潮風と悲鳴を肌に感じながら、ざっと周囲に目を走らせ、は冷静に刀を抜いた。
突然現れた騎獣に乗った男達は、一様に武装していてどう贔屓目に見ても敵に違いない。
彼らは船の舳先辺りに乱暴に降り立った。
「罠でも歓迎だな。何も起こらないよりはいい」
些か不謹慎な台詞をはきつつ腕組を解いた尚隆に苦笑し、他の客たちの様子を把握しようと振り返ったは、不意に横から飛び出してきた影にぶつかった。
「あたたた……悪い……って、か!」
「霧枳(むきょう)!」
慌てて飛び起きた男は、船乗りでは無く、乗船していた客の一人だ。霧枳というこのどこか線の細い若者は、例によって酒盛り仲間として知り合った。
「丁度良かった。霧枳、お客さんの……特に女性や子供・老人の避難をお願いします」
船乗りたちは、襲撃に逃げ惑う人々……その勢いに押されて不安定に揺れる船を保つのに必死なようで、乗客の避難にまで手が回っていない。も尚隆も敵の相手をするだけで手いっぱいだから、誰かに頼むしかなかった。
しかし、言われた霧枳は「俺には無理だって!」と勢いよく首を振った。
確かに、一見線が細くて割に整った顔立ちは、どこか病弱なようにも見えて、とても荒れ狂う船の上で人を避難させることが出来るようには見えない。
けれど、は確信していた。
「あなたなら、出来るでしょう?」
その言葉に、霧枳は目を見開いた。
確たる理由はない。過ごした時間は本当に僅かだったが、はこの男が見かけ通りでは無いと何となく思っていた。
「お願いしますね。もうすぐ次の港に着きますけど、それまでにまだ片付いて無かったら、全員降ろして下さい」
答えを聞かず、尚隆の元に向かったに、霧枳は口元に笑みを浮かべると仕方なさそうに乗客の誘導に取り掛かった。
「あいつに頼んだのか?」
「はい、彼なら大丈夫でしょう」
誘導に勤しむ霧枳を見ながら微笑んだに、尚隆は憮然とした表情になる。
「あいつは、余り信用できんな」
そう言って構えなおした剣には、既に血が付着していた。
が霧枳に避難を頼んでいた間は、尚隆が一人で食い止めていたからだ。
敵の足を止めていただけでなく、三人のうちの一人をも片付けていたのは流石としか言いようがない。
更に尚隆は、向かってきた騎獣の横腹を薙いで転げ落ちた男の鳩尾に拳を埋める。
「私の分も残しておいて下さいよ」
もう一人の相手をしながら苦笑したに、尚隆も口元を引き上げた。
「なに、その心配はいらん。あちらもまだ遊び足りんと見える」
乗り手を振り落とした騎獣の腱を切って尚隆の横に戻ったは、その言葉の意味を知って溜息をついた。
南の空に、先程の数倍はいるかという影が見える。
勿論この船を目指しているだろうその中には、気のせいか蠱雕まで見えはしないか?
「妖魔……じゃあ、やっぱり碇申の件も…………」
「さぁな。断定は出来んが、手掛かりにはなるだろう。――ところで、それは冬器か?……見知った形をしておるが…」
冬器……即ち、妖魔も斬れる武器かと聞いているのだ。そして、この形も……
「大丈夫です。昔、ある方に特別に作って頂いたもので……れっきとした冬器ですから。形は、やはりコレが一番使いやすくて……特徴を言って無理に」
蓬莱の日本刀特有の刃や反りを持ったその刀は、に合わせてあるのか、尚隆自身があちらで使っていた物より幾分短い。
それでも、鍔や柄などに優美な細工も施されてあり、刃の煌めきも見事としか言いようが無かった。
尚隆はこんな傑物をどこで手に入れたのかと聞こうとしたが、それは敵の到着によって遮られた。
「では、忍の腕前を拝ませて貰おう」
言うのと同時に、尚隆の剣は正確に標的を突いていた。
の刀も、身軽に敵陣の中へ斬り込んでいく。
一息に剣をふるい、二人とも一旦元の場所まで下がった。
背中合わせになって、取り囲んだ敵を見据える。
「中々やるな。流石、忍……いや、俺とやりあった程の女だ」
「いえ、若様の剣には敵いません」
軽口を交し合って、また斬り込む。一旦引く、斬り込む、と繰り返す内、二人とも妙に高揚している自分に気付いた。
「楽しそうですね」
「お前こそ」
そして、その理由に気付いた。
息がぴったりと合っているのだ。それはまるで十年来共に戦場を駆けた戦友でさえこうは行かないという程に。
勿論、腕前は尚隆の方が幾段も上回っているし、戦い方も丸きり違う。男女の間で、力の差だってある。
しかし、そういったことを超越して、ぴたりと呼吸が合うのはどうしたことか。
――知己――
尚隆の頭の中で、その言葉が甦った。
遥か昔の遠い故郷で、父親から聞かされたことがあった。
「百年付き合っても分からぬ人間もいれば、一日で深く知り合ってしまう相手もいる――か」
「……何か言いましたか?」
「いや」
笑って振り向いた尚隆の顔の真横を、鋭い何かがぴっと風を裂いて通り過ぎた。
行く先を見ると、妖魔である小型の馬腹が呻き声を上げる所だった。
その頭には、クナイが深々と刺さっている。
冷や汗をかいて再び振り返ると、満面の笑みの。
「あれも、冬器製です」
無邪気な笑顔で言われて、尚隆はククッと笑った。
「頼もしい」
笑い合った二人は、また身を翻して背中を向け合って剣をふるった。
敵の数もようやく底が見えた頃になって、は焦りの表情を浮かべていた。
(おかしい――……)
当初こそ、なぜか高揚する意識の中で無我夢中で戦っていたのだが、やがて体が疲れ始めると奇妙な違和感に包まれるようになった。
その大元である理由は分かっていたが、それにしても……と思う。
何とかそれをやり過ごして剣をふるってきたが、もう少しという所まで来て、それが限界を超えつつあった。
息が切れて、斬り込もうという意識に体がついていかないのだ。
この程度の時間でこんなに消耗するなど、どう考えてもおかしい。
「、大丈夫か」
「大丈夫です」
今日何度目になるか分からない尚隆の問いに、同じ答えで返す。
ただ、今までは余裕の笑顔を取り繕って答えていたが、今回は流石にそんな余力は無く、自然声が強張った。
尚隆もそれに気付いたのか、口を開きかけたところに、はまた刀片手にそこから離れる。
守ると、誓ったのだ。
この仕事の間だけでも、延王としての尚隆をこの命をかけてでも守りきると――。
だがその想いとは裏腹に、体の疲労は限界を訴えていた。
「、お前はもう下がっていろ。後は俺一人で充分だ」
一番聞きたくない言葉を、一番聞きたくない時に聞いたからだろうか。
「嫌です!!」
気付けば、は強く反発していた。
「最後まで、戦えます!!」
分かっていた――戦えるのではなく、戦いたいだけなのだと。
それでも、譲る気になれなかった。
「――無理だ」
静かに諭す尚隆の声が、一層の心を乱した。
だが、そのせいでは決して無かった――前の敵ばかりに気を取られて、後ろから近づくそれに気付かなかったのは。
「!!!」
ようやく殺気に気付いて振り向いた先で見た信じられない光景に、の目は見開かれた。
底光りする恐ろしい白刃が――尚隆の脇腹を切り裂いたのだ。
「くっ……!」
「尚隆…!!!!」
ふらりと揺れた体をはとっさに支えた。
――ナニ? 何が起こったの…?
敵の剣は、確かにの背中を捉えていたというのに。
どうして、斬られたのがではなく………
「っ……大丈夫か、」
その声にはっとして、は目を見開く。
(こんな時に呆けるなんて……!!)
自分を叱責して、意識の全てをするべき事に傾けた。
尚隆の体を支えたままの体勢で、前と後ろ――両方を取られたの行動は、迷い一つ無かった。
「!!」
右手の刀で前の――尚隆の背後に迫った敵の急所を突き、左手で自分の後ろからの刃を受けた。
尚隆が無事なのを確認して、ほっと息を吐く。
続いて、前方で相手が倒れる音と、自分の左手を深々と貫通する剣――それを認めた所で、の意識は急速に闇に沈んだ。
03.9.18