■novel■ 一部抜粋
「アルヴィン君の嘘つきー! バホー!」
もう一つの世界エレンピオスから一旦帰還したカラハ・シャールのシャール邸・応接間。
独特な甲高い声がその怒声を発し、小さな影が二つ、その場からつむじ風のように駆け去った。
残されたのは、旅の仲間三人――いい加減気心も知れた…けれど年齢差が幅広い男三人組である。
「アルヴィン……」
「アルヴィンさん……」
「うっ……分ーかってるよ。今のは俺が悪い」
ガシガシと頭を掻いた長身の傭兵アルヴィンは、自慢のスカーフを乱暴に緩め、ため息をついた。
それに呆れたため息を返すのは、一連の出来事を見守っていた元医学生ジュードと、かつて指揮者(コンダクター)と呼ばれていた軍師でありながら今ではこのシャール家の執事を務めるローエンである。
「分かってるなら、あんなこと言わなきゃいいのに」
「もう少し、エリーゼさんの気持ちを考えてあげてはどうですか」
「だってしょーがねぇだろ、忘れてたもんは忘れてたんだ!」
大人げ無くムキになって、大人げ無い言い訳をする。
その駄目っぷりを本人も一応は自覚しているからか、三人同時にため息が漏れた。
しかしそうしていても埒が開かないと気持ちを切り替えたジュードが、吊り上がり気味の猫目を細めてアルヴィンを見やる。
「で、どうするの?」
「どうするって……なぁ、ローエン」
眉を顰めたアルヴィンは、ぽりぽりと頬を掻きながら助けを求めるようにローエンに視線を向ける。
しかしローエンは、いつも通りの満点の姿勢を崩すことなく、拒絶するように目を閉じた。
「こんな時ばかりジジイを頼っても無駄ですよ。私も今日はずっと、お嬢様のお供ですから」
「そこは伝説の軍師様のお知恵でさ……何とかしてくれたりしない?」
「それは流石に……しないよね」
「致し兼ねますね」
薄情者ーとぼやいて、アルヴィンは深々と息をついた。
そもそも、事の発端は昨日に遡る。
世精ノ途(ウルス・カーラ)に居るであろうガイアス・ミュゼと決着を付けるべく、最後の決戦へと赴く直前である彼ら一行は、装備を完璧に整えてから挑もうと、一旦慣れ親しんだリーゼ・マクシアに戻って来た。
人間として現出した精霊であるミラは何やらやることがあると言って一人でニ・アケリアに行ってしまったし、ジュードの幼馴染みレイアとジュードは一度家に帰っておこうとル・ロンドへ一日〜二日滞在してくるつもりだった。ローエンは本来の務めである執事業で、今は領主としてこの街を支えるドロッセルの視察に同行することになっている。
それぞれが、自分の【家】とも呼べる場所でするべきことがある……そんな状態。
何も予定が無いのは、帰る場所が曖昧なアルヴィンと……今はこのシャール家に引き取られているものの、元は両親を亡くした孤児であるエリーゼだけだった。
みんなは帰れる【家】に戻ったのに、自分は何もすることがない――天涯孤独であることに殊更コンプレックスを持つエリーゼには、辛い状況だ。
それが決まった昨晩、一人沈み込むエリーゼを見かねたアルヴィンが、自分から声を掛けたのだ。
――「お暇なら俺とショッピングでもいかがですか、お姫様?」
芝居がかった仕草で小さな体の前に跪いたアルヴィンに、エリーゼは一度きょとんと瞬きした後、喜色に顔を輝かせて「はい!」ととびきりの笑顔で頷いたのだった。
それを見ていた他の仲間達も、アルヴィンもたまには良いことをすると、見直したというのに……
「――ねぇ、さっきエリーゼとティポが街の方に飛び出して行ったけど、何かあったの?」
不思議そうな顔で外から帰ってきたレイアがそう訊ねた。
ジュードはため息をついて横目でアルヴィンを見やる。
「アルヴィンがね、突然「今日は先約があったんだったわ、悪いね」なんて言うから、怒って飛び出しちゃったんだよ」
「えー? エリーゼ、あんなに楽しみにしてたのに、アルヴィン君それはいくら何でもひどくない?」
レイアの力一杯の非難にも、アルヴィンは両手を上げることで軽薄に返す。
度重なる裏切り行為のせいで、仲間内での評価など最下層まで下落していることを承知していると言いたげなリアクションだ。
しかしレイアは、ふと何かに気付いたようにアルヴィンに顔を近づけた。
「ぅおっ、何だよ、嬢ちゃん。近いって……」
「……あれ? でもアルヴィン君、何か顔赤くない? ! あ、熱あるじゃない!」
額を触られて隠していたことを声高に叫ばれれば、アルヴィンは顔を顰めるしかない。
けれど持ち前のポーカーフェイスと身に染みついたとっさの嘘が口から転がり落ちる。
「あー? そうか? 昨日ちょっと飲み過ぎたからそのせいかも……」
「ううん! そんなことないっ! ねっ、ジュード!」
腐っても看護師……アルヴィンが頬を引き攣らせていると、誤魔化し通せると思っていたジュードとローエンはさも当然の如く頷いた。
「そうなんだよ。ちゃんとエリーゼにも説明すればいいのにさ」
「誠意を尽くした説明も無く、女性を無闇に傷つけるなど、言語道断です」
「なっ…何だよ、おたくら気付いてたのか?」
驚くアルヴィンを尻目に、一回りも年下の少年は呆れた視線を返してきた。
「アルヴィン……僕を何だと思ってるのさ」
レベルの高いイル・ファンの医学校で年若いながらも成績優秀、有名教授の助手も務め、一人で診療もこなしていたジュード。しかもエレンピオスでも有名だったあのマティス医師の一人息子なのだから、筋金入りのサラブレッドだ。生来の世話焼きな性格もあって、仲間の体調には人一倍気を使っているこの少年に隠そうと思っても、土台無理な話だったかもしれない。
しかし……と思ってローエンを見やれば、老いても現役ばりの戦闘をこなす老執事は、言葉を多く費やすのも無益と、一言だけ口にした。
「伊達に年は食ってませんから」
考えれば、こちらも大国ラ・シュガルの元軍師。
兵の体調管理は、軍師としても大切な仕事である。
元々分が悪い勝負だったのに気付かなかったのは、やはり熱が高かったからだろうか……アルヴィンは何だか気が抜けて、意識が次第に薄れていった。
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