CHOCOLATE

 は、箪笥から取り出した自作カレンダーを眺めて、良し、という何だか分からない気合と共に再確認した。
 元居た時代とは暦の数え方が違うが、今日は元旦から45日目……単純に行けば、所謂バレンタインデーである。

 この戦国時代に勿論バレンタインなどという習慣は無いが、年に一度の『女の子』としてのイベントが染み付いている身としてはどうにもそわそわしてしまい、結局身近な男性陣にあげることにした。

 武田家は若き日の信玄が道楽に耽っていた名残で、様々な商人との繋がりが深い。
 館に出入りするそれらの商人と誼を通じ、この日の為にこっそりと幾つかの外来品まで入手していた。

「さて……と」

 腕まくりをし、が住まう離れに備えられた台所に立つ。
 いつの時代でもどんな状況でも、こういうことにワクワクするのは変わらないんだな…などと暢気な自分に笑って、早速準備に取り掛かった。






「……はぁ」

 日も沈み、一日の終わりになって、はその日で何度目になるか分からない溜息をついた。
 もう数えてみる気も失せるほどだ。

 武田で渡そうと思っていた人たちには、昼間の内にみんな配り終えることができた。
 チョコレートそのものは馴染みが薄いだろうと思ったので、カカオの粉末をココアパウダーに代用してチョコカップケーキを作ってみた。
 一番大変だったのが竈での火加減だったのだが……まさか自分で出した炎でケーキを焼く日が来ようとはまさしく夢にも思わなかった。……加減が難しいので案外修練になるなどと女の子らしからぬことを思って一人で落ち込んだのは誰にも秘密だ。

 父である信玄、弟のような幸村、オカン…もとい悪友のような佐助、それに親しみのある将数名と慕ってくれる部下たち。
 本当は武田軍全員に配りたかったのだが、まだまだの認知度は芳しくない為、それらの人々にとってバレンタインなどといった異国の風習はマイナスにしか映らないだろう。

 とにかくも、『女性が日頃お世話になっている殿方に甘いものを贈る日』――などと適当なことを言ってプレゼントすれば、信玄と幸村は元より概ね好評だったのでほっとした。

 カップケーキも思ったより美味しく出来たし、環境の割には満足の行くバレンタインだったと思う。
 そこまでは、良かったのだが――

「はぁ……」

 再び溜息をついて、は目の前のラッピングされた箱を見つめた。

「渡せるわけないって、分かってたけどね…」

 呟いた言葉はまさにその通りだったので、余計に落ち込んだ。

 甲斐に来る前、は一つの恋を自覚した。
 甲斐に来てこの場所で生きると決めて、その恋とは決別した筈だった。
 けれど、理性と感情は別物で、ふとした拍子に逢いたいと思い、チョコを渡す相手を考えれば一番に頭に浮かんでくる。
 
 敵である筈の相手に、この世界には無いバレンタインという風習でチョコを贈るなど……常識的に考えて不可能だ。
 甲斐と米沢では早馬を飛ばしても三日はかかる上、がこっそりお忍びで米沢に向かうことも出来る筈が無い。
 それでも……ついつい作ってしまったのだ。

 チョコレートそのものと生クリームを何とか手に入れ、トリュフを作ってみた。
 ご丁寧に相手の嗜好を考え、甘さを抑えたビターにしてブランデーを多めに入れたものだ。

 渡せないと分かっていたのにこんなに気合を入れて作って、ラッピングまでして……

「はぁ……何やってんだろ…」

 ただの自己満足……にしては満足感も何も無い。
 空しいだけである。

「…………寝よう」

 はトリュフの入った箱を人差し指で弾いて、振り切るように布団に入った。
 何も考えずに寝て、明日起きたら自分で食べてしまおう。
 そうしたら、もう来年から馬鹿な考えなんか起こさずに済むだろう。

 自分で無理やりそう決着して、意地で捕まえた睡魔に身を任せたのだった。







「――――ここ、どこ……?」

 踏み出すように足を前に出した途端、立ちくらみに襲われたような気がしてそっと目を開けると、そこは青空も眩しい屋外だった。
 確か自室で寝ていた筈なのに……と頭を捻ると、手の中に何かを持っているのに気付いた。
 視線を落とすと、例のトリュフ入りの箱である。
 おまけに服装は夜着では無く鍛錬する時の袴姿で、髪も普段のように括っていた。

「………城壁?」

 一体何なんだと思って辺りを見渡せば、高い塀が続いている。
 城ではない躑躅ヶ崎館にこんなに高い塀は無いし、幸村が管理している上田城もこんなにしっかりした造りでは無かった。
 更に視線を彷徨わせたは、ある一点でぴたりと動きを止めた。
 視線の先にある小さな箱庭のような庭には見覚えがあった。城主自ら『小次郎の庭』だと教えてくれたものだ。
 まさか……と思ったが、二~三度しか訪れたことが無くとも見間違える筈は無い。
 奥州米沢城の本丸奥の庭だった――

「あはは……夢だ!」

 即座に出た結論に、は笑って自分の頬を引っ張った。

「痛っ……」

 ――痛覚のある夢だってあるに違いない、と自分自身に言い聞かせる。

 すると、ふと誰かが近づいてくる気配を感じて、は反射的に物陰に隠れた。

(小十郎さん……!)

 むっつりと眉間に眉を寄せた小十郎がぶつぶつと文句を言いながら歩いてきた。

「全くあのお方は何度言ったら分かっていただけるのか……これでまた決済の遅れる案件が……」

 歩いていく先が厩の方角なのを見て取って、は即座にまた政宗が脱走したのだろうとあたりを付けた。
 これから小十郎自ら探しに出る所なのだろう。
 ここは相変わらずだな……と感慨に耽りそうになって、はたと手元の箱を思い出した。

 政宗も小十郎も不在……そしてはこの米沢城をよく知っている。
 女中の振りでもしてこっそり政宗の部屋に忍び込んでこれを置いてくるくらいなら出来るのでは無いだろうか。

「……どうせ夢なんだし、そのくらいいいよね」

 自分に言い訳するように呟いて逡巡することしばし……このままここに居ても埒が開かないので、は早速行動に出ることにした。







 そろりそろりと細心の注意を払って廊下を歩く。
 手始めに女中たちの控えの間に忍び込んで揃えの小袖に着替えたは、女中らしく髪を簡単に結い上げ、前髪で顔を隠して、お茶道具一式を抱えて廊下を進んでいた。
 そこかしこにある黒脛巾の目に気を配りながら、ほとんど人と会わない道を選んで奥を目指す。
 途中何人か顔見知りの伊達家臣や女中ともすれ違ったが、ほとんど怪しまれることもなかった。

(もう少し……)

 心中でそっと自分を励ました時だった。

「――オイ、そこの女」

 心臓が飛び出るほど驚いて、思わず手に持った茶器を引っ繰り返しそうになったは、何とか根性だけで耐えて足を止めた。
 誰もいないと思っていた右手の部屋の中で、誰かが昼寝でもしていたらしい。

「そこで何してる?」

 重ねて問われた言葉に、は全身に冷や汗が流れるのを感じた。
 感覚の鋭くなったが気付かないほどキレイに気配を殺せる人間など非常に限られている上、気配を殺していたを呼び止めたというのも只者ではない。
 そして何より、この声は――……

「Hey、聞こえないのか? それとも……答えられないのか?」

 怪しまれていることに顔を引き攣らせたが、平静を装ってその場に膝を付き、声色を変えた。

「申し訳ございません。ここで殿がお休み中とは存じ上げなかったので……」
「It's mysterious―― 障子ごしでよく俺だって分かったな。……で? どこの手のもんだ? 豊臣か?上杉か? それとも……武田か?」
「……何のことでございましょう。私は殿にお茶をお持ちしようとお探ししておりました故……」
「Ha! 主を探して気配を消す女中なんざ、聞いたことないぜ」

 冷静になっているつもりがどんどん墓穴を掘っていることに、の中で焦りが大きくなっていた。
 焦りは隙を生む――まさしく、今がその状況だった。

「御気分を害しましたようで、申し訳もございません」
「まだ言うか? 舐めてもらっちゃ困るぜ。この独眼竜の首、容易く取れると思うなよ? Stupid intruder?」

 『間抜けな侵入者』と言われ、カチンと無性に腹が立った。
 後から思い返しても、頭のネジが弛んでいたとしか思えない。

「侵入者じゃありませんって、さっきから言ってるじゃないですか!」

 思わず声色を変えるのも忘れて地で言ってしまった次の瞬間、はっとして自分の口を押さえてももう後の祭りだった。
 ガバリと部屋の中の人物が起き上がったのが障子越しに見える。

……?」

 信じられないと言うように言われた直後、がとっさに障子を押さえるのと、部屋の中の人物――政宗が障子を開けようとしたのは同時だった。
 ガタリ、と鈍い音を立て、障子の桟が悲鳴を上げる。

「テメェ、……本物か!? チッ、どうでもいいから離しやがれっ!」
「じょ…冗談じゃ……!」
「It's serious! 勿論冗談なんかじゃないぜ……つーか、お前いつの間にこんな馬鹿力付けやがった……!」

 確かに腕力も格段に強くなったが、今は火事場の何とかで政宗に対抗している状態で、とてもではないがまともに喋るだけの余裕も無い。
 このままじゃ押し切られるのも時間の問題と半泣きになっているところに、不意に向こうの力が弱くなったかと思うと、取っ手のすぐ横の障子を突き破って手が出てきた。
 それが自分の手首をがっちり掴んだものだから、ホラーにめっきり弱いは素で悲鳴を上げた。

「ぎゃっ!!!! 嫌っ離してっっっ!!」
「絶対ぇ離さ……Ouch!!」

 恐怖の余り思わずその手に噛みつけば、政宗も驚いたのかとっさに手を引いた。

「テメェ、普通噛み付くか!? アァ!?」
「だっ…だって……!」
「だってもクソも無ぇ! 大体こんな所で何してやがる!」

 一番痛い所を突かれ、はぐっと詰まりながらも「今日はバレンタインだから……」と小声で言った。

「What? Valentine? ……そいつはお前が前に言ってた、女が惚れた男に甘い菓子を贈るっつー……」

 以前にそんな話をしていたことをすっかり忘れていたは、思い切り動揺した。
 その隙を逃がすべくも無く、しまったと思った時にはもう障子が開け放たれるところで……

 どんな顔をして政宗に会えばいいのだと、ぎゅっと目を閉じた瞬間――


「――――ぅわ…!」

 は布団の上に跳ね起きた。
 全力疾走したかのように上がった息を整えながら辺りを見回すと、見慣れた自分の部屋で当たり前のように夜着を着ている。

「……っ……夢……?」

 あまりにリアルな感覚を思い出して、へたりとその場に脱力した。
 夢で良かったような……少し寂しいような……

 それにしても、夢にまで見るなんて我ながら大分重症なんじゃないかと机の上に視線を向け……
 そこに置いてあったトリュフが無くなっていることに、は思わず瞬いた。

「………どういうこと……?」

 わけの分からない疑問が解ける日は果たして来るのかどうか……

 結局、の作った手作りトリュフが誰の口に入ったのかは、受け取った当人のみぞ知る所である。






070214
夢だか現実だか、ヒロインが米沢に飛んだりしちゃいましたが、連載とは別に考えてくだされば幸い。
こんなこともあったかもしんない甲斐編の2/14です。
CLAP