遠い昔に聞いたお囃子の笛が聞こえた気がして、私は通りを振り返った。
「ん? どうした?」
後ろから低く威厳に溢れた声がかけられる。
少し前を歩いていた尚隆が、立ち止まった私に気付いて尋ねたのだ。
私は自嘲気味に笑って、緩く首を振った。
「いえ、何でも――」
言いかけたところに、ドンと音がして、私はもう一度振り返る。
今度は気のせいと思う間も無く、通りの向こうに鮮やかな一団が見えた。
「……朱旌か」
背後で尚隆が笑う気配が伝わってきた。
軽快に太鼓のリズムを打ち鳴らしながら次第に近づいてくる旅芸人の一行は、今夜はこの町で興行を打つのだろう。
「行かれるつもりですか?」
「おもしろそうだとは、思わんか?」
子供のように笑った尚隆に、私も苦笑を返した。
放浪時代、朱旌の一座と行動を共にしたことも何度かあったが、やはりあの太鼓を聞くとわくわくする自分がいる。
太鼓なのに、故郷のお囃子に似ているからだろうか。
苦笑したまま、尚隆に向かって軽く頷いた。
治安が悪いと評判のこの街に調査に来て、街に到着したのがつい先程。
まだこんな短時間では、何がどうなのか調べるすることすら叶わない。
そういう面から言うと、旅の一座の興行は絶好の機会だ。
もちろん、尚隆もそこまで読んでいての発言なのだろうが……
「では、早く行って良い席を手に入れるとしよう」
「ちょっ……尚隆!」
やや強引に私の手を掴んでぐんぐんと早足に引っ張っていく様子は、とても五百年の治世を誇る大国の王とは思えないもので……自然と口元に笑みがのぼるのを止められなかった。
「どうだ、一番のり……」
「なんだって!? 一体どういうことだ!!」
私を引っ張って尚隆が意気揚々とテントを潜ったその矢先、中から盛大な罵声が飛んできて私達は顔を見合わせる。
「まさか……とても信じられん……もうすぐ幕開きだってこんな時に……」
「あの……どうかされましたか?」
舞台の前に集まった数人の集団が、遠慮がちに声をかけた私の方を見る。
今までこちらに気が付かなかったのか、座長らしい初老の男が恐縮して頭を下げた。
「これはお客さん、どうもお見苦しいところを見せて申し訳ない。実は少し困ったことになりまして……」
「座長……」
言い掛けた所に、その脇に立っていた男が座長に何事かを耳打ちする。
その間、じろじろと眺め回されて、私は困惑して隣の尚隆を見上げた。
彼はそんな私に太く笑って座長達に視線を戻す。
明らかにおもしろがっているその様子に、私も軽いため息と腹をくくった。
やがて、座長が一緒に居た男も伴って近づいてきた。
「私はこの一座の座長。お客人、不躾で申し訳ないが、お二方とも剣の心得がお有りで?」
「ん? ああ、少しばかりな」
十二国一の剣豪と謳われる延王への質問に私は笑って、彼に倣って頷いた。
「剣舞はお出来になりますか?」
「基本的な型なら、俺もこいつも問題ない」
私達の返答に、二人は明るい表情になる。
「実は、合わせ剣舞を披露することになっていた一座の花形の男女が居たのですが……急に姿を眩ませてしまったというのです」
嫌な予感に顔を顰めた私とは打って変わって、尚隆は楽しそうにこう返した。
「つまり、俺たちに代役をやれ、というのだな?」
「おお、なんと話が早い。引き受けてくださいますか――」
「ちょっ……待って下さい、尚隆」
とんとん拍子に話が進みそうになるのに慌てて、私は尚隆の袖を引いた。
期待の目を向ける座長達に背を向けて、声を潜める。
「芸人の代役だなんて……私は目立つことは……」
「なんだ、剣舞が出来ない訳ではあるまい?」
「出来なくはありませんが――」
「ならば、別に問題は無い。要はその髪さえ見せなければいいだけの話だ。合わせ剣舞なのだから、俺も協力しよう」
どうせなら倭国の舞でもやるか、などと屈託無く笑う尚隆を前に、私は深いため息をついた。
しゃらりと鈴の音を鳴らし、最初の一歩を刻む。
あれから結局引き受けることになった代役は、約一刻の稽古の後、本番の舞台を迎えていた。
興行はこの演目を持って終わり――つまり一番見せ場の一幕である。
本当にやることになった二人共通の故郷である蓬莱の剣舞――鼓の代わりとなる太鼓が夜の帳を震わせ、私が両手に、尚隆が剣柄に付けた鈴が空気を鳴らす。
しゃらりと剣を抜き、打ち合わせては離れ、拍子を踏んでは打ち交わし――それを次第に早めて繰り返すと、くるくると舞いを舞っているようになる。
――それにしても、動きづらい……
型を間違わぬように必死で舞いながらも、それが頭から離れなかった。
無理やり着せられたひらひらとした衣装は、王宮でのそれよりは薄布な分動きやすかったが、丈が異様に長くて今にも足を取られそうだ。
そして、とうとう恐れていたことが起こった。
何度目かに剣を打ち合わせて、うっかり一呼吸遅れてしまい、しまったと思った直後だった――
ぐんと引っ張られる感覚が襲い、体が傾ぐ。
どうやら私の裾を踏んだらしい尚隆が焦ったように呼ぶのが聞こえた。
舞台際まで出ていた私の体が観客の方に投げ出される。
とっさに剣を安全な舞台袖に投げ、頭部の布を押さえて目を閉じた。
カラン――という高い金属音――剣が地に落ちた音が……二つ?
「すまん――大丈夫か?」
「尚隆……」
抱きとめてくれた尚隆ととっさにその腕に縋った私は、お互い荒い息をつきながら間近に見詰め合う形になり――
――直後、どっと観客が沸いた。
「………え?」
ぽかんとして客席をみることしか出来ない私達だけを残してあれよあれよという間に幕は降り、大好評の内に公演は終わった。
「いやぁ~、いいものを見せて貰いました! お客さんたちにも大好評ですよ。ありがとうございます、これはほんの気持ちですが……」
「あ…あの……私達失敗して……」
「そんな些細なことはいいんです。生の劇が見れたと、みんな大満足でしたからね」
劇と言えば主に恋愛ものの演目が多く――
ようやく座長の言っている意味を理解した私が真っ赤になって抗議し、尚隆はその後ろで声を上げて笑った。
「……いつまで笑っているんですか、尚隆!」
「くくく……ああ、すまん。お前があんまりかわいい反応をするもんだから……な?」
ようやく一座から開放されて今夜の宿へ向かう道すがら、尚も笑いながらの尚隆の台詞に私の顔に再び血が上った。
「からかわないで下さい!」
――反則だ。
熱くなる頬を持て余して、私は尚隆から逃れるように早足で歩いた。
あんな顔であんなことを言われて、平静でいられる自信が無い。
胸の動悸と一緒に気持ちも封印するように、夜の冷たい空気を思い切り吸い込んだ。
胸に咲いたあつい熱は、まだ当分冷めそうに無い――。