繋いだ手だけが、確かに温かかった。

 無数の星々も、目の前の光景も――全てが遠ざかっても、その感覚だけは消えなかった。

 全てが消え去った――そう感じると同時に、手の温もりがそれを否定する。

 思わず微笑んだ。

 この想いは、どうやっても消せはしない。消えることは、無い。

 宇宙を漂っていたような心細い感覚に、ある感情が色づいていく。
 その色の一つ一つが、自分を形成していくのを感じる。

 手を伸ばす――あの人へ。

 急に強く引かれるような引力を感じ、光が、弾けた――

41.星の海

「SMC小マゼラン雲消去、M-31アンドロメダ大銀河消去、IC1613消去、LGC6813消去――このままじゃ何もかもが消え去ってしまう…!」

 何とかデータを留めようと奮闘するブレアの悲痛な声が、無情な事態を告げていた。

 ルシファーを倒すことが出来ても、もう遅い。
 一度実行されたデリートプログラムは開発責任者にあたるブレアでも分からないものらしく、忠実に次々と作動していく。
 とうとうプログラムが実行段階に入ったのか、空間がドクンと脈打ち、振り子を初めとした全ての時計が動きを止めた。
 そのままそれぞれの時を刻む時計がゆっくり消滅していく様を、ただ眺めているしかない。

「――世界は、消滅しようとしているのね」
「ああ……」
「そんな……私たち、間に合わなかったの…!?」

 もう、出来ることは無い――

 それが分かっているだけに、全員それ以上は何も言葉に出来なかった。
 は消えていく時を見送りながら、空間自体に視線を向ける。
 不思議と心は落ち着いていて、穏やかな気分だった。


「でも、見て――キレイだよ……まるで星の海みたい」

 これが世界の姿だというのなら、この目で見ることができたのだから満更でもないと思う。

 みんなもしばし見とれて……、そしてふと気付いたようにソフィアが言った。

、声が――!」
「え? ああ、うん……戻ったみたい」

 チョーカーのリミッターを越えるほどの何かが体の中から湧き上がった時に、一緒に声を封じていたものも吹き飛んでしまったのかもしれない。
 体調を心配して聞いてきたマリアに、笑って大丈夫だと答えると、クリフは声を上げて笑った。

「しかし、お前もよっぽど馬鹿だよなぁ。何も自分からこんなとこに来るこた無いだろうに」

「みんなが置いてけぼりにしてくれたおかげで、ここまで来るのにすごく大変だったんだから! ――それに、どこに居たって同じよ。それならこうやってもう一度みんなに会えた方が良かったに決まってる。馬鹿だって呼ばれたってね」

「………阿呆が」

「阿呆でもいいんです!」

 クリフに返したのと同じようにアルベルにも返すと、みんな屈託無く笑い合った。


「――さて、どうしたものかしらね」

 改めて現実に目を向けていても、状況は何も変わらない。
 とうとう大きな振り子まで分解されていって、空間は次第に色を失っていく。
 マリアやフェイトも妙に落ち着いているが、消滅も時間の問題なのか、体も時折透けるようにデータの集合体が浮き出して見える。

「信じるさ。僕たちは現実にここにいるってことを」

 フェイトの簡素な答えに、マリアもソフィアも頷いた。

「そうね、私たちはただの作られたデータなんかじゃない」
「うん、消えろって言われても、はいそうですかって、消えたりなんかしないんだから! 絶対に!」


「私たちにとっての現実……」

 呟いて、は隣のアルベルを振り仰いだ。
 いま、ここで、伝えたい――その想いがを埋め尽くす。

「――アルベル様」

 名前を呼んで、丁度フェイトたちから死角になるようにアルベルの影に入り、真っ直ぐに瞳を見つめた。
 初めて会った時から変わらない……そして、格段に強い光を宿すようになった赤い瞳――

「………好きです」

 アルベルにだけ聞こえるほどの小声で、告げた言葉は簡素だったけれど、には何よりも重い一言だった。

 ロストチャイルドとして過ごしてきた今までの人生で、は全てのことを諦めていた。
 幸せや愛や友情は勿論、ほんの僅かな自由や自分自身の未来さえも――。

 所有物として利用され、不当な扱いを受け、蔑まれ、裏切られ……一生涯自分以外の人間なんて信じられないと思っていた。
 ましてや恋や愛など、そんなものを異性に抱く日など永遠に来るわけが無いと――。

 だから、にとってはとても重い一言――
 他者を信じ、他者を愛し、未来を望む――そんな自分を認める言葉。
 放棄していた筈の全てを取り戻すための、引き金である言葉。


 大きく目を見張ったアルベルに、はにっこりと微笑んだ。

 これだけは、自分の口から言葉にして伝えたかったのだ。例えアルベルにどう思われようとも、悔いは無い。

「………………」

 無言のまま顔を背けたアルベルの横顔が、心なしか赤くなっているように思えて、も目を見開き、思わずくすくすと笑った。

 苦虫を噛み潰したような顔で睨んでくるアルベルに苦笑してそっとその手を握ると、それでもちゃんと握り返してくれた。

 力強いその手から、気持ちが伝わってきては頬を染める。
 言葉にしない代わりだとでもいうようなその温もりに、嬉しいような気恥ずかしいような……愛しい気持ちが湧き上がってくる。

 しかしそれと同時に、やはり言葉にして欲しいと…少し欲張りな気持ちが生まれた。
 策を巡らしてアルベルの渋面を想像すると思わず頬が緩む。

「……それが、陛下がおっしゃっていたクリムゾン・ヘイトですね?」
「ああ…」

 の唐突な質問にそれでも反射的に答えて、しかしすぐに何かを思い出したのか、嫌な予感がしたのか、アルベルの表情がぴたりと固まった。
 はにっこりと微笑む。

「陛下に、守りたい人がいると……その為に力が必要だとおっしゃったそうですが、一体どなたなんですか?」

 想像通りの渋面を作ったアルベルに、は笑いをこらえた。

「私には言えない人なんですか?」

 少し拗ねたような声音で言う。
 深くため息をついたアルベルが睨み付けてきたが、全く恐ろしいとは思わない。

「テメェ……言わせる気か」
「私は言いましたから。――アルベル様は、誰を守りたいのか…言ってくれないんですか?」

 しばしの沈黙の後、今度は諦めたような長いため息をつき、アルベルは口を開いた。

「テメェの……惚れた女の為に決まってるだろう、阿呆」

 掠れた声音で……かろうじてに届くほどだったけれど、伝わるには十分だった。
 まさかここまではっきり言うとは思わなかったは、頬が熱くなるのを感じて顔を俯けた。
 たった一言でこんなにかき乱されてしまう自分が悔しく、なんとなくズルイと思ってしまう。

 けれど、俯いた拍子にとうとう分解されていく自分の足元が目に映り、は顔を上げた。

 アルベルの穏やかな瞳がこちらを見返している。そしてその口元に太い笑みが浮かんだ。

「――お前は、このまま大人しく消えてやるつもりか?」

 アルベルの問いにも不敵に笑い返した。

「まさか。私たちがここに居るという現実……ここにある想い、簡単に消えてしまえるようなものなら最初からここにいません」

 飼い主から逃げ出し、アルベルと出会い、心のままに行動し、惹かれ、愛という感情を認め、それと向き合う為にここに来た――その現実は、消そうとしても消えるものではない。

「そうだ、消えるものかっ……!」

 フェイトの声を聞きながら、たちの視界も消えていく。

 全てが消える――無が広がる――何もかもが遠ざかっていく中、アルベルと繋いだ手だけが温かかった。














 光が弾けた瞬間、自分の周りに世界が戻ってきたのを感じた。

 伸ばした手を力強く引き上げられて、は瞳を開ける。

「――アルベル様」

 眩しい視界の中に最初に見つけた存在――愛しい人へと、は微笑んだ。

「遅いんだよ、阿呆」

 憎まれ口を叩きながらも手は繋がれたままなのに気付いて、は笑みを深くする。
 この温もりのお陰でまたこの人の元に帰ってこれたのだと思うと、嬉しくて仕方なかった。

「っ……!」

 上半身を起こし、は不意打ちのようにアルベルに強く抱きついた。

「おいっ……!」

 バランスを崩しながらも慌てて抱きとめてくれたアルベルの首に手を回し、その肩口に顔を埋めて呟く。

「ただいま――です」
「…………フン」

 不器用に抱き返してくれた片手に愛しさが募って、は瞳を閉じた。
 このまま時間が止まればいい――
 そんなことを思った時だった。

「おーおー、お熱いこって」
「えー! とアルベルさんってそうだったんだー!」

 はっとして体を離すと、クリフとソフィアがにやにやとこっちを見て笑っていた。
 その後ろでは苦笑したマリアとため息をついているフェイトもいる。

「みんな…! 良かった、無事だったんだ…!」

 立ち上がり、頷く面々へと向かい合う。

 そこは、広い平原だった。
 青い空と、緑の葉、瑞々しい風。
 眩い程の空気を吸い込むと、大地の匂いがした。

 は自分の掌を見つめ、腕を伸ばして太陽にかざしてみた。
 もちろん、透けてなどいないし、数字の羅列も見えない。

「これが、私たちの現実――私たちの生きる世界……なんだね」

 の言葉に、歩み寄ってきたマリアが隣に並んで頷いた。

「私たちの世界の目に見えるもの、触れることができるもの……確かに、それらは全て、そのように認識できるように作られただけのまがいものだったのかもしれないわ。だからこそルシファーによって、それらをもう認識できないようにされてしまった時に全ては消え去ってしまった。けど、ね、仮に私たちの世界にあった全てのものが虚構だったとしても、その世界が実在すると考えていた私たちの心そのものは確かに存在していたのよ」

「そうだな。ルシファーが何て言おうと、それだけは本当にあったんだ」

 マリアとフェイトの言葉に、たちも頷いた。
 確かに、ルシファーを初めとするスフィア社は、たちの世界を創った――少なくとも、世界のルーツを作った。
 けれど、例えデータであったとしても、自動プログラムとして創造主の手を離れた時点で、そこには<心>というものが生まれた。
 心は人を動かし、歴史を作り、世界を作った――

「ルシファーは、そこに在ると見せかけていたものを、再び無に戻そうとしただけ。それでは、実際にそこにあるものを消すことなんて出来ないわ」
「創造主に消せるのは、創造主が創ったものだけ――彼らの手を離れた私たちの心までは消せるわけがなかったのね…」

 は自分自身に納得させるように言葉を紡いで、柔らかい風に目を細めた。
 この空気も、大地も、たちの心が認識している世界なのだ。
 だからこそ、ここに存在している――

「僕たちの世界は、厳密に言うと、今はもう存在していないのかもしれない。けど僕たちは、自分自身の心によって、僕たちの世界が在ると感じることができる」

「その世界にいる全ての人々が、みんな同じように世界の存在を感じることができるのならば、その世界は、やっぱり存在していることになるわ」

「たとえ実際には、どうであったとしても…」

 フェイト、マリアに続いて噛み締めるように呟いたソフィアの背をは軽く叩いた。

「FD界のエターナルスフィアは消滅してしまったのだとしても、私たちの世界はこうして在る―――それどころか、異空間人の干渉が無くなったんだから、万事解決ってことよね」

「俺たちの勝ちってことだな」

 結果的には、生き残ったのだから――
 これ以上は無いというほど平たく言ってくれたアルベルに、は苦笑して頷いた。

 大きく深呼吸して気持ち良さそうに伸びをしたクリフを真似て、も体を伸ばした。
 まだ呆然としているフェイトにも無理やり同じことをさせると、ようやく気持ちが落ち着いたらしい。

「うん――僕たちはココに存在し、世界もココに在る。それだけでも、十分なんだ……」

「そう、大事なのはそれだけなのよ」

 みんなの笑顔がここに在る――それが真実。それが答え。

 傍らのアルベルを見上げて微笑み、は地平線を眺めた。

「帰ろう。わたしたちの在るべき世界へ」

「うん、帰ろう。私たちの…みんなの世界へ!」


 たちは、一斉に空を見上げた。

 生まれも育ちもバラバラで、生き方も考え方も違っても、人はそれぞれの<心>がある限り、出会い、別れ、無限の可能性を持っている。
 宇宙を――たくさんの星の海を渡って、何百万、何千億という確率の中でたちは出会った。

 自分の<心>さえあれば、<自由>だ。
 全ては切り開いていくことが出来る――


 そして、帰るのだ。

 自分の在るべき世界を求めて、

 たくさんの<心>と共に在る、星の海を、こえて――











                                     完





05.5.1
CLAP