珍しい。
 部屋の窓から見えるその光景を何とは無しに見つめながら、アルベルは一人窓際に佇んでいた。

 暖かく暖房が入れられた部屋の寝台には、先ほど運び込んだが横たわっている。
 体が温まったからかFD空間から抜け出したからか、顔色はだいぶマシになったようだ。

「……………」

 安堵するのと同時に、FD世界でのことを思い出して眉を顰める。

「……何が…創造主だ」

 吐き捨てて、ギリリと噛み締めると、微かに血の味がした。
 こうして流した血も、生きているという感覚も、FD人らによって作られたものだというのだろうか。
 アルベルを庇ってドラゴンの焔に焼かれた父も、を庇って虐殺されたの両親も、暇つぶしの茶番だと……?

 そして、が特殊な体質だというだけで過ごしてきたロストチャイルドとしての十数年……寝ている時に人の気配に敏感なのは、過去の傷によるものだと一目で分かる。それ以外にも暗闇や地下など反応を見せる場所を考えれば、どんな扱いを受けてきたかは自ずと知れるというものだ。

 ――レアレイズ

 が蒼白になっていたのも分かる。そんな苦痛にまみれた半生の全てが、FD人のくだらない思考の産物だというのだから。

「……泣いてたな」

 ふと、の頬に触れて、アルベルは呟いた。
 ビウィグに撃たれ、ディプロで目を覚ました時、真っ先に視界に飛び込んできたは泣いていた。
 白い頬に一筋流れた涙は、雪の雫のようだとぼんやりと思ったことを覚えている。

 自分を庇って撃たれたを守ろうとして……そこまでしか覚えていなかったアルベルは当然のようにの安否が心配で堪らなかったのに、当の本人は目覚めたアルベルの目の前にいて、泣いている。
 戸惑って……笑っている顔が見たくて上げかけた手は、力が入らず動かなかった。
 後になって、が声を失ったと聞いて、自分の無力さをどれほど呪ったかしれない。
 あんな悔しい想いを二度としない為に、強さを求めてきたというのに……


 頬に触れた手をどけて無言のまま見つめていると、外から遠慮がちなノックがした。
 この気配は、屋敷の主であるウォルターのものだ。

「――アルベル、先に外で待っておるぞ」

 それだけを扉の外から告げると、ウォルターは言葉どおり遠ざかっていった。

 アルベルがディプロに乗ってから既に一月近く経つ。誰にも何も告げぬまま旅立ったのは、流石に無責任な行動だとアルベルも自覚していたし、ウォルターに共に王に目通りするようにと言われても否やは無かった。
 フェイトたちもエターナルスフィアを製作しているスフィア社に乗り込む前に装備を整えたいということで、アーリグリフに同行することになっていた。
 フェイトもアルベルも、皆すぐにここを経つ――そう、以外は。

 アルベルは再びに視線を落とす。

 傷つけたくない、泣かせたくない。
 全てのものから守りたい――その為に必要なものは、強さだろうとそれ以外だろうと、自分のちっぽけなプライドなどかなぐり捨ててでも手に入れる。

 まず手始めに、この地に唯一残された強さの象徴……魔剣クリムゾン・ヘイト――
 自ら主を選び、ふさわしくない者が持てば心を砕かれると言われている伝説の魔剣――
 <焔の継承>を思わせるその剣は、死んだ父も使っていたという。だから余計にアルベルは敬遠していたのだが……

「……従わせてみせる」

 心の強さを手に入れる為には、過去など軽く乗り越えるしか道は無い。
 自分の心に刻み付けるように呟いて、眠るの頬に触れた。

 次に会う時には、元気に笑っていて欲しいと――願いと共に静かに口付けを落とした。









05.5.1
CLAP