ホイミ

※ここでは、主人公とビアンカの子供で、男の子は「アベル」、女の子は「ティアラ」です。







グランバニアの朝は霧深い。
チゾット山脈の裾野に広がる森は、朝の空気をしっとりと湿らせる。

しかし今日は、いつもならば人々が起き出している筈の賑やかな朝の光景は見られなかった。
まだ皆が眠りの淵にいる。

それというのも、昨夜、長年魔物に攫われて行方不明となっていた王妃が戻り、ほぼ十年ぶりに国王一家が揃ったからだ。
人々は夜遅くまで喜びの宴に興じ、その余韻は一夜明けてもまだ城内のいたるところに残っていた。

そんな幸福の静けさに満ちた石の廊下を、一人の少年が歩いていた。
グランバニアの王子にして、伝説の勇者でもある少年――アベル。
アベルの携える身の丈に合った剣は、本来ならば大振りである天空のつるぎだ。

アベルは寝起き特有のふわふわとした足取りで、しかし迷い無く玉座の間から続く庭園へと出た。

「ティアラ」

呼びかけると、庭園の先客――アベルの双子の妹であるグランバニア王女・ティアラが振り向いた。

「目が覚めちゃった?」

昨夜は記憶にある限り初めて会う母と、父と合わせて家族四人で眠りについた。
しかし、アベルが朝目覚めると、寝室には既にティアラの姿は無かった。
だから、こうして探しに来たのである――尤も、早くから目が覚めた理由はアベルにもよく分かっていたが。

「ほんと、大人はみんなお寝坊だよね」

アハハと誤魔化すように笑ったアベルを遮って、ティアラは幾分真剣な声で言った。

「ねぇ、アベル。夢じゃ……ないのよね? 私達、ようやくお母さんにも会うことが出来たのよね?」
「ティアラ……うん、夢じゃないよ」

アベルとティアラは、幼い頃から両親を知らずに育った。
それは、二人が生まれてすぐに母が魔物にさらわれ、それを探しに行った父も行方知れずになってしまったからだ。

父王の不在に玉座を預かる形の父の叔父・オジロン王や、その娘のドリス、祖父王の従者であったサンチョ、それに国中の人がみんな優しく接してくれたけれど、二人はずっと寂しかった。
人々の口から聞く両親は素晴らしく、誰からも愛される人だった。

ずっと会いたいと思い続け、やがて二人はサンチョと共に両親を探すために旅に出た。
幸い、両親の素質を継いだのか、二人とも攻撃や魔法の才に恵まれていた。
父が手に入れた古代魔法のルーラをなぜかティアラも習得できた事が旅に大きな手助けとなった。

「お父さんに会えた時も思ったけど、こんなに嬉しい気持ち、きっと他には無いよね」
「ええ、皆が教えてくれた通りの……ううん、それ以上よ!」

父も母も、双子を見た時の行動はほとんど同じだった。

――「……アベルとティアラ……?」

一目で二人を見抜き、そして驚きの目を愛情溢れるそれに変えて、二人をぎゅっと抱き締めた。
自分の名前があんなに優しく呼ばれた幸福感を、アベルもティアラも忘れる事が出来ない。

凶暴な魔物でさえ心を開くと言われる不思議な瞳を持つ父は、静かで優しい空気を纏い、しかし強さに溢れた人だった。
伝説の勇者の子孫であるという母は、美しく生命力に溢れた輝かしい笑顔の人だった。

アベルとティアラは、世界で一番誇らしい両親を持ったと心の底から微笑みあう。

「アベル、ドキドキして早く起きちゃったんでしょ?」
「ティアラのドキドキが僕にまで伝わってきたんだよ」

悪戯っぽく笑い合った二人の間で、アベルの携えていた天空のつるぎがぽわりと温かな光を宿した。

「剣にも、伝わっちゃったみたい」

くすくすと笑ったティアラは、そうだと手を叩いてアベルに言った。

「久しぶりに、あのおまじないしましょうか」
「あのおまじないを?」

両親を知らず、兄妹二人だけで寂しさを持て余していた頃……サンチョと旅に出た頃から、二人がやっているおまじないだ。

それは、ある日サンチョから聞いた父の昔の話に由来していた。

――「懐かしいですねぇ。ぼっちゃんも最初の呪文を覚えるために、そりゃあ一生懸命特訓して、毎晩微笑ましいほどでした。ようやく覚えた頃に、ビアンカちゃんと初めて会いましてね……ビアンカちゃんが怪我した時に得意げに唱えてたのを覚えてますよ」

サンチョの言う”ぼっちゃん”とは父の事だ。
父と母にとって馴染みの深い、思い出の呪文。

二人ともサンチョにも内緒で必死に練習したが、不思議なことに一人では習得できず、なぜか二人揃ってでないと発動しなかった呪文。
寂しい時にはそれを唱える事によって胸の奥まで癒された。

手を繋いで、額をコツンと合わせて、心の内の幸せという気持ちをそのまま言葉に託して、それを唱える。


「ホイミ」


二人の口から出た呪文は、温かな光となってグランバニアを覆う。

それはやがて世界をも覆う癒しの呪文。

心と心を結ぶ、温かなお呪い――……
CLAP