このお話は、「狐花」の夢主が、
・トリップする事無く順調に武田の姫武将として成長
・同盟関係にある伊達家当主とは恋仲
・しかし、武将としての戦力を手放す訳にはいかないという信玄の妨害工作により、輿入れの目処は立たず
――という、もしも二人が恋人だったら? な設定でお送りしております「IF! 恋人シリーズ」の馴れ初め編になっております。拍手お礼で前・中・後連作予定。

馴初 <前> ~若君と末姫~

 はその日、大きな冒険を敢行すると決めていた。

「姫様ー! 末姫様ぁー!!」

 自分を探す女中たちの声が聞こえたが、勿論応える訳にはいかない。縁の下に潜り込んでやりすごす。
 声と気配が完全に消えてから、は庭に這い出してパンパンと裾の埃を払った。

「なぁーにやってんのさ、姫さん」
「わっ、び…ビックリした。なんだ、佐助か」

 全く気配を感じないままに背後から掛けられた声に驚いたが、相手が馴染みの少年だと気付いて緊張を解く。
 少年――忍見習いの佐助は、ガクリと肩を落とした。

「なんだじゃないでしょーが、なんだじゃ。ウチの若ならともかく、賢い姫さんなら俺に捕まったってことがどういうことだかは分かるでしょーに」

 佐助はのことを子ども扱いしない……というか、たかだか七つかそこらの子どもに対するとは思えない物言いをする。
 尤も、『姫』などと呼ばれて傅かれる人間に年齢など逃げにはならないというのが、この頃既に持っていたの持論だった。

「父上とかばぁやに言いつけて連れ戻すよね、普通の忍は」
「……うわっ…俺様なんだかすごーく嫌な予感がする」

 佐助のことを不遜だとか生意気だと言う大人もいるけれど、にとっては身分だけに捕らわれない彼は好きだった。
 敬意を抱く人間には相手が誰であれそれ相応に応じるし、逆もまた然りである。
 そして状況判断に優れていると父も言っていたし、察しが良いところや面倒見の良いところは弁丸と兄弟同然に育ったにとっても非常に有り難い。

「佐助、ウチに来てどれくらいだっけ?」

 にっこりと笑って聞けば、唐突な質問にも関わらず律儀に答える。

「え……と、そう言えば一年と半分くらいですかねー」
「それじゃあ、去年の暮れに私とした約束覚えてる?」
「去年の暮れ……つーと………!」

 どうやら思い出したらしい佐助に、は笑みを深くした。
 父や兄たちに「花のようだ」と褒めてもらえた笑みだ。一日の大半を一緒に過ごす母には「綺麗な花には棘がある――などと簡単に気付かせてはいけませんよ」などともっと小さな頃から窘められていたが。

「思い出してくれて良かった。それじゃあ佐助、後のことはお願いね」
「姫さんちょっと待っ……」
「佐助に、今日一日私の影武者を命じる」
「!」

 有無を言わせず初めての『命令』を口にした。
 いくら姫と呼ばれても、正室の子でも無く、まして大勢の兄弟の末っ子で女児であるにはそんな権限は無い。
 けれど、以前に佐助と弁丸の三人で、無邪気な遊びをしたことがあった。
 簡単な隠れ鬼である。勝者は敗者に何でも一つ『命令』出来る。
 ほんの遊びだ。
 勿論年長で忍である佐助に分があり、彼はと弁丸が駄々を捏ねた時の切り札にでもしようと思っていたに違いない。
 けれど結果はが勝利した。
 少し……ほんの少し卑怯な手も使ったが、別に禁じ手などは決めていなかったのだから反則では無かった。
 その『命令』を後生大事に今日まで温存してきたのだ。

「佐助なら、遊びだったからなんてこと言わずにちゃんと約束守ってくれるよね? ……ね、父上に怒られたりしたら、絶対に私が謝るから」

 迷っている様子の佐助の前で両手を合わせて頼み込む。
 すると彼はの予想通り、とうとう諦めの溜息をついた。

「約束しちまったもんはしょーがない。だけど、絶対大将へ取り成してくださいね!」
「うん! 約束する!」
「あっ、ちょっと姫さん、せめてそんな恰好で何処行くかだけでも……」
「内緒っ!」

 言うが早いか、他の忍に見つかる前にとは駆け出した。
 名門武家・武田家の末姫であるは、この日初めて"男装"してこっそりと住居である躑躅ヶ崎館の別棟を飛び出したのであった。





 ――「若君?」
 ――「そうです、年もそなたと同じくらいであると聞きますよ」

 つい先日、母と交わした会話である。
 時は戦国乱世。
 武田は甲斐という広大な土地を統治している。
 そしての暮らす躑躅ヶ崎館はその武田の本拠地だ。
 年中戦の危険に晒され、平時でも各地の領主や他国の人間の出入りは頻繁で、は幼い頃から住居に割り当てられた区画を出たことはほとんど無い。
 また、女子には無用とばかりに政治向きの話もほぼ聞かされずに育った。
 けれど、父母は勿論、兄姉の影響もあって学問だけはきちんとやっていたから、知識と興味だけが募っていった。
 そこへ来て、先日同盟を結んだ敵国の国主が会談にやって来るという話を聞いたのである。
 そして、その跡目である若君も連れてくるという。

 ――「どんな子なのでしょうか?」
 ――「さぁ……幼き頃に病で片目を失ったそうな。けれど文武両道の神童だとも、臆病者の暗愚だとも、いろいろな噂を聞きます」

 珍しく答えてくれた母の言葉に、は非常に興味を引かれた。
 噂が当てにならないということは、はよく知っている。
 武田家内でもいろいろとあるのだ。
 敵国の若君の噂ともなれば、いろいろな人の思惑が混ざっているに違いない。

「……この目で見ないと、分からないよね」

 なぜその若君のことがこんなに気になるのかは自身にも分からなかったが、彼がどんな人物であるか、この目で確かめたいと強く思った。
 いくら同い年だとは言っても、相手は世継ぎの若君、自分はしがない妾腹の末姫。
 境遇にも似たような所は無さそうで、接点も無い。
 けれど。

「気になるんだもん……」

 は馬に乗るのも好きだし、薙刀の稽古も琴などよりとても好きでお転婆だと言われるが、基本的には『良い子』である。
 父や母の言いつけに背いたことは無い。
 だから見つかればどうなるのかは分からなかったが、きっとひどく叱られるだろう。

「よい…しょ……」

 別棟から母屋に通じる垣根の綻びから小さな体を捻じ込むように入り込んで、きょろきょろと辺りを見回した。
 母屋にはそう馴染みは無いとは言え、盆や正月の宴には母と共に赴くし、その他父が呼んでくれた時にも来る事は出来る。
 建物の配置などから現在地を何となく弾き出し、次に目的の人物の居所を考えた。
 会談にお供として来た敵国の若君だ――普通なら父親と共に居るか、別室で忍の見張り付きで待機しているのだろう。
 けれど、何と言ってもあの父である。

「……居た…!」

 果たして、件の若君はの予想通り、父のお気に入りの庭を一人で散歩していた。
 整えられた花や木々を興味も薄そうに通り抜け、池の淵にある石に腰掛け、ぼんやりと水面を見ている。

 本当は、話したりするのは無理でも遠くから姿だけでも見られれば良い方かもと思っていた。
 だが、いきなり廻ってきた好機に、はごくりと覚悟を決めて足を踏み出す。
 わざと足音を立てながら近づけば、警戒心むき出しの隻眼が振り返った。

「誰だ!?」

 の双眸と若君の隻眼が合わさった刹那、何かが双方の中でどくりと音を立てた。
 その奇妙な感覚に眉を潜めながらも、は気後れしそうになる自分を叱咤して更に近づく。

「それはこっちの台詞。こんな所で何して……」
「来るなっ!」

 いきなり声を荒げられ、反射的に足を止めれば、若君は忌々しそうにまた顔を池に戻した。
 その間際、ちらりと見えたものには目を丸くする。

「泣いてたの?」
「!! 泣いてなんかっ…!」

 何と、跡目として父親についてきておきながら、一人で隠れるように泣いていたらしい……
 確かに話に聞いていた通りの隻眼で、年も同じ頃だろう。片方にはぐるぐると包帯を巻きつけていたが、それを抜きにしても随分と整った容姿をしている。
 気がつけば、思ったことがそのまま口から漏れていた。

「女の子みたい……」
「!? なっ…梵天は女じゃないっ!!」
「…………」

 涙目で顔を赤くして、むきになって噛み付いてくる。
 あまりにも子どもっぽい言動に、は溜息をついた。
 これは悪い噂の方が正解だったのか。
 何だか急速に興味が削がれたような気がして、これは見つからない内に早々に戻ったほうが良いのではと思い始めた時だ。
 若君は泣いたのを見られた罰の悪さを隠すように虚勢を張って言った。

「お前こそ、こんな所で何してる。ここは甲斐の虎の庭だぞ」

 充分知っている……が、不審なのには違いない。
 は迷った末、精一杯の男言葉で言った。

「お…俺は、弁丸。武田の将・真田が子だ」
「武田の武将……」
「……人に名を聞いておいて、自分は名乗らないつもりか?」
「…ハッ! それは悪かったな。俺は伊達輝宗が嫡男、梵天丸だ!」

 梵天丸……と口の中で名を繰り返して、は詰め込んだ知識を思い起こした。
 伊達と言えば奥州で凌ぎを削る大名の一つだ。
 確か馬も兵も精強で、戦好きな野蛮な国だとか……後のは噂に過ぎないが。

「ちち……お館様のお客がこんな所で泣いているなんて、誰かに苛められでもしたのか?」

 やや呆れたようにが言えば、どうやら気性は荒いらしい若君……梵天丸は、キッと眦を吊り上げた。

「そんなことでこの俺が泣くもんかっ!」
「じゃあ、父上に叱られたとか?」
「ぬくぬくと育った坊ちゃんと一緒にすんな!」

 正確にはぬくぬく育った姫様なのだが……生憎それくらいしか泣く理由が思いつかなかったのは事実なので、もむっと眉を顰めた。

「なら一体何なんだよ!」
「父上の役に立てないからだっ!」

 売り言葉に買い言葉――思わず言ってしまったという顔で梵天丸は顔を歪め、は目を瞠った。

「……くそ、誰にも言うなよ、弁丸。俺は父上の役に立ちたいんだ。だけど、まだまだ子どもだからって、甲斐の虎との会談に同席もさせてもらえない……そんな自分が情けないんだ」

 まるで雷にでも撃たれたような衝撃だった。
 はまじまじと梵天丸を見つめる。

 父の力になりたいというのは、も常々思っていたことだった。
 だが、梵天丸のように行動して、その結果泣くほど悔しい思いをしたことなど一度も無い。
 いやそれ以前に、自分が情けなくて涙が出るなんて……そんな風に努力したことなど一度も無かった。

「それは梵天丸殿が、伊達の跡目だから……?」
「? 当たり前だろ? だけど、俺が跡目じゃなくたって、俺は俺として父上の力になりたい!」

 は、自分が急に恥ずかしくなった。
 子どもとして父の役に立つ――それは武家では当然のことだ。
 だが、女児の場合は他家に嫁ぐことで質としてその役目を果たすことが多い。
 それは末っ子であるには特に言えることだろうが、例えそうだとしても嫁ぐまでは父の傍に……武田に居るのだ。
 ただぬくぬくと守られているばかりではなく、役に立ちたいならそれ相応の努力をしなければ始まらない。
 ――この伊達の若君のように。

「……やっぱり、会ってみて良かった」
「は…?」

 怪訝そうに問い返してきた梵天丸に、は素直に謝った。

「ごめんなさい、無礼なことばかり言いました。許してください」
「え…いや……別に……」

 そして、ふとに何か出来ないだろうかと思った。
 失礼のお詫びと、そして大切なことを気付かせてくれたお礼も兼ねて……

「……梵天丸殿、会談に同席したいのですよね? 武田の臣や伊達家のお連れも加わっているのですか?」
「あ? いや、今は父上と信玄公だけで話しているが……」
「では、行きましょう!」
「は? おっ…おい、弁丸!? 一体何をっ……!」

 反論も受け付けず、有無を言わさずは梵天丸の手を引いて走った。
 二人きりならば……と当たりを付けて赴いた父の私室は閉ざされて、その脇に父の小姓が一人だけ控えていた。
 突然庭から現れたたちを見た小姓は何だと言うように眉を顰め、そしての正体に気付いて腰を浮かせる。

「ひ……っ」
「下がれ」

 こちらも、普段の「花のような笑み」とは間逆の厳しい口調で切り捨てる。
 相手が戸惑って怯んだ隙に、は梵天丸の手を掴んだまま、逆の手で障子を開け放った。

「――失礼いたします!」
「なっ…何事じゃっ!? ……ぬっ、…!?」
「ぼ…梵天丸! 一体何をしておる!」
「ちっ…父上、これは……」

「申し訳ございませぬ、わたくしが無理やりお連れしたのです」

 驚く父たちの前で、はその場に膝をついて、深々と頭を下げた。

「伊達家ご当主様におかれましては、大変なご無礼お許し下さいませ。わたくしは武田信玄が末の娘、と申します」

「ほぅ、そなたが花のような姫君と噂の……」
「おっ…女……っ!?」

 伊達親子の反応は正反対で、信玄は額を押さえていた。
 無理も無い。
 輝宗にしては突然に同盟相手の末娘が乱入して来たのだし、梵天丸には身分どころか性別も騙していたことになる。
 何より父からすれば、男装して会談中に飛び込んでくるなど、乱心したとしか映らないだろうから……

 最初の勢いはどこへやら、急にとんでもないことをしてしまったと気付いたは身を小さくして俯いた。
 しかし、ここまでしておいて今更だんまりというわけにもいかない。

「――して、伊達の倅殿まで連れて一体何用じゃ」
「は…はい、父上。それは――……」

 ちらりと梵天丸に目をやって、若干顔を青くしている彼に申し訳なさがこみ上げた。
 このままでは、彼まで父親に失望されてしまう。
 ええい、女は度胸!と自分に発破を掛けて口を開いた。

「私は今日梵天丸殿にお会いして、そのお考えに……えっと…感動いたしました」
姫、梵天が何か申したかな?」
「は…はい。梵天丸殿は、早く父君のお力になりたいと……会談に同席出来ない自分が悔しいとおっしゃって……」
「おっおい、弁ま……じゃなかった、っ!」

 たどたどしく口にしたに、梵天丸は焦ったように抗議したが、輝宗は驚きながらも嬉しそうだし、父信玄もほぅ……と感嘆の息を漏らした。

「その意気や良し! 輝宗殿は良いご子息に恵まれたものよ」
「……全く。私には過ぎた息子です」
、ぬしはわざわざそのような恰好でそれを伝えに参ったか?」
「はい――いいえ。梵天丸殿とお話して、私は自分が恥ずかしくなりました。私も父上のお力になりたいのです。女子としてだけでは無く、父上の子としてお役に立ちたい。ですから、今日からこのように男子にも負けず鍛錬に励みたく思います! 何卒、お話合いの場に私と梵天丸殿が控えること、お許し下さいませ!」

 自分を奮い立たせて言い切ったは、全部吐き出した後にはっとした。
 他の三人は、三者三様に驚きの目をに向けていたのである。

 女子の癖に何を馬鹿なことを言っているのかと、叱られるだろうか……それとも笑われて一蹴されるだろうか。

 しかし、実際はの予想のどれでも無かった。
 声を上げて笑ったのは、先ほどまで縮こまっていた梵天丸だったのである。

「ははははは! 父上! 俺もと……姫と同じ意見です。梵天はまだ若輩で未熟者……ですが、物事を見る片方の目と考える頭はございます。是非とも、同席をお許しください!」
「梵天……! 姫も、何と天晴れな子等か……そう思われませぬか、信玄殿」
「うむ! 天晴れぃ! 天晴れいっ!! よ! そなたの心意気、父は嬉しいぞっ!!」

 輝宗は梵天丸を、父はを思い切り抱き締めた。
 思わず息を止められそうになりながらも梵天丸を見れば、彼は不敵な……けれどとても嬉しそうな顔でキラキラと笑ったから。
 も、心のままに満面の笑みを返した。

 なぜか赤くなった梵天丸に首を傾げつつ、その日の会談はそれぞれの親想いの子を同席させて終始四人で和やかに進められ、伊達親子は翌日には帰国の途についた。

 独眼竜と虎姫として婚約する十年以上も前……二人の初めて出会った運命的な日の出来事である。






拍手でご要望いただいた「IFシリーズの馴れ初めが読んでみたい」との声にお応えさせていただきました。
私もちょっとあんまり想像できなかったものなので、改めて言われてチャレンジ精神が疼きました。
一目惚れで、一目逢った瞬間の魔法的な「ズガーン!」てーのとどっちが良いか迷いましたが、一筋縄ではいかない感じで、折角なので三部作で幼馴染→恋人みたいなのを書いてみようと思います。
まあウチの二人なので糖度は期待できませんが(汗)
CLAP