殿様の耳はロバの耳

 それは、至極平和な昼下がりだった。
 奥州の竜――伊達政宗。天下にその名を轟かせるその竜の右目として名実共に立派にその役目を果たしている彼――片倉小十郎も、その日は久方ぶりに空いた時間に読書でもしようかとまったりお茶を啜っていたところだった。

 しかし、である。
 平和な時間を無情に切り裂くごとく、その変事は突如として起こった。
 いや、文字通り、小十郎の頭の上に降り注いだ。

「政宗さんのぉぉぉぉ……っっ、馬鹿ぁぁあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!」

 辺りで羽を休めていた鳥は一斉に飛び立ち、馬は暴れ、獣はその場を逃げ出した。
 城の天守から降り注いだその声に、城に詰めていた者たちの耳は一瞬使い物にならなくなり、ようやく感覚が戻り始めると頭を鈍器で殴られたような衝撃が襲った。
 ふらふらと廊下にまろび出て、そのまま力尽きて……もしくは目を回して倒れる者が続出した。
 被害は生き物だけには留まらず、本丸の瓦が割れたやら、立てかけていた材木の山が倒壊しただとか、諸々の被害報告が瀕死の部下から小十郎の元にそれこそ続々と届けられた。

「……………………………………

 小十郎はたっぷり数十秒頭痛のする頭を押さえた後、そう一言呻いた。

 そう、その変事は、天災やましてや敵の襲撃などではなく、この国の主である政宗の想い人――の大声だったのである。
 超音波のように破壊力抜群だが、ただ単にが大声で叫んだだけ。
 そう言えば、の実父である武田信玄公も戦の際には地に轟くような大声を出していたから、大声は父親譲りということだろうか。

「いや、今はそんなこたぁ関係ネェ……」

 自分自身に突っ込みを入れて、小十郎は落ち込んだ。
 普段から鍛えているとは言え、よほど先程の大声が尾を引いているらしい。

「こっ…小十郎殿! 今のって……!」

 騒々しく廊下を走って現れたのは、小十郎と共に伊達三傑の一翼を担っている伊達成実。

「小十郎殿、あれはもしや……」

 続いて若干足元をふら付かせながら顔を出したのは、同じく三傑の一人、鬼庭綱元であった。

「ああ、二人とも、良い所に来てくれました……」

 小十郎は涙の出そうな心境で心からそう言った。
 この二人ならば、普段から小十郎同様、政宗の傍に居る分、今ので事情を理解してくれたに違いない。

「殿は……?」
「まだ何も……」
「な…何も? あの殿が、何も言っておられない…?」

 それは、小十郎にしても恐ろしい事実だった。
 あの……あの政宗が、である。
 自分の悪口をあんな破壊力を伴った大声で天守の上から叫ばれて、何も行動を起こしていない。
 それはつまり……

「………あれ? 三人揃ってどうしたんですか?」

 絶妙のタイミングで掛けられた声に、三人は同様に竦みあがった。
 その声の主が他でも無い問題の本人だったからである。

 そろそろと振り返った三人の視線の先で、はきょとんと首を傾げていた。
 その顔は、ここ数日見なかった程に晴れ晴れしている。

 小十郎はその違和感にある一つの仮定が浮かんだ。
 ものは試しとばかりに後の二人を制して話を振る。

こそ、どうしました? 政宗様が探しておられましたが、今までどこに?」
「えっ……と、ちょっと一人で訓練を……」

 成実でさえ明らかにおかしいと分かるくらいに挙動不審になったは、辺りをこそこそと窺って声を潜めた。

「それより、政宗さんが探してるって……何か言ってました?」
「……何か、とは?」
「例えば、怒ってた……とか」
「……いえ、また仕事のことでしょう。今日はもう切り上げられると仰っていましたから、明日にでもまた顔を出してください」
「そ…そうですか……良かった」

 心底ほっとしたように息をついて、は上機嫌のままその場を去って行った。
 それを見送った三人は無言の内に見解の一致を見る。

「……どうすんだよ、アレ」
「本人は、全く気付かれているとは思っていない様子でしたな……」
「肝心なところで変に抜けてると、以前政宗様も仰っていた……」

「「「………………」」」

 問題は、その政宗なのである。

 そもそも、があんな行動を取った原因を、三人は誰よりも深く知っていた。

 政宗とは、多大な紆余曲折があったが、今では晴れて想いを通わせている。
 だが、普通の恋人のようにただ甘いだけの関係に落ち着かないところが、あの二人たる所以だった。
 政宗は多くの土地を治める大大名、とて甲斐の虎姫と呼ばれる知勇兼ね備えた将である。

 同じ城で住まうようになっても、は所謂普通の奥方のように城の采配を取り仕切るのでは無く、政宗の仕事を同等に手伝うようになった。
 ところが、である。
 政宗は、人の使い方が頗る上手い。
 すぐにその人間の能力を見抜き、力に見合った仕事をさせる。
 そうした結果、に任せる仕事は日々増える一方で、当の政宗は空いた時間に自分の鍛錬や遠乗りや狩りに出かけるようになった――仕事をしているを置いて。
 元来、優秀で生真面目であるには、自分まで仕事をサボったらどうなるかが分かるだけに、政宗について出かけることが出来ず、信頼して仕事を任せてくる政宗相手に不平を言うことも出来ないのだろう。

 政宗がいない時、傍で手伝っている三傑相手に、『すとれすで死にそう……』と愚痴っていたことがある。
 ちなみに、『すとれす』とは鬱憤のことだと教えられた。

 その鬱憤を晴らす為に、はああした突飛な行動に出たのだろう。
 ――自分の大声の自覚も無いまま。

 問題は、それらの事情を一切知らない政宗である。

「……地獄のように機嫌悪ぃんだろうな、殿……」
「……とにかく、ここが正念場ですぞ。いま殿がここを去るようなことがあれば、それこそ……」

 ざっと顔を青褪めた成実と綱元に、小十郎も深々と溜息をついた。

「とにかく、にも殿にも気付かせず、自然に仲を取り持つのが最良です」

 というか、あの二人が本気で仲違いしようものなら、奥州どころか、この国が真っ二つに割れる――小十郎は大袈裟ではなくそう思った。
 国の平和――そんな重いものを必然的に背負い込むことになった哀れな三人の英傑は、それぞれな悲壮な覚悟を決めて顔を見合わせたのだった。







 翌日から、三傑の必死の奔走が始まった。

「政宗さん、おはようございます」
「……………ああ」

 恒例となっている朝餉の席で、早々に一波押し寄せた。
 笑顔で挨拶をしたに、政宗は目を合わせようとせず、不機嫌に短い返事を返しただけ。
 当然のようにむっとしたが、食ってかかろうとしたところを、成実が立ち上がって遮った。

「あっ、あぁ! し…しまった、忘れてた!」
「どっ…どうしたんです、成実殿! ……まさか、昨日までと申し上げたアレをまだ終わらせていないのではないでしょうね!?」
「え……あ、アレ! そう、アレを忘れてた!! ちゃん、頼むよ、今日は俺を手伝ってくれ! じゃないと小十郎殿に殺される!!」
殿、申し訳ござらぬが、今日はこの馬鹿な成実殿を手伝ってやってくれませんか? ……よろしいですよね、殿?」
「………………ああ」
「……………………分かりました」

 政宗の許可が下りると、その態度に釈然としないものを感じつつも、はそう言って了承した。
 三人はほっとしてお互いを労ったが、ここからが大変だった。

 二人が顔を合わせれば戦が勃発する恐れがあるので、極力二人を引き離し、特にには、三傑の内の誰かが必ず傍に付いているようにした。
 その結果、十日ほどが経って二人の間の空気は軟化……するどころか、ますます冷ややかに硬化した。
 さりとて二人を会わせる訳にも行かず、会わないと余計に二人ともの機嫌が悪くなる。

「もうどうしろって言うんだよー……」

 ヘトヘトに疲れた成実が、そう言って小十郎の部屋で倒れた。

 は湯殿に行っているらしい。
 長風呂である彼女が湯殿に行っている時間と、・政宗の双方が眠りに付いている間だけが、三人に許された憩いの時だった。

「私にもどうすれば良いやら……」
「全く、あの二人は……」

 智将と呼ばれる小十郎や綱元にしても、今回は完全にお手上げだった。
 だが、よくよく考えれば、なぜこんなつまらないことで絶体絶命の危機を迎えているのだろうと思うと余計に悲しくなる。

「……次は小十郎殿の番ですぞ」
「……分かってる」

 どっと疲れたような顔で、小十郎は重い腰を上げた。
 そろそろが湯から上がる時間である。
 部屋の近い政宗との遭遇率が高い危険な時間帯とも言えた。

 力なく倒れ伏した成実と綱元を置いて、小十郎は廊下を歩き始めた。
 自然と漏れそうになる溜息を堪えて重い足取りで進んでいると、前方から聞き慣れた話し声が聞こえる。
 ぎょっとして飛び出そうとした小十郎は、なぜか反射的に身を隠してしまった。

 話し声の主である二人――政宗とは、二人とも並外れた鋭い感覚を持っているが、会話に夢中で小十郎の存在には気付いていないようだ。

「……どういう意味ですか?」
「どういうもこういうも、そのまんまの意味だ。甲斐に帰れって言ったんだよ」

 小十郎は息を詰めた。
 まさか政宗からそんなことを言い出すとは……も同じ感想だったのか、声が掠れた。

「な…で、どうしてそんなことを言うんです!?」
「………他に好きな野郎が出来たんなら、とっとと出てけってこった」
「……好きな人? 一体何を……私が好きなのは……」
「前から付きまとってた成実か? それともお前が贔屓にしてた綱元か? ああ、一番気が合う小十郎ってこともあるか。どっちにしろ、嫌味ったらしく人に見せ付けてねーで、男漁りなら自分の国でやれっつってんだよ!」
「っ……機嫌が悪いと思ってたら、そんなことを本気で考えてたんですか? ひどい侮辱です……自分が何を言ってるのか、本当に分かってるんですか!?」
「こんなこと伊達や酔狂で言う訳ねぇだろーが!」
「そうですか……本気なら尚更タチが悪いですね」
「どうせ俺は馬鹿だからな」
「誰もそんなことは言って無いでしょう!?」
「言ったじゃねーか!!」

 その後、言った、言ってない、と低俗な言い争いを延々と繰り返す二人にいたたまれず、小十郎は姿を現した。

「………お二人とも、何をなさっているんです」
「小十郎さん……!」
「!!」

 泣きそうになっていたが小十郎を見てほっと表情を崩した途端、政宗から射殺されそうな目を向けられた。
 だが結局は何も言わず、大きな舌打ちを残して政宗は足音荒くその場を去ってしまう。

 残されたは、蹲って嗚咽を漏らした。

「………

 内心憎からず思っている女にこんな風に目の前で泣かれるのは辛い。
 小十郎は溜息をついて、の背を擦った。

「本気にしないでください。政宗様は、怖がっているだけです」
「……っ、怖…がる……?」

 涙に濡れた目を上げたに、小十郎はぐらつきそうになる理性を立て直し、近くの空き部屋に導いて女中にお茶と濡手拭いを頼んだ。
 熱いお茶を飲み、泣いた顔を拭ったが落ち着いた頃合を見計らって、ゆっくりと口を開く。

「前に申し上げたが、政宗様には女性不審の気がお有りになる。そして、人の愛情というものに不慣れで……しかしひどく飢えていることも確かなのです」

 それは、政宗の過去に起因することだった。
 はっとが息を呑む。
 とて、大まかなことは全て知っていて、互いの傷を乗り越えて政宗と一緒に居ることを選んだ。
 だが、ここまで話しても腑に落ちないのだろう。
 眉を寄せて考え込むに、小十郎は諦めの溜息をついた。
 これ以上事態が悪化することは無いというところまで来てしまった今、もう後は賭けに出るしかない。

「悋気ですよ」
「え……?」
「政宗様は、貴女の近くに居る我らにジェラシーを持たれたのです。その上、が城の上から叫んだこと……アレが政宗様の耳にも入ったので」
「え!? ちょっと待って、もしかして……! だから『馬鹿』って……!!」

 ようやく合点がいったように頬を押さえたは、しばらくそうして固まった後、不意に「あぁぁぁぁぁぁぁぁ……!!」と叫んでその場に崩れおちた。
 余りの大声に何事かと驚いた小十郎の前で、しかしは「そんな……信じられない……」とブツブツ呟いている。
 どうやら本人的にはただの溜息だったのかもしれないが、下手をしたら悲鳴に聞こえなくも無かった今の声をもし政宗が聞いていたら……

 そう思った瞬間、障子の向こうに知りすぎた気配を感じた。
 すらりと抜刀した音と、静かで深い殺気が漏れてくる。

 ぞっと背筋を凍らせた小十郎が、何やらいっぱいいっぱいで欠片も気付いていないに声を掛けようとした瞬間、が突然叫んだ。

「信っじられない! 人がこんなに好きなのに!! 政宗さんの大馬鹿ぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 その声は先日とまでは行かずとも、間近で聞けば十分な破壊力を持っていた。
 思わず耳を押さえた小十郎の前で、は一人憤慨し続ける。

「この前馬鹿って言ったのだって、政宗さんが城下に出て遊郭に行ったって噂聞いたからなのに……それで私が愚痴ったって、それを責めるなんてお門違いだと思いません!? それに、成実さんや綱元さんや小十郎さんにまで嫉妬って……こっちは会えない毎日がつらくてつらくて、寝ても醒めても政宗さんのことばっかり考えてたっていうのに、私にとって兄弟みたいな三人との仲を疑うなんて……本当に……」

「………本当に……何だ、Honey…?」

「まっ…ままま政宗さん!? いつからそこに……」
「Ah-nn……『この前馬鹿って言ったのは…』の辺りか?」
「ほぼ全部じゃないですか! 立ち聞きなんて悪趣味な!」
「失礼だぜ、MyDear。まあ、中々心地良い言葉聞かせて貰ったから許してやるがな。寝ても醒めても……何だって? 面と向かって聞かせてくれよ」
「なっ……そ…んなこと、遊郭に行くような浮気者に言う訳無いでしょう!?」
「一体誰に聞いだか知んねーが、こんな時ばっかつまんねぇ策に踊らされてんじゃねーよ。大体、こんなcuteなHoneyが居んのに、他の女に勃つ訳ねぇだろ。何なら、今夜bedの中でたっぷり分からせてやろうか……?」
「やっ……ちょっ………」

 艶めいた声を低めて耳元に囁いた政宗と、顔を真っ赤にして両目を閉じた……
 その時点で抜きっぱなしだった刀を突きつけられ、小十郎は迷い無く諸手を挙げた。

 片手でを抱いたまま空いた手で小十郎に出て行けと促す竜の独眼は、いま邪魔をすれば本気で斬ると如実に語っていた。
 小十郎はそんな死に方はしたくないし、二人が仲直りしてくれることは宿願でもあった筈だが………

「………馬鹿らしい………」

 そっと抜け出てきた部屋から響いてくる微かな嬌声に、何ともいえぬ空しさがこみ上げて来た。
 これを知ったら、残りの三傑も余す事無く小十郎に同情してくれるだろう。

「……飲むか」

 恐らく明日は昼過ぎまで起きてこないだろう主たちのお陰で、今宵は側近としても深酒が出来ようというものだ。

 小十郎は、深く深く嘆息し、三傑の愚痴り場と化している自室へと向かって、大酒樽を抱えて歩き出したのだった。









070826
「7周年企画・リクエスト闇鍋夢」第一弾。
葵様リク「政宗/伊達三傑・甘め」+月蜘蛛様リク「政宗/過去話」+riko様リク「政宗/嫉妬」を混ぜてみました。
連載現在よりもう少し関係が進んだ二人が見たいとのことでしたので、両思い設定でございました。
……とか言いながら、大声は信玄公譲りというギャグ風味にしてすみません……。普段控えめなヒロインは自分の大声を自覚してないといいなぁ…とか。ウッカリラブラブな台詞を叫んでも本人だけ自覚無しに、周りはニマニマしているといい…という妄想でした。
「過去」というキーワードは連載でしっかり書くつもりなので、今回は軽めに入れさせていただきました。折角リクいただいた三傑は……ひたすら可哀想ですみません。当社比の「甘め」はこれが限度です(汗)
CLAP