番外.キズナ

 秋も終わり、冬の気配が濃くなり始めたある日の事だった。
 その時、甲斐国主である武田信玄は、朝餉を終え、自室の縁側から庭を眺めていた。
 視線の先には、鍛錬に打ち込む一組の男女の姿があった。

 慣れない刀を構えた愛しい末娘と、それに素手で相対する愛弟子である。

 相変わらず男顔負けの厳しい鍛錬を重ね続ける末娘――は、最近では得意である弓の技を粗方習得し、他の得物を学んでいる。
 親としては可愛い娘を戦場に出すなどもってのほかだったが、当の本人が強く望んでいる上、そうすることでしか自分の存在意義が無いなどと思い込んでいるきらいもあったので、今は信玄も見守るしか無かった。

 そのが近頃元気が無い気がすると言い出したのは、愛弟子である幸村だ。
 昔からに懐いていた幸村は、が戻って以来、ほぼ毎日のように会いに行っている――が離れに移ってからは、信玄よりも多くの時間を共有しているほどだった。
 根拠は無いが、そういう気がすると言い張る幸村に、信玄も思うところが無い訳ではなかった。

 が甲斐に戻って――本格的な鍛錬を始めて数ヶ月。
 甲斐周辺は不気味な静寂を保っており、今まで頻繁に起こっていた他国との小競り合いもなりを潜めている。
 つまり、戦が無く、平和そのものの日々が続いていた。
 それは本来なら万人に対して良い事の筈であるが、武人にとって実戦が遠のくことは必ずしも幸せとは言い難い。
 殊に、初陣を控えた名家の嫡男などには、焦れて塞ぎがちになるなどといった傾向が多く見られた。

 そんな血の気の多さは信玄譲りなのか――それともその律儀さは母親譲りなのか。
 笑顔が減ったの為に、その日はこうして信玄自らが幸村との稽古を指南していたのだが、そうして二人の手合わせを見ていた信玄の元に一つの報告が届けられた。

 曰く、奥州との国境にある集落の辺りに、山賊が出没しているというのだ。
 もう十年近くも前、当時はまだ伊達の領地では無かったその国境のことで揉めて以来、その一帯は暗黙の了解でどちらの勢力にも捨て置かれていた。
 集落の民も、余所者を嫌うとまではいかなかったが自立心が強く、庇護を拒否し続けている。
 今まではそれで問題無く来たのだが、山賊が出るとなっては話は別だ。
 奥州との街道も通るその一帯が荒れれば、物の流通が滞り、他の民の生活にも影響してくる。

「――、幸村」

 しばし考えた信玄は、あまり気乗りはしないものの、意を決して二人を呼んだ。
 手合わせを止めて並んで見上げてくる二人に、山賊退治を命じる。

 奥州との国境という言葉に微かに反応したに、信玄は内心眉を潜めた。

「……佐助」

 承諾した二人が下がった後に、小声で優秀な忍を呼ぶ。
 やはり影に潜って一部始終を聞いていたらしい佐助に、娘をくれぐれも頼むと言い添えた。

「…………」

 三人が館を出発する気配を見送って、信玄は深々と溜息をつく。
 娘の父親という立場はもう何度か経験しているが、何度でもこの不愉快さは慣れるものではない。
 特に殊更愛しい末娘ので、相手がなまじ信玄も知っている者となると……… 

 信玄は何度目かの溜息をついて北の空を見上げた。







「オイ、いつき! むやみやたらに突っ込むんじゃねぇ!」

 向かってくる敵の刃を適当に受け流しながら、小十郎は声を張り上げた。
 まだまだ子どもであるいつきは、戦いに集中すると周りが見えなくなる節がある。
 ただでさえこちらは三人なのだから、数だけの雑魚を相手にするなら一箇所に固まっていた方が良いというのに……

 既に遠くに行ってしまっている連れの二人を見遣って、小十郎は溜息をついた。
 もう一人の連れである政宗などは、最初から一人で突っ走ってしまっている。

 来るべき大戦に備えて着々と準備を整えていた伊達軍――政宗も、随分大人しく毎日の仕事に打ち込んでいた。
 だがやはり、元来そういった日々は性に合わないのだろう。
 甲斐との国境地帯に山賊が出ると聞くや否や、傍に居た小十郎といつきを伴って城を飛び出し――今に至る。

 ほぼ丸一昼夜乱暴に馬を駆けさせ、辿り着いた集落で凡その被害地を聞き出して南の街道に出向いた直後、早々にこの山賊に囲まれたのだ。
 こんな数だけの連中に万一にも遅れを取るような政宗といつきでは無いが、こんな無茶な戦いを黙って見ている訳にもいかない。

 しかし、傍らに在るべき存在を失って空虚な日々に耐えている主やまだ幼い娘を思うと、こういった絶好の暴れ時に水を差すのも憚られて――……

「政宗様! いつき! 怪我はなさいますなよ!」

 そう忠告するだけで精一杯で、その鬱屈を晴らすように、小十郎もその場の山賊に怒りの矛先を向けたのだった。







 危うい――

 佐助はそう直感していた。
 躑躅ヶ崎館を出て問題の国境まで約二日。
 ようやく辿り着いた集落ではよほど困っていたのか、旅の浪人に扮した佐助たちに村人たちの方から山賊退治を依頼してきた。
 集落から見て北と南、二箇所の街道に出現するという賊――
 北の街道を通って今日来るはずの商人がまだ来ないという話を聞き、出向いた三人の目の前で、タイミング悪くその商人は切り捨てられた。

 頭に血が上ったが矢を放ち、それが商人を殺めた賊の脳天を打ち抜いたのが始まり。

 その後は泥臭い乱戦となった。

 佐助が危ういと思ったのは、の身の安全では無い。
 彼女は姫君とは思えぬほどの力で軽々と賊を倒していく。勿論、幸村や佐助自身に至っては心配の余地も無い。
 危ういと思ったのは、そのようにが賊を倒していく――倒せるだけの力を自覚してしまったそのことに対してである。

 聞く所によれば、は今まで直接的に人を殺めたことは無いという。
 戦では無く、このように小規模な山賊退治と言えど、大量の人の命を奪うことに変わりは無く――初めて人を殺した日のことなど佐助は覚えていなかったが、衝撃だったことは確かだろう。
 何よりも戦い続けるの表情から感情が消えていくのに焦燥を抱いて……

 信玄が「を頼む」と言った理由は分かっているつもりだった。
 奥州との国境という言葉に反応した……
 その場所で、初めての『人殺し』は彼女の心にどんな負荷をかけるのか。

「――旦那」
「……なんだ、佐助」
の為にも、さっさと終わらせますよ」
「――無論だ」

 いつものお惚けはどこに消えたのかと思うくらい鋭い眼差しの幸村に、佐助は軽く息をつく。
 所詮、光を知らぬ自分にはこの程度のことしかできないのだと……再確認させられただけの佐助は深く溜息をついた。






 武器のハンマーを思い切り振り回しながら、いつきはふつふつと沸く怒りを力に変えてぶつけていた。

 何の罪も無い百姓や商人を襲う山賊――政宗や小十郎から聞くところによれば、こういった連中のほとんどは戦に負けた落ち武者や罪を犯して仕官先から追放された浪人の馴れの果てなのだという。
 つまりいつきの大きらいな侍なのだ。それも、政宗たちのように世の為に戦っている訳でもなく、私利私欲の為に弱い者たちから力づくで奪うことを選んだような悪党だ。

 いつきは腹が立っていた。

 一揆を起こしたいつきたち百姓が命懸けで戦っている時も、自分を押さえ込んだ政宗が奥州の筆頭として戦っている時も、一人で悩んで黙って姿を消したが甲斐で寂しがっているだろう今も、こんな悪党が平気でのさばっているからいつまでたっても平和な世が訪れないのだ。
 八つ当たりのようなものだとは分かっていたが、それほど的を外していることもないだろうと確信があった。
 だって、政宗と喧嘩してしばらく会っていなかった時も、は本当に辛そうに……けれどたった一人でただじっと耐えていたのだから。

「――許さないべ! 天誅!」

 大きくハンマーを振り下ろして、いつきは乱れた息を整える。
 辺りを見渡すと、もう立っている賊はいなくなっていた。
 離れたところに居る政宗も小十郎も、ただ無言で立ち尽くしている。

「………」

 いつきは何とも晴れない気分を紛らわすかのように、吹雪を呼んで馴染み深い雪だるまを作った。
 初めて会った時、がかわいいと誉めてくれたものだ。

「……一番許せないのは、何にも出来ないおら自信だべ」

 呟きは、空虚な山道に消えていった。







、怪我は無いか」

 幸村が声を掛けると、細い肩がびくりと震えた。
 勢い良く振り返った瞳に、次第に生気が戻ってくる。

「あ……ゆ…きむら。……うん、大…丈夫よ……大丈夫」
の大丈夫は当てにならぬ」

 ぴしゃりと言い切ると、平素なら怒るか拗ねるか何らかの反応をする筈の姫君は、ただぱちくりと瞬きしたのみだった。
 そのあまりに彼女らしくない鈍い反応に眉を顰めて、幸村は強引に小さい手を取って歩き出す。

「…幸村……どこに……?」
「墓を作るでござる」

 が息を呑んだのが背中越しにも幸村に伝わった。
 幸村は歩みを止めることの無いまま腕の力を強くした。

 ここ最近、の様子がおかしいことはずっと気になっていた。
 本人は隠しているつもりだが、奥州や独眼竜のことが気になっているのも、幸村や佐助、そして信玄は気が付いていた。
 鍛錬ばかりで実戦の無い日々に日増しに焦りを強めていた……此度の賊退治は信玄の配慮であったのだろう。

 だが、それは果たして正しかったのだろうか――
 今まで信玄の行動に疑問など感じたことの無い幸村だったが、こればかりは思わずにはいられなかった。
 何と言っても、はか弱い女子なのである。
 力に溢れた武人とは言っても、その心根は優しい姫君だ。
 それなのに、こんな数だけの賊をただ屠るような仕事を任せるのは、余りに酷では無いか――

 それでも、本人は戦に出ることを望んでいるのだ。
 本物の戦場で我を失う危険を侵すくらいなら、先に覚悟を決めさせた方が良い――信玄と同じであろう非情とも言える決断をくだす自分に、幸村は自嘲した。
 全ては、を守る為に――の心に負担を強いる試練を押し付ける。

「例え罪人と言えど、人であることに変わりは無い。その命を殺めたのだから、埋めて弔うのは殺めた者の義務だ」

 まっすぐに相手の目を見て言うと、は大きく目を見開いた。
 そして、ふわりと儚く笑う。

「うん……そうだよね」

 このままがどこかに行ってしまいそうなそんな錯覚を覚えて、幸村は握ったままの手に力を加えた。
 しかし、隣に現れた佐助に手を繋いでいることを冷やかされ、幸村は慌てて手を放した。
 赤くなった顔を見られぬように背を向け、離した手の寂しさを紛らわすように二槍を振って地面に穴を穿っていく。

 と佐助と三人で賊の骸を埋葬したものの、冬枯れた山道には卒塔婆代わりになりそうな木ぎれも手頃な岩も無かった。せいぜい小さな小枝が落ちているくらいだ。
 墓標もないのは余りに哀れだと思案していると、が辺りの小枝を広い集め、それを十字に組んだものを墓の上に付き立てた。

「本当は異教の墓標なんだけどね……魔除けの意味もあるし、静かに眠れるように」

 静かにそう言って、目の前に立ち並ぶ小さな十字架の群れに手を合わせたは――ひどく辛そうに見えて。
 無力で未熟な自分を責めるように、幸村は拳を握り締めた。







 一先ず目の前の賊を退治した一行は、もう一方の街道へと足を向けた。
 そこで、それぞれの一行を率いていた二人は息を呑む。

「これは……」


 南の街道の脇には血痕が残り、たくさんの人を埋葬したと思しき痕跡があった。
 墓標は無く、代わりと言わんばかりに横文字が綴られていた。
 そして、その横には見覚えのあるような可愛らしい雪だるま。
 地面に直接綴られていた言葉は、
 ――『Rest in Peace』


 北の街道には、無数の小さな十字架が立っていた。
 行きに通った時には何も無かった筈なのに、この短時間でこれだけの人数と遣り合って、墓まで作るなど……。
 なぜそれが墓だと分かったのかは、以前に自称異国から来た娘に聞いたことがあったからだ。
 ――異国では、卒塔婆の代わりに名を刻んだ十字架を墓標にするのだと。


「………まさかね」

「………It's nonsense.」


 別々の空の下で同時に呟かれた言葉を、お互いは知らない。
 ただ、有り得ないと思う傍らで、そうであればいいと――絆は繋がっているのだと思いたい心は、同じだった。











070212
ヒロインと政宗以外の周辺キャラ視点で書いてみました。
すれ違いのお話。
最近あまりにもこの二人が会わないので、すれ違いでもドリらしく見える……すみません。
CLAP