青い空に美しい鳥がさえずりと共に飛び立っていくのを眺めながら、陽子は荒い呼吸を整えていた。
今日も一日暑かったな…などと考え、目に痛い程の青から視界を閉ざす。
このまま眠れそうな解放感に水をさしたのは、聞き慣れた男の声だった。
「主上、休まれるのでしたらお部屋でなさって下さい」
「………桓堆」
呆れ混じりの言葉に身を起こすと、木刀を持った桓堆が溜息をついていた。
同じく木刀片手に、陽子も苦笑する。
「悪い。今日はやけに派手に負けたのが悔しくて、つい…な」
「主上はめきめき上達しておられますよ」
今日はここまでにしますか? という言葉に頷いて、無理矢理付き合わせている剣の稽古を切り上げることにした。
伸びをしながら部屋へ下がろうとした陽子に、桓堆がそう言えば……と言葉をかける。
「先ほど、新しい官吏が挨拶に上がってきたそうですよ」
「……これから会うのか?」
陽子は少し驚いた。
午後の政務も終わり、もうすぐ日も暮れ始める時間……新任の挨拶なら明日の朝議で充分だろうに。
しかし、桓堆のおもしろそうに笑っている顔を見て、陽子は脱兎の如く踵を返した。
「……おー、速いなぁ」
呟いて、桓堆は微笑ましげに笑った。
「楽俊っ!!」
扉を蹴破る程の勢いで飛び込んできた陽子に、室内が硬直する。
慌てて礼を取った女官らを見た時、陽子はたちまち後悔し、少し冷静さを取り戻した。
「あー……みんなご苦労様。後は私一人で大丈夫だから、下がってくれ」
部屋の客を先導してきたのだろう女官たちは、意味ありげな視線を交し合ってそそくさと出て行く。
明日あたりには、どんな噂になっているやら……
そう考えると些か憂鬱ではあったが、気を取り直して室内に目を向けた。
中央に置かれた卓子の横で拱手している官服を纏った青年――
陽子は、ふ、と笑むと、奥の上座に腰掛け、いまだ顔を上げない青年を見つめた。
「楽にしてくれ――私が景王・陽子だ」
すると、青年も微かに笑った気配が伝わり、更に深く頭を下げた。
「本日より登朝する、張清――字を楽俊と申します。――主上」
悪戯っぽく見上げた楽俊に、陽子も破顔した。
「待ちくたびれた――楽俊」
「大学を一番で卒業したんだってね、流石だな」
「これでも一応雁大学仕込みだからなあ。おいらがすごい訳じゃない」
楽俊が雁の大学から慶の大学へ転入して来て3年……
確かに慶と雁では大学のレベルにも開きがあるが、それでも首席で卒業というのは生半なことではない。
その肩書きは、今後官僚としてやっていく中でも、かなり大きい。
「いいや、やっぱり楽俊はすごい。そんなすごい人が慶に来てくれて、王としても感謝している」
「――よせやい」
真剣に言ったら、そう言って顔を反らされてしまった。
鼠姿の時には分からない微妙な表情の変化が新鮮だ。
「3年前に陽子が言ったことだ――陽子の傍に居れば、おいらが見たい国を見せてくれるんだろ?」
その言葉に、陽子は少し笑った。
多少ニュアンスが変えられているが、間違ってはいない――彼が居てくれるなら、間違いないだろう。
「ああ――楽俊と一緒なら」
目を見張った楽俊は、今度は顔を逸らさず、照れながらも大きく頷いてくれた。
夕暮れ時の心地よい風が、部屋を渡っていく。
しばし雲海の波音に耳を傾けてから、陽子は囁くように聞いた。
「楽俊の――理想の国は?」
「……難問だな。卒業試験より難しい。――でも、答えならもう出てるぞ」
夕暮れに染まった陽子を見つめ、楽俊は笑った。
その意味に気付いた陽子は頬を染め、軽く相手を睨む。
「楽俊は不意打ちがうまい――言葉では言ってくれないの?」
「それを、主上がお望みなら」
「――――――」
二人の間に交わされた言葉を聞いた者はいない。
長きに渡る赤王朝の初期――王とその右腕の、始まりの日――