■Kaleidoskop novel■ 一部抜粋
煌めく光が、蠢く影が、幾つも幾つも集まって朧気な像を結ぶ。
それは次々と連鎖し、乱反射を起こし、やがて新しい『ヒカリ』となる。
シャリン、シャリン、と鈴のような音を立てて回転し、新しい世界を展開する……そう、巡り続ける季節は、まるで万華鏡のように。
迷いなど知らなかった。
疑問など知らなかった。
『彼女』に逢うまでは――……
自分は『誰』なのか――
最初に彼が抱いたそんな疑問さえ、すぐに泡のように消えてしまった。
腕に抱いた小さな少女が、どこか懐かしく慕わしい声でこう言ったから。
――愛シテルワ、メル。ズットズット一緒ヨ。
復讐の唄を指揮する屍揮者、メルヒェン・フォン・フリードホーフ。
それが彼の名前で、恨みを唄う人形エリーゼとずっと一緒にいるのだと。
――復讐シヨウネ。
宵闇に染まったその井戸の底は、憎しみの炎に満ちていたし、罪を犯した者が裁かれるのは当然のことだ。
罪には罰を……それが摂理であり、例え神の摂理に逆らったとしても復讐は遂げられるべきものだと、空気のように当然のこととして受け入れた。
何の為かなんて、誰の為かなんて、彼には関係無かったし、それを不思議にも思わなかった。
そして今、この地平線についに宵闇が訪れた。
「美しすぎる屍人姫にご登場願おうか」
屍揮者であるメルヒェンが屍揮棒を振るうと、彼が復讐の為に集めた恨みを持つ姫君たちが順に、墓場でもあるこの井戸の底に舞い降りる。
「さぁ、唄ってごらん――」
[sieben] 実の母によって異教神の祭壇へと祀られてしまった修道女
[sechs] 母代わりでもある女将に内蔵を取られ吊された娘
[fünf] 継母に美貌を恨まれ、毒を盛られた姫君
[vier] 継母の命令によって井戸に落ちてしまった娘
[drei] 魔女によって長い眠りへと落とされてしまった姫君
[zwei] 愛していた夫の手に掛かって吊されてしまった妻
[eins] 兄の命令を拒んで磔にされた聖女
[los] 『 』
最後のは知らなくて良いとエリーゼは言った。
どこかで男二人分の悲鳴が聞こえたから、もしかしたらエリーゼが自ら手を下したのかもしれない。
どちらにせよ、知らなくて良いと言うなら彼にはそれ以上の興味もない。
こうして、この地平線に集まったのは七人の屍人姫たち。
墓場から始まる七つの物語(メルヒェン)――復讐劇。
偶然に出逢った物語(ロマン)。しかし、それもまた必然となる物語。
メルヒェンが指揮を取ると、姫君達は次々と復讐を果たしていった。
戦慄と後悔の中で、怨嗟の唄が木霊する。
メルヒェンはその中に身を浸しているのが心地良かった。腕の中のエリーゼも復讐を手伝うのは正しいことだと請け負っていたし、そもそもそれこそが彼ら二人の存在意義だということも理解していた。
しかし、宵闇の地平線のその最後に残ったのは、一人の聖女。
メルヒェンは、彼女を初めて見たその瞬間から、なぜかその聖女のことが気にかかって仕方が無かった。
そう、復讐を屍揮することに躊躇いなど無かった。
まだこの時までは――
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「メル、そんなになってまで、約束を守ってくれたのね」
手を伸ばされて、思わずビクリと体が震えた。
エリーザベトの瞳が哀しげに揺れて、メルヒェンは思わず声を上げていた。
「違う! 違うんだ……私は君のメルじゃない」
「違う?」
「ああ、違う。私がメルなら覚えていないはずがない。思い出せないはずがない!」
焦燥の儘にそう言い募る。
エリーザベトの物語をずっと見てきたメルヒェンは知っていた。
彼女がどれだけあの眩い時を大切にしてきたか……彼がどれだけ彼女という存在に惹かれていたのか。
しかし、エリーザベトは優しく首を振る。
「いいえ、貴方はメルよ」
そして彼女は眩いほどの光の中で唄う。
命の焔を無くしたメルヒェンを縛る冷たい鎖は、愛というヒカリを亡くしたメルヒェンを想う彼女たちの愛憎なのだと。
「彼女たち?」
「そう、貴方が愛し、貴方を愛する大切な人たちよ」
脳裏に優しく笑う女性と高らかに笑う少女の面影が浮かびかけたが、それもまた像を結ばずに霧散してしまった。
「私には分からない……私は生者では無く、屍揮者だから」
「ええ、そうね。私たちは、ずっと摂理を裏切り続け来たわ」
「摂理――」
「鳥が空へ羽ばたくように、死した屍は土へ――それがこの世の摂理。私は幼いあの時に、メルはあの別れの日に……本当はずっと昔に命が尽きた筈だった。けれど、こうして今日まで留まり続けてしまったわ」
メルヒェンの箍がまた一つ緩む。
記憶という想いが沸き上がってくる。
「けれど、君が羽ばたき続けた理由は……」
「……会いたかったから。待っていたわ、メル、貴方を」
再び小さく伸ばされた手に震える。
数々の復讐をして手を汚してきた屍揮者たる自分には、この綺麗な手を取る資格などありはしない。
「でも、それももう終わり」
「終わり――」
「夜が明けて、終わりの朝が来るわ。次の別離こそ……」
「やめてくれ!」
メルヒェンは続きを聞きたくない衝動の儘に声を上げ、腕を振るった。
いつの間にか屍揮棒は取り落としていたけれど、それだけでまたこの世界に宵闇が戻る。
「聞きたくない……私は聞かない!」
「メル、待って! 私は……」
手を伸ばして何かを言おうとしたエリーザベトを、メルヒェンは拒んだ。
耳を塞ぎ、眩い小鳥を井戸の底に閉じ込めたままそこを後にする。
何も考えられないまま、無性にとうに失ったはずの心が痛かった。
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