白い日

 甲斐に雪が降ったその日、は初めて訪れたその場所で深い溜息をついていた。

 テンテケテーン………

 手元でそう鳴り響くのは、意匠も美しい琴である。
 教えてくれている先生が弾くと何とも妙なる調べが紡ぎだされるのだが、自分が弾くとまるで玩具のように薄い音しか鳴らない。

 誰からも認められる姫になろう!計画の一端として、楽器や詩歌も習い始めただったが、詩歌はともかく楽の才能はからっきしのようで、躑躅ヶ先館に来てもらっていた先生には匙を投げられてしまった。
 それでもやはり諦めるというのは負けず嫌いにはどうしても悔しく、方々を探し回った結果、甲府からは遠いが、甲斐と奥州を繋ぐ街道の宿場町に腕の良い琴の先生が居ると聞き付け、わざわざ出向いてきたのだ。

 行って帰るだけの日帰りは不経済なので二泊ほど泊まって行く予定だが、いつも行動を共にすることが多い幸村も佐助も別の仕事があったので、今日は生憎一人だった。
 その代わり、母親のように心配した佐助によって忍隊に属するくの一が一人付けられている。

 テケテーンテケ……

 音が外れて、は大きく溜息をついた。

 窓から見える雪は美しく、高級料亭だというこの店も喧騒とは程遠い。
 遠くから僅かに聞こえる美しい楽の音は、先生であるここの女将が座敷で披露している音色だろうか。
 料亭と言っても宿泊施設も兼ねているこの店は、しばし金持ちの贅沢として使われているという。
 楽師を呼び、舞と歌を楽しみ、美しい女を侍らせる……未来で言う所の豪遊だろうか。

 テケテケテケテンーテンテ……

 ――また間違えた。
 はぁ…と深い溜息をついた時、背後でくすくすと笑われてはびくりと体を竦ませた。
 武将として毎日鍛錬も欠かさず、大分気配にも鋭くなったと思っていたのに、その自分が気付かないとは……

「ああ、悪かったな、驚かせて。あんまり下手糞な音が聞こえてきたもんだからよ……sorry」

(……そっ…ソーリーって……!!)

 ぴしりと固まったは、大量に冷や汗が吹き出るのが分かった。
 幸い、声の主がいる部屋の入口には背を向ける形で……格好も普段の袴では無く、町娘を装ったものだったが、そのまま1ミリも動けなくなってしまう。

「どうした? もう邪魔しねぇから続けなよ」

 妙に軟い口調は酔っている時の特徴だと、は知っていた。
 ――相手が、間違いなく奥州筆頭・伊達政宗その人であるならば。

「あん? なんだ、気分でも悪いのか? 俺が手取り足取り介抱してやろうか?」

(………はぁ?)

 ニヤニヤとだらしなく笑っているであろうその顔を思い浮かべて、の顔が引き攣った。

「誘ってんならそう言えよ。いくらでも抱いて……」
「政宗様!」

 後ろから肩に手を置かれて、最初のように緊張するどころか本気で燃やしてやろうかと思った時――天の助けとばかりに片腕たる人が登場した。

「なんだ、小十郎。見てわかんねぇか? いいとこで邪魔してんじゃねぇよ」
「全く貴方という人は……そうやって見境無く手を付けられるのはお止めくださいと以前から申し上げているのに。部屋に待たせている女たちはどうするのです?」
「おぅ、四人だろうが五人だろうが、纏めて面倒みてやるぜ?」
「ならば、早くお戻りください! 先方が帰られますよ!」
「やっと帰んのか、あのジジイ。ったく、見送りなんて面倒臭ぇ……お楽しみはその後ってか」

 主従が騒ぎながら部屋を出て行くまで、は硬直したままその会話の一部始終を聞いていた。

 彼らは間違いなく伊達政宗と片倉小十郎本人……ここは国境に近いので彼らが居ること自体そう不自然なことでは無いが、どういう偶然の産物か、同じ店で鉢合わせてしまったらしい。

 会話から察するに、政の接待の一環として使っているようだったが、相手はもう帰るということで……そして政宗は泊まっていくのだろう。

 ――いつものように。
 ――美しい女性たちと。
 ――四人でも五人にでも侍らせて。

「………やよい」
「はい。……姫様…?」

 ふふふふふ…と低く笑いながら付き人であるくの一を呼ぶと、彼女はすぐに現れて、そして不安そうにそう問い掛けた。
 大丈夫ですか? というような無言の心配に、ごめんなさい大丈夫よ、と笑顔で返す。

「あなた、変装って得意?」
「……得意と申しますか、任務で他人になりすますことは必要不可欠ですので」
「そう、良かった」

 にっこりと笑って、はその望みを口にした。

「それじゃあ、私を変装させて。飛び切りの美人にね。それから……」

 やよいという名のくの一が恐怖に顔を引き攣らせような気がしたが、は頓着しなかった。








 絶対に迷惑は掛けないからと女将に頼み込むと、あっさりと了承してくれては拍子抜けした。

「本当にいいんですか?」
「自分から言い出しといて変な子だねぇ」
「いえ、そうなんですけど……」

 女将には最初に武田家の娘であることも明かしているが、そういったことで謙ったりしない気風の良い人柄だった。
 ……恐らくは政宗もそんな所が気に入っているのだろう。

「政宗様は、アンタのイイ人なんだろ?」
「え……?」

 イイ人……良い人……好い人…………好きな人…?

「えぇ!?」

 素っ頓狂な声を上げて驚いたに、姉御肌の美人女将はカラカラと笑った。

「何をそんなに驚くんだい。伊達の殿様に攫われてた武田の姫様の話は有名だよ。まあ、恋仲だったっていうのは意外な真相だけどね」
「こっ…恋仲なんかじゃ……!」
「じゃあいいのかい? このままじゃ、政宗様は今晩お泊りだよ――あの娘たちと一緒にね」

 ぐっと言葉に詰まっては項垂れた。

「……宜しくお願いします」
「あいよ、任せな」

 そう言って大船に乗ったつもりでいな、と笑った女将さえ退出した宴席に取り残され、はこっそり溜息をついていた。

 部屋の中には、政宗、小十郎、追従の伊達家の者二名の他に、を含めた六人の娘たちが居る。
 やよいの変装技術のお陰で、は別人のように化けていた。それはもうハリウッド並の特殊メイクで、父である信玄でさえ騙せるだろう領域だ。
 途中から酌の為ということで入室したは、それでも声などでボロが出ないようにと下座の従者の酌についていたが、政宗たちの様子は分かるし、会話もしっかり聞こえる。
 そしてそれが誤算だった。……早くも我慢の限界に来ていたのである。

「やぁだ、政宗様ったらー」
「なんだよ、ホントは嬉しいくせによ。怒ったら折角のcuteな顔が台無しだぜ?」

 びきっ……

 政宗にしな垂れかかった芸者のような格好の娘に、ベタベタとエロ親父のように触れる政宗。
 手元で鈍い音がして見遣ると、の持った銚子にヒビが入っていた。
 本日何本目になるか分からないそれに、頭痛のしそうな米神を押さえる。
 政宗が使うくらいの高級料亭だ……安いものは使っていないだろう。……へそくりで足りるだろうか。

「なーにがcuteなんだか……」
「――全くだな。本当に政宗様と来たら見境の無い……」

 隣からの相槌にうんうんとも同意した。
 政宗とて健全な若い男なのだし、地位も経済力もある……その上あれだけの容姿なのだから、当然それなりの女遊びはしているだろうと思ってはいた。
 思ってはいたが、実際に目の前で見るとふつふつとどす黒い感情が湧き上がって来るのを感じる。
 嫉妬だ――そう自覚すると悲しいものがあった。

 別には政宗の恋人でも何でも無い。
 好きな人が他の女に鼻の下を伸ばしている場面を見て、勝手に嫉妬しているだけ……
 情けなさすぎる。

「今日は仕様が無いとは言え、随分と酒を召し上がっておられるからな……」
「え? 仕方ないって何かあった…ん………」

 そこまで来て、はたとは気付いた。
 ギギギ……と顔を横に向けると、いつの間に来たのか小十郎が平然と手酌で酒を飲んでる。

(今の聞かれてた……!?)

 ヤバイと思っても後の祭り。
 青褪めたに気付いたのか、小十郎が猪口を置いてニヤリと凄みのある笑みを見せた。

「んで、テメェは何もんだ? その腕力と身のこなしは只者じゃねぇが、忍にしちゃ間抜けすぎる……それにさっきから政宗様に対する殺気が漏れてるぞ」
「えっ、マジですか!?」
「…………」
「……………………………」

 思わず地声を出してしまったも、相当酔っているらしい。
 適当にあしらってきたつもりだったが、酌相手の随従につられて結構飲んでいたようだ。

「Hey、小十郎! お前、何珍しく女口説いてんだよ!」

 こちらに向けて掛けられた政宗の言葉に、二人ははっと顔を上げた。

「違います、この者は……」
「……小十郎様~~!」

 その言葉を遮るように、はがばりと小十郎に抱きついた。
 そして周りには聞こえないようにその耳元に言葉を落とす。

「協力してください、小十郎さん。今度甲府名物・桃の種送りますから」
「っ! お前、やっぱり……!?」

 小十郎が桃を作りたがっているのを知るのは、だけだ。
 以前に畑を手伝った時にこっそり聞いたのだから間違いない。
 案の定一発で正体に気付いた小十郎に、しかしは黙ってというように体を強く押し付けた。

「……っっ!! お…オイ、、分かったから離れろ!」
「協力してくれます?」
「それはできんが、離れてくれねぇと、バレたら俺が政宗様に殺される!」

 武田であるが、では無く、なぜ小十郎が殺されるのかが謎だったが、は今は考えないようにしてにっこりと微笑んだ。

「正体をバラすなら、私がこの場で小十郎さんを殺します」
「!!」

 我ながら恐ろしい声だったので、小十郎も本気だと悟ってくれたのかもしれない。

「じゃあ、この薬を政宗さんに飲ませてくださいね。ああ、ただの痺れ薬ですからご心配なく」
「……一体何するつもりだ?」
「顔に落書きしてやります!」
「……あ?」
「意識があっても体は動かない……そんな屈辱感の中で、顔に『エロエロ莫迦殿』『女好き』『好色バカ宗』って落書きしてやるんです!」
「……そりゃあ……じぇらしーって奴か?」
「政宗さんの前に小十郎さんで試し描きしましょうか?」

 ――かくして、竜の右目は陥落したのだった。







「――イイ格好ですね、独眼竜」
「……Ha、小十郎を抱き込むたぁ……テメェ何もんだ?」

 無事に痺れ薬が効いているのを確かめ、はふふふと笑った。
 小十郎の計らいのお陰で(むしろ政宗の名誉の為なのだろうが)、この部屋に残されているのはと政宗の二人きりである。
 睨み付けてくる隻眼に笑んで、持ってきた手ぬぐいで眼帯の上から両目を目隠しした。

 そうして厚さ何ミリだと言いたくなるような特殊メイクを落としてようやく息をつく。
 酔っているとは言え、気配に聡い政宗のことだ……油断はせず気配は極力抑えたまま、政宗の横に腰を下ろした。

 痺れ薬同様、やよいに用意してもらった『落ちない染料』を溶いて筆に漬し、準備完了。
 いざ――と構えたところに、政宗が口を開いた。

「この俺をどうする気だ?」

 口調はいつも通り尊大だが、指一本動かせない政宗に悪戯心が湧き上がってきた。
 女将の台詞が頭に甦る。

 ――「ここは各国の大名も利用される老舗……ここで国同士の諍いはご法度だよ」

 つまり、例え正体を明かしても、の安全は保障されるという訳だ。
 それを聞いた時には素直に正体をバラして一緒に食事でも、と思ったが、政宗の行動を見ていて気が変わった。
 一方的な嫉妬でもジェラシーでも、取り敢えず何かしらの制裁を加えないことには気が収まらない。

「さて……どうしましょうか、独眼竜。その首、甲斐の姫様の元にでも献上してやろうか」

 声色を変えたその台詞に、政宗がぴくりと反応した。

「なるほど……道理で見ない顔だった訳だ。甲斐の忍か」
「……まあ、そんなところです」

 答えると、政宗は意外なことを口にした。

「アイツは……今日何処に居る?」
「………そんなことをわざわざ敵に教えると思いますか?」
「I think so……だが、まあ十中八九躑躅ヶ崎館だろうな。甲府は雪は降ってるか?」
「………なぜそんなことを聞くんです?」
「……………アイツと、と約束したことがあってな」
「約束……?」

 は眉を潜めた。
 全くと言って良いほど覚えが無い。

「弥生の頃にな……雪景色が綺麗なとこがあるから連れてってやるっつったんだ」

 ふと、は思い出した。
 いつものように弓隊の長屋で酒を飲んでいた時に出た他愛も無い話。
 確か、街道沿いの宿場町で、温泉も湧いていると言っていた。

「……ここが、その約束の場所……?」
「Ha、That's right. 察しが良いな。……まあ、結局は約束も果たせずこの様なんだがな」

 自嘲気味に笑う政宗の口元を見つめている内に、は自然とフォローするように口を開いていた。

「姫様は、甲斐からは出られないから……」
「なんだそりゃ、甲斐の虎が駄目だっつってんのか?」
「………………」
「Han、過保護だねぇ……だが、俺は先月アイツに会ったぜ?」
「え……?」
「しかも、米沢城の中でな」

 は目を見開いた。
 先月と言えば二月……バレンタイン?
 確かに、米沢城に居る夢も見たし、政宗とも障子越しに会話を交わしたが、アレは夢だったはず……

「チョコレートとやらも貰ったしな。確か一月後がWHITE DAYとかいう気持ちを返す日だっつってたから、甲斐まで来りゃ会えるかもしれねーと思ってたが……やっぱそう上手くはいかねぇな」
「……会う為だけに…?」

 驚いてが聞けば、政宗は悪ぃかよ、と言って喋り過ぎたと不機嫌に押し黙った。
 は嬉しいやら驚きやらで、複雑な気持ちになる。

「……姫様に会いに来たのに、他の女を侍らせてたのですか?」
「あんなのはあっちも商売だ……女の内に入んねぇよ。俺だってただの憂さ晴らしだ」
「……片倉小十郎が『いつものことだ』と呆れていましたが?」
「俺は荒れれば結構無茶な憂さ晴らしをやるからな。一度は成実とガチでやり合って二ヶ月寝込んだこともあるし、遊郭の売れっ子を気まぐれに連れ出してみたこともある」
「………それは良いことを聞きました。全部姫様に教えてさしあげましょう」
「! テメェ……虎の差し金でアイツにあること無いこと吹き込むつもりじゃねぇだろうな?」
「あることも無いことも……ありのままでも十分幻滅すると思いますけど」
「言ってくれるじゃねぇか……俺のどこにが幻滅するって? アァ?」

 本気で怒っているらしい政宗に、はくすりと笑った。
 窓から見える雪景色は、どこまでも真っ白で本当に美しい。

「It's all of you! 全部ですよ、全部! 大体、女の人をお金で買おうなんてとこからして、私の常識じゃ許し難いですね!」
「…………………………甲斐の忍?」

 声色を使うのと気配を押さえるのを止めたのだから、こちらの正体に気付いていない筈も無いのに、この期に及んで政宗はそう呼びかけた。
 今度こそは声を立てて笑う。

「現実逃避ですか? それとも、お酒が回りすぎました? 独眼竜ともあろう者が情けないですねぇ、政宗さん?」
「お…前……マジで…か? いつからここに……」
「昼過ぎからここで琴の練習してましたから、政宗さんたちが来てキャーキャー女遊び始める前からですね」
「あの時の下手糞な琴……!」
「下手糞で悪かったですね」

 拗ねたように言いながら染料と筆を片付け、は立ち上がった。

「本当は女たらしの政宗さんに落書きして私も『憂さ晴らし』しようとしたんですけど、私に会いに来たってことに免じてやめておきます。――あ、痺れは朝になれば取れますし、すぐに小十郎さんを呼んできますから……」

 ガシと強い力で腕を取られ、は予想だにしないことにその場に引き倒された。
 見れば、まだ痺れが残るのか震える体を何とか起こした政宗が、の右手を掴んでいる。
 しかし、いくら強靭な肉体の政宗でも、片手以外はまだ上手く力が入らないのだろう。
 shit!と舌打ちしつつも、目隠しを外すのは諦めたようだ。
 それでも、見えているのかと思えるくらいにまっすぐ見上げてくる。

「……行くのか?」
「……帰ります、甲斐に」

 無言のまま掴まれた腕に力が篭って、は自分から動けない政宗を抱きしめた。

「…………」
「ホワイトデーのお返しはもう貰いました」
「なに……?」
「凄くきれいな雪景色……約束もちゃんと果たしてもらいましたしね」

 政宗の体から力が抜けた一瞬の隙をついて、はふわりと身をかわして立ち上がる。
 そして部屋を出る前にもう一度だけ政宗に振り返った。

 目隠しを取って、驚きに見開かれた隻眼に悪戯っぽく笑ってみせる。

「今度は変装しててもちゃんと私だって気付いてくださいね?」

 そして悪戯を仕掛けるように驚いたままの片頬に軽く口付け、その耳元に短い言葉を残した。

「――Darling…?」

 今度こそ振り返らず、は小走りにその部屋を出た。

「やよい、今すぐ帰るわよ」
「――御意」

 クスリとくの一に笑われた気がして、これは厳重に口止めしておかなければと思った。
 佐助や幸村や……ましてや信玄に知れたら大騒ぎである。

 既に寝ているという女将に琴の練習と食器の弁償はまた今度と言付けて、は馬に跨って素早くその店を後にした。
 宿場町を出る前に一番高台に上ってそこからの日の出をぼんやりと見つめる。

「白い…日……か。まさにWHITE DAYだね……政宗さん」

 独白するようにまだ痺れと戦っているであろうその名を呟いて、は強く馬の腹を蹴った。
 胸に残る…確かな熱を抱きしめながら。






070314
只管に政宗ファンすみません!な内容でした、すみません!
政宗様は平気で女遊びしてそうだけど、それをヒロインに見つかった時の反応がおもしろそうだよなぁ…というネタとホワイトデーを無理やりくっつけてみました(笑) 作中でフォローを忘れていた小十郎兄さんは多分珍しく本気怒りの殿にボコられます。南無ー(汗)
これまた連載軸とは別でバレンタインとセットのようなお話。
こんなこともあったかもしんない甲斐編3/14。
CLAP