19.アイレの空

(どういうこと――!?)

 訳の分からない状況に混乱しながら、は辺りを覆う異様な臭気にあてられて口元を押さえた。

 アーリグリフ・シーハーツ戦争の天王山とも言うべき戦いが始まってから数時間――
 飛び交う怒号と喧騒の中で、は初めて<戦争>という現実を目の当たりにしていた。
 相手を殺すことを目的に戦う人々。
 うなる剣。
 飛び交う砲弾や紋章術。
 噎せ返るほどの土ぼこりと血の臭い――

 人を殺めたことさえ無いにとって、そこはまさに恐ろしい世界だった。
 恐ろしいと思う感情と命の消え行く悲鳴が、幼い頃の記憶をも刺激する。



 幼すぎてそれ以前の記憶もおぼろ気なあの日――

、逃げなさいっ!」
「早く! 逃げるんだ!」

 顔も曖昧な両親の、しかし緊迫した声だけははっきりと覚えている。

「生きて――…」

 最後の…最期の言葉。

 爆ぜる炎、飲み込まれる数々の悲鳴、蹂躙された大地……




!」

 はっと我に返ったは、間一髪のところで斬りつけて来た敵の切っ先をかわす。
 声をかけてくれた人物が、その横合いから敵をなぎ払った。

「――ありがとう、ナギさん」

 礼にこたえて振り返ったのは、年若い風雷兵。年が近い事もあって、ウォルターの屋敷にいる間、何度かと手合わせしてくれた人物だ。

「……いくら腕を磨いても、そんなことでは意味が無いぞ?」
「ごめんなさい……」

 ナギの言う通り、戦場で心ここにあらずでは死に急ぐ以外の何ものでもない。
 現実の過酷さも、過去の地獄も、ひとまず今は乗り越えなければならない。
 そうしなければ、ここにいる目的を果たすことはおろか、生き残ることさえ出来ないだろう。

「戦況はどうなってるか分かりますか?」

「五分五分…というところだな」

 冷静さを取り戻して尋ねたに、ナギはため息と共に言った。
 戦に勝つには、まず敵を知ること……それ以上に自軍の状況を把握すること。
 兵法の基本中の基本である。

「――知っていましたか」

 何を、かも言わず、は短く問いかけた。
 ナギは頭の良い男だ。簡潔な問いに、同じく簡潔で明瞭な答えを返した。

「いや……漆黒は王都の守護だと聞いていたからな。――あの方の独断だろう。何と言ってもこの戦いの総大将だからな」
 
 開戦して間も無く、一番にを驚かせたのは、今回は参戦しないと聞いていた漆黒が半分ほどの規模とは言え、陣に組み込まれていたことだ。昨夜遅くに合流したという。しかも、それを指揮するのは疾風団長でありこの戦いの指揮も執るヴォックス――アルベルが失脚してまだ四日ほどだと言うのに、手回しの良いことだ。

「とにかく、ここは小競り合いが多い。は早く漆黒と合流しろ」

 戦いは、既に乱戦の様相を呈している。
 疾風と風雷の連携により敵を分断することには成功していたが、こちらも時をほぼ同じくして中央から分断され、広大なアイレの丘全土にまで戦線は拡大していた。
 最早、各軍がまとまって持ち場を守っているとは考え難い。
 それに、今の漆黒は謂わば長たる将のいない状態――まともには機能しないだろう。

 そこへ戦争経験の無いが合流したとしても、悔しいながら何もできまい。
 ならば――……

「それより、教えて下さい。ヴォックス様は今どちらに――?」

 ナギが戦っている敵をは矢で牽制しながら聞くと、彼は敵を難なく切り捨ててから振り返った。

「先程、嬉々として前線に陣を移したのを見かけた。――まるで狩りにでも出かけるようにな」

 狩り――だとすると、獲物はアルベルを倒した人物……すなわちフェイト達だ。
 同じくフェイト達を目的としているにとっては、出来れば両者が接触する前に片を付けたい。

「ありがとうございます。――ご武運を!」

 一度はこっそり憧れてみた言葉を祈るような心地で投げながら、は戦いに埋め尽くされた戦場を駆けた。




 マズイ――……
 そんな思いがの胸を去来したのは、最後のブルーベリィを使い果たした時だった。

 乱戦にもつれ込んでいる戦場を突っ切るのは生半可なことではない。
 いくら通常の人間より回復力が高いでも、あっという間に傷だらけになった。

 このままでは、フェイトたちを見つける前に力尽きてしまうかも――考えて、冗談ではないと疲れた体に鞭打った。

 冤罪で連行されていったアルベルの後ろ姿を思い出す。
 無力感や後悔の念は、身を焼ききるように強く頭の裏側を焦がした。

「まだ…終わりじゃない」
 ギリと噛み締めた口の端から鉄の味が染みた。

 やがて、荒い息で何とか小高い丘を超えたは、前方に一際大きいドラゴンを見つけた。
 ヴォックスのドラゴン――テンペストに違いない。

 そして、それと対峙している三人の人物――珍しい髪の色から、遠目にもフェイトたちだと分かった。

 ぎゅっと弓を握り締め、は気配を殺して近づいた。
 既に双方かなりの手傷を負っており、戦いは終盤に差し掛かっているらしい。
 
 フェイトのいかにも我流な剣さばきが飛び上がってドラゴン諸共ヴォックスに斬り付けた所で、両者は一旦離れた。

「意外とやりおるわ! しかしこうでなくては面白くない!!」

 ドラゴンに跨ったままヴォックスが吠えた。
 そして、その時―――

 唐突に空一面が明るくなり、誰もが何事かと空を見上げた。
 例外でなく振り仰いだヴォックスの真上に――赤い光が落下する。

 全てはあまりに突然で、そして一瞬の出来事。
 光が矢のように地面に突き刺さった瞬間、それは辺り一面を轟かせて炸裂した。

「きゃぁっ……!!」

 凄まじい爆風が辺りを包み、も少し吹き飛ばされる。
 強かに腰を打ちつけられたものの何とか立ち上がったの目に、信じられないものが飛び込んできた。

「あれは……バンデーン艦…!?」

 ヴォックスをドラゴン共々吹き飛ばしたもの――遥か上空…雲の切れ間から降下してきたのは、およそ未開惑星には相応しくない赤い宇宙戦艦。
 は一度だけ生で見覚えるがある……そう、この運命を辿る転機となったハイダで――無抵抗な保養惑星を攻撃する姿を。


 アーリグリフも、シーハーツも、殺し合いをしていた全ての人々の誰もが、唖然と空を見上げた。
 唯一空の領空権を握っていた疾風が、ドラゴンを駆って立ち向かっていく。
 だが、結果は火をみるより明らかだ。
 ドラゴンの吐くファイヤーブレスも、そしてシーハーツの施術兵器から繰り出される攻撃も、全て戦艦のシールドに防御されて逆に自身が火柱を上げていった。
 そして、バンデーンの攻撃が始まる。
 未開惑星……バンデーンからすればまるで蟻のように無力なこの惑星に、次々とレーザー砲が撃ち込まれた。

「どうして……なんでバンデーンがこんな所に…!?」

 唐突過ぎる展開には頭を抱える。
 まさか、ハイダから逃げ出した自分を追ってきた訳でも無かろうに……

 そこで、はっとフェイトたちの存在が目に留まった。
 クォークの元リーダー、クリフ・フィッターが行動を共にしているフェイト……一体何者なのかと思ってはいたが、まさか彼の事情絡みなのだろうか。

 すると、フェイトたちは踵を返してシーハーツの陣へ駆け出した。
 確かに、こんな荒野のド真ん中では体を隠す場所が無い。
 両軍大幅に態勢を崩され、もはや戦争どころでは無くなってしまっていることだし、一旦陣まで戻るのだろう。

 も、慌てて後を追った。
 近くを、レーザー砲が次々と抉っていく。
 それを何とかかわしながら、は走った。




「――フェイト!!」

 大分前方に足を止めていたフェイトたちを見つけ、は縮めた距離から声を張り上げた。
 もうシーハーツ本陣営の前である。
 しかし、爆音に掻き消されての声は届かなかったようだ。

「ディオン!」

 フェイトが叫び、いくつかの爆音が轟いた後、ネルが駆け出した。
 その場に残されたのは、フェイトとクリフの二人のみ。

 は意を決して足を止め、矢をつがえて……弓を引いた。

「フェイト!」

 狙いをぴたりとフェイトに定めたまま、は再度呼びかけた。
 ぴくりと揺れたフェイトがゆっくりと力無く振り向き、そしてその瞳は大きく見開かれた。

……」
「…………」

 は無言で蒼い瞳を見返した。
 傷ついたような悲しげな瞳に、何とか言葉を搾り出す。

「フェイト……、クリフ・フィッター、私と一緒に来て」

 バンデーンの攻撃は一層激しさを増し、たちの周りにもレーザー砲が次々と落とされる。
 爆風に煽られる髪が視界を邪魔したが、とフェイトの視線が外れることは無かった。

「……それは、先進惑星の住人としての言葉? それとも――」
「アーリグリフ軍漆黒の一人として、よ」

 はっきりと答えたに、フェイトは目を伏せて力なく首を振った。

「……悪いけど、それは出来ない」

「――では、私と戦って」

 予想通りのフェイトの返答に、は更に弓を引き絞った。
 フェイトの顔が歪められる。
 なぜそんなに泣きそうな顔をするのだろうかと、場違いな思いを抱くほどに。

……君はなぜここにいるんだ? 君は……地球人だろ?」

 の持っていたクォッドスキャナーは、地球星籍を持つ15才以上の人間に支給されるものだ。
 フェイトとは年齢も近そうだし、型も丸っきり同じだろう。

「それも、俺の正体を知ってたってことは、ただの一般人じゃぁない」

 クリフの名を知っていたということは、クリフが何者かを――そしてクォークの内情を知っていたということ。
 反銀河連邦組織クォークの詳細は、一般には公開されていないのだ。
 しかし、一般人で無かったのはの義父であり、自身は何の力も無いただの小娘だった――

 フェイトとクリフの言葉に、は緩く首を振った。

「地球で暮らしていたのは確かだけど、地球人じゃ無い―――敢えて言うなら、それがここにいる理由…かな。クォークを知っていたのも、単なる好奇心から……私はあなたたちが気にするような人間じゃないし、もう先進惑星へ戻るつもりも無い」

「……それは、あいつが居るから?」

 あいつ――アルベル。
 はきっぱりと頷いた。
 ずっと、自分の全てを賭けられるような……全てを預けられるような、そんな存在を探していた。
 逃げ出して自由になったこの地でそれを見つけたのは、そういう運命だったのかもしれない。

「……分かった。だから、それを下ろしてくれ」
「あなたたちが私に同行してくれるなら」

 の返答に、力なくうなだれていたフェイトはキッと顔を上げた。

「この状況……もうこれ以上戦争を続ける意味は無いじゃないか! もう無駄な血を流すこともない! 僕たちを連れて行って、それで君はどうする気なんだ!」

 自分でもどうすればいいか分からない。
 ただ、そうすることでアルベルを助けられると……活路が残っていると、信じていなければ何かが崩れてしまう気がしたから――

「たくさんの人が死んだ……そして今も、バンデーンの攻撃で死んでいってる。それなのに、まだ君は戦うっていうのか!!」
「っっ……!!」

 の手が大きく震えた。

 戦場で命を落とす兵士にも、家族はいる。
 悲しむのは、いつだって残された家族だ。それは未開惑星だろうが先進惑星だろうが関係ない。
 戦争が――戦いが産んだもの。
 自身も、その内の一つだ。

 やがて震えは全身に伝わっていって、つがえていた弓が乾いた音を立てて落ちた。
 矛盾する衝動や想いが鬩ぎあう。
 戦いたくは無い――だが、それと同じくらい…それ以上に、大切なものがあるから……

 アルベルに出会ったこと、傍にいたいと思ったこと――それが運命でも偶然でも構わない。
 ただ、失いたくないだけなのだ――

「それでもっ……それでも、私は……!!」

 喉の奥に溢れた熱い塊を吐き出そうとした時だった。
 ジジ……という空気を低く振るわせる音がして、はっと頭上を見上げた直後、激しい爆発音が破裂する。

っ!!!!!!」

 襲いきた痛みと熱さに意識が沈んでいく間際、フェイトの声が聞こえた。
 張りつめた、何かに耐えきれなくなった…そんな声……

「やめろ……、もう…やめてくれ……」

 そして、絶叫――――

 は胸の痛くなるようなそれを聞き届ける前に、意識を手放した。
 だから知らない。

 脅威が一瞬にして消滅した瞬間を。

 生身の人間では考えられない、奇跡のような力の発現を―――






04.6.1
CLAP