「――あ、レイヴン、レイヴン!」
「ん? どったの、ちゃん」
冬真っ盛りのある日のこと。
誰かいないかと辺りを見回していたは、ひょこひょこと通りかかったレイヴンを呼び止めた。
素直に寄って来たその口元に、持っていた『あるモノ』の欠片を近づける。
「ちょっと味見して。はい、あーん」
「あーん…………って、甘っ!! すごい甘い!! 何コレ、チョコレートじゃないの!」
口に放り込んだ瞬間、予想を上回るリアクションには苦笑した。
「そーだよ。だってバレンタインだもん」
そう、今日は2月14日。
まさしく、バレンタインなのである。
このテルカ・リュミレースに来てから初めてのバレンタイン――元の世界では、本命に苦心したり義務と化した義理チョコに悩まされたりと、毎年何かと慌ただしい日だった。
ここではそんな苦労も無いと密かに安心していたというのに……そうは問屋が卸さなかった。
なぜかしっかり存在しており、しかも概念的にも外国のように男性が女性に愛を告白する日などということは無く、日本と同じく女性がチョコレートを贈る日だったのである。
何故だ!!と叫びたい所だが、言った所で始まらない。
も凜々の明星の女性陣に混じって、数日前から準備していたのだが……
「ホント、女の子は大変なんだよ、バレンタインって」
「バレンタインねー……あんなの、お菓子ギルドの策略でしょ?」
「まぁね。幸福の市場<ギルド・ド・マルシェ>の店頭もそれ一色だもんね。まぁ、お店で大量に仕入れてくれてるから、こっちは安くて簡単にいろんな材料も手に入るってもんだけど」
カウフマンさんも稼ぎ時なんだよねーなどと頷いていると、レイヴンが、ん?と何かに気付いた。
「"材料"? え、何々、ちゃんもしかして手作りチョコ?」
意外そうな顔で聞いてきたレイヴンに、どういう意味だと思うも素直に頷いた。
「うん。愛情たっぷりー! なんちゃって。ある程度量があると、買うより安上がりなんだもん」
「あー…そーなのー」
レイヴンは若干遠い目になって興味なさげに呟いたが、たかがチョコと侮らないで欲しい。
有名ブランドの物は一粒が高級グミぐらいするものもあるし、それが数個入ったボックスを数人分となればかなり痛い出費になるのだ。
「何、レイヴンってもしかして手作りダメなタイプ?」
素人が作った物は気持ち悪くて受け付けないなどという、中々贅沢なことを言うメンズも居るらしいのでそう聞くと、それにはすごい勢いで首を横に振った。
「いやいや、とんでもない! むしろそんなの大歓迎ー! ……でもちゃん、折角で申し訳ないんだけど、出来たらおっさん甘いものじゃない方が………」
何だそんな心配かとため息をついて、手元の味見用チョコを見せた。
「レイヴンの甘いもの嫌いは知ってるからご心配なくー。これはユーリの為にやってんだから大丈夫だよ」
「へ? ユーリ?」
「うん、ちょっと前からもう催促がうるさくって」
それはもう、普段のクールビューティーが嘘のようにクレープがいいだの、パフェがいいだの、フルーツより砂糖多めがいいだのと、注文がうるさすぎた。
「だから、どうせだったら超甘々なのにしてやろうと思って、レイヴンに味見して貰ったの。どうかな?」
「う…うん、そりゃもう死ぬほど甘いと思うけど……」
「そっか、良かった! これでユーリも喜んでくれるよね!」
参ったと唸らせてやる!とガッツポーズと共に抱負を述べれば、レイヴンは僅かに瞠った目を何故か不機嫌そうに歪めた。
「いや、青年はそうだろうけど、問題はそこじゃなくて!」
「え?」
問題?と首を傾げれば、レイヴンはため息をついて躊躇うように視線を泳がせた。
「うーん……まず、どうしてちゃんが青年の為に手作りチョコ作ってあげるわけ?」
「? だって、バレンタインだし、ユーリからリクエストされたから」
「リクエストされたら誰にでもほいほい作っちゃうの?」
「流石に誰にでもは作んないよ」
「だったら、どうして?」
次第にレイヴンの目が座ってきたような気がして、何か怒ってる?と聞いてみても、返ってくるのはNOの返事だけだ。
「どうしてって……まあ、喜んで貰えたら私も嬉しいし」
「そうじゃなくて! ちゃん自身は――」
レイヴンと話している最中に、ふとユーリが一本向こうの筋を歩いているのを発見し、は声を上げた。
「あ、ユーリ発見! ユーリ――!!」
向こうも気付いたらしく、手を振ってくれる。
は手に持っていた箱に目をやって、良し!と気合いを入れた。
実はさっきからずっと胸に抱いていたので、折角固めたチョコが溶けないか心配だったのだ。
今日は仲間の面々も丸一日自由行動――今を逃せば、いつ渡せるか分からない。
「ゴメン、レイヴン! また後でね!」
「ちょっ、ちゃん!? 待ってって――……」
引き留めるレイヴンに、ゴメンねー!と叫びながら、はとりあえずユーリをギャフンと言わせるべく駆け出したのだった。
「……レイヴン? だいじょぶ?」
たまたま通りがかって途中からやり取りを見ていたカロルは、が駆け去ってからもしばらくその場を動かないレイヴンに恐る恐る声を掛けた。
「………おー、少年。何が? おっさん全然元気よー?」
全然元気そうじゃない。
思ったが賢明にも口には出さず、カロルは無難に相槌を打った。
「そ…そう、なら良いんだけど……あははは……」
「そうよ、変な少年ねー。はははははー」
(全っ然目が笑ってないよー!)
カロルは半ば涙目になって、先ほどから隣に居たジュディスに視線を向けたが、何事にも動じないクリティア族の仲間は、麗しく微笑んだだけだった。
そうだ、大体、いつもはジュディスが居ると大騒ぎするレイヴンが、今は彼女の存在にすら気付いていないようなのも完全におかしい。
訝しんでいると、レイヴンは突拍子もないことを尋ねて来た。
「ところでカロル君、凛々の明星って、仲間内の鍛錬の手合わせなんかは、別にご法度じゃないわよね?」
「え?」
意表を突かれて顔を上げると、全く笑っていない目でじっと見つめてくる視線と合って、正直カロルは今すぐ逃げ出したいくらいの恐怖を感じた。
だが、自分はこのギルドのボスなのだと言い聞かせて、何とか踏みとどまる。
「えっと……ちなみに、誰…と、手合わせするのかな…?」
「うん、おっさん、今すっごくユーリ青年と力いっぱい鍛錬したい気分なの」
(やっぱりー! ……ユーリ、ごめん…!)
心の中でユーリに謝罪しながら、カロルは引き攣る笑みを返した。
「そ…そっか、うん、怪我しない程度だったら……いい……かな」
「そう、良かった。まぁ善処するわー」
善処なんだ……と思ってももう後の祭で、既にレイヴンはユーリとが歩いて行った方向に向かっていた。
何だか虚しい無力感に項垂れるカロルに、今まで黙っていたジュディスが口を開く。
「あんなこと言って良かったのかしら、ボス? 何だか不穏だったけれど?」
「だって、ジュディス! あんな怖いレイヴンに駄目だなんて言えないよー!」
カロルが涙目で言えば、ジュディスは芝居がかった調子でため息をついた。
「本当に、困った人たち。はおじさま用に甘くないお菓子も作っていたようだったのに」
「ジュディス……そういうことは、早く言ってあげなよ」
衝撃の事実にカロルは心底呆れて脱力するが、ジュディスは全く悪びれずにっこりと笑った。
「あら、だっておもしろいでしょ? それに、がユーリの為だけに甘いチョコを手作りしたのは本当だもの。言ったってそんなに変わらないわよ」
おもしろいかどうかはともかく、ユーリのチョコに関してはジュディスの言う通りだ。
そうなのだが……
「えーと……でも知ってたら、ユーリが怪我するとかそういうことまでは起こらないかなーって」
「そうね。良い読みだと思うわ、カロル」
綺麗に笑うジュディスに、カロルは更に項垂れてため息をついた。
「ジュディス……わざとやってるでしょ」
「本当におもしろい人たちよね」
そう言って笑う彼女は間違い無く綺麗だとは思うが……
(やっぱり女の人って……怖いよー!)
大体この一ヶ月後には、ホワイトデーという男にとって悪魔の日がやって来る。
義理で拒否権もなく問答無用で渡されたチョコに3倍返しだなんて、どんな罰ゲームだと言いたいところだ。
カロル少年は女性に対する認識を胸に刻み直した。
しかし、ふとナンからチョコを貰いたいなどと思っていたことを思い出す。
「………………僕、ちょっと出かけてくる」
結局今日という日に彼女を探してしまう自分も、レイヴンに劣らず可哀想だ……
そう思いつつ、カロルは悲しい男の性で甘いバレンタインを夢見ながら駆け出したのだった。
120215
またもや間に合いませんでしたが、バレンタインドリでした。
きっとこの後は、レイヴンはちゃんと甘くない手作り物を貰えて機嫌も治ったことと思います。
ユーリはユーリで、おっさんと修行出来たので良し。
結局ジュディスが楽しんで、カロル君が振り回されて可哀想なお話でした。