ふと意識を取り戻したは、じめじめとした黴臭さと独特の鉄の臭いに眉を顰め、そこが何処なのかを知って深く嘆息した。
「もう、最悪………」
漆黒に入団した最初の日、砦中を隈なく案内されたから、勿論ここも知っている。
3階にある牢屋――……ほんの少し前まで、アペリス教の信者を大勢投獄していたここは、拷問も行われていたのだろう……古い血の跡が所々にこびり付いている。
閉鎖空間である分、屋上の処刑場よりも気味が悪いと、案内された時には思ったものだ。
まさか、そう思って数日後にその場所に入れられることになるなんて……
更に悪い事に、鉄格子の外にはの2〜3倍はあろうかという馬鹿でかいモンスターが徘徊していた。
いくら人手不足とは言え、モンスターまで放して使うなんて、アリなのかと問いたくなる。
どうやらしばらく眠らされていたらしいが、どれくらいの時間が経ったのだろうか……
腹部の痛みを摩りながら、周りを見回してみたが、役に立ちそうなものは何一つ無い。
そもそも、すぐ横に簡素ながらも寝台代わりらしきものがあるのだから、こんな風に床に転がさずにそこに寝かせておいてくれればいいのに、と悪態をつく。
シェルビーと共に居た漆黒兵は、兜で顔は分からなかったが、ほぼ間違いなくシェルビーの取り巻き連中だろう。
若くして団長などやっているアルベルに反感を持ち、生粋の武人という成りのシェルビーを慕う者たちは存外多い。
「さて………」
体中が軋むように痛んだが、は何とか起き上がって状況を再確認した。
弓と矢はもちろん取られている。
足に巻きつけるように隠していたナイフも無い。(見つけた人間に殺意を覚える)
唯一幸いだったのは、胴当ての下に入念に隠していた通信機だけは無事だったことだろうか。これが無いと、言葉さえ通じなくなってしまう。
「…………」
通信機を見つめ、これをオーバーロードさせれば牢破りくらいは出来るかも……と考えたが、外のモンスターを見てあっさり首を振る。
血反吐を吐くような訓練と引き換えにそこそこ戦えるようになったからと言って、自分の力量は分かっている。とても一人で武器も無しに勝てるような相手ではない。
当座は潔く相手の出方を待つことに決め、が座りなおした時だった。
「ようやく起きたか」
重い鎧の足音の後に、いけ好かない声が掛けられた。
声で判断するに、いつもシェルビーに殊更へつらっていた男だ。
主と同じく、背後に数人従えてのご登場には嫌気がさした。
「……何か用?」
睨みつけながらの台詞を強がりと取ったのか、男たちは下卑た笑いを浮かべた。
「おいおい、そう噛み付くなよ。あのアルベルの女が、牢屋で一人寂しがってるんじゃないかと思って来てやったってのによ」
なりに翻訳すると、「気に食わないアルベルの女をからかって(もしくはいたぶって)、憂さ晴らしをしに来た」ということらしい。
こんな連中を相手にするのも馬鹿馬鹿しいが、少しでも情報が欲しいので、ご希望通り話し相手になってやることにする。
「……今日は何日ですか…?」
逡巡するように目線を動かして戸惑うように見上げれば、男たちの態度が少し変わった。
すんなり、が捕まってから二日程経ったと教えられ、ちょろい奴らだと内心舌を出す。
「アルベルのことが気になるか?」
聞いても居ないのにそう切り出され、ははっとしたように振舞った。
男の嬉しそうな様子から大体想像は出来るが、こくりと弱々しく頷く。
「奴はまだ王都で足止めされてるだろーぜ。奴が帰ってくるよりも、シーハーツの隠密を処分して捕虜を捕まえるのが先だろうよ。そうすりゃあ、シェルビー様がアルベルに変わって団長になられる!」
「……シーハーツの隠密? 捕虜……?」
男たちはよっぽど浮かれているのか、それとも元が馬鹿なのか、シーハーツの隠密二人を人質として捕らえたこと、その餌につられてまんまと捕虜ともう一人の隠密が先ほどここに侵入してきたことをペラペラと喋った。
シェルビーの企みのほぼ全容を理解したは、まだ喋り続けている男の話を聞き流しながら、これからどうしようかと考える。
逃げるならば、モンスターが退けられている今がチャンスかとも思うが……
「おい」
第三者の声で、と男たちは振り返った。
そこに立っていたのは、新たな漆黒兵三人。
「シェルビー様が、その女を処刑場まで連れて来いとよ」
「へへ、いよいよか」
牢を開け、の腕に錠を下ろしてから立たせた漆黒兵に視線をくれてから、は腹を決めるしかないと深呼吸する。
「早くしろ!」
「っ…………」
怒声と共に飛んで来た拳に打たれ、ニッと口角を上げるも、何事も無かったようにそのまま足を動かした。
「ったく、ふざけんじゃねぇぞ、あの女!」
庭のように知り尽くしているグラナ丘陵を駆けながら、アルベルは一人毒づいた。
アルベルが帰還できないのを報せてくると、大口叩いてが王都を出てから既に二日――
王都とカルサア修練場は、一日あれば余裕で往復できる距離である。
が出て行った翌朝――まだ帰っていないと聞いて、アルベルが真っ先に思い出したのは彼女と出会った時のことだった。
そこら辺の野性モンスターに殺されそうになっていた非力な少女――
(あいつ、まさか――……)
あの頃とは見違えるように腕も上がったから、アルベルも話の流れとは言え許可を出したが、稀に強力なモンスターも出没する。
今頃、どこかで動けない程の怪我を負っているかもしれない――
思ったと同時に城を出ようとしたが、運悪くヴォックス本人に捕まり、更に書類を押し付けられて退路を絶たれた。
仕方なく、ウォルターから足の速いルムと風雷兵を借り、カルサア修練場まで使いに出した。
苛々と書類など手につかない時間を過ごし、半日を置かずして返ってきた風雷兵が言うには、は修練場に姿を現していないという。
今度こそ書類など放り出して出て行こうとしたアルベルだったが、見越したようにヴォックスが会議だと呼びに来て、流石におかしいと思った時には他の重鎮も集めての対シーハーツ戦軍議の真っ只中――仮にも、シーハーツ戦総指揮官となっているアルベルが抜ける訳にはいかない。
おまけに、いつもこんな場には誰よりも早く来る部下――漆黒副団長のシェルビーが病欠と聞いて、アルベルは満足げなヴォックスの顔を睨み付けた。
(何をこそこそと企んでいやがる――?)
似た様なタイミングで修練場に赴いたも、巻き込まれているのかもしれない。
その辺のモンスターにやられたと考えるよりは可能性が高いだろう。
「……おい、じじい」
夜通し続いた会議の小休止に、アルベルはこっそりとウォルターを呼んだ。
「おお、アルベル。は戻ったのか?」
「いいや、まだだ」
なんと、と言って瞳を曇らせたウォルターに、アルベルは簡潔に言った。
「嫌な予感がする。俺は少し抜ける」
「なに?――ふむ。その予感はあながち外れではないとワシも思うぞ。疾風殿のご機嫌を考えれば尚更――な。よかろう……後の事は任せろ。貸し一つじゃな」
その言葉に舌打ちしつつも、ニヤリと笑ってアルベルは城を出た。
カルサアの街を脇目も振らずに通り抜け、グラナ丘陵を駆けながら、アルベルの脳裏にはの言葉が甦っていた。
――「もしかして、私を心配してくれてるんですか?」
――「アルベル様、私が居なくなると寂しいんですか? でも、すぐ戻ってきますから……ね?」
心配……寂しい………
冗談じゃないと、アルベルは首を振る。
ただ偶然見つけて気まぐれに助け、成り行きで部下にしただけの女に、なぜそんな感情を抱かなければならないというのか。
だが…………
――「すぐ戻ってきますから……」
(……ムカツク)
あんなに明るい顔で言っていたというのに、なぜそれを守らないのか。
今頃ヴォックスやシェルビーの企みに巻き込まれ、何かされているんじゃないかと思うと、余計に苛立ちが募った。
「……何だってんだ、クソッ……!」
悪態をついて、速度を上げる。
原因はともかく、この苛立ちの原因がであることは疑いようが無い。
結局あんな非力な少女一人に振り回されている事だけは自覚し、アルベルは行き場の無い怒りの瞳を、ようやく見え始めた修練場へ向けた。
04.3.14