「…よし、やるぞ!」
断鋏を持ったまま、はそう言って自らに気合を入れた。
だが、勢いが良いのは気合だけで、すぐにぴたりと動きは止まってしまう。
「はぁぁぁ……私の意気地無し…!」
額に伝った汗もそのままに、は泣き伏すようにしてハサミを投げ出した。
ちなみに本日だけで、実に五回目の奇行だ。
<……何か手伝うか?>
それを見兼ねたのだろう、屋根裏から遠慮がちな声が掛けられる。
「疾風~……」
頼り甲斐の有りまくる友人に縋ってしまいたいのをぐっと堪え、しかしこのままでは一生進まないのでは無いのかという危惧が頭をもたげたものだから……
「……こっそり城下に連れて行ってくれる?」
「承知」
の頼みに二つ返事で頷いた友人は、その直後にはとその他の荷物も一式抱えて、夜の城下へ飛び出していた。
結局こうなるのか……そんなの溜息が、小田原の空に落ちた。
――夏である。
今年は特に猛暑らしく、ここ小田原城でもバタバタと倒れる人間が続出していた。
考えてみれば、伊達の本拠である米沢に居た頃も暑さで機能しなくなった夏があった。
ましてや、小田原は東北よりも南……北国の人間にとっては、少しの違いでも体に堪えるのかもしれない。
そこへ来て、この異常気象かと思われるような猛暑……
暑さの盛りで、甲斐で生まれた筈のも大分参っていた。
そうして、本当に突然思い出したのだ。
「誕生日……!」
「Ah? 誰が誕生したって?」
「はっ…え、いえっ! 何でも! 何でも無いんです、申し訳ありません!」
政宗の誕生日は、確かこういう夏の盛りだった筈だ。
はっと思い出した呟きをウッカリ本人に聞かれて慌てて誤魔化したは、その足で小十郎のところへ行って確認した。
「ああ、三日前だぜ」
懐かしいな、と続けられた言葉は前の年のことを指しているのだろう。
まだ米沢城で何も知らずに政宗の側に居て、彼が生まれた日を祝いたくて、誕生日なんて風習も無いこの時代で小十郎や成実も巻き込んで大騒ぎしたりして……
「本当に懐かしいですね…………て、え!? 三日前!?」
どうやら時は、無情にも矢のように過ぎ去ってしまったらしい。(こう言うとそれらしいが、ただ単にが忘れていただけである)
しかし、好きな人の誕生日を忘れて過ごしたなんて、乙女としてどうなのだろう。
「……………………すみません、小十郎さ…様! 今日は仕事が早く切りあがりましたので、これにて失礼させていただきます!」
遠のきそうになった意識を何とか立て直し、気を取り直して小十郎に頭を下げた。
慌しく一方的に仕事を上がり、城下へ走る。
そして二の丸にある自室に戻って来て作業し、一昼夜が明けて今に至るというわけである。
――そう。つまりは、今更ながら政宗への誕生日プレゼントを準備しているのだ。
政宗には以前のに関する記憶は無い。
だから、誕生日のことも忘れているだろう。
そんな彼に、プレゼントを渡す意味があるのか……またどうやって渡すのか。
そんなことを考えていろいろ悩みもしたけれど、やっぱり気持ちの問題だ。
政宗のために、というよりも、自身が政宗の誕生日を祝いたい。祝う気持ちを贈りたい。
言葉には出来ないから、やはり物に込めて贈るしかない。
そこで思いついたのが、以前城下で見かけた反物を使って、政宗の着流しを作ろうというものだった。
それなら、普段にも夜着としてだって使える…かもしれないし、多少出来が悪くても構うまい。
羽織や正式な着物よりは、からだという贈り主を隠していても処分されない公算も高い。
彼のカラーの青では無く、彼がに似合うと言ってくれた赤――
黒地に赤の波……炎だろうか…が描かれた反物で、政宗の好みそうなクールな柄。
同じ赤でも、きっと幸村や父信玄とは全く違った感じになるだろう。
それでも似合うだろうな、と思った。
喜んでくれるといいな、とも。
誕生日そのものを忘れていた癖に乙女思考を惜しみなく展開しながら、いざ布を断とうという段になってはたと気付いた。
は裁縫はあまり得意ではない。
そして現在、この城で唯一裁縫で頼れそうなまつは加賀に戻っている。
喜多や女中仲間に頼んでも快く引き受けてくれるだろうが、誕生日という概念の無いこの時代では何と説明しようか迷ってしまう。
結果、何とか一人で試みようとして、それでも布を断つのだけは失敗したらやり直せないという小心から丸一晩苦悩し続け、翌晩になっても決心が付かず無駄に時間を浪費したというわけだ。
最終的に城下の知り合いを頼ることになった訳だが……
「…結果オーライよね、うん」
自分を納得させるように無理やり頷いた手元には、当初の予定より遥かに良い仕上がりとなった徹夜で完成させた着流し。
知り合いの助言があったとは言え、正直、自分でもここまで頑張るとは思っていなかった。
「疾風、よろしくね」
「ああ、任せておけ」
申し訳ないと思いながらも、届けてくれるという疾風の言葉に甘えて一応桐箱に入れて体裁は整えたプレゼントを託す。
喜んでくれるといいな、という期待だけで、達成感を味わえた。
大きな欠伸を一つ零して満足した心地のまま、近づいてくる夜明けを前に、はようやく自室へと引き上げた。
プレゼントを完成させてからさほど時間も経っていないいつもの起床時間。
常のように政宗を起こしたは、寝不足と戦いながら何食わぬ顔で挨拶をし、仕事をこなした。
疾風には贈り主か分からないように政宗の部屋に届けて欲しいと頼んだので、政宗は誰からか分からない贈り物を既に受け取っているだろう。
だが、別段そのことについては何も言わなかったし、も探りを入れるようなことはしなかった。
自己満足なのだからそれで良い。
少しは感じる寂しさには気付かないふりをして、その件は終わったことにする――その、筈だった。
そして、その日の午後のこと。
政宗が執務に使っている部屋にお茶を届けるようにと言付けを受けて、は首を傾げた。
いつもなら大体この時間には机仕事は終えて、鍛錬などに体を動かしている筈である。
しかも、自分からお茶を頼むことも珍しかった。
来客でもあるのだろうかとか、よほど仕事に行き詰っているのか、と思いながらも、常に傍に控えている小十郎の分と二人分のお茶を持って廊下を進む。
「です。お茶をお持ちしました」
「Ya、入んな」
「はい、失礼いたします」
流れるような所作を心がけて障子を開け、中に入り、再び閉めて頭を下げる。
何も考えずに顔を上げて、そしては固まった。
特に仕事をしている様子も無く上座に坐していた政宗は、愛用の煙管をふかしてニヤニヤと笑っている。
何やらご機嫌な様子だが、その雰囲気はいつもとは大分違っていた。
黒地に赤の模様――炎をイメージさせるそれは、彼の獰猛な面を強調するかと思いきや、実際は逆に落ち着きを与えていた。
重みのある威厳とでも言おうか……けれどそれと同時に苛烈な獣をも思わせる荒々しさがある。
――いつもとは違うし、見慣れないが、……とてもよく似合っている。
「どうした、。今さらテメェの主に見惚れてんのか?」
「!! いっ…いいえ、何でもございません。……珍しい色をお召しだなと思ったので」
「まぁな。どっかのpretty kittyが誂えてくれたらしくてよ」
ピクリと動揺しそうになる自身を抑えて、は勤めを果たすべくお茶とお茶請けを出す。
贈り主が分からないのは別に良いが、折角心を込めて作ったものを、別の女性からだと思われるのは胸がムカムカする。
「そうですか、それはようございました」
「……オイ、そんだけかよ? ちったぁ誉めるなり何なりできねぇのか?」
「………………よく、お似合いです」
自分の作ったものを着ている好きな人――
何やら考えたらどんどん恥ずかしくなってきて直視も出来ず、はそれだけ言うのが精いっぱいで立ち上がった。
もう自分が何をしたいのか、どうすればいいのかも分からない。
頭に血が上ったまま早々に部屋を辞そうとした所を、しかしぐいと腕を引いて引き止められた。
振り向けば、不機嫌なような……いや、拗ねたような表情の政宗。
「Wait. まあ、そんな急ぐこともねーだろ」
言いながら、唐突に一つの包みを放り投げてよこした。
慌てて受け取ったが何事かと見つめれば、相手は何事も無かったかのようにお茶を飲んでいる。
「政宗様?」
問いかけに視線さえ返らず、これはとにかくここで開けろということなのだろうと諦めて、しゅるりと袱紗を解いた。
中には小さな桐箱があり、それを開けたは目を瞠る。
「これは………」
そこには、小振りの生け花鋏が収められていた。
洗練されたフォルムといい、刃の煌めきといい、一見しただけで最高級品と分かる。
しかも、伊達の家紋まで焼印されていた。
「欲しいっつってただろ、鋏」
「え?」
そんなことを言った覚えは無いと言おうとして、はたと思い当たった。
そう言えば昨日の昼間、政宗についていた時に何か入用のものは無いかと聞かれたことを思い出す。
その時のの頭の中は、政宗への贈り物の反物に如何にして鋏を入れるか――それだけに占められていたので、冗談半分にこう答えたのだ。
――「迷い無く切れる鋏……ですかね」
それを政宗は、『切れ味の良い鋏』と解釈したらしい。
しかも、のイメージがそれで定着しているのか、裁縫鋏では無く生け花鋏である。
嬉しいような、それだけが取り柄だと思われるのは悔しいような……複雑な気分だ。
しかしそれにしても、一介の侍女へ渡す仕事の備品としてはこれは豪華すぎるのではないだろうか――
「こんなに良いもの……」
思わず絶句するに、政宗はようやく視線を返してぶっきら棒に言った。
「俺がやりたくなっただけだから気にすんな」
「え……?」
「夏だと思ったら、急ににpresentをやりたくなった……ただそんだけだ」
文句あるかとやや赤い顔で言われて……の脳裏に一年前の言葉が甦る。
――「だったら好都合だ。お前のBirthDayは俺と同じ日だ」
誕生日が分からないと言ったに、政宗はいつもの笑みを浮かべてそう言った。
そしてお互いにプレゼントを贈り合ったのだ。
……僅か一年前のことだ。
その記憶も、政宗の中からは失われている筈なのに――
「ありがとう…ございます」
感情がぐちゃぐちゃで、ほとんど言葉にならないは、鋏を胸元に抱いて何とかそう絞り出した。
「……?」
「嬉しいです……大切にしますね」
「………ああ、You are welcome.」
涙が出そうで俯いたの頭の上に、大きい掌が優しく置かれる。
柔らかく髪を撫でられて、立ち上がった政宗は、去り際に耳元に囁きを残した。
「俺も大事にするからよ――Thanks, kitty」
目を瞠って振り向けば、黒地に赤の後姿が振り向かずに片手を振った。
「やっぱり、独眼竜は伊達じゃないですね……政宗さん」
完全に気配が感じられなくなった頃に、そっと呟いた。
今は本人に向けられない呼び方と共に静かに破顔する。
プレゼントをもらったのは……喜ばされたのは、結局の方だ。
泣き笑いの顔を空に向け、言葉を送った。
「Happy Birthday」
物よりももっと温かい、秘密のプレゼントを胸に抱いて。
080809
連載に入れてもいいくらいの雰囲気になってしまいましたが、とにかくハッピーバースデーです、政宗様!