「本日は、葉月の三日ですね」
唐突な小十郎の台詞に、は少し考えて相槌を打った。
「もう葉月だなんて、早いですよねー」
葉月――八月である。
しかし、この時代の暦はの居た時代と違って太陰暦――それに春に閏月があったと言っていたから、八月とは言っても九月頃に当たるだろう。
朝夕が大分涼しい晩夏――が来たのが初夏だったから、時の流れは速い。
「でも、どうしたんですか、急に?」
問い掛けたに、今まで何かを思い返していたらしい小十郎がふと苦笑して告げた。
「葉月三日は、政宗様がこの世に生を受けられた日です」
「え……?」
それって……
「大変な難産であられ、亡き大殿が落ち着かずに宥めるのが大変だったと……父から何度も聞かされました」
全く、生まれる前から人騒がせな方です。そう言いながらも柔らかく笑った小十郎を呆然と見つめ、は心中で言葉を呟いた。
――それって、誕生日……?
「お前は幸せもんだぜぇ、!」
「はぁ……」
昼の訓練が終わった後、は伝令隊の仲間たちと歩いていた――両手に大量の野菜を持って。
「小十郎様は野菜作りの達人として、ここらのシマは元より、天下に名を轟かせてるんだからよー」
「おうよ、前にも他所の変な夫婦もんがわざわざこの野菜を手に入れるために殴りこんできやがった」
「ああ、あの時はマジビビったぜ。なんかやたら強くて、こっちがガン垂れてる間に吹っ飛ばしていきやがった」
「あの時は筆頭が阻止してくれたから良かったようなものの、小十郎様の野菜は、筆頭も絶賛する奥州の宝だからな」
「……………………」
もはやどこからツっこんで良いのか分からず、は苦笑するに留めた。
先ほど、今日が政宗の誕生日らしいと聞いて、は盛大な宴でも催すのかと思って小十郎に聞いてみた。
ところが返答は意外なもので……
「宴……? 何故ですか?」
「何故って……だって今日って、政宗さんのお誕生日なんでしょう?」
「お誕生日……?」
そのやり取りで、ようやくは気付いた。
――この時代には誕生日という概念は無い。
念の為に確かめてみたが、全員が正月に一つ年を取るらしく、普通の人は自分が生まれた日など知らないのだという。
むむ……と唸って、は考えた。
政宗には日頃特にお世話になっているし、プレゼントの一つでも……と考えたのだが、誕生日を祝うという風習自体が無いのでは仕様がない。
小十郎にそれらのことを説明すると、彼はいそいそと籠に乗った大量の野菜を持ってきた。
「だったら、良いものをあげましょう」
是非、政宗様に贈り物をしてあげてください――それだけ言って何の説明も無く押し付けられた野菜。
その説明を、同僚たちに頼んだのだが……
野菜作りの名人……小十郎さんが……?
それはやはり、政宗が料理好きだからだろうか。
なんて健気な……忠臣の鏡とは、ああいう人を言うのかもしれない。
とりあえず、やたら価値の高いらしい野菜を台所に保管させてもらい、はどうしたものかと思案しながら城の廊下を歩いていた。
誕生日と言えばバースデーケーキだが、この世界で簡単にケーキの材料など揃うはずも無い。
ただでさえ、もうすぐ夕刻……今日中で無いと意味が無いのだから、時間が圧倒的に足りなかった。
(いっそ、食べ物じゃなくて政宗さんが欲しい物とか……)
考えてみるが、それほど政宗のことに詳しい訳でも無いのでさっぱり検討がつかない。
それに、政宗は殿様なのだから、欲しいと思って手に入らないものなどそうそう無い筈だ。
(どうしよう……料理ならもう取り掛からないと……)
せめて誰か政宗と親しい人に相談できれば良いのだが、小十郎には秘蔵の野菜を貰ってしまった為に下手な相談は出来ないし、他の誰も捕まらない。
時間も無いことだし、取り敢えず台所へ向かおうと、溜息をついた時だった。
前から歩いてきた見知った人に、は顔を輝かせる。
「成実さん!」
「おっ、ちゃんじゃ~ん! 元気?」
「成実さん、会いたかった……!」
ぎゅっと手を握って、まるで後光がそして居るかのような成実ににっこりと微笑んだ。
「政宗さん――です。ちょっといいですか?」
「………………アァ?」
部屋の前で声をかけると、中から大層機嫌の悪い声が返った。
これは、いいのか悪いのかどっちだと思いながらも、このまま引き返す訳にもいかないのでそっと障子を開ける。
中には、文机に向かったままの政宗の背が異様なオーラを放っていた。
「………政宗さん?」
「……………」
返事の無い政宗に、は溜息をつく。
これは、本当に機嫌が悪いらしい。出直した方が賢明かと、肩を落とした。
「………お仕事中でしたか、すみません。今日の夕餉は私が作ったので持ってきたんですが、下げますね。台所の方に言って後で夜食を作っていただくよう……」
「……夕餉……? お前が……?」
の言葉を遮る形でようやく視線を寄越した政宗に、はほっと息をついた。
そう言えば、『客人には自らの手で作った心尽くしの料理で持て成しを』が信条の政宗が、人が作った料理を無下にするとは思えない。
案の定、どうやら食べてくれるつもりらしく筆を片付けた政宗の前に、はやや緊張した面持ちで膳を運んだ。
「政宗さんの口には合わないかもしれませんが、プレゼントのつもりで一生懸命作ったので、許してくださいね?」
「ア? present?」
「はい、今日は政宗さんの誕生日だって聞いたもので」
小十郎と同じように、誕生日?と首を捻った政宗に、は最初から説明した。
「――という訳で、私の国では……西の諸外国もそうですけど、年を取るのはお正月じゃなくて、それぞれの生まれた日なんです」
「なるほどな、いちいち覚えるのが面倒そうだが、生まれた日に年を取るっつーのは一理あるな。だから『誕生日』か」
「はい、BIRTHDAYです」
へぇ、とおもしろそうに頷いた政宗の質問にいくつか答え終わると、はよしと気合を入れて膳を差し出した。
「それで、バースデーにはお祝いするんですが、プレゼントを渡すのが習慣でして……これが私から政宗さんへのプレゼントです」
さっと膳の上に掛けていた布を取ると、政宗の目が軽く見開かれた。
そして、瞳の色が変わる……珍妙なものを見るような訝しげなそれに。
「……なんだこりゃ……食い物か…?」
「特製、小十郎さん提供の、ロールキャベツケーキです」
「Roll……cabbage……cake?」
ますます歪められた顔に、はこほんと咳払いをした。
膳の上には、ロールキャベツをいくつか縦に並べて円形に並べ、それをケーキに見立てたものが乗っている。花形に切った野菜などで彩を添えるように飾り付けもしていた。
そしてその上には、小さめの蝋燭を一本立てている。
「言っておきますけど、私は本気だし、政宗さんの為に一生懸命作ったのも本当ですから」
鼻で笑って毒を吐こうとした気配を感じ取って、はそう釘を刺した。
自分の為という所を強調されては何とも言えなかったのか、政宗は溜息をついてがしがしと頭を掻く。
「あー……んじゃーまず聞くが……cakeってのは、菓子のことじゃなかったか?」
他にも聞きたいことがあるのに、随分遠くから入るのだな、とは苦笑した。
政宗なりに、大分気を使っているらしい。
「ケーキは確かに異国のお菓子です。卵と小麦粉と砂糖を混ぜて作るふわふわした甘味ですね。バースデーケーキと言って、誕生日のお祝いの席にはそれがあるのが当たり前です。……お正月で言うと鏡餅みたいなものでしょうか……」
ちょっと違うと思いながらも、は説明を続けた。
「本当は本物を作りたかったんですけど、材料が無かったので……代わりに、小十郎さんがくれたお野菜使って、形だけケーキに見立てて作ってみました」
ちなみに、普段獣肉は食べない時代なので、ロールキャベツの中身も挽肉では無く魚で代用している。
は無言の政宗を見やって、蝋燭に火を付けると、周りの灯篭を消した。
「……んでこの蝋燭は、呪いかなんかか…?」
「呪い……?」
頭にふと子の刻参りで木の幹に呪いの藁人形を打ち付けている女の人を連想し、は思わず噴出した。
どうやら政宗は、本気でそんなことを心配していたらしい。
「違いますよ。バースデーケーキの上に、本当は年齢分の蝋燭――もっとちっちゃくて細い奴ですけど――その蝋燭を立てるのが普通なんです。それで他の灯りは全部消して、祝われる人がケーキの蝋燭を吹き消すんですよ」
「……なんだそりゃ。何の為にんなことするんだよ?」
「さぁ……私もいつも何となくでやってましたから意味までは……まあ、鏡餅の蜜柑だとでも思ってください」
まだ不審げにしている政宗に、は溜息をついた。
確かにこうやって説明していると、まるで呪いの儀式かと思わせるような習慣だし、誕生日を知らない政宗には理解し難いイベントだろう。
こうなると分かっていたから、料理はなるべく避けたかったのだ。
普通に作れば良い話なのだが、あれだけ名人級の腕を持つ政宗に滅多なものは食べさせられない。
ケーキの形をして意味を持たせれば、料理の出来栄えなんて二の次になるかと思ったのだが、これでは逆効果だったかもしれない。
そもそも、夕方に廊下で成実に会った時、嬉々として政宗の欲しい物を尋ねたに、彼はあっさりとこう言った。
「政宗が欲しいもの? そりゃ決まってるよ、天下だ」
余りにも簡単に言ってのけるので、はしばし硬直した。
「ええっと、そうじゃなくてですね、もっと今すぐに手に入るような現実的な物で……」
何とかそう言うと、二言目には……
「武具、馬、女………うーん、他には思いつかないなぁ」
「……………もっと、私でもあげられるような物で……無いんでしょうか……」
もう聞くだけ無駄だとは思いつつも聞いたを、成実はじっと見つめてきた。
「……成実さん?」
「ちゃん」
「はい?」
「だから、ちゃん、だって」
「何がですか?」
その満面の笑みに嫌な予感がして聞き返すと、成実はとんでもないことを言った。
「presentは、あ・た・しv――なんてね。きっと隅々まで美味しく食べて……」
「――成実さん。そういうの、セクハラって言うんですよ」
最大限の冷ややかな言葉を残してその場を去ったのだが、言われた内容には絶句。
そのままふらふらと台所に向かい、溜息をつきながらこのロールキャベツケーキを作ったという次第だった。
(大体成実さんが、あんなこと言うから悪いのよ! そもそも、よくもあんな恥ずかしくて寒いことが言えるわよね!)
憤慨と諦めの境地で作ったそれは、いま政宗の目の前で渋面を受けている。
(嗚呼……可愛そうなロールキャベツケーキ……)
来年こそは何とかして本物のケーキを作ってやろうとリベンジを誓いながらも、はパンと手を合わせた。
「さあ、政宗さん」
とにかく、早く食べてもらってこの空気から開放されよう――そう思ったは、政宗を促す。
「さあ、蝋燭を吹き消してください――――HAPPY BIRTHDAY」
最後の言葉に政宗は目を見開き、ふと笑った。
この日初めて見た政宗の笑顔に、は驚く。
「Thank you,」
そしてふっと蝋燭が消されて、真っ暗になった。
暗くなったことに、はほっと溜息をつく。
――急に熱くなった顔を見られなくて済む。
「あー…ごめんなさい。すぐに灯篭に火を入れますね」
「ああ、いや、俺がやる」
まだ火打石に慣れないを気遣ってくれたのか、近くで政宗の声が聞こえ、手元にあった灯篭に火が灯った。
「すみません、ありがとうございま――」
ほっとして顔を上げたの視界に、思ったよりも間近にあった政宗の顔が映り、は再び硬直した。
灯篭を挟んだ隻眼の瞳が灯と同じようにゆらりと揺れる。
「……BIRTHDAY CAKEは貰ったが、ついでにもう一つpresentを貰おうか」
「は…はい……? い…一体何ですか?」
ずい、と政宗との距離が一段と縮まる。
「――お前だ」
――「presentは、あ・た・しv――なんてね。きっと隅々まで美味しく食べて……」
脳裏に甦った成実の言葉に、の思考は今度こそ完全に停止した。
政宗は目の前の物体に硬直していた。
が持ってきた、バースデープレゼントとか言う、ロールキャベツケーキという代物だ。
そもそも今日は、夕刻に城の廊下で、手を取り合っていると成実を目撃して気分が悪かった。
――「成実さん、会いたかった……!」
自ら成実の手を取って心底嬉しそうに笑った……得体の知れない怒りにも似た感情が燻った。
自室に篭って一心に仕事をすることで発散させていたら、当のがのこのことやってきて、政宗の誕生日を祝うという。
「誕生日は分かったが、何でそれを祝うんだよ?」
聞いた政宗に、は考えながら答えた。
「うーん…それはおめでたいからですよ。一つ年を取るんだからお祝いして当然です。去年一年無事に過ごせて良かった、今年もまた一年無事でいられますように」
「それじゃあ正月と変わんねーじゃねぇか」
「ああ……そっか……そうなんですよね。それじゃあ、こうしましょう――生まれてきたことに感謝する日です」
「感謝?」
「はい。何年か前の今日に、政宗さんは生まれたんですよ? 政宗さんが生まれて来なきゃ、私は政宗さんに会えなかった……だから、政宗さんが生まれてきてくれた今日に私が感謝したいんです」
「……………………」
今まで、実の母に生まれてきたことを責められたことこそあれ、こんな風に感謝されることなんて無かった。
政宗はこっそりと笑った。
いつも負けず嫌いで毒舌で、恥ずかしい台詞には人一倍抵抗があるくせに、という娘は時々こうして妙にど真ん中を突いてくるのだ。
何だか負けたようで悔しくて、その後吹き消した蝋燭の灯の代わりに灯篭を灯した時、存外間近に居たに自然と体を近づけた。
「……BIRTHDAY CAKEは貰ったが、ついでにもう一つpresentを貰おうか」
すぐ傍にあるの瞳が見開かれる。
笑いを噛み殺して、政宗は耳元に囁いた。
「――お前だ」
どうせいつものようにすぐに切り返してくるだろう。最近稽古場で体術も習っていると聞いたから、投げ飛ばされるかもしれない――
それくらいの覚悟さえして身構えていた政宗だったが、俯いたまま何も言わないに眉を潜めた。
沈黙が続いて、じ、と灯篭が揺れたところで政宗はの顔を覗き込む。
「……?」
はっとして、政宗も硬直した。
そこには、いつもからは考えられないくらい動揺して、顔を真っ赤にしているが居たのだ。
しばらくしてようやく我に返った様子のは、「しっ…失礼します!」とだけ言って慌てて部屋を出て行った。
「あ、おい……!」
政宗も我に返って引き止めた時には、は既に廊下を爆走中。
部屋には、特製ロールキャベツケーキと、に動揺した政宗だけが残された。
「……HAPPY BIRTHDAY……か」
口の中で呟いて、政宗は秘蔵の酒を開けた。
ぐいと飲んで、のプレゼントに箸をつける。
結局一人での夕餉になったが、妙に楽しんでいる自分に、政宗は笑った。
夜が更けていく――の誕生日にはどうしてやろうかと、あれこれ考えながら。