「願い事……か」
今宵天の川を渡る恋人たちに願うのは……
年に一度の逢瀬。
愛しい人に年に一度しか逢えない悲しさなのか、年に一度は逢える喜びなのか――
もしなら……そう考えて、苦笑した。
何も考えないまま、自然と口から呟きが漏れる。
「あれ……綱元さん…?」
「殿…?」
見かけた人影に掛けた声は、暗かった為ほとんど直感だったのだが、どうやら合っていたらしい。
廊下を通りがかった綱元は、呼びかけたのがだと分かると、わざわざ引き返してきてくれた。
「このような所で何をしておられたのです?」
人影の無い廊下で座り込んでいれば、さぞかし不審だろう。
は苦笑して空を指した。
「星を見ていたんです。天の川が綺麗に見えるなと思って」
「天の川……ああ、今日は七夕祭ですねー」
そうなんですー、と返して、二人揃ってしばらく星を眺めていた。
どうもこの綱元と居ると、のほほんとした空気に和んでしまう。
「――あ、引き止めてしまってすみません、綱元さん。どこかへ行かれる所だったのでは…?」
「いや、いいのですよ。殿を探しているのですが、どうやら出掛けられたようなので」
「政宗さんが……そうですか…」
そのまま少し話して綱元と別れたは、その場にうんと伸びをした。
本当は、こんなに星がキレイな夜なのだし、久しぶりに政宗に会いに行ってみようかと思っていたのだが、不在となれば仕方がない。
「……帰ろう」
城に居る他の知り合いも皆忙しいだろうし、家に戻って一人で星見酒でも飲もうかと思いを巡らせた。
手元の小さな灯では心許ないとは思いながらも、提灯を借りに行く手間を惜しんでそのまま下城する。
本丸から三の丸へと続く坂を延々と下り、更にその下方にある片倉家の武家屋敷群までは大分距離がある。
ぼんやりと空ばかり見て歩いていた為に、はその坂の途中で転んでしまった。
「いたた……あーあ、灯がぁ………」
ぼやく声は、夜の闇に吸い込まれていく。
転んだ拍子に掻き消えた灯がどれだけ小さくても重要だったか思い知らされるようだった。
現代の闇とは違った、そこら中に何かが潜んでいそうな未知の闇――
「は…走って帰ろう……」
うん、と自分を納得させて立ち上がろうとしたが、どうやら今ので捻ってしまったらしく、右足首に鈍い痛みが走った。
「最悪……」
暗いし怖いし痛いし、これ以上悪いことは無いんじゃないかと思えた時、前方から誰かがやって来る灯が見えた。
が座り込んで居るのは道の真ん中……このままだとその人物と鉢合わせすることになるが、それが必ずしも善人だとは限らない。
もし、とんでもない極悪人だったら――いやそれよりも、この闇の中ではそもそも人かどうかすら怪しい。
(どうしよう……怖い――!!)
情けないとは思いながらも、ぎゅっと体を縮めて身を硬くした時だった。
「――? 何やってんだ、んなとこで」
「っ! ま…政宗さんっ!」
地獄に仏、暗闇に独眼竜。
どちらかと言えば人を圧倒させる空気を持つ政宗が、こんなに神々しく見えたのは初めてだった。
「人を待たせといてこんなとこで道草とは良い御身分だなァ、」
も大分慣れてきたのか、人を馬鹿にしたような皮肉には意も介さず、言葉の内容に首を傾げた。
「待たせた? ……もしかして、私の家に行ってたんですか?」
政宗が来た方角と政宗とを見比べると、相手はまあな、と短く返した。
「お前が好きそうな酒が手に入ったから、わざわざ持って来てやったんだぜ?」
「え、お酒?」
顔を輝かせたに現金なやつだと笑って、政宗は手を差し出した。
それを借りて立ち上がろうとするが、やはり足に痛みが走る。
「あ? 右足がどうかしたのか?」
「はい……ドジ踏んで転んだ拍子に痛めちゃったみたいで……暗いし、どうしようかと思ってたんです。――申し訳ないですけど、送っていただけたら嬉しいなー…とか思うんですが……」
相手の機嫌次第では切って捨てられる自信のあった頼み事なので、極力遠慮がちに言ってみたのだが、政宗は深々と溜息をついた。
「そんな足で何言ってんだ。全く…blunderer(ドジなヤツ)は世話が焼けるぜ」
そう溜息をついたと思った刹那、は政宗によって軽々と抱き上げられていた。
しかも、横抱きという妙に恥ずかしい体勢であるので無意味に焦る。
「ぅわっ…ま…政宗さん…! 自分で歩け…ないけど、手を貸して貰えたら何とかなりますから!」
流石に歩けるとは言えなかったので、こっちの方が手っ取り早いと言われてしまっては反論出来なかった。
「すみません……つくづく迷惑おかけして……」
「全くだ。しっかりしてんのか危なっかしいのか、はっきりしたらどうだ?」
珍しく馬鹿にした調子では無かったので、素直に考えてみたが、は何とも言えない顔で眉を寄せる。
「はっきり危なっかしいっていうのも、どうかと思いますけど?」
「はっきりしっかりは圏外かよ」
てらい無く笑った笑顔を見て、は目を背けた。
抱えられている体勢上、見上げればすぐ目の前に政宗の端正な顔があるので、こういう表情は無駄に心臓に悪い。
「……そう言えば、お城で綱元さんが探してらっしゃいましたけど、戻らなくていいんですか?」
「綱元が…? あー…別に大した用じゃないだろ。放っておいて構わねぇよ」
そのあまりにもいい加減な調子に、あんなに良い人を無碍にするなんて…!とは思わず言い返した。
「綱元さんがわざわざ探してらっしゃったんですから、重大なことかもしれないじゃないですか! もしも天下分け目の急な知らせだったらどうするんですか?」
「――Hey,……やけに綱元の肩を持つじゃねぇか。一体どっちの味方だ、kitty?」
「味方とかそういうことじゃなくて、綱元さんに対してあんまりだと思っただけです」
「んな大事ならもっと騒ぎになってるし、急使なら忍が報せに来る。Do you understand?」
「うっ……でも、綱元さんだって……」
「――お前、綱元に惚れたのか…?」
ただ単に負けず嫌いで言い返していただけなのに、政宗が余りにも突拍子も無いことを真剣に聞いてくるから、は思わず呆気に取られた。
「……私が綱元さんを…?」
それがいつぞやの成実の時のように思えて、は苦笑してあの時と同じように答えた。
「確かに綱元さんのことは好きです」
「……………」
「でも、いつきちゃんも政宗さんも、みんな同じくらい好きです」
「………いつきと同レベルかよ」
呆れたように溜息をついた政宗に、「むしろいつきちゃんが一歩リードです」と冗談めかして言うと顔を顰められた。
「Haaー…あんまり男をからかうと、痛い目に遭うぜ、チャン?」
ただでさえ近い距離なのに顔を覗き込まれて、は両手で思い切りその顔を押しのけた。
「イテテ、何すんだよ」
「それはこっちの台詞ですよ! 近いすぎます…!」
「ヘェ……近いと何か問題あんのか?」
「大有りですよ! 無駄に心臓が…………ともかく! これでも嫁入り前の乙女なんですから、過剰なスキンシップは禁止です!」
「virgin?」
「…英語にすると違う意味に取れるんでやめてください!」
注文が多いと言って笑う政宗と、もう…と膨れる。
しばらく無言で歩いて、は政宗の手に握られた瓶に気付いた。
「私の好きなお酒って、一体どういうお酒なんですか?」
「ああ、何でも南の外海で作られたやつらしいんだが、甘くて然程強くねーんだとよ。出入の商人から話に聞いて取り寄せた」
「取り寄せた…? わざわざ、異国のお酒をですか?」
簡単に一言に言ってしまえることでも、その実すごく貴重なものなのではなかろうか。
しかも、甘くて弱い酒だなんて、政宗の嗜好とは真逆である。
「……………ありがとうございます」
政宗の好意に対しての気の利いた礼句が思いつかず、結局はそれだけを告げた。何だか恥ずかしかったというのもある。
政宗も短く返事をして、また沈黙が流れた。
は無言のまま頭上の星を見上げた。
この満点の星空は、の時代にも続いているのだ。地上から見えるか見えないかの違いだけで。
「政宗さん――お礼に、おもしろいことを教えてあげます。あのたくさんの星――あの光って見える一つ一つのほとんどが太陽みたいな光を発してる星で、その光は何百年もかけてこの地上に届いてるんですよ」
「何百年も、ねぇ……おもしろい話だ。の国ではそう言われてるのか?」
「ええ……まぁ、そうです」
科学で証明された事実なのだが、政宗からしてみれば突拍子も無い話だろう。
「そうすっと、今見えてる星の光は、何百年も昔のもんってことか?」
「そうです。逆に、今星から出た光が、数百年後の未来にここに届くんです」
そう考えると、元の世界が身近に感じるような気がした。
案外、帰る方法は、天体の動きといったような天文学的なところにあるのかもしれない。
「――!」
「わっ…はい!?」
いきなり大声で呼ばれて、は驚いて政宗を見た。
政宗も同じように目を瞠っている。
「……政宗さん?」
「いや…shit…何でもねぇ。……一瞬、アンタが…今すぐ帰りそうに見えたからな」
政宗の言葉に、は目を見開いた。
そんな願望まで顔に出ていたのだろうか。
それで慌てたという政宗に微笑んで、は軽く深呼吸した。
「……政宗さん、今日は七夕だって知ってました?」
脈絡の無い質問に、政宗は取りあえずといった風に頷いた。
「天気も良くて天の川もキレイに見えることですし、星見酒で他人の恋路に乾杯っていうのはどうですか?」
「…Ha! 一年に一回の酔狂ってか……おもしろい。今日の酒は強くねぇんだから、あんま簡単に潰れんじゃねーぞ?」
「………頑張ります」
満点の天の川の下、頬を過ぎていく涼しい風と、傍らに心地良い温もり。
――星見酒も良いけれど、まだしばらくはこのまま家に着かなければいい――
ささやかな願いを抱えつつ、天の川の下をゆっくりと帰路に着いた。