少女は、夢を見た。
炎。悲鳴。怒号。煙。赤。朱。紅。血。臭い……血と火薬の臭い。
だから、目が覚めた時、これは間違いなく夢の続きなのだと思った。
いつもの寝台では無く、草の茂る地面に横たわっていたことも。
身を起こした自分の目に飛び込んできた地獄絵図も。
喉を干上がらせる程に噎せ返る血の臭いも。
――全てがあまりに現実離れしすぎていたから。
「……嘘でしょう?」
自分の頬を叩いてみたが、痛かった。
呟いた声は、現実の音を伴っていた。
――これは、夢じゃない――
本能的にそう感じた。
現実では無いように思えるこの場所は、けれど決して夢幻では無い。
見渡す限りには見知った建造物など無く、延々広がる草木の生い茂る大地――今はそこに無数の旗がたなびき、柵や土嚢のようなものが積まれている。
そして、土埃を上げて、狂ったように殺し合う人々――ただ立っているだけの自分がひどく異質だと、痛感させられる世界。
「いや……嫌……」
干からびた喉から、掠れた声が漏れた。
例え夢で無いとしても、そう簡単に受け入れられるものではない。
自然と後ずさった少女の足はすぐに何か布のようなものを踏んだ。
振り返ったところで、唐突に身体が凍りつく。
それは、随分と直感的なものだった。
何かに身体を貫かれた感覚に、少女は反射的に身体を反らす。
「っ痛……!?」
予備動作が無かったために尻餅をついた瞬間、目の前を鋭く何かが掠め、風圧で髪が二~三本切れて舞った。
「Oh……この俺の一撃を避けるとは……テメェ、何者だ?」
少女が見上げたそこに立っていたのは、黒光りする甲冑を身に纏い、抜き身の刀をぶら下げた男だった。
ほとんど月明かりだけの闇夜だったが、相手の片方の目は煌々と光を放っていた。
闇に不釣合いな、闇を裂くような異彩の眼光。
相手は間違いなく人間なのに、一瞬違うものに見えたのは、少女が寝起きだったからか、それともその眼光が鋭すぎたからか。
「竜……」
思わず呟いた言葉は、なぜか大きくその場に響いた。
月を背にした男の片目が細められる。
その刹那で、眼光に射殺されたと思った。
強められた殺意がビリビリと肌を焦がし、知らず身体が冷たくなった。
「俺の首を取りに来たのか? good-spirit……その意気だけは誉めてやるぜ」
それが少女――と、竜の気配を纏った男との出会いだった。
「はぁ……はぁ……っぁ……っ!」
一寸先も見えないような闇の中を、は必死で駆けていた。
(何!? 何故!? なんで!?)
混乱した頭の中では、ひたすら疑問だけが泣きたいほど切実に渦巻いている。
実際、には全く訳が分からなかった。
眠る前のことは余りはっきりと覚えていなかったが、目を覚ませばいきなり知らない場所に居た。
しかも信じ難いことに、どうやら戦場の真っ只中だった。
そう、戦場――テレビの中で見るような作り物では無い。
実際に人が殺し合い、多くの人が傷付き、死んでいく。
辺りには、ついさっきまで生きていたはずのたくさんの人間が、無造作に血と命を流して転がっていた。
はっきり言って、遊園地のお化け屋敷が作り物で無かったとしてもここまでひどくは無いだろう――残酷でグロテスクな世界。
血の臭いなんて、今まで平和に生きてきた身で、嗅いだことなんかほとんど無い。
平穏に染まりきった一般市民の小娘には刺激が強すぎる。
「っあっ…!! ぅう……ぐっ……!」
何かに足を取られて派手に転んで、慌てて息を吸った途端、激しい吐き気に襲われた。
血の臭いに酔う、とはこういうことを言うのかもしれない。
堪えきれずに嘔吐して、酸に焼け付くような胃と喉を押さえる。
そもそも、現代の日本に、こんな殺し合いをしている場所なんてあるわけがなかった。
一人や二人の殺人ではないのだ。
まさに、戦争――
(戦…争……?)
ひやりと、その言葉がの琴線に引っかかった。
日本国内に戦争は無いのだから、自分でも知らない内にいつの間にか海外に来ていたということになるが……
(あの人は、日本語を喋ってた……)
目が覚めて、最初に出会った男――自分を殺そうとした男。
持っていたのは、刀、甲冑、兜……戦っている人たちや、無残な骸と化している人たちも似たような恰好だった。時折聞こえて来る怒号も日本語のような気がする。
(それに、あの人は何と言った?……確か、「首を取りに来たのか」って……)
その古風な言い回しは、まるで……まるで………
「こっちにも居たぞ! 一人たりとも逃がすな!」
不意に前方から松明の明かりと共に殺気だった男たちが現れた。
どうやらこちらを敵と見なしているらしく、その殺意は間違いなくに向けられている。
(まるで…昔の日本――……)
頭の片隅で思うのと、身体が動き出すのは同時だった。
とにかく、今は逃げるしか無い。
一歩間違えれば、自分も戦場に倒れている人たちと同じ運命を辿る……そう思うと、ゾッとした。
こんな所で、訳の分からないまま死ぬなんて、絶対に御免だった。
「川だ……!」
は目の前に開けた光景に歓声を上げた。
一晩中夜目も利かない中を逃げ回って、ようやく日が昇り始めた所だった。
明るくなって辺りが鮮明になってくると、我ながらよく生き延びたものだと感心した。
が逃げ込んだのは戦場となっていた場所の背後にあった小さな山の中だったらしいが、そこから見渡すだけでも戦場はまさに地獄絵図だった。
もう決着はついたのだろうか……あちこちで小競り合いはあるものの、昨晩ほどの緊迫感は感じられない。
その代わり、累々と横たわる屍の群れが延々と続いていた。
まるで人形のように無造作に切り取られた体の一部が散乱し、体液と内臓が踏みにじられ、悪い冗談のように当たり前に転がっている。
自身もそんな中で何度も転んだ為、体中が擦り傷・切り傷に加えて、血糊で赤黒く染まっていた。
それに気付くと居てもたってもいられず、川に走りよって、浅瀬の中へ飛び込んだ。
無理やり頭まで水をかぶり、顔を出すと顔と口の中を濯ぎ、喉の渇きを潤す。
体や服についた汚れを念入りに洗い落として、そこでようやく人心地がつけた。
「……寒い」
季節はもうすぐ夏とは言え、朝方はまだ冷える。
……そもそも、自分の把握している季節感が正しいのかどうかさえ不明だったけれど。
そんなことを思った時だった。
耳に馴染んだ物音が聞こえ、ははっと振り返る。
果たしてそこには、何とも素晴らしい目の覚めるような白馬が立っていた。
物心ついた頃から日常的に馬と触れ合っているは、馬の審美眼には自信があった。
競技用のサラブレッドにも実際に会ったことがあるが、この馬はそれよりもずっと名馬だと感じた。
「貴方………」
こちらを警戒する様子も無く近づいてくるその馬に、どうしたの? と続けようとしたは、ようやくその背に人が居ることに気付いた。
ぐったりと荷物のように乗せられているその人物は、甲冑と兜を身に着けている。その上こんな名馬に乗っているということは、身分の高い武将か何かなのだろうか。
うつ伏せだったが、意識が無いことは分かった。生きているならば怪我をしていることも。
「……この人を助けて欲しいの?」
すぐ側まで来て立ち止まり、ヒヒンと鼻面を寄せてくる白馬に、は一瞬で陥落した。
ここまで美しく、賢い馬が主人と認めている人が、悪人な訳が無い!
独断と偏見で勝手に決め付けると、白馬を安心させるように撫で、河原にその人物を下ろさせた。
「この人は……!」
仰向けに抱き起こしたその人物を見て、の目が大きく見開かれる。
大分傷付いてボロボロだったが、それは間違いなく、昨夜出会った竜の男だった。
060615
始めてしまいました……夢主は特殊な過去を持ってる設定です。