「君を迎えに来たんだ――」

 ドクン、ドクン……

「――我らがお館様の末姫・姫をね」

 唐突に告げられたその短い言葉に、全身の細胞が反応した。

「な……に………?」

 声が震えていることや、眩暈がしていることは問題では無かった。
 ただ、徐々に大きくなって行く自分の鼓動に、体中の血液が凝縮されていくような感覚が駆け巡る。

「だから、君は甲斐国主・武田家のお姫様だって言ったの」

 目の前の猿飛佐助と名乗った忍が、感情を覗わせない軽い調子でさらりと言った。

 ドクンドクン……
 姫――? 未来の一般人である自分が?
 ……負けず嫌いは、武家の血だとでも言うのだろうか。
 豪華な着物を来て自然と背筋が伸びたのも、出自のせいだと…?

「武田信玄公溺愛の末姫――姫」

 ドクンドク……
 武田信玄。甲斐の虎。
 民想いで器量が大きく、天下の趨勢を海のような眼差しで見据える……温かい人。
 ――為せば成る 為さねば成らぬ 成る業を 成らぬと捨つる 人のはかなさ

「随分昔に賊に攫われて行方知れずになっていたのに、突如として伊達に現れた――」

 ドクンド……
 政宗に初めて会った時――身分制度が厳しかったこの時代でのひどく稀有な考え方に、は確かに高揚していたのだ。上等だ、おもしろい――と。

「おまけに記憶も無いときたもんだ――このことはある筋からの情報で俺の主人が絶対に間違いないとか言うから来たんだけど、俺様はいまいち腑に落ちないんだよねー……。君は本当に、本物の姫なのかなー?」

 ドクン――
 幼い頃に育ての両親に引き取られた捨て子……それが自分だ。
 その…筈だ。
 だが、目の前のこの男は、が未来では無くこの世界で生まれた人間で、武田信玄の姫だという。
 そして、記憶が無いと知りながら、それが真実かとに聞くのだ。

「私が……武田の姫……?」

 はふらつく体を支えるように、熱い右肩を押さえた。
 佐助がスッと目を細める。
 その油断なら無い忍に向かって、は背負っていた弓を引き抜いた。

「私は……私よ……!」
(何……一体何なの……!?)

 頭痛やら妙な高揚感やらで、まともに物を考えられる状態では無いのに、頭には様々なことが渦巻いていた。
 幼い自分と靄がかかったように曖昧な周りの人々、元居た未来のことや、育ての両親、奥州での暮らし、そして……

 どこまでも傲慢で、自信家で、残酷で……そして泣きたいくらいに優しい……愛しい人――

(やめて……これ以上頭の中を掻き回さないで…!!)

 渦のような潮流を振り切るように頭を強く振ると、目の前の男を睨んで矢を番えた。
 派手な忍は軽く目を瞠って、「あちゃー…」などと呟く。

「あのさ、そんな物騒なもん出さないで落ち着いて……あー…うん、そりゃそうだよね。君は君だよね。うん、分かった……分かったからちょっと落ち着こうよ」

 佐助は、箱入りの姫君が癇癪でも起こしたかのようにを宥めに入った。
 その表面上だけは柔らかな物言いが、こちらを馬鹿にしているようにしか聞こえず、の神経を逆なでする。

 今にも破裂しそうな想いや思考でこちらはこんなに苦しいというのに、見当違いも甚だしい。

 我侭姫の癇癪だと思っているのならとことん付き合ってやろうじゃないかと、きっぱり拒絶して大声を上げた。

「落ち着くなんて無理! 絶っ対、い・や! ――キャァ~~! 誰かーっ! 賊です! 誰か――!!」
「わっ、ちょっと、大声出すなって! いや、もうマジで勘弁……」
「賊です!早く来てくださいー!疾風!疾風ーー!」
「あぁ~もう嫌がらせ? 勘弁してよ……だから疾風って誰なの……」

 佐助の言葉を遮るようにして、懸造りの窓側から物凄い竜巻飛び込んできたかと思うと、それはの目の前で止まった。

「疾風!」
「――大丈夫か、

 ダメ元で呼んだ疾風が来てくれて心底ほっとしたとは対照的に、佐助という忍は疾風を見て硬直したかと思うと、頬を引き攣らせて手裏剣を取り出した。
 口調は変わらなかったが、身に纏う空気が一瞬にして硬化する。

「――オイオイ冗談デショ……生きてたのかよ――風魔の旦那」

31.separation

「うおぉぉぉぉ! 伊達政宗ぇぇ! 何処だぁ!? 出て来い!! 出てきて某と勝負をいたせぇぇ!!」

 城の外壁を突破されたそこに、赤い炎のように燃え滾る男の姿を見つけて、政宗は口の端を上げた。
 政宗が好敵手と認める二槍の使い手――武田の斬り込み隊長・真田幸村だ。
 この正義一辺倒な熱血漢のことだから城下にまでは手を出していないだろうし、城の大門を破られた被害も最小限に留まっているだろうが、それでもこの政宗の本拠地である米沢城に土足で上がりこんだことに変わりは無く、そこらに倒れている自軍の兵らの命を奪ったことも事実だった。

 何より、本丸の奥にある懸造りに閉じ込めてきたの様子が、いつもと違いすぎていたことが気に掛かる――
 再戦を誓った因縁の対決を目の前にして心躍らないと言えば嘘になるが、今はゆっくり戦いを楽しんでいる猶予は無さそうだった。
 一刻も早く片を付けて、戻らねばならない――

「――Hey、相変わらず暑苦しくてcoolじゃないねぇ」
「! そこに居たか、伊達政宗ぇぇぇ!!」
「なっ……!」

 馬を下りて政宗が姿を現すや否や、幸村は二槍に炎を纏わせて猛然と斬りかかって来た。
 熱血漢ではあるが、いかにも武士らしい形式を重んじて毎度堅苦しい名乗りを上げるような男だった筈――
 予想外の性急さに、政宗は慌ててその攻撃を受け止める。

「ぐっ……おいおい、どうしたんだ、真田幸村。今日はろくな挨拶も無しかよ」
「黙れ! 問答無用ぉぉ!!」
「うっ……ぐぁ……! ――クソ、何だってんだ、キレてやがる」

 力任せに弾き飛ばされた政宗は、木の幹に背中を打ち付けて口内に溜まった血を吐き捨てた。
 幸村が頭に血を上らせていることは分かるが、その理由には皆目見当も付かずに舌打ちする。
 時間が無い――ましてや、ちまちまと考えるのは性に合わなかった。

「オイ、真田! 人の家に殴りこんできといて、一人で勝手に熱くなってんじゃねぇ! それとも、それが武田の流儀ってわけかい?」
「――ふざけるなっ! 貴様だけは絶対に許さんっ!」
「アァ? 一体何のことだよ?」

 幸村は遠目にも分かるほど米神を震わせると、両手に持った二槍を大きく振り回して政宗に向けた。

「姫を攫っておきながら、よくもそのようなふざけた態度を……よもや知らぬとは言わせぬぞっ!!」
「Ah……姫…だぁ……?」

 あまりにも突拍子の無い台詞に、政宗は呆気に取られた。
 幸村が『姫』と言うからには、主家の姫君――武田信玄公の娘だろうか。
 だが、姫だの攫っただの、こちらには全くと言って良いほど心当たりの欠片も無い。

「何言ってんだ? 人違いじゃねぇのか?」
「おのれ……この期に及んでシラを切るとは! この幸村の命に代えても、姫は返して貰う!!!!」

 言うが早いか、それ以上の言葉には耳も貸さず、幸村は勢い全開で斬りかかって来た。
 息も付かせぬ激しい連撃と襲い来る火炎に、それらを捌く政宗も急速に体力を削られていく。

「ぐっ……Goddam!!」

 すさまじい突進力に一方的に押され、政宗は大きく舌打ちした。
 全力の幸村を前にして、いつもの好戦的な高揚感を感じない――今の政宗を占めるのは、ただ焦燥感だけだった。

 今ここで負ければ、天下への野望も即座に潰える……そして、もう二度と手放したくないと思った笑顔も、見ることが出来なくなるのだ。
 我ながら至ってシンプルな心情だと政宗は自嘲したが、それは雑念となって幸村に対する隙を生む。

「貰ったぁぁぁぁ!!」

 六本の刀を弾かれてガラ空きになった胴へ、幸村の槍が繰り出されようとした刹那だった。

「――政宗さんっっ!!!!」

 唐突に割って入ったのは、まさしく自分の内を占めていた娘だった。
 吹き抜けた熱風にばさりと翻ったのは、彼女の長い髪と纏った袴の裾――

 自分を庇うように目の前に立ったその華奢な背中に目を見開いて、政宗は信じられない心地で彼女の名を呼んだ。

……?」

 落ちた呟きは風に溶け、呼ばれたがゆっくりと振り返る。
 それは、とてつもなく現実離れした瞬間に思えた。







「風魔の旦那――アンタ、伊達にやられたって聞いたのに、その伊達に飼われてるなんて―― 一体どういうつもりだい?」

 猿飛佐助の台詞に、疾風がぴくりと反応したことはその背中からも分かった。
 だがそれは動揺というよりも、後ろの自分に向けられたものであることに気付いて、は佐助を睨んだまま疾風の横に並ぶ。

「この人は伊達に忠誠を誓った忍――黒脛巾組の疾風よ! 風魔なんて名前じゃない!」
「なんて名乗ってるかは知らないけど、そいつは確かに風魔小太……」
「疾風よ! 仮に前の名前が何だったとしても、今は私の友人の疾風であることに変わり無いんだから!」

 佐助と、疾風までもが驚いたようにを見たので、じろりと睨む視線を疾風に向ける。
 煩わしい頭痛に耐えながら文句あるかと凄んで見せれば、疾風は一瞬だけ笑みを浮かべた。

「――、侵入者か?」
「ええ。ご丁寧に挨拶までしてもらったわ。武田の猿飛佐助さんですって」

 嫌がらせを兼ねてわざと名前を告げれば、佐助は露骨に顔を顰めた。
 どうやら疾風の実力は知っているらしく、じりじりと後退する。

「逃げるつもり!?」
「流石の俺様でもちょーっとばかし不利なもんでね。他のお仕事もあるし、こう見えて忍ってのも結構大変なのよ」
「……簡単に逃がすと思うか?」

 音も無く大きな手裏剣を出した疾風に、佐助は感嘆したように笑った。

「おー、風魔の旦那――今は疾風だっけ? 随分と饒舌になったじゃないの。だけど、残念。今日のお相手はアンタじゃないもんでね、これで退散させてもらうよ。――ああ、そうそうちゃん」

 いい加減立っているのも辛く、脂汗を浮かべながら視線だけで何だと告げると、佐助は楽しそうに笑ってその言葉を口にした。

「今回は真田の旦那も最初っからキレてたからさ――君んとこの大将、今頃やられちゃってるかもしんないよ?」

 は大きく目を見開いた。

 ――政宗さんが、やられる……?

「! 待て、……!!」

 驚いたように叫ばれた疾風の静止の声も、には何の意味も成さなかった。

 部屋を飛び出して、脇目も振らずに一心に走る。

 心や頭の中は、先程までの混乱が嘘のように引いて、張り詰めた海の如く凪いでいた。
 自分の鼓動だけが聞こえて、全身に熱い血が駆け巡っていくのを感じる。
 すっと冷えていく頭とは逆に、体が燃えるように熱くなった。

(政宗さんを殺すなんて、絶対させない――!)

 その他の一切合財が霧散して、視界が晴れ渡る。
 そしてそのの瞳が、青い稲妻と赤い炎の激突を捉えた。

 炎を纏った赤い男が、体勢を崩した政宗に今にも斬りかかろうと槍を振りかぶる。

「――政宗さんっっ!!!!」

 無我夢中だった。
 喉から迸ったその悲鳴よりも早く、体から膨れ上がった熱を解き放つ――

 膝をついた政宗を背にが放った一本の矢は、紅蓮の炎を纏って真っ直ぐに赤い男へ向かって飛び、炎が鳥の姿をかたどって襲い掛かる。

「うおぉぉぉぉ!!」

 咄嗟に二本の槍で受け止めた男の前で、炎の鳥は大きく翼を羽ばたかせて飛散した。
 その余波が赤い男に降りかかり、弾けた炎の生んだ熱風がの体を吹き抜ける。

……?」

 後ろから掛けられた愛しい人のその声が驚きに彩られていたことにようやく我を取り戻したは、政宗に負けず劣らず呆然とした瞳で振り返った。
 向かい合った隻眼はただ驚きに見開かれていて、二人の間にはたった数歩の距離しか無いというのに、吹きすぎた熱い風が世界を隔てたように感じた。

 どのくらいそうして見詰め合っていただろうか……一瞬だったかもしれないその空白の後、後ろから大きな声が上がった。

「ひ…め――姫! ……っ!」

 聞いた事も無い声の筈なのに、体はその痛いほど真摯な声に反応した。
 なぜか無視できない抗いがたいものを感じて視線を向ける。
 全身に赤い炎を纏った男は、先程まで政宗に刃を向けていた敵だった男――
 その相手に向かって、の口からするりと言葉が漏れた。

「幸村――……」

 その名を呼んだ刹那、測ったかのようなタイミングで佐助が姿を現した。
 と政宗の間に着地して片膝をつく。
 そしてわざとらしいくらい恭しく、に対して臣下の礼を取った。

「お迎えに上がりました――姫」

 口の端を上げた佐助の背後で、政宗が息を呑んだ気配を感じた。
 咄嗟に口を開こうとしただったが、「動かないでね」などと言って投げられた佐助のくないに体が固まる。
 動かないのでは無く動けなかっただけだが、そのくないはの肩の辺りの着物だけ掠めて行き過ぎた。

 はらり、と裂けた着物の合間から、ひやりとした風が直接素肌に当たってははっと自分の右肩を見る。
 着物の裂け目から覗いていたのは、赤く腫れて熱を持っていたあの痣で――そして今、その痣はくっきりと四つに割れた菱形を象っていた。

「武田菱……!?」

 政宗の驚きの声と同時に思い出す――それは、武田の家紋である独特の菱紋――『武田菱』と呼ばれるほどに有名なそれだということに。

「武田信玄公が末姫――様。肩にある家紋の焼印がその証ってわけ」

 ドクンと鼓動が鳴って、佐助の言葉が紛れも無い事実であることを、は理屈では無く直感的に感じ取っていた。
 ますます目を見開いた政宗を、ただ呆然と見つめることしか出来ない。

「姫は返して貰うっ!!」

 の攻撃でダメージを受けた筈の赤い男――真田幸村だろうその青年は、ふらつく体を踏みしめての前に庇うように立った。
 その幸村越しに見つめてくる政宗の瞳に、は息も出来ないくらいに胸が締め付けられる。

「悪いね、龍の旦那。そういうわけで、これにて退散っと!」

 佐助に抱き上げられる瞬間まで、の視線は政宗だけを捉えていた。

「政宗さんっ……!」
……!」

 呼んで咄嗟に伸ばした手は、空を掴んだ。
 反転した視界と浮遊感の後、すごい速さで景色が後ろへ過ぎ去っていく……

 唐突に訪れた別れに。
 遠ざかっていく米沢へ向かって、大粒の涙が流れた。








061125

これにて第一章終了。
家紋の焼印云々は、ウチのドリではそういうおかしな習慣があったということにしておいてやってくださいませ。万事において細かなことは気にしちゃダメです。(汗)
CLAP