Knight Party

 ひやりと全身を凪ぐような冷気に、ユーリは反射的に身を強張らせた。
 素肌を刺す真冬の外気は、立派な凶器である。
 そう言えば、今夜から明朝にかけて雪が降るだろうとパティが根拠の無い天気予報をしていた。
 どうりで寒い筈だと首を竦めて一歩足を進め、軽く息を吸って声を上げた。

「――おっさん!」

 モクモクと湯気の立ち込めた夜気に声が吸い込まれていく。
 ややあって、間延びした気だるげな返事が返って来た。

「んー、ユーリ~? どったの~?」

 ユウマンジュの露天風呂――男湯。
 丁度近くまで来ていたので、年越しくらい温泉宿でゆっくりしようと提案したのは女性陣だが、ユーリたち男性陣にも否やを唱える者はいなかった。
 飲めや食えやのどんちゃん騒ぎで、二連泊することになった時には流石にフレンを始めとした真面目所は文句を零していたが。

「どったのじゃねぇっつーの。一人だけとっとと抜けたおっさんに届けもんだ。そら、よっ!」

 呑気な声音に溜息をついて、支えていた重みを声のした方に放り出す。
 くぐもった声と共に『届けもの』が目を覚まし、ユーリはそのタイミングを見計らってレイヴンの髪紐を掠め取った。

「!! シュヴァーン隊長!」
「うげっ!!」

 千切れんばかりに尻尾を振る犬――いや、フレンが湯につかっていたレイヴンに突進する。
 派手な水音と共に飛沫が上がり、まともにそれを被ったレイヴンは悲鳴を上げた。

「ちょっ…ちょっと何すんのよ、ユーリ! フレンちゃんも……」
「……………………はっ! シュ…シュヴァーン隊長!!??」
「ちっ、もう正気に戻りやがったか。折角酔い潰してやったのに」

 レイヴンの髪紐を弄びながら高みの見物とばかりに温かい湯の中へと入っていたユーリは舌打ちし、当のレイヴンは頭の上に疑問符を並べた。

「一体全体何なのよ。若人たち、おっさんに恨みでもあんの?」

 そう不貞腐れる気持ちは、まあ、分からないでもない。
 折角イイ気分で寛いでたのにー。と恨みがましく言うレイヴンに、フレンはすっかり元に戻ったのか、すみません!と恐縮した面持ちで深々と頭を下げる。

 今度は叱られた子犬だな、などとユーリが思っていると、ユーリも謝れ!と言って頭を押さえつけられた。
 挙句、持ってきた徳利を奪われてフレンとレイヴンの猪口に並々と注がれる。

「おいおい、そこは俺にも注いでくれよ」
「君はお湯でも飲んでなよ、ユーリ」

 そこら辺に溢れているだろう? などと黒い笑顔でさらりと言うフレンに、ユーリは顔を引き攣らせた。
 これは相当怒っているらしい。

「ま…まあさ、フレンももうやめとけよ。さっきあれだけ飲んだのに、ぶっ倒れても知らねぇぞ?」
「量は問題じゃないよ。それにしてもあれは失態だった……ユーリも見て見ぬふりだったしね」
「う……まぁ、そりゃぁ……」
「そう言えば、フレン君酔い潰したなんて、何気にめちゃくちゃ凄くない?」

 湯船での酒を満喫し、機嫌を戻したレイヴンが、助け舟を出すかのようにそう言う。
 底なしのザルと言われるフレンに一晩付き合って嫌と言うほどそれを知っているが故の言葉だろう。
 勿論、ユーリもフレンのことはよくよく知っていたので、深く頷き返した。

「ああ、凄い。ジュディの作戦勝ちだな」
「およ? ジュディスちゃんの?」
「エステル筆頭に、女性陣に薦められたら、フレンは絶対断れないってな」
「ああ、なるほど……」

 エステルを中心に、輪になってフレンを囲み、グラスが空いた先から注いでもっと飲めと薦めまくっていたその図を思い返し、ユーリはゲンナリと溜息をついた。
 フレンも思い出したのだろうし、レイヴンも想像したのだろう。似たような顔をしている。
 いくらハーレム状態でも、潰れることが目に見えているような無茶は自分なら絶対に御免蒙りたい。

「そんで、何をどうしたら酔い潰れたフレン君をおっさんに『お届け』しようってことになるわけ?」

 おっさんそっちの趣味は無いわよー?
 などとフレンが嫌いそうな冗談を飛ばすレイヴンに、ユーリはそのことなーと笑って髪紐を返してやる。

「おっさんが抜けてからな。フレンがずっとシュヴァーン隊長シュヴァーン隊長うるせぇから、皆で協力して酔い潰したんだよ」

 だから、愛しのシュヴァーンの下へお届けしてやったわけ。
 おどけて言えば、フレンは真面目に眉を吊り上げた。

「おかしな言い方をするな、ユーリ! 僕はただ、ずっとシュヴァーン隊長に憧れてたと言っだけだろう!」
「その後、場の空気お構いなしで、シュヴァーン活躍譚を延々と語ってたじゃねーか。パティとリタなんか完全に寝てたぞ」
「君ってやつは、あの素晴らしい逸話を馬鹿にするっていうのか! 騎士団では誰もが憧れる語り草だし、カロルもジュディス殿も興味深く聞いてくれていたじゃないか」
「あれはどっちかって言うと、面白がってただけだと思うぞ……」

 相変わらずマイペースな幼馴染に嘆息したユーリが、おっさんもそう思うよな?と徳利を向けると、髪を結い直したレイヴンは温泉の淵にガックリと項垂れていた。
 心情は手に取るように分かるが、ここで同情してやるほどユーリは優しくない。

「どうしたんだ、おっさん? 元騎士団隊長主席のシュヴァーンって奴の話だろ?」

 ニヤリと笑ってそう言ってやれば、おもしろいようにレイヴンの顔は引き攣る。

「ええーと…何て言うか……………シュヴァーンってば、男の子にモテモテね」
「それはもう! 特に平民出身の騎士たちにとってはヒーローみたいなものですよ! なぁ、ユーリ!」

 水を向けられ、チビチビと猪口で飲んでいたユーリは適当に相槌を打った。

「まぁな。憧れの騎士は誰それだとか、見習い騎士は無駄に熱い奴多くてそういう話好きだったよな。そん中でも確かにシュヴァーンは大人気だった」

 ――むさい男連中からな。
 最後に忘れずそう付け足してやれば、レイヴンは「シュヴァーンのやつもどうせなら可愛いお嬢さんに好かれたかった筈よ…!」などと言って泣き崩れた。

 そこにふと、レイヴンの猪口に酒を注ぎながらフレンが口を挟む。

「え? シュヴァーン隊長は城の女性たちにも大変な人気でしたよ?」

 意外すぎる一言に、ユーリは噎せて、レイヴンに至っては口に含んだばかりだった酒を盛大に吹き出した。

「あれ、まさか知らなかったんですかシュヴァ……レイヴンさん。貴婦人から掃除係に至るまで、ハンカチを拾って貰ったとか挨拶を返して貰ったとか、良く賑やかな声が聞こえて来てましたけど……」
「あー…………そう言えば、城のお嬢さん方は、やたら物を落としたり失くしたりするなーとは思ってた……らしいけど。シュヴァーンが」

 律義にそう付け加えて遠い目をするレイヴンに、ユーリは心底しみじみと言った。

「世の中、物好きが多いんだな……」
「ちょっと青年! それはいくらなんでもひどいんでなくて?」
「そうだぞ、ユーリ。当時のシュヴァーン隊長は、今とは正反対に高潔で、尊敬できる方だったんだ!」
「………フレン君」
「……天然って怖ぇな……」

 今が低俗で尊敬できないと言っているに等しいフレンの言葉は、今度こそレイヴンにトドメを刺したようだった。
 急に静かになったレイヴンを他所に、ユーリとフレンがしばらく温泉での飲み直しを満喫していると、突然レイヴンの体がぐらりと揺れてその場に沈んだ。

「なっ……おっさん!?」
「レイヴンさん?」

 ユーリたちが来る前からつかっていて相当な長湯だし、尚且つ酒も入ったのだからこれは完全に湯あたりだろう。

「ほんとにのぼせる奴がいるかよ。イイ年してしゃーねーおっさんだぜ」

 溜息を付きながら苦労してレイヴンの体を引き上げ、温泉の外に寝かせたユーリは、中に運ぶ為にフレンに手伝えと声を掛けた。
 だが、フレンはその必要は無いと手酌を続ける。

「自業自得ってものだからね。それに、普段鍛えているシュ…レイヴンさんならそのまま寝かせておいても平気さ」
「………お前、シュヴァーンとレイヴンだと態度違いすぎねーか?」
「だって彼らは別の人物だろう? それに、これは信頼というものさ」

 そう言って余りにも完璧に微笑むものだから、ユーリは薄ら寒いものを感じて黙るしかなかった。

 この甘い幼馴染に団長など勤まるのかと思ったが、心配の必要など皆無かもしれない……。

 騎士団の展望は明るいのか暗いのか、複雑なものを感じながら一度は騎士という称号を持っていたことのある三人は三様に温泉での休暇を過ごした。
 その後、真冬の寒空の下、湯あたりした状態で外に放置されたレイヴンがどうなったのかは、語られるまでも無い。
CLAP