その日は、起き出したばかりの太陽もいつもより上機嫌で、暖かく感じる程の日和だった。
それでも、季節はまだ春の入口。まして早朝のこと。
山奥を流れる天然の滝は、氷のように冷たい清水を轟々と落としている。
その滝壷から少し離れた川岸に、一人の少年の姿。
「はぁ……酷い目にあった……」
少年――リク=マクドールは、ずぶ濡れた身体を震わせながら川から上がった。
リクが彼らと再会したのは、実に二年ぶりのことだった。
「リ~クさん!」
不意に物凄い力で背中を押され、リクは持っていた荷物を取り落としそうになった。
「――っとと……ナナミちゃん!?」
振り向いた所に立っていたのは、満面の笑みを浮かべた少女……いや、もう女性と表現すべきか。
二年ぶりに会う彼女は、容姿は以前よりも幾分女性らしくなっていたが、中身は全く変わっていないようで、キョロキョロと忙しなく辺りを見回すと、ある一点目掛けて大声を張り上げた。
「ソラぁ~~! ジョウイぃ~~! 早く早く~! 見つけたよ~~!!」
場所はとある村の広場でのこと。この場合は特に村人のほとんどがこの場所で忙しく働いている最中で……
「……ナナミちゃん、行こう」
リクはナナミの手を取ると、注目する村人達に断りを入れ、自ら彼女の連れの元へと赴いた。
「お元気そうですね、リクさん!」
「お久しぶりです」
リクの姿を認め、走り寄って来たのは二人の青年。
先のジョウストン都市同盟とハイランド王国の戦で、それぞれの軍を率いていたのがこの二人だ。
「ソラ、ジョウイ、久しぶり。三人とも元気そうだね」
自ら戦い共和国へ導いたトランを離れて流浪するリクと、新国家の立役者でありながらも旅を続ける彼らとは、不思議と通じるものがある。
こうして旅先で顔を合わせる事は初めてではなかった。
「ねぇ、リクさん。この村、お祭りがあるんですか?」
そわそわと広場を見遣りながら聞いてきたナナミに、リクはそうだよと頷いた。
「三年に一度の精霊祭をやるらしくてね、ここ一月ほどお世話になった家があるんで、僕も手伝っていたんだ」
「へぇ~、楽しそうですね。僕らも手伝っていこうか」
「もうそのつもりなんだろ、ソラ」
「あたしあたし! 腕によりをかけてお料理するからね!」
「うっ……ナ…ナナミ、それは……」
「何よ、ジョウイ。何か文句あるの?」
「い…いや、でも……なぁ、ソラ?」
「えっ……う…うん。きっとナナミが作らなくても料理はいっぱいなんじゃないかなぁ…」
「それはそうかもしれないけど、きっと食べ物はいくらあってもいい筈よ! ねっ、リクさん!」
三人が一斉にリクの方を見る。
リクは、かつてナナミの料理を食べて食中りを起こしたことを思い出し、にっこりと笑顔で告げた。
「ナナミちゃんには、もっとお似合いの役があるよ」
夜も更けて、村での精霊祭もたけなわだ。
急ごしらえのステージでは、白い装束を着て花冠をのせたナナミが、村の娘たちと楽しそうに踊っている。
ナナミの性格を踏まえた上でのリクのこの采配は、彼女の幼馴染であるソラとジョウイに流石だと唸らせた。
「あはは、見てよ。ナナミのはダンスじゃなくて格闘みたいだ」
「昔から何を踊ってもああなんだよな……ナナミは」
そんな三人を微笑ましく見つめながら、リクは口を開いた。
「それで、ソラ達は誰の差し金なのかな」
「えっ?」
ソラとジョウイの顔が瞬時に引き攣る。
「実は、君達で三組目なんだ。………レパントが病気になって、よっぽどみんな不安らしいね」
リクの脳裏に甦るのは、緑美しい都。荘厳な宮殿。幸せそうな人々の顔。
「……クレオさんに頼まれたんです。会ったら、戻るように説得してくれと」
「お…おい、ソラ! ……でもリクさんを見つけたのは、偶然なんですよ」
「そう……偶然、隣村で『トランの英雄』が来ていると聞いたんです」
「ソラっ!」
「……そうか、やっぱりちょっとでも手袋を外したのは失敗だったかな。この村ももう出ないといけないな……」
「そうやって、また逃げるんですか?」
「…………」
「僕らにそれを言う資格が無いのは分かっています。だけど、あの国はあんなにあなたを必要としてる」
精霊祭もクライマックスに入り、しめやかな民族音楽がゆっくりと奏でられ、松明が轟々と満点の星空を焦がしていた。
「僕は、臆病なんだよ」
松明の赤は、あの日グレッグミンスターを彩った色だ。
「帰りたくないんじゃない。まして、トランを捨てた訳じゃない。ただ、僕があそこに留まれば、やがて……それがいつかは分からないが、やがて必ず、また争いが芽生える。だから、こうして遠い空から見守っているくらいが丁度いいんだよ」
「リクさん……」
その時突然、広場の端から悲鳴が上がった。
肉の臭いに釣られて、夜の魔物が姿を現したらしい。
「……勿論、旅をしながら引き寄せる争いも、僕が責任を持って被る」
「”守りの天蓋”!」
言うが否や、リクがすかさず大地の紋章を発動させ、モンスターの魔法攻撃から広場を守る。
「ソラ! ジョウイ!」
声を掛けて、走り出す。後ろから続いた二人と共に、モンスターの群れに攻撃をしかけ、そのまま村の外に駆け出した。
手傷を負わされたモンスター達は、怒り狂って三人を追いかけてくる。
村を完全に出て森に入った所で、モンスターに向かい合った。引き付ける間に、その数は3倍以上になっている。
「”輝く光”!」
「”きらめく刃”!」
ソラとジョウイの紋章が輝き、大方のモンスターが消滅した。
だが、その輝きが消える前に、リクの右手が輝き出す。
「! ソウルイーター!?」
「リクさん!?」
始まりの紋章に反応したのか、急に暴れ出したソウルイーターを封じ込めることに、リクの意識は全て傾いていた。
そこに生き残りの虎が猛然と飛び掛る。
「リクさんっ!!」
ソラの叫び声を後に、リクの身体は虎ごと後ろの崖下に落ちたのだった。
まだ冷たい川から上がり、林を抜けると草原に出た。
既に東の空は白み始めている。
三人の友人に心配を掛けてしまったな、と反省する。きっと探してくれているだろう。一度、村に戻らなければ……。
落ちた崖下は、運良く深い川だった。だが流れが早く、その後延々と流されて、滝壷にまで落とされたのに、リクの体には掠り傷一つ無い。
「全く……お前の気まぐれにはいつも振り回されるよ、ソウルイーター」
手頃な岩に腰掛けて、右手の手袋を外した。
呪われし紋章は、淡く光り沈黙する。
「分かっているよ。僕は、お前が食らってきた魂と、共に……生きる」
死など望んだりしない。そんな簡単な道など。
「そうして、見届ける」
トランにせよ、他の国にせよ、戦乱の果てに何があるのかを。
真なる紋章が支配するこの世界で、人が運命に抗って自らの意思で道を選び取っていく意味を。
「ああ、良い天気だ」
翳した右手の先には、青い空が広がっている。
故郷へと――世界中の人々へと続く、空が広がっているのだから――