■Flügel novel■ 一部抜粋
恩寵(ひかり) 愛情(ひかり) 幸福(ひかり) 未来(ひかり) ――
眩い暁光が、人形となった無機質な硝子の眼を焼く。
その光は地獄の業火のように殺意を唄う人形を地に縛り付け、祝福のように宵闇に染まった男を天へと誘う。
「 !」
人形は叫んだ。
しかし、叫んだ声は届かずに、傍らにあった宵闇は消えていく。
人形にとっての愛しい声だけを残して――
「もういいんだよ、 」
「 、ひかりあったかいね」
自分を呼ぶ声が聞こえない。
待って、行かないで、私を置いてどこへも行かないで……独りぼっちにしないで。
そんなのは嫌だと、お願いだと、人形はなりふり構わずに泣いて主張して追いすがって……けれど伸ばした手は、届かない。
眩すぎる白い光に灼かれるように拒絶され、巡る物語の輪廻へと墜ちていく。まるで、神話に出てくる蝋の翼で太陽に近付こうとした男のようだ。
そしてまた童話は繰り返される。
彼女は報われぬ季節を歩み、悲劇と喜劇に塗れた半生を経て、絶望し、断罪の業火に灼かれ、恨みと憎しみの闇に染まって別の存在へと変容する。
奏でられる復讐劇、宵闇が指揮する闇の童話。
やがて屍揮者たる彼は、かつての光に触れ、戒めを自ら破って飛び出して行く。
白く清らかな光の世界へと――泣きすがる人形を置いて。
しかし物語は再び巡り、彼は黒い鎖に絡め取られる。捕らえるのは――人形である彼女自身だ。
そんなことを何度も何度も繰り返す内、彼女は次第に恨みと憎悪の中に沈んでいた意識がふわりとそこから浮かび上がっていくのを感じた。
怨嗟が消えた訳では無い。
憎悪が溶けた訳では無い。
だが、それに染まりきっていた自我が少し中空から他人事の如く傍観しているような……乖離して二重にぶれているような感覚だった。
まるで、憎しみだけが薄れずそのまま擦り切れて風化してしまったように。
(嗚呼……マタ繰リ返スノネ……)
七度目になって、彼女はふと気付いた。
(コノママジャイケナイ。コノママジャ…アノ子ハ幸セニナレナイ――)
ミシリと、どこかが歪む音を聞いた。
それはこの闇の底で初めて聞く、定められていない音だった。
そして、『終焉』へ向かう物語は幕を開ける――
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白く眩い光となって、聖女と呼ばれた娘が消える。
自分の腕の中から消えてしまった愛しい存在に、メルヒェンの瞳から涙が零れた。
そして、指揮棒を手放した空虚な腕を見つめた彼は考え始める。
いつもならば、復讐劇から離れたメルヒェンに復讐は続けなければいけないと……そうしなければもう一緒にはいられないのだと、お願いだからとエリーゼが引き留める頃合いだが、彼女はそれをしなかった。
代わりに、重い足取りで森の中を歩くメルヒェンの後を黙ってついていく。
そうして彼は、辿り着いたあの村の井戸で、これが誰による…誰の為の復讐劇かを理解した。
「成程、そうか……この森が…この井戸が僕の……。そうだね、エリーゼ……僕達の時間は、もう終わっていたんだね」
エリーゼは何も答えられず、泣くのを堪えてただぎこちなく笑った。
それを見たメルヒェンも柔らかく微笑むと、光が彼の体を包み込む。
――消える!
行ってしまう……もう二度とエリーゼの手の届かない所へ。今までとは違う。エリーゼは今度こそ、繰り返す復讐劇に彼を縛り付けるつもりは無かった。次の別離(ワカレ)こそ永遠――
「メル……ッ!」
堪りかねて、エリーゼは手を伸ばした。一人にしないでと泣きながら、光に向かって手を伸ばす。
しかし、終ぞその手が届くことはなかった。
清浄な光に近づきすぎた人形はその身を灼かれ、一人墜ちていく。
――ムッティ……
最後に、メルツが呼んだ声が聞こえた気がした。
「ア…ハハ……」
暗い黒い死の淵に沈む森の……イドへ至る森へ至る井戸に、独り。
残されたエリーゼは笑ったが、力無いそれは掠れて中途半端に途切れた。
もう体を動かす気力も術も無い。殺意を唄う人形の体は、その力の根源たる呪いと復讐者を失って、今やひび割れて朽ちようとしていた。
これでいい……これでメルは光の中にいられる。
エリーゼは自分に言い聞かせた。
――本当に、それで良いのかい?――
イドルフリートとも井戸そのものとも言えるモノの声が静かに問うた。エリーゼは懐かしさを感じてくすりと笑った。これの依り代たるメルヒェンがいなくなって、久しぶりに聞く声だった。前に聞いたのは、人間の生の終わりだ。
「……良イノ」
穏やかに答えると、イドは沈黙した。
イドルフリートや青髭伯爵、ヴェッティン公となった青年と話して……七の復讐劇に七度立ち合って、エリーゼはようやく理解した。
愛や恋など存在しえないものだと思っていた……そんなものは幻想だと。いつもエリーゼがメルヒェンに言っていた「愛シテル」という台詞も、愛して欲しいからそう言っているに過ぎなかった。
だが、赤子の頃にこの手を離れた我が子は、それは結局エリーゼが相手を愛しているからなのだと言う。
つまり、答えは常に足下にあったのだ。
エリーゼは最初から愛していた。愛されるかどうかは関係無く、理屈ではなく、愛していたのだ。
「ダカラ、コレデイイノヨ……」
メルツを愛していた。メルヒェンを愛していた。エリーザベトにも幸せになって欲しかった……だから今、エリーゼ自身が一番恐れた『独り』で終焉を迎えようと、それで良いのだ。
「……観よ。嗚呼、この喜劇を。ならば私は、世界を呪う本物の………」
テレーゼの最期に紡いだ唄を呟くように唇に乗せ――しかし、それ以上奏でることは出来なかった。
ぽとり、ぽとりと、硝子になった偽物の眼球から涙が零れる。
溢れる寂しさという名の飢餓に、顔を歪めて子供のように泣いた。
本当は、どんな代償を払おうとも……何を犠牲にしようとも、大声で泣き縋って喚きたかった。
――私ヲ愛シテ! 独リニシナイデ!――
けれど、同時に願ってしまった。自分を犠牲にしても、愛した者たちは幸せになって欲しいと。
だから、エリーゼは復讐という黒い鎖を――手放した。
「――これだから、放っておけないんだ」 「迎えに来て正解だったわ」
不意に聞こえる筈のない声が聞こえて、エリーゼは顔を上げた。
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