蔦の姫 -再会-

「――着いたわ」

 その少女は巨大な城門を見上げてそう呟いた。

 茶州・琥璉城――広大な茶州の州城である。
 少女はある人物に会う為に、藍州から茶州というほぼ彩雲国横断の遠路を、三ヶ月かけてやって来た。
 昔から旅をすることは好きだったが、流石にこれほどの長旅をしたことは無い。

「………………」

 少女は無言で自分の格好を見下ろしてみた。
 長旅で服も肌もボロボロである。
 こんな身形では、目的を果たせる訳も無い。

 まずは、琥璉に宿を取って旅の汚れを落とし、情報収集をしようと、少女は城門に背を向けた。
 しかし、そこで予想外の事態が発生した。

 この世で一番嫌いな男に、突如として声を掛けられたのである。

「あっれー? そこに居んのって、もしかして……?」

 浪燕青――出来れば、もう二度と会いたくないと思っていた男との、数年ぶりの再会だった。







 目的が琥璉城である以上、燕青と会うだろうことは半ば諦めていた。
 だが、よりにもよってなぜ今……!?

 少女――は、珍しく悪い運に嘆きながら、ずるずると燕青に腕を引かれて歩いていた。
 気分は、死刑場に連行される囚人である。

「ちょっと、燕青! 離して下さらないかしら!? 嫌がる女性を無理やり連れて行くなんて、下劣なあなたにはお似合いだけれど、私は遠慮させていただきますわ!」
「おーおー、相変わらず失礼なおひぃさんだこって。大体、俺は親切で案内してやってるんだぜ? 静蘭に会いに来たんだろ?」

 燕青の言葉に、はつくづく自分の浅はかさを呪った。
 いきなり声を掛けられて全身に鳥肌が立つほど驚いたお陰で、完全に動転していたとしか思えない。

 ――「、お前こんなとこで何してんだ? ん? なんだ州城に用でもあんのか? ……はっはーん、さては、今頃この俺の魅力に気付いてわざわざ会いに……」
 ――「そんな訳無いでしょう、筋肉馬鹿! 私は静蘭殿に会いに来たんです!」

 いくら動転していたとは言え、この男に本当のことを話してしまうとは……
 は深々と溜息をついて自分を引っ立てていく男を睨み上げた。

「似合わない親切なんてしていただかなくても結構ですよ、浪燕青! あなたなんかに案内していただかなくても、後日ちゃんと自分で会いに来ます! 今日は事情があるから、一旦帰るって申し上げましたわよね?」

 頭だけでは無く耳まで悪いのか、と含ませてわざと丁寧な口調で告げれば、燕青はぴくりと米神を引き攣らせて不自然な笑みを作った。

「それはそれは……そっちこそわざわざ慣れない遠慮なんかしなくてもいいんだぜ? 大体、本気で嫌なら大声でも上げればいいこったろ? それをしないってことは、本当は俺の親切が有り難い癖に」
「なっ……! 燕青、あなたって人は……!!」

 は思わず言葉を失くすくらい頭に来た。

 と燕青は、数年前に偶然旅先で知り合って数日を共に行動して以来……所謂、犬猿の仲である。
 お互い、心底嫌い合うくらいには、相手の性格を分かっていた。

 燕青の言うように、だって、普通なら真っ先に大声を上げてこの男に恥をかかせてやるくらいのことはしているが、今それをしないのは遠慮などではなく、出来ないからである。
 自分が静蘭に会いに来たことは、一応機密事項なのだ。

 つまり、こちらの性格を分かっている燕青は、それくらいのことは理解した上で――が本気で嫌がっていると知った上で、嫌がらせをしているのである。

「ちょっと、燕青! いい加減本当に離してってば! 子どもじみた嫌がらせはやめなさい!」
「――や~なこった。俺はどうせ子どもで馬鹿だからなー。……おっ、そうこうしてる内に探し人発見! おーい、静らーんっ!」
「えっ…ちょっと……!!」

 何の心構えも出来ていない所に、本当に運悪く静蘭を見つけてしまったらしい。
 真っ青になったなどお構い無しに、燕青は大声で静蘭を呼ばわり、の腕を引いた。

「何の用だ、燕青。私は今忙しいことくらい単細胞なお前でも分かっているだろう」

 大きな燕青の体に遮られて姿は見えなかったが、聞こえてきた冷たい毒舌に、は目を見開いた。
 随分と聞いていた話とは違う。
 清苑公子――静蘭は、文武両道に長けた温厚な人柄と聞いていたのに。
 しかし、その毒舌の内容は全く持っても賛同出来たので、悪印象は無かった。

「それは分かってるけど、ちょっとくらい良いだろ? わざわざお前に会いに来たっつー、小汚い物好きがいてさー。ほい、コイツ、っつーの」

 静蘭の前で何と言う紹介の仕方だ! と怒りに震えそうになる己を律することが出来たのは、燕青が突然静蘭の前にを差し出したからだった。
 突然目の前に現れた、思っていたよりも上回る美貌の主が驚いて自分を見つめている。

 ボロボロの格好をまじまじと見つめられて、はいっそのこと偽名を使いたい衝動に駆られたが、後日に本名で会いに来ることが叶わなくなると思いなおして、不本意ながらも腹を括った。

「お初にお目にかかります、静蘭殿。わたくしは、藍――兄の楸瑛や龍蓮がいつもお世話になっております」
「藍家……の姫君? その藍姫が、なぜ私に会いに……?」

 尤もな疑問に、しかしは言葉に詰まった。
 その目的まで言うには、今の格好は本当に泣きたいくらいそぐわない。
 後日に出直してくる旨を伝えようと口を開きかけた所に、隣の髭面がとんでも無いことを言った。

「いやー、どうも俺に惚れてわざわざ会いに来たらしーんだよ。お前に会いに来たってのは、単なる方便であくまでついで……」
「そんっな訳ないでしょ、頭まで筋肉詰まってんじゃないの!? 私と静蘭殿との縁談を纏めるために来たのよっ!!」

 一瞬驚いた顔をした燕青は、がはっと我に返ると、にやりと口元を綻ばせた。

「へぇ~~そりゃまたご苦労なこって。静蘭も淑やかな姫君に求婚されて、さぞや嬉しいだろうよ」

 燕青の言葉に、は血の気が引くのを感じた。
 旅に汚れた格好で色気の一つも無いばかりか……あまつさえ、姫君にあるまじき暴言を叫んで、いきなり『縁談』などと言い出した変な女………
 静蘭には、そう思われたに違いない。

 は静蘭の表情を窺うどころか、怖くて顔を上げることすら出来なかった。
 辛うじて出来たのは、隣で爆笑する無神経な男から一刻も早く逃げることだけ――

「……今日は失礼いたします」

 それだけ告げて、はその場から駆け出した。
 本当は燕青の顔を殴ってやりたかったが、静蘭の前でこれ以上の醜態は晒せなかった。








「……燕青、お前らしく無いな」
「……何がだよ?」

 が駆け去って行った後、ぴたりと笑いを止めた燕青に、静蘭から声がかかる。
 それに答えることすら億劫で、燕青は振り向かなかった。

「事情は知らないが、さっきのは本当に藍姫なのか?」
「ああ、正真正銘藍家のお姫様だぜ? 何番目かは知らねーけど、龍蓮坊ちゃんと同い年らしい」

 尤も、向こうは燕青がその事実を知っていることは知らない筈だが――
 数年前に僅かだが行動を共にした数日間、彼女は常に影から守られていた。
 途中で同じく旅の途中だったのか龍蓮ともばったり会ったが、姓は紹介されなかった。
 しかも、彼女は守られていることすら全く自覚していないくらい周囲の気配に鈍いのだ。

「知り合いなのか?」
「ああ、昔にちょっとな。……まあ、犬猿の仲ってやつだ」
「お前が? あんな少女と犬猿の仲?」

 驚いたような静蘭の声に、燕青の苛立ちは増した。
 秀麗を見慣れている静蘭からすれば、の来ていた物は多少旅でくたびれていても美しく映った筈だし、あの楸瑛や龍蓮の妹というだけあって、造作もかなり整っている。
 剣など持ったことも無い華奢な体は、さぞかしか弱い令嬢と思ったことだろう。

 だが、性格は別だ――
 立場柄、虫唾が走るような考えと態度の貴族は腐るほど見てきたが、ほど苛立つ存在は無かった。
 向こうも、理由は知らないが、燕青のことを毛嫌いしている。
 そこまで人から嫌われることが無かったことを考えれば、単に自分たちは相性最悪なのだろう。
 相思相嫌というやつだ。

(……あの…瞳が、気に入らない……)

 貴族らしい傲慢な色を湛えているというのに、時折ひどく切なげに痛々しげに撓む。
 闇を、知っている眼差しだった。
 だが、は、そこから這い上がってきたというよりも、周りから愛されていることも全て見ないかのように自分だけが辛いというような自己犠牲の泉に浸かっているのだ。

 ――気に入らなかった。
 あまりに歯痒くて、それを指摘しようとした時にはもう、相手も燕青を嫌っていて、言えなくなってしまった。
 だから、彼女を見ているだけで、どうしようもなく苛立つのだ。
 静蘭に会いに来たと言った時に感じた苛立ちも、そうだからに違いない。

 まさかあんな理由とは思いもよらなかったから嫌がらせ代わりに連れて来たが、理由を知っていれば……

(……知ってれば、会わせなかった……?)

 その理由を考えようとした思考を拒絶するように、燕青は歩き出した。

「どこに行く、燕青?」
「………お前の居ないとこ」

 なぜかに感じたのと同じように、今は静蘭を見ているだけで苛立った。
 その意味を考えるよりも早く、燕青は憂さ晴らしのように仕事の待つ州城から抜け出したのだった。
CLAP