「!?」
尚隆を支えたまま意識を失ったの左掌を、目の前の敵の刃が深々と貫いていた。
途中からかなり消耗し、そしてこれをとどめに意識を手離してしまったを抱き締め、尚隆はギリリと剣を握り締める。
先程やられた脇腹の出血はひどかったが、それに頓着せず、華奢な体を抱き上げ、後退した。
「逃げるのは、性に合わないんだがな…」
人のいなくなった甲板を走りながら、船の前方をちらりと見やる。
次の寄港先は、すぐそこまで迫っていた。
それを確認し、腕の中のを見る。
血の気を失った、ぐったりした体はかなり発熱しているようだった。
「少し、辛抱してくれ」
呟いて、船の縁から真っ青な海へと飛び込んだ。
が目を覚ましたのは、寝台の上でも土の上でも無く、広く温かい背中の上だった。
規則的に揺れる振動が心地良くて、しばらく頭が覚醒しなかったが、やがて状況を思い出すとガバリと顔を上げた。
「尚隆!?」
「――目が覚めたか」
が最初にしたことは、勿論慌ててその背中から下りることと、彼の怪我を確認する事だった。
「大丈夫ですか!?」
「大丈夫か?」
しかし、全く同じ言葉が重なり、二人は沈黙する。
は、尚隆の目を見る事が出来ずに視線を反らせた。
自分のせいで負わせてしまった怪我なのに……合わせる顔が無いとはこの事だ。
深い後悔と自分に対する憤りのせいで、顔を上げることさえ出来なかった。
尚隆もすぐに背を向けて歩き出す。
「歩けるようなら、とにかく今は先へ進むことだ。さっきから、しつこく追手がうろついておるからな。どこか、身の隠せる場所を探そう」
慌てて後に続きながら、は左手の応急処置に布を巻き、周囲を観察した。
中々深い森のようだ。
それ程木々が密集した地では無いが、ほとんど人は入らないのだろう。足元が悪い。
後方を振り仰ぐと、葉の間から乗っていた船の帆が見えた。
風に乗って人の賑わいが聞こえてくるので、船は三つ目の――慶での最後の寄港先に停泊しているのだろう。
微かに潮の香りもする。まだ海からはそんなに離れていない。
しかし、二人とも全身が濡れていることからして、一旦海へ逃れそこから運んでくれたのだろうことが分かった。
「……………」
更に申し訳なさが募り、謝罪なり礼なり、何か口にしようとしたが、それは喉につかえて止まった。
木の根に足を取られかけて、慌てて萎えた足に力を入れる。
その間にも尚隆は、一度も止まる事も振り返る事も無かった。
このまま永遠に、言葉さえ掛けられないのではないかという不安に駆られる。
傾き始めた陽が、彼の広い背中を照らしていた。
先程までが身を預けていた温かなそれは、遥か彼方の手の届かないものになってしまったような気がした。
「いつも持ち歩いているのか?」
「――忍の基本ですから」
森を歩きながら、何度か追手から身を隠し、ようやくこの洞穴に辿り着いたのは、日がとっくに暮れた後だった。
枯枝を集め、目立たないように洞の奥で火を起こす。
ほとんど乾いていた服と体を温めながら、ようやく人心地ついた二人は、傷の手当てをしていた。
ここに来るまでほとんど言葉を交わしていなかった二人にとって、先ほどの言葉が久々のまともな会話になる。
どこから取り出したのか、薬や包帯で手際良く処置していくの動作を、尚隆は感嘆したようにじっと見守っていた。
「……痛みますか?」
尚隆の脇腹の傷は神籍に入っているお陰でかなり回復していたが、それでも相当出血したのは確かで、深い傷口は痛々しい。
丁寧に薬を貼り付けながら、は項垂れた。
「なに、これくらいの傷ならば、すぐに癒える。――の方はどうだ? 体調も優れなかったようだが……」
「……私も、すぐ治りますから平気です」
「………そうか」
二人の間に沈黙が下りる。
尚隆に包帯を巻きながら、は一刻も早くこの空間から逃れたいという想いでいっぱいになった。
傷口は脇腹で……畢竟、胴に包帯を巻く事になる。胴に巻くというのは、ほぼ密着状態になってしまうのを意味していた。
は先ほどから、この近すぎる距離に恐れていた。
身のうちで燻るひどく醜い自責の念や、弱い心の内まで全て見通されそうで……心音一つ取っても、それから全てを暴かれそうで……そう思うと一層動悸が激しくなったような気がした。
――肌に触れた指先が、熱い――
やっとの事で巻き終えて溜息をついたは、距離を取ってふと尚隆を見上げた。
その視線が、思いもよらず相手とぶつかって、心臓が一つ、大きく跳ねた。
――何か、言わなければ。
数秒交錯したままの視線は、計らずとも同時に伏せられ、
「――すみませんでした」
「――すまなかった」
それと共に呟かれた言葉もまたぴったり重なった。
一瞬硬直したは、すぐに我に返って顔を上げた。
「なぜ、尚隆がそんなことを言うんです! あの時、あなたは下がれと言ったのに……それを聞かなかった私のせいで……!」
「――こそ、謝る必要は無い。俺のほうこそ、助けられたな……前にも言っただろう、女を守るのは男の役目だと」
苦笑してみせた尚隆に、は思わずカッとなって叫んでいた。
「ただの女と男ではありません。あなたは王です!」
尚隆の瞳が、揺れたような気がした。
にはそこから何も読み取ることは出来なかったけれど、言ってはいけないことを言ってしまったような……
「そう、尚隆は王で、私は一介の臣です。私の主は景王ですが、この仕事の間は延王であるあなたをお守りするのも、私の役目です……だから…」
「……――そうだな、」
弁解するように続けられた言葉は、尚隆の静かな声によって遮られた。
は、びくりとして顔を上げる。
「確かに、俺は王だ。男である前に――な」
自嘲気味に歪められた口元は、どこか寂しげで……その言葉は自分で望んだ筈なのに、の胸をしめつけた。
再び沈黙が落ちた後、尚隆は何事も無かったかのように服を整えて座りなおした。
「さて――これから、どうする?」
言われて、も頭を切り替えようと何度か瞬きする。
今は余計な事を考えず、仕事に集中するべきだと、自分自身に言いきかせた。
今回の件について、考えなければならない事はたくさんあったけれど、分かりそうなことからやっていくしかない。
「今晩一晩は休んで、明日雁の国境を目指しましょう。途中で追手に遭ったら、なるべく捕獲して情報を聞き出す――というのでは?」
「なるほどな。しかし、何も掴めなかった場合はどうする?」
「その場合や……雁に入るまで追手に遭わなかった時は、一旦金波宮に戻りましょう」
「ふむ……連絡用の鳥が戻ってこんというのは、確かにおかしいからな」
「はい――今日の奴らの仕業…という可能性もあるんですが……。とにかく、明日考えましょう。今日はもう、尚隆も休んだ方がいいです。後は私が見張っておきますから」
そう言って立派な体躯を無理矢理寝床スペースに押し付けて、は一方的に話を打ち切った。
焚き火を弱くして光を落とし、後は定期的に枯枝を入れてやればいい。
追われている以上、奇襲に備えて見張りは必要だが、横になるくらいは構わないだろう。
そう思い、実際に体を横たえてからようやく深く溜息をついた。
体の違和感は健在で、実はの方が、これ以上は体がもちそうに無かったのだ――。
03.9.18