「四月馬鹿?」
麗らかな陽気が降り注ぐ春の日、広大な小田原城の奥――城主の居室で、呆れたような声が響いた。
「直訳すると確かにそうですけど……まぁ、エイプリルフールです」
名目上は城主のお付き侍女にして侍女頭となっているは、苦笑してそう答えた。
用も無いのに城主直々に呼び出されてお茶などに付き合わされることにはもう慣れたが、今日は何かおもしろい話でもしろなどといきなり振られてしまった。
そこでふと、暦の上で今日が4月1日だと気付いたのだ。
「海外の――あー…異国の、習慣です。今日は嘘を付いてもいい日なんですよ」
「A lie? そんなことして一体何が楽しいんだ?」
「嘘と言っても罪のないジョーク程度のものですよ。まぁ、無礼講みたいなもので、皆で遊ぼうっていう日です」
「Huuh……おもしろそうだ」
ニヤリと笑った城主――政宗の表情で、はこれから何が起こるかをおおよそ想像することが出来た。
だからこそ、にっこりとほほ笑む。
「そうですね」
絶対騙してやる――
絶対に騙されるもんか――
負けず嫌いの二人は、互いに同じようなことを考えながら笑い合ったのだった。
エイプリルフールのことを政宗に教えたのが午前のこと。
その午後には、既に城中に広まっていた。
「さっき、そこの池で河童が水浴びしてたぞ!」
「俺、可愛い彼女が出来たんだ」
「お前の母ちゃん危篤だとよ」
エイプリルフールらしい害の無いものから、度を超えたものまで……様々な嘘が飛び交い、さながら『第一回伊達軍嘘付き大会』の様相を呈していた。
流石お祭り騒ぎ好きの伊達だな、と苦笑しているの元にも、同僚の侍女や仲の良い兵たちから次々と嘘が届けられ、も騙し返したりして中々にこのイベントを満喫していた。
ところが……というか、やはりというか、『楽しむ』程度では済まないのが、お祭騒ぎ好き筆頭でもある彼である。
「! 筆頭が……筆頭がっ!」
血相を変えて走って来た元同僚の伝令兵に、来たか、とは思ったものの、迫真の演技で真っ青になってただ「筆頭が」と訴えられる。
政宗のことだから人選にも細心の注意を払っただろうが、分かっていても思わず騙されてしまいそうになるほどの慌てようだった。
(狼少年のこともあるし……念の為よね)
嘘だと思っていたら本当だったということもある。
もしかしたら、本当に政宗の身に何かあったのかもしれない。
元同僚に連れられて焦りを持て余しながら付いていけば、政宗の居室の前でくるりと反転し、庭へと下ろされた。
しっ!と人差し指を口に当てて身を隠すように促される。
一体何だと思っていたら、政宗の部屋から黄色い声が上がった。
「キャッ、嫌ですわ、政宗様ったら~」
「HA、お固いこと言うなよ。なァ、Honey?」
「はにーって何ですの?」
「大事な女ってこった」
「――――――」
言葉も出ないの目の前では、自分の部屋で侍女と戯れる政宗の姿があった。
膝枕をさせ、彼女の長い髪に手を伸ばして弄んでいる。
時折睦言のように言葉を交わし、笑っていた。
「……………………………」
「………筆頭が他の女に心移りするとは思いたくねぇが、俺は…っ!」
真に迫って訴える元同僚から顔を背け、は一言返した。
「もう、いいです」
後はそっとその場を離れ、ひたすらざかざかと庭を突っ切り、宙に向かって叫ぶ。
「疾風!」
程なくして現れた友人の忍に、は短く告げた。
「ごめん、天守に連れてって。お願い」
「…………」
無言のまま頷いて事も無げに一瞬で運んでくれた天守に着いても、は別に見晴らしの良い眺望を見るでもなく、その場にずるずると座り込んだ。
朝あんなことを言っていたのだから、さっきの今だ。
恐らく、政宗がを騙そうとしているだけだろうということは分かった。
だが、あれが嘘だろうが本当だろうが同じだということにも気付いてしまったのだ。
政宗の頭を嬉しそうに膝に乗せていたのは、先日奥方候補として城に上がったまだ若い美少女だった。
武家の娘というよりも、血なまぐさいこととは無縁の深層の姫君という風情だ。
見せつけてやきもちを焼かせる相手としては打ってつけだろう。
だが、相手が誰でも関係無い。
以外の他の誰か……
触れて、笑いかけて、「Honey」と呼んで――
それだけで、一々こんなに胸が締め付けられるとは思ってもみなかった。
気付かないようにしていたのかもしれないが、考えてみれば当然だ。
この戦乱の世……子孫は多い方が良く、権力者ほど一夫多妻は当たり前。
父・信玄もそうであったし、にも腹違いの兄・姉が数人いる。
この先、どんな形であれ、自身は彼の傍に居たいと思う。
けれど、あんな風に垣間見ただけでこんなにも苦しいなら、きっと……無理だ。
「多分、耐えられないな……」
ぽつりと呟いて、抱えた膝に顔を埋めた。
そのままどれほど時間が過ぎただろうか。
いや、実際には数分だっただろう。
ぽかりと浮かんだ先ほどの政宗の鼻の下が伸びた表情に、沸々と怒りが湧いてきた。
そもそも、こちらの気持ちを知っていながらあんな風にあからさまに挑発するなんて、乙女心を何だと思っているのか。
芝居では無くて本当だったとしても、もっと許せない。
そして、そんなろくでも無い男に見事に振り回され、こんなにも傷ついている自分が情けなかった。
「――疾風」
気配は消えていたが、きっと心配して近くに潜んでいるだろうと思っていた友は、やはりすぐに現れた。
「手が空いてたら、甲斐までお遣いを頼みたいんだけど――弥鳥屋さんの新作生菓子十日分でどう?」
「すぐに発とう」
即答が返り、は思わず笑った。
この無口な友人が、以前がお裾分けした城下の和菓子屋・弥鳥屋の魅力にハマったものの、自分で買いに行っても忍の習性でつい気配を消してしまうらしく、店の人を怖がらせるのでうかつに行けない――といった事情一通りを知っているは、時々頼まれて買って来てやることもあるのだ。
頼み事をするなら、これを出すのが一番有効的だというのは熟知している。
「父上に……いえ、佐助に伝えて。この前言ってたものを持って来てって。あ、急ぎだから疾風が預かって来て貰えると助かるわ」
「了解した。一刻で戻る」
幾ら小田原と甲斐が近いと言っても、幾ら疾風が伝説の忍・風魔だとしても、一刻は破格だろうと思ったが、あっという間に掻き消えてしまった疾風に尋ねる暇は無かった。
「……政宗様が悪いんだから」
疾風が去った後、一人で取り残されたは僅かな罪悪感を振り切るようにそう呟いた。
とにかく、あの友が一刻で戻ると言ったからには本当にそうするだろう。それまでの時間をどうするかと考えていたの元に、ふと自分を呼ぶ声が聞こえてきた。
「え……喜多さん…?」
姉のように慕う喜多だと気付いて慌てて天守から降りた途端、突然拘束されて面食らう。
驚いて見やれば、同僚の仲の良い侍女たちが両腕をがっしりと掴んでいた。
その正面に仁王立ちの喜多が立っていて、は言葉を失くす。
「協力して貰いますよ、」
仁王のような笑顔というのを初めて見たと思った。
April Foolのことを聞いて、最初に浮かんだのは自分の侍女にして『甲斐の虎姫』をからかってやろうということだった。
後になって母から「好いた女子ほど苛めたいとは……お主は真に童のようじゃ」などと小言を言われて何も言い返せなかったし、自分自身後悔もしたが、それこそ後の祭である。
適当な他の女と戯れている所を上手く誘導して目撃させ、嫉妬した所にすかさず種明かししてやれば良い。
しかし、不幸にも筋書き通りには事は進まなかった。
「Ah? 逃げた、だと?」
「はい……「もう、いいです」ってだけ言って忽然と」
誘導役として政宗が見込んだ伝令兵は、半分泣きそうになってそう言った。
政宗は思わず顔を顰める。
『もういい』とは、どういうことだ。
無性に焦燥感が募ってが消えたという方へ追いかけたが、本当にどこにも姿が無い。
「Shit! どこ行きやがった……」
こんな筈では無かった。
可愛い嫉妬をして泣きそうになっている所に「嘘だ」と種明かしをして、「俺のHoneyはお前だけに決まってんだろ」とでも言ってやるつもりだったのに。
(後になって「どさくさに紛れて告白するつもりだったのかよー!」とげらげら笑った成実にはきっちり制裁を与えた)
何やら、とてつもなく取り返しの付かないことをしてしまったような気がして落ち着かない。
「あ、政宗様! 一体どちらに……」
「うるせぇ、退け」
どのくらい探しただろうか。も仕事に戻っているかもしれないと思い、自室に戻ると、代わりのように先ほどの女がまだ残っていた。
煩わしさだけを感じて下がらせたが、未練がましい目を向けられ、一層気分が悪くなる。
こういう所が、他の女との違いだと、改めて思った。
伊達当主、奥州筆頭――そんな肩書きや表側だけしか見ず、媚を売ってすり寄って来る女をどれほど見てきただろう。
しかしは、最初からただの『政宗』という人間に対して接してくれていたように思う。
記憶を失う前にどんな出会いと時間を共有したのかは分からないが、それだけが理由では無い。
「――を探せ」
を失うことだけは出来ない――漠然と感じる感情は間違いなく自分の心だ。
ギリリと唇を噛んで黒脛巾に命じれば、意外な答えが返ってきた。
「殿は室に。小十郎様もおられます」
「………what?」
「何でも、殿が怪我をされたとかでお見舞いに――」
最後まで聞かず、政宗は部屋を飛び出した。
庭を突っ切り、政宗は最短で二ノ丸の探し人の部屋に飛び込んだ。
「――!!」
スパンと開けた障子の先では、夜着で布団に横たわったと、その上に馬乗りになった小十郎。
ショックを受けるには十分な程の決定的場面だった。
三者三様に固まる中、最初にその糸が切れたのは、やはりというか政宗だった。
「表出ろやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、小十郎ぉぉぉ!!!!」
「まっ政宗様、お待ちくだされ!! これには訳がっ……!!」
「そっそうです、これは喜多さんたちのエイプリルフールの冗談でっ……」
慌てて離れた二人が弁解しようとしてもまるで聞く耳を持ちそうにない。
「お前も赤い顔してんじゃねぇ! っ!!」
「そっ…んなこと!! だって、そりゃ、小十郎さんだし……っ!!」
「小十郎ぉ……ぶっ殺す…!!」
「政宗様!! 私はやましい事は何もっ……」
「やましい気持ちはこれっぽっちも無かったってのか!?」
「そ……れは………」
「ふざけんな、お前等!! 上等だ。……お前等、上等だよ……」
「政宗様がぶち切れた……、お前は離れて……」
「気安く触んじゃねぇ! HELL DRAGON!!」
「ちょっ、部屋の中でっ……!!」
大混乱の中で放たれた政宗の固有技を、が属性の炎をぶつけて相殺する。
誰だって、自室を黒焦げにされたくは無いだろうから正当防衛だと言えたが、政宗に対しては火に油だった。
「、テメェまで小十郎の肩持つってのか!?」
「は? 何言ってるんですか! 火事になったらどうするんです! 大体、今日はエイプリルフールだってお教えしましたよね!?」
「火を使う奴に火事がどうこう言われたくねぇ! それに何が『嘘』だ! 小十郎に押し倒されて赤くなってたのはどこのどいつだ、Aaah-nn!?」
「なら、可愛い姫君の膝枕に鼻の下伸ばしてたのはどこのどなたですか!?」
までがムキになり、売り言葉に買い言葉の応酬で、次第に夫婦喧嘩の様相を呈してくる。
以前にもこんな光景を見たと小十郎が米神を押さえていると、更なる爆弾が投下された。
「やっほ~、姫さん! ひっさしぶりー! 元気?」
「! 佐助!」
「アァ!?」
唐突に庭からかかった声に全員の視線が注目する。
の実家、武田の真田忍隊の長・猿飛佐助がひらひらと暢気に手を振っていた。
「テメェ、猿飛……敵地にのこのこ何しに来やがった」
小十郎だけが唯一まともなことを言ったが、佐助は悪びれもせずに言う。
「いや、なぁに。ちょっとウチの姫さんに、大将からお届けものをねー…って。あらら、俺様ってば、もしかして物凄く良い時に来ちゃった?」
「さ…佐助、今は……」
「おもしろそうですねー、姫さん。はい、では確かに渡したよ、『縁談候補者の目録』」
わざわざ強調してくれた最後の一言に、場が凍る。
だけは天を仰いだ。
「ようやくその気になってくれて嬉しいって大将が言ってたよ。やっと伊達の子倅にも愛想が尽きたかって、そりゃ上機嫌」
返事は今度聞きに来ますねー! などと言うだけ言って姿を消した佐助に、が報復を誓ったとしても無理からぬことだった。
それほど、その場の空気は緊迫していた。
「――本気じゃねぇよな、」
政宗へのフォローの為にか、そう言ってくれた小十郎の声もしかし低くドスがきいていた。
そろそろと後ろを振り向けば、無表情の政宗と目が合った。
だが、その独眼は半ば血走っている。
「貸せ」
「え……?」
「それをこっちへ寄こしな。――片っ端から消してやる」
の婿候補が名前を連ねているであろう巻物を指しての言葉に、は青くなった。
消すとはどういった意味で? と聞くほど馬鹿では無い。
「い……嫌です」
「……へぇ?」
思わずそう答えてから、言葉が拙かったと気付いても遅かった。
泣いて逃げ出したいくらい凶暴な顔で近づいてくる政宗に内心悲鳴を上げる。
そして本能に抗わず――逃げ出した。
「待てや、コラァ!!!!」
「ひっ……!」
政宗への当てつけの為にしたことなのに、確実に自分の首を絞めている――は本気で泣きながらとにかく逃げ続けた。
捕まれば命も無いかもしれないと思わせる程の気迫が追いかける側にある限り、そうするしか無かった。
その二人を眺めながら、小十郎は深々と溜息をつく。
「やりすぎです――姉上」
「あら、楽しそうで良いではないですか」
その発言は正気かと見返す小十郎の隣で、仕掛け人である喜多はきれいに笑った。
「こうでもしなければ、あのお二人は一歩も二歩も進みませんからね」
「……――――確かに」
流石、乳母であり姉代わりでもあると思った……ことは否めないが、どうにもただ玩具にして遊んでいるだけな節もあり、小十郎はこの姉だけには逆らうまいと決意を新たにした。
ある春の日の出来事――
この翌年から、戦国からエイプリルフールという習慣は完全に消え去った。
090402
一日遅れでエイプリルフールネタでした。
急に思い立って、各地のエイプリルなサイトさんも見ずに頑張ったのに、結局当日には書き上がらなかった……。
中途半端にシリアスとギャグが混在してしまって、訳の分からないものになってしまいました……。
こたが甘味好きで、喜多さんが最強なお話。