白雪~シラユキ~

 ちらちらと舞い落ちる白雪ごしに、陽子は街頭を眺めていた。
 普段生活している雲海の上よりもずっと、堯天の町は寒さが厳しい。
 昨晩から吹雪くという程でもなく少しずつ降り積もった雪は、質量のある積雪となっていた。

 ――雪か……

 ふと陽子は、祖国であるあちらのことを思い浮かべた。
 日本も北方や日本海側の方になれば寒さも厳しく、雪も多かったが、陽子が暮らしていた首都圏では滅多に降ることがない。降ったとしても積もるのは稀で、こちらに来て本当の雪を知ってからは、自分は今まで本物の雪というものに接したことがなかったのだとさえ思えてくる。

「雪って真っ白なんだ……」

 無意識の内に零れた言葉だった。それに返答など求める方がおかしい独り言で…

「なに当たり前のこと言ってんだ?」

 しかし、予想だにせず不意に掛けられた言葉に……そして何よりその声に、翡翠色の瞳が大きく見開かれた。

「お嬢さん、ご一緒してもよろしいですか?」
 気取ったわざとらしい台詞に、一先ず驚きを押し込めた陽子は振り向かないままで口元に笑みを浮かべた。注文した暖かい飲み物を啜って一言返す。
「ナンパならお断り」
 背中で相手が苦笑した気配が伝わってくる。
「つれねぇなぁ……愛しい貴女へ逢いたいが為にやってきた私を追い返すおつもりですか?……私はこんなに貴女だけに恋焦がれているのに」
 陽子はとうとう堪えきれずに噴出した。
 脳裏には、ふさふさもこもこした毛並で髭をそよがせた友人が、薔薇の花を片手に持ってキザなポーズを取っている。悪いが、物凄く似合わない。

「あはははは! 一体何の台詞なんだ、楽しゅ……」
 ようやく振り返って言いかけた陽子は最後まで相手の名前を呼ぶ事ができなかった。

「道中で見た旅芸人の劇で使ってたんだ」
 にこりと笑った相手は長身の青年で……珍しく人型を取っていた半獣の友人にあんな台詞を言われたのだと知って、陽子は途端に赤くなった。




 今日はやけに祥瓊が「息抜きに街にでも下りてみたら?」なんて珍しい事を言うと思ったら、どうやら彼女は楽俊が来ることを知っていたらしかった。
 当の楽俊は、大学の長期休みを利用しての里帰り……慶に立ち寄ることは予定の内だったので、てっきり陽子にも伝わっていると思っていたらしい。
しかも、祥瓊の手回しでこの店で待ち合わせることになっていたというのだ。いくらここが陽子が頻繁に利用する店だからといえ、それで本当に逢えてしまえるのだから凄い。

「王様がこんな所でのんびりしていていいのか?」
 一瞬双方の頭に雁の主が浮かんだが、あれは別格というものだろう。
「優秀な女史のお陰でね。どうも昨日から仕事をせっつくからおかしいと思ってたけど、祥瓊には感謝しなきゃな」

 そんな人目を憚らない会話が出来るのも、陽子の素性を考えて場所を宿舎に移していたからだ。
 楽俊と陽子が巧から出る際に利用していた質素な宿のことを思うと、こうやって同じ二人で高価な宿にいるのが不思議に思えてくる。

「ところで、陽子はおいらが来るまであそこで何してたんだ?」
 宿に入ってしまっても人型のままの楽俊は、お茶を入れながら陽子に聞いた。
「ああ……多分見たまんまだよ。ぼうっと通りを眺めてた」
 陽子は少し苦笑してみせた。本当にそれ以外に答えようがない。

「そう言えば、雪が白いとかどうとか言ってたな。もしかして、あちらの雪は白くないのか?」
 興味深そうに言ってくる楽俊に、陽子は慌てて「違う違う」と否定する。
「あちらでも雪は白いっていうのは常識なんだけど、何て言うのかな……私の住んでいた地方は雪があまり降らなかったから、改めて真っ白なんだな……って」

 てっきり笑われるかと思った言葉に、楽俊は意外にも「おいらにも分かる」と答えた。
「巧は慶よりも南だから雪もここほどは降らない。降ってもせいぜい少し積もるかどうかだな。だからおいらも、初めて雁で迎えた冬には今の陽子とおんなじようなこと思ったぞ。……そのくせ、何だか故郷で見た雪が懐かしいとも思ったな」
「……………」
 黙ったままの陽子に、楽俊がどうした、と尋ねる。

「驚いた……実は私も、おんなじようなことを思ったんだ。真っ白い雪は何だか馴染みが無くて……蓬莱の雪が懐かしい、と」
 考えることが丸きり同じだな、と二人して笑った後、楽俊が急に真顔になって陽子に問い掛けた。

「今でも…蓬莱に帰りたいか……?」
 それは……と言いかけたのを、楽俊が遮る。

「初めて会った時、陽子には帰る方法は無いようなことを言ったけど、実はおいら、絶対その方法はあると思ってたんだ。……それをまだ誰も見つけてねぇだけでさ」
 あちらからこちらへの片道しかないなんて変だろう? そう言ってお茶を飲む楽俊に、陽子もカップを握ったまま耳を傾ける。

「だから、おいらの学問を役立てていつか絶対その方法を見つけようと思った。そうすれば、陽子を帰してやれるとも思ってたしな」
 過去形なのは、陽子が王と判る前だからだろう。
 景王として登極した身では、例え蓬莱に戻ったとしても、たちまち天命を失って命を落とす事になる。

「でも、やめたんだ」

「やめた?」

 目を見張った陽子の目前まで来て足を止め、楽俊は翡翠色の瞳を見つめた。

「陽子が蓬莱に帰りたいと魔が差した時、蝕を起こす以外の簡単な方法があったら……」
「……そこまで自棄にはなりたくないけどね。それに、そんなことにはならないと思う。慶の民がいい迷惑だ」

「――王とか、民とかじゃない」
 楽俊の黒瞳に、苦しげな光りが宿った。

「おいらが、陽子を……あちらへ帰したくないんだ」
 そっと触れてきた手に、陽子もそっともう片方の手を重ねる。

「………私も言葉が足りなかったな。……側に楽俊がいてくれたら、蓬莱へ帰ろうなんて気にはならない……だから、そんなことにはならない」

 頬を染めて照れながら言った陽子に楽俊は少し驚いて、両手で包み込んだその手を自分の額の辺りに押し当てた。
「ああ……そうだな」
 それは誓いの儀式のようで………

「二人だったら、真っ白な雪もすぐに馴染める」

 楽俊の言葉をその腕の中で聞きながら、陽子はその耳元に言葉を落とした。

「蓬莱では、今日雪が降ることを”ホワイトクリスマス”って言うんだ」

 幸せを閉じ込めた白雪の聖夜――
CLAP