14.逃避策

 カリカリカリと絶え間無く続く音が一段落し、その音――羽ペンを操っていたは大きく伸びをした。

「いい天気……」

 自室として与えられた部屋で書類に埋もれているのは勿体無いが、ただでさえ戦時中でいつ何時コトが起こるか分からないのだから出来る仕事はやっておくに越した事は無い。
 カルサアのウォルター邸に来てから既に三日、必要最低限のことはウォルターから学んだし、後は書物でも勉強できるので、漆黒内の建て直しの為にもそろそろ修練場の方へ戻りたいところだが……

「……何か、起きないかな……」

 その方が、いろんな面で都合がいいかもしれない。
 不謹慎なことを呟きながらも、は再び書類に取り組み始めた。





 ――コンコン

 その日の正午過ぎ、は渋々といった体で一つの扉をノックしていた。
 場所はアルベルの執務室、手には山ほど書類が抱えられている。

 ここに来た日以来、はアルベルを避けていた。
 それというのも、先日ラドフに言われた事がきっかけで気付きたくも無いことを自覚しそうだったからだ。
 だから、書類の受け渡しなんかもなるべくメイドや手の開いてそうな兵士に頼っていたというのに……

 今日頼んだのが、運悪くもあのエリーだった。
 流石アルベルの幼馴染なんかをやっていただけあって一筋縄ではいかず、

「でもそれは、のお仕事なんでしょう?」
 そう言われてしまっては、ぐうの音も出ない。
 かくして、書類だけ置いてすぐに帰ろうという妙な決意を固め、はアルベルの部屋の扉を叩いた。

「アルベル様、です」
「――ああ、入れ」
「失礼します……」

 入ってすぐ、緊張していた自分を嘲笑うかのような室内に思い切り脱力した。

「アルベル様……何やってるんですか……」
「見て分かるだろ、阿呆」

 確かに見て分かる――分かるが、そういうことでは無く!
 そう言いたげに溜息をつくに、アルベルはムッと眉を顰めた。

 室内には、様々な刀があるいは鞘ごとあるいは抜き身で散乱していた。
 アルベルの手にはその内の一本が握られており、どうやら刃の手入れをしていたらしい。
 ちなみに、机の上には見決済の書類が手付かずのまま山になっている。
 自分の武器の手入れをすること自体に文句はないのだが……

「何もこの忙しい時にこんなにまとめてしなくてもいいと思いますけど?」
「……………」

 何も言い返さない所を見ると、アルベルも自覚しつつやっていることらしい。
 つまり、あれだろうか……

「テスト前に部屋の大掃除しちゃう学生みたいなもの……?」
「あ? 何言ってやがる」
「……いえ、こっちのことです」

 この国にも学校やテストはあるだろうが、アルベルは良家の跡取りだったのだから部屋の掃除という習慣が無かったのかもしれない。
 どうでもいいことを考えつつ、は部屋に入った。

「……用件はなんだ?」

 敢えての抱える書類から目を逸らして言うアルベルに、は噴出しそうになるのを堪えた。
 その表情があまりにも勉強を強要される子供のようだったから……
 散らかった室内を慎重に進みながら、はふと思った。

「アルベル様って、おいくつなんですか?」
「――24だ」

「えっ、にじゅうっ………っきゃぁっ…!!」

 意外な答えに気を取られた瞬間、執務机に立てかけられていた大振りの刀に足を取られ、は大きくバランスを崩す。
 が抱えていた大量の書類が宙に舞った。

「……………………っっっの、阿呆!!!!」

 間近からの盛大な怒声に、は首を竦めた。
 恐る恐る、躓いた刀の方を見遣る。
 転がった抜き身のそれは、刃がきらりと光っていてよく切れそうだ。
 あのまま倒れこんでいたらの足は真っ二つになっていたかもしれない。

 アルベルがとっさに腕を掴んで引き寄せてくれなかったら今頃は……

 そこではようやく自分の体勢に気付いた。
 アルベルに抱きとめられた格好のまま固まっている自分……

 ――ドクン

 心臓が大きく跳ねた。
 広くて硬い胸……華奢に見えるアルベルだが、鍛えているだけあって体の作りはしっかりしていて……24才と聞いて意外だったが、それも納得できる。

 ――コンコン

「…………ッ!!」

 タイミング悪い突然のノックに、は反射的に力いっぱいアルベルを押しのけていた。
 いろんなものが倒れる派手な音が響き渡る。

「っ…テメェ……」
「す…すみませんっ!!」

「………………団長」
 扉からかかった声に、とアルベルはそちらを向く。
 そこには、ラドフとウォルターの姿。

「ふぉっふぉっふぉっ、若いとは良いのう」

 真っ赤になって胸の辺りを押さえていると、に突き飛ばされたと思しきアルベル………
 訪問者の目にそれがどんな風に映ったかということは明白で、は更に赤面し、アルベルは反論する気も失せて頭痛のする頭を押さえた。





「――ええと、ウォ…ウォルター様、何かあったのですか?」
 アルベルを助け起こすラドフを横目で見ながら、は不自然な笑顔を浮かべてウォルターに尋ねた。
 ウォルターにもこれ以上たちを苛めるつもりは無いらしい。
 それどころではないのか、瞳がすぐに真剣になった。

「ちと厄介なことになっての。どうやら、が捕虜たちと面識があるとヴォックスの耳にも入ったようなんじゃ」
「………そうですか」
 人の口に戸は立てられない。
 あれだけ衆目の前でボロを出してしまったからには、公には疑惑を回避できても、いずれは噂として知る人には知れると思っていた。
 しかし、予想していたとは言えヴォックス……かの疾風団長はまだアルベル失脚を諦めていないのだろうか。

「それで、ヴォックス様はなんと……?」

 おぬしとは話が早くて助かるのう……などとワンクッション置いて、ウォルターは言った。
に、捕虜捕獲の任を手伝えと……シーハーツ領のアリアス周辺に潜伏して奴らを捕らえて来いと言うてきおったわ」

「――私、行きます!」
 渡りに船とばかりに即答したは、しまったとばかりにそろそろと目線を戻した。
 驚いている面々に咳払いし、なんとか取り繕う。

「アリアスは……このカルサアから北東にある町でしたよね。捕虜たちはそこに居るのでしょうか」
「目撃したという情報は入っておるが、今はどうか分からんのう。尤も、ヴォックスにとってはどちらでもいいんじゃろうがな」
「……………」

「え、それってどういうことです?」
 黙って考え込んだとは反対に聞き返したラドフに、ウォルターは軽く溜息をついて散らかった部屋のソファに腰を下ろした。
「つまり奴は、アルベルの副官殿が目障りなんじゃよ。知恵袋がついていては、お得意の策謀もうまくいかなくなるでな」
 いくら信用できる面子だからと言って歯に衣着せぬ物言いをするウォルターに苦笑して、はこっそりとアルベルを見た。

 ヴォックスが何か企んでいそうなこの時期に、確かにアルベルの傍を離れるべきではない。
 しかし、個人的感情ではアルベルの傍を離れたいと思っていた。

(これ以上傍に居たら、私は………)

 その時、ふいにアルベルと視線が合って、は反射的にそれを逸らす。
 二人に気まずい空気が流れているのに周りが気付かなかったのを幸いに、はウォルターに言った。

「ヴォックス様のことなら、そんなに心配もいりません。アルベル様がここに居る限り、いかな疾風団長と言えども何も出来ないのでは?」
「それはそうなんじゃがな……そのアルベルが大人しくしてるようなたまでは無いからの」
「じじい……」

 睨みあう二人に、は苦笑した。
「それは、大丈夫でしょう。アルベル様はウォルター様には頭が上がらないと、エリーさんにお聞きしましたから」
「なっ……!」
「ほぅ……」

 それは良い事を聞いたと一頻り笑ったウォルターに、は頭を下げた。
「行かせて下さい、ウォルター様。ヴォックス様の命令ではありませんが、捕虜の…彼らのことも少々気懸かりなのです」
 アルベルから一旦離れたいという理由が一番だったが、これも紛れも無い本音だった。
 フェイトだけならばまだしろ、クリフ・フィッター……彼も一緒となると、何かが起こっているかもしれないのだ。

「……行ってどうする。お前にあいつらが捕らえられるのか?」
 突然割って入ったアルベルの言葉に、はぴくりと反応して振り向く。
 アルベルの静かな瞳をまともに見返すことが出来ず、は目線を下げた。
「……分かりません。けれど、もう一度会いたい……会って話をしたいと思うのです」

 アルベルの顰められた眉が一層険しくなり、を睨みつけた。
「フン、話だと? あいつらは敵だぞ。言った筈だ――俺の邪魔をすれば斬ると」

 物騒な言葉にぎょっとしたラドフがあたふたする隣で、は意を決してアルベルの瞳を見上げた。
 出会った時と同じ、殺意を含んだ鋭く強い眼差し………

「……覚えています。ですから、行かせて下さい」
 はアルベルに仕えると誓った――それは決して違える事は無い。

 まっすぐな瞳から目を逸らしたのは、今度はアルベルの方だった。

「――勝手にしろ」
 吐き捨てるように言って部屋を出て行く。
 の方を一度も振り返らずに、その姿はすぐに回廊へと消えた。

「やれやれ……の勝ちのようじゃの。このラドフも連れて行け。今のおぬしならば大丈夫だとは思うが、くれぐれも無茶はせんようにな」
「はい――」
 ウォルターの言葉に礼を取って、もその場を後にした。

 勝手にしろと冷たく言ったアルベルの言葉が頭から離れない。
 ズキリと痛む胸を押さえて、はそこから歩き出した。








04.4.1
CLAP