■novel■ 一部抜粋
「――烏(レイヴン)? …なるほど、似合いの名だな」
その昔、帝国騎士団の間諜としてダングレストに潜入したシュヴァーンがギルドユニオンを統べるドン・ホワイトホースの暗殺に失敗して新しい名で天を射る矢(アルトスク)の一員という立場を得た頃。
名目上の奉公期間を終えてようやく帝都に帰還し、事の顛末を騎士団長アレクセイに報告した時に言われた言葉がそれだった。
「白鳥(シュヴァーン)たる君の裏の顔が烏(レイヴン)だというのは、如何にも理に敵っていると思わないかね」
そう言って僅かに笑った顔にはまた見たことのない陰が増えていて、シュヴァーンは内心眉を潜めた。
不在の二ヶ月の間に、アレクセイはシュヴァーンの知っている以前の彼とはまた少し変容していた。
僅かに何かが変わったというなら、『レイヴン』という人間を新たに持つことになったシュヴァーン自身もそうであっただろうが。
「……ホワイトホースにそういった意図があったとは思えませんが」
わざわざ報告してはいないが、何せ『レイヴン』の由来はドンの孫が飼っていたネズミの名である。それに、ドンはシュヴァーンの名前を知らない。
「ふ、確かに、返り討ちにしてこき使っていた男の正体が英雄だとは……屍食い鳥(レイヴン)の名を付けた男がシュヴァーン(白鳥)だとは、努々思わんか」
「…………」
シュヴァーンはいつものごとく無言を返しながら、今更のようになぜアレクセイは自分の新しい名として『シュヴァーン』と付けて寄越したのだろうかと考えた。それは例えば、彼の理想とする高潔の騎士の――『本当の騎士』の象徴だったのだろうか、と。
そんなシュヴァーンを黙ったまま見遣ったアレクセイは、やや後に笑みを漏らした。以前のように穏やかなものでも、先ほどのように陰のある歪んだものでもない、自嘲を交えた僅かに痛みを耐えるような笑み。
「本当に、皮肉なものだな……」
騎士団長が個人として漏らした言葉にも聞こえるそれに、シュヴァーンとして立っている彼は答える術を持たなかった。
なぜかそれこそが、皮肉なことのように感じられた。
◆◇◆
「――…よね。……聞いてる、おじさま?」
「え、あ…ああ、もっちろんよ、ジュディスちゃん!」
追想から覚めて、レイヴンはへらりと笑った。
レイヴンは現在、腕相撲大会の優勝賞品、凜々の明星女性陣による歓待を受けている真っ最中なのだ。彼の流儀に当て嵌めると、女性に囲まれたハーレムの中で別事を考えるなど大馬鹿のすることである。
「それじゃあどうぞ、もう一杯」
「あんがとージュディスちゃん! いやー、美女のお酌って最高〜!」
「うちの酒も飲むのじゃ! おっさんは近頃疲れておったようじゃからの、たまにはこういうのも良いじゃろ」
「パティちゃん……うっ、おっさん目から鼻水が……」
「やだ、ちょっと汚いわね! ……で…でもまぁ、折角勝ったんだからお酌くらいしたげるわよ」
「リタっち! 嗚呼、リタっちがついに俺様に心を開いて……!」
「――はい、レイヴン。女将さんに鯖の味噌煮作って貰ってきました! レイヴンの好みに合わせてちょっと辛めにしてもらったんですよ?」
「嬢ちゃん…! えっ、そんなあーんって……ウマッ! 美味いよ、嬢ちゃん!」
幸せすぎてこれは夢なんじゃないかと、この時レイヴンは本気で思った。
少なくとも、こんな自分を仲間と呼んで信頼してくれる掛け替えのない彼らを騙して傷つけていた頃に比べたら、生きて彼らの仲間として笑顔に囲まれているというだけでも大それた果報者だ。
それが女の子メンバーだけに囲まれて、ちやほやされている……夢でなければ、きっと大きなしっぺ返しが来るに違いない。
「……ちゃんと見てろよ、カロル。あんな大人にだけはなっちゃ駄目だからな」
「ユ…ユーリ、レイヴンさんに対して失礼だよ!」
「うーん、ああはなりたくないけど、楽しそうではあるよね」
凜々の明星男性メンバーが遠巻きに見ているのに気付いて、レイヴンはひらひらと手を振った。
「ガハハ、羨ましかろう、青少年たち!」
まだ君たちには早いわよー!などと高笑いしている姿に、ユーリは深々とため息をついた。
「あんな鼻の下伸びきった姿見ても、アンタらの忠義は揺るがねーのか?」
しかし、問われた傍らのルブランは不思議そうに首を傾げる。
「シュヴァーン隊長は昔から女性や子どもにはお優しかったからな。城内でも女性の前でだけは、貴族の令嬢からメイドにいたるまで分け隔て無く笑みを浮かべておられた。――ご自分には厳しく、弱い者には優しい! そんな隊長だからこそ我々は――」
「ああ、はいはい、分かった分かった。……つーか、シュヴァーンって寡黙な堅物じゃなかったのかよ」
ぼやきに対する答えは本人から至極当然のように返された。
「何言ってんの。騎士なんて堅苦しいの、笑いでもしない限りお嬢さん方を怖がらせちゃうでしょうが」
さすがシュヴァーン隊長! といういつもの言葉を聞き流して、レイヴンはグラスを傾けた。
人形のように虚無だったシュヴァーンは、ダングレストのレイヴンのように女性に癒しを見出すことも無かった。
思えば、故郷ファリハイドを旅立った時は、洗練された貴族令嬢との恋の駆け引きなども大いに期待していたというのに、全く皮肉なものである。
「ていうかおっさん、まだあたし達に話して無いこととかあんでしょう!」
「そうよね、リタだって女の子ですもの。おじさまの昔の話、いろいろ聞きたいわよね」
「あああ…あたしは別にそういうんじゃっ…!」
昔の話――そう言われてもな、とレイヴンは頭上に視線をずらした。
凜々の明星の面々に対して、先ほど思い出に耽ってしまったアレクセイのことなど話しても楽しくないだろう。彼らにとっては世紀の大悪党以外の何者でもなく、レイヴンがどれほど昔は違ったのだと弁護しようとも、アレクセイが帝国にとっての反逆者だということも、世界に多大な爪痕を残してしまったことも事実であり、到底理解してもらえるとは思えない。
その困惑を見透かしたのか、エステルが遠慮がちに助け船を出してくれた。
「そうだ、ドンの話とかどうです? レイヴンとドンの出会いとか!」
「ああ、……そうねー、あれはちょっと衝撃的な出会いだったわよねー」
シュヴァーンとして命令を受けてダングレストに潜入した当時を思い出し、レイヴンは思わず遠い目になった。
これなら帝国とギルドが手を結び、かつての指導者たちも亡き今、語るに不都合は無いと判断して口を開く。
ドンがいかにデタラメに強かったか、いい加減すぎるほど度量が大きかったことなど、こてんぱんに負けた話を面白おかしく話して聞かせた。
「うわーうわー! ドンってやっぱりすごかったんだね! 誰が来ても警護の必要が無いってカッコイイよ!」
「とんでもねー怪物だったんだな、あのじいさん。本気でやり合ったおっさんが羨ましいぜ」
周りで酌をしてくれる女の子たちに楽しんで貰うために話していた筈が、気がつけばユーリたちやルブランたちまでその外側に円を描くように集まっており、レイヴンはオイオイとジト目になった。
これでは優勝賞品と託けて酒の肴を提供させられているようなものである。
しかし感心して聞いていたシュヴァーン隊の面々の中で、ルブランが一人唸っているかと思うと、不意にポンと手を打った。
「おお、そうだ思い出しましたぞ!」
一斉に全員の注目を集める中、ルブランはにこやかに言った。
「ドン・ホワイトホース! 昔シュヴァーン隊長はヘリオードの外れで一戦立ち合われていらっしゃいましたな!」
「……え? ドンと……シュヴァーン…が?」
レイヴンじゃなくて? という疑問顔が一斉に向けられ、当の本人は米神を押さえてため息をついた。
この雰囲気でこうなった以上、話をせずには終わらないだろう。
「――とりあえず、ルブラン。後で覚えてろよ」
先ほどの恨みもあり、言葉で牽制しておくくらいバチは当たらない。
ため息をつきながら、そんなに大した話でもないわよ、と言い置いてレイヴンは五年ほど前の出来事を振り返り始めた。
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