「六太たちのお陰で、我が主上から新たなお役目を賜ってしまいましたよ」
麗らかな昼下がり。
慶国は金波宮の掌客殿に佇む東屋。
雁国の麒麟である延麒・六太は、目の前に座った少女――から言われた言葉に目を瞬かせた。
彼女とはかれこれ五百年近く前からの旧知だが、こんな風に冗談めかして少し怒ったような口調は珍しい。
「役目? 俺に関係あることなのか?」
「ええ、大アリです」
は真面目な顔で頷いて、何かを思い出したのか、深いため息をついた。
これは相当深刻なことらしいと、仮にも慈悲の生き物である六太は姿勢を正した。
しかし、から出た言葉は――……
「本当に…賓客の饗応役だなんて……」
「饗応役?」
「平たく言えば、雁国御主従のお守り役だって陽子に言われましたよ」
随分な言われように、六太は目を丸くした。
しかし、六太の主に限って言えば、その表現は適切なように思われる。
なぜなら……
『――ご歓談中のところ、失礼致します』
不意に足元から声がかかった。
遁甲した使令だろうが、彼女は気配を察していたのか別段驚いた様子もなく返事をした。
『ただいま、延王君が突然のお越しとの由――主上が斎暁君にお知らせせよと』
「――分かりました。延王君はただいまどちらに?」
『案内役の先導でこちらに渡られるところです』
「では、こちらでお迎え致します。言伝ご苦労様でした」
近づいてくる王気に気付いていた六太は、使令が遠ざかる気配を感じながら、額を押さえて嘆息した。
「あー…何て言うか…ウチのバカ殿がすまないな」
最近、六太の主――延王・尚隆は特に頻繁に宮を空けるようになった。
そのことと、先ほどのたちの慣れたやり取りを見ていて察するに、こうして尚隆がふらりとやってくるのは珍しいことではないのだ。
しかも、来る度にを呼ぶものだから、陽子も冗談半分に「延王のお相手はまかせた」というようなことを言ったのだろう。
しかし、仮にもは斎暁院という号を賜っている飛仙。王から直々に他国の王の饗応を任されたのだから、他の官も何かあればこぞって彼女に指示を仰ぐに違いない。
陽子の手足となって身軽に動き回ることを望んでいるにとっては、早々金波宮を空けられないこの役目に不満もあろうというものだろう。
六太の思考に気付いたのか、は困ったように微笑んだ。
「六太や尚隆にお会いできるのは嬉しいんです。けれど、お二人も陽子に会いに来られるのだし、毎回の饗応役が私だなんて、大それたお役目で……」
本心から言っている様子のに、六太は再び嘆息した。
確かに陽子に会う為でもあるが、尚隆の場合、ほとんどがこの鈍感な少女目当てだろう。
六太とて、旧知の友であるともっと話がしたくて、時間が空くとついついここに来てしまうのだ。
を殊更気に入っている尚隆ならば、言うに及ばない。
「――失礼致します」
入口から延王の到着が告げられ、強くなった王気と共に嫌というほど見知った顔が入って来た。
「ようこそおいで下さいました、延王君――尚隆」
無言の圧力に押されるように号から名前へと言い換えたに、尚隆は満足そうに笑う。
「元気そうだな。今日は前に話していた菓子を見つけたのでな――」
「なぁ~にが菓子だ、このエロジジイが」
の影になって隠れていた六太が、尚隆の言葉尻を攫ってひょっこりと顔を出す。
「! 六太! お前こんなところで何を――…」
本気で驚いた様子の尚隆に、六太は顔を顰めて舌を突き出してやった。
「それはこっちの台詞だ! お前、ここんとこサボる回数が増えたと思ってたらこういうことか!」
「――フン、大人には大人の都合というものがある。子供のお前には分かるまいがな」
「子供扱いするな!」
「先にジジイと言ったのはそっちだろう」
まるで子供の喧嘩のような言い争いに、終止符を打ったのはの一言だった。
「喧嘩されるなら、御自分の宮でどうぞ?」
にっこり笑顔の裏側には、確かな青筋が浮かんでいる気がして、六太は慌てて咳払いした。
昔から、一見柔和なが案外手厳しいということは知っている。一旦怒らせたら後が怖いということも――。
「いや、悪かったよ――な、尚隆」
「あ…ああ」
尚隆も引き攣った笑みですんなり頷いた。
これは既に、何か怒らせて痛い目を見たのかもしれない。
「ああ、そうだ。折角美味い菓子を持ってきたことだし、早く食べないか?」
「おっ、尚隆が手土産持参なんて珍しいな。後は美味いお茶があれば言うことなしだ」
急に協力体制を取った二人の慌てた取り成しはの目にも明白だったようだが、元来優しい彼女は気付かぬふりで菓子を受け取り、話に乗ってくれた。
「ありがとうございます。私も尚隆から話を聞いて以来、一度食べてみたいと思っていたんです。すぐにお茶をご用意しますね」
多少不満な部分もあるとは言え、麒麟は何だかんだ言っても王の側にいられることが嬉しい――そういう生き物だ。
と尚隆と、三人で穏やかに飲むお茶の一時は、六太にとってそれなりに幸せだった。
幸せだったのだが――
「あ、口の横に餡子くっつけてんぞ」
言いながら手を伸ばしての口元を拭ってやると、尚隆はおもしろいほど予想通りに反応した。
眉をぴくりと動かすのは、気に入らないことがあった時のこの男の癖だ。
「え…やだ、ごめんなさい。ありがとう、六太」
そう言ってがはにかみながら礼を言えば、明らかに不機嫌な気配を纏い始める。
幸せは幸せだが、やはりを独占したかったというのも本音で……六太は尚隆の反応にこっそりニヤリと笑うと、意趣返しに彼女に話を振った。
「そう言えば、昔もこんなことがあったよなぁ……確か、関弓で有名なしるこの老舗に行った時だっけ」
「おしるこ……ああ、まだ知り合ってそんなに間が無い頃ですよね。確か、三回目か四回目に会った時で……」
「そうそう。あん時ゃ、在位50年だかの節目で国中が浮かれててさぁ。折角五月蝿い奴らを撒いて町に出たのに、店も記念行事だとかで、女の子同伴じゃないと入れないって言われてさー」
「だからって、歩いてる所をいきなり引っ張り込まれたんですから、私だってびっくりしましたよ」
「ははは、悪い悪い。困ってたところに偶然見つけたもんだから、嬉しくてつい、な――」
旧知の間柄である六太との思い出話には、尚隆は口が出せない。
案の定、一言も口を挟まず表面上は黙って聞いているが、内心おもしろくないに違いなかった。
「それにしても、まだあんまり親しくなかったのに、よく私だって分かりましたよね」
「そりゃあ、頭に布巻いてる奴なんて滅多にいないからな」
「それは六太だって同じでしょ」
ははは、と笑みを交わして、六太は徐にの髪に手を伸ばした。
「しかし、同じ金でも、俺のよりもすげぇキレイに見えるよな」
柔らかな髪のさらさらと気持ちの良い感触に、六太は無意識に口を寄せた。
の体が驚いたように強張ったのが分かったが、不思議と甘い香りのする柔らかなそれに自然と目を細める。
「――おい、六太」
しかし、その行動には流石に堪忍袋の緒が切れたのか、尚隆が低い声を出した。
「あ…ご…ゴメン!」
我に返って赤くなった六太に、は目を丸めると弾けるように笑った。
「ふふ…ありがとう、六太」
不躾な行動に出たのはこちらなのに、いきなり礼を言ったに六太は面食らった。
それを見て、彼女は柔らかく微笑む。
「六太も尚隆もご存知でしょうが、あちらではこの髪は優遇されませんでしたし、こちらに来てからも珍しがられるばかりでしたから、純粋に褒めてくれたことがすごく嬉しいんです」
六太も尚隆も目を見開いた。
自身には及ばないが、その心理は分かる気がした。
あの戦国の世の日本で、異人の証である金髪がどういう扱いを受けたか、こちらで麒麟しか持たぬ色彩にどんな視線が注がれたか、完全には理解できなくとも想像に難くない。
「――俺は、好きだがな」
深みのある声で尚隆がそう言い、さきほどの六太と同じようにの髪に口付けた。
途端に赤面したの様子がおもしろくなくて、六太はその背中から抱きしめる。
「そうそう、なんせ俺とお揃いだからな」
「ろ…六太!?」
慌てるに抱きついたまま、「お前は仲間に入れてやんねー」と言って尚隆を見ると、彼は憮然とした顔で何か抗議しようとしたが、それはの言葉によって遮られた。
「ええーと……そうですね、私と六太はお揃いですね。…だけど、私は尚隆の髪、好きですよ。深い――深くて優しい夜の色みたいで、すごく安心します」
「……………」
六太だって驚いたが、尚隆の方がもっと重症だった。
女に百戦錬磨の尚隆が、気の利いた返事の一つも出来ぬまま困ったように目を逸らす姿など、六太だってお目にかかったことがない。
「ぷっ…はは! お前の負けだな、尚隆」
「……うるさい!」
おもしろくないとも思ったが、こんな尚隆が見られたのだから良しとしようと六太は内心頷いた。
それに、尚隆もも幸せそうだから、自分も嬉しい――
何だかんだと単純な自分の構造に苦笑しながら、六太はお茶を啜った。
穏やかで暖かい午後の出来事――。