意識が光に溶けたと思った次の瞬間、は見覚えのある庭に佇んでいた。
それが何度か訪れたことのある幸村の屋敷の庭だと気付いたのは、飛んできた手裏剣を反射的に抜いた懐剣で防いだ時だった。
「……!?」
「……佐助」
浅井との一戦以来に会う佐助は、疲れた顔に純粋な驚きを浮かべていた。
「一体どうやってここに……って、ちょっと、何泣いてんの……?」
狼狽した声音に、涙の水量が増した。
言いたいことは山ほどあったけれど、どれも陳腐な言葉になりそうで口に出来なかった。
代わりに出来たのは、ただ謝罪することたけで……
「ごめんね、佐助……」
「え……?」
「本当にごめんなさい……今は……ここを通して」
は本来、謹慎中の身である。
部屋には何人か見張りの忍が付いていたことも知っている。
何の報告も前触れもなしに現れたへの驚きよりも、その涙を見て心配してくれる佐助に、はただ「ごめんなさい」を繰り返した。
「……大将と旦那には会った?」
「うん。……二人ともに怒られた」
「……そっか。じゃあ俺様まで怒らなくてもいいかな。でも一つだけ……」
佐助は一旦言葉を切って、じっとの目を見つめた。
「は、俺たちの――武田の人間だ。そうだろ…?」
どこか不安の混ざった問い掛けに、は微かに笑った。
「勿論」
答えた刹那、背後でぎしりと木の床が鳴る。
振り返ると濡れ縁の廊下に小十郎が佇んでおり、既に佐助の姿は消えていた。
「……ありがとう、佐助………ごめんね」
最後にそう呟いて、は小十郎と対峙する。
「お久しぶりです、小十郎さん……」
「ああ……皆、心配していた」
責めることも詰ることもしない小十郎に、はその場に正座して低く頭を下げた。
「すみません――私のせいで……」
だが、それは大股で庭に下りてきた小十郎によって遮られる。
土下座していた腕を乱雑に取られ、無理やりに引っ張り上げられた。
「あれは政宗様自身がなさったことだ。お前のせいじゃ無ぇ!」
「だけどっ…だけど、私が武田の人間じゃなかったら……黙って消えなければ……最初から政宗さんに会わなければ……っ!!」
パンッ…と乾いた音が鳴って、右頬を張られたのだと知る。
小十郎は怒ったような悲しいような、複雑な顔をしていて……は自分の情けなさに顔を歪めた。
大好きな人たちを苦しめてばかりで、凶事しかもたらさない自分は、果たして存在している意味などあるのか。
「それが本心から言ってるなら承知しねぇ……お前が居なくなってから、政宗様がどれだけ苦しまれたか……」
「本心……です。私と会ってさえいなければ、政宗さんがそんな風に苦しむことも、こうやって大怪我をすることも無かった! みんな私が……私…が……!」
掴まれた小十郎の腕を逆に掴み返して吐露するに、小十郎は何かを耐えるように息を吐いた。
「…………泣くな。お前に泣かれるとツライ。俺も……政宗様もな」
無骨な指に涙を拭われては、これ以上甘えることは出来ない。
本当は誰よりも政宗の身を案じているであろう『竜の右目』に、は深々と頭を下げてその横を通り抜けた。
伊達軍に籍を置きながら何の挨拶も無しに武田の将となったは、伊達から見れば紛れも無い裏切り者だろう。
そのを責めも憎みもせずに、あまつさえ行軍して取り戻そうとまでしてくれた……そして今も、動けない主の床に向かうのを許してくれている。
「……ごめんなさい……」
そのたくさんの優しさにもただ謝る術しか持たず、流れ続ける涙を拭った。
「政宗さん……」
傷が背中である為、横臥している政宗の寝顔は、とても静かだった。
出血が酷かったせいかその顔色は青白く、規則的な呼吸さえ聞こえなかったら…と不吉な連想まで抱かせる。
「政宗…さん……」
は静かにその床の傍に座り、じっと寝顔を見つめてその名を繰り返し呟いた。
信玄の娘としての立場を自覚したその日から――彼の名前を呼ぶことを自分に禁じた。
虎の姫として、政宗は敵――親しげに呼ぶなど余りにおかしい。
必要がある時は、二つ名である『独眼竜』と呼ぶようにした。
そうすることによって、の中の『政宗さん』という存在を封じようとでもするように――
――「……ようやく、呼んだな……」
だからを庇って矢を受けた政宗が、苦しげな息の下でそう言った時、ひどい罪を犯していたように感じた。
政宗は、死んだものとして扱って当然のを、死んでなど居ないと……取り戻すと、そう言ってくれたのだ。それなのには、自分の中の『政宗』を殺そうとしていた。
「……ごめんなさい……」
大切な人に謝ってばかりの自分の何と情け無いことだろう……
まだ幾分青白い顔に震える手を伸ばし、触れた温もりに胸が締め付けられた。
――生きている。確かに生きている。
「良…かった……政宗…さん……」
その場に崩れるように、一気に緊張の糸が弛んだ。
目の前で政宗に庇われた時から、ずっと張り詰めたままの糸だった。
幸村からもう大丈夫だと聞かされても、自分の目で見るまでは安心出来なかった。
けれど、これでようやくほっとすることが出来た。
もう、大丈夫――
最後に頬にかかった柔らかな髪をさらりと払って立ち上がろうとしたは、しかし変化した気配に硬直して動きを止める。
「……………?」
「――――はい」
好きな人に、寝起きの開口一番に掠れた声で名を呼ばれ、心が震えない訳が無い。
顔を合わせずに立ち去ろうと決めていた筈なのに、思わず返事をしてしまった自分に呆れた。
しかし、もっと呆れたのは政宗の反応だ。
返事をした途端、ぼんやりしていた目をぱちぱちと瞬きさせ、驚いた顔でを見てたっぷり数秒……心底忌々しそうに顔を顰めた。
「……また…か。悪夢に…ても、タチ…悪ぃ……」
余りにも予想外の反応に、も目を瞬かせてむっと眉を寄せた。
「タチが悪くてすみませんね。だけど生憎これは夢じゃありませんよ」
「Shut up…! アイツは今…ろ、甲斐…に………」
そこでようやく状況を思い出したのか、目を大きく見開いた政宗には笑った。
「ここは甲斐ですよ。甲府の――幸村の屋敷です」
「……? 本物…か……?」
「だからそうですって……」
最後まで言えず、は慌てた。
少し前まで生死の境を彷徨っていたという政宗が、無理に体を起こそうとしている。
「ちょっと、政宗さん! 無茶です! すごい大怪我なんですよ!?」
「Shit…! 力が…入りやがらねぇ…!」
「当たり前です! そんな体で何をするつもりですかっ!」
どうせまた「真田幸村と決着を付ける」とでも言い出すのかと思っただったが、臥せったままの独眼に思い切り睨みつけられた。
「アァン…? 決まってん…ろ! 馬鹿なkittyが二度と逃げねぇように、しっかりと…捕まえとく…だよ!」
体に力が入らないと言いながらもの手首をぎゅっと掴んだその手には、普段の鬼のような握力とまではいかないものの、それでも相当の力が篭っていた。
その痛みには苦笑で耐え、零れそうな涙は無理やり浮かべた笑顔で耐える。
「逃げたら、どうするんですか?」
「泣いて謝るくらい…たっぷり仕置き…してやる。……つーか、また俺から逃げる…気か……?」
必死に腕を掴んでくるその握力は、そんなことしたらタダじゃおかないと告げていて……はくしゃりと顔を歪めた。
「逃げて歯向かってまた逃げる……そんな敵の女でも、逃げるなって言ってくれるんですか…?」
「……何の…ことだ。ただ――俺に、が、必要なだけ…だ!」
はっきりと名を呼んで見つめてくる目の前の隻眼に、どうしようもない愛しさが溢れて、は自分の手首を掴む手を引き剥がして指を絡めるように繋いだ。
せめて、今だけでも心が繋がるように――
「政宗さん――ありがとうございます」
「What……?」
「私を身を挺して庇ってくれた……身分も力も関係なく、私自身を必要だと言ってくれた……すごく嬉しい。でも……だからこそ、今は逃げます」
何を言っているのだと訝しげに顰められた眉間の皺に笑って、繋いだ手に口付けた。
の大好きな大きな手――信玄とも幸村とも佐助とも違う……こうして繋いでいるだけで、どうにかなってしまそうな程に愛しい手。
この手を通して、伝わって欲しい。
一度傷つけた相手だからこそ、鮮明に――
「私、すごく心が弱いんです。こんな私じゃ、政宗さんの傍にも、武田にも居られない。だから、今は政宗さんからも……家族からも逃げます……大切な人や、自分自身の為にも」
きゅっと繋いだ手に力を入れれば、政宗の表情が不機嫌そうに顰められる。
「また……捕まえに来い…って?」
「………その頃には独眼竜が逆立ちしても釣り合わないくらいのイイ女になってるかもしれませんよ?」
わざと茶化して言うに、政宗もHa!と鼻で笑った。
しかし、その目が決して笑っていないのを読み取って、は困ったように眉尻を下げる。
「そんなに拗ねないでくださいよ……今なら、私に出来ることなら何だってしますから」
健康な時なら「誰が拗ねるか!」と言い返すだろう政宗は、しかししばらく黙った後ぽつりと言った。
「………hug」
は目を瞠ったが、政宗は顔を背けていたのでその表情までは分からなかった。
だが、そっぽを向いた耳の後ろが夜目にも赤い気がする。
その照れが伝染したかのように赤くなった自分の頬を自覚しながらも、はふわりと、寝ている政宗の負担にならないようにそっと抱きしめた。
力が入らないというのは本当らしく、抱き返してくることも跳ね除けられることも無かったが、重なった心音がトクトクと常より速いのだけは分かった。
自身の鼓動も早い――
けれど、気恥ずかしさから来る胸の高鳴りよりも、こうして居ることの心地良さの方が遥かに勝った。
どれだけそうして居ただろうか……どちらの温もりか分からなくなった頃、屋敷の中にもう一つの気配が入ってくるのを感じた。
も政宗も良く知っている――幸村の気配だ。
名残惜しく思いながらも体を離したの視線が、すぐ近くで政宗の隻眼と交差する。
「……kiss」
言われるままに、は自分から政宗に触れるだけの口付けをした。
ただ一瞬触れただけなのに、火傷するほどに熱い――
その熱に焼かれるような痛みを感じた刹那、の目から我慢していた涙がぽろりと零れ落ちて、政宗の顔にはらはらと流れた。
廊下を近づいてくる足音が近くなり、体を起こす。
静かに見上げてくる政宗に向かって最後に笑みを浮かべ、は再び赤い光に溶けた。
手に残った愛しい温度を抱きしめて……今はただ、弱い自分と決別する為に。
070408
これにて第二章終了! いろいろ中ぶらりんですがここで一旦切れます(汗)
小十郎がどうしても政宗より男前属性になってしまうのが悩みの種(笑)
ハグとキスを言わせたいが為に少し筋が変わりました……ヒロインの瞬間移動(?)は火事場の何とかなので、自在に使える訳ではありません……多分……恐らく……今の所は。
CLAP