Tales of Vesperia本  「鍵の鳥」

A5 36P ¥400 100606発行

レイヴン中心、未央個人誌小説本。

レイヴンとヨーデル・エステルの皇帝家コンビがメインの長編小説。
幼少時の皇帝家コンビとシュヴァーンとの交流から、終盤決戦装束イベントまで。
ヨーデルがおっさん大好きで、エステルや凛々の明星から引き抜こうとするお話。
表紙と挿絵は相方コロンが担当しています。





内容紹介



■novel■ 一部抜粋


 窓から差し込む斜陽に、室内の微かな埃が舞っているのが透かし見えた。
 もうそんな時間かとため息をついた男は、最後まで馴染めなかった立派な椅子に腰掛け、深くため息をつく。
 広い室内には窓側に大きな机と椅子、その前に簡易な応接テーブルがあり、後は小難しい研究書や資料が詰め込まれた書棚が並んでいる程度。完全に仕事一色の生活感を感じさせない空間だった。
 壁には誉れある騎士団隊長を示す隊旗が掛けられている。その色は橙――ザーフィアス城内にある、帝国騎士団隊長主席シュヴァーン・オルトレインに与えられた執務室である。
 かつてその部屋の主であった男――レイヴンは、随分帝都を離れていたにも関わらず、きちんと掃除もされている相変わらずの室内に苦笑した。変わった所と言えば、大きな執務机の上に書類が山を作っていることだろうか。
 帝都ザーフィアスはつい半日前まで、暴走したエアルに覆われて人が住めない魔都と化していた。騎士団長アレクセイが謀反を起こし、満月の子エステルの力を利用した為である。
 アレクセイの野望を阻止せんと赴いた凜々の明星(ブレイブ・ヴェスペリア)だったが、後一歩及ばず『ザウデ不落宮復活』というアレクセイの目論見は達せられてしまった。
 アレクセイはその場を離脱し、凜々の明星一行は洗脳された状態で残されたエステルと戦う仕儀となったが、エステル自身の意思が勝り、帝都に巣食っていた膨大なエアルは元の姿を取り戻した――魔物も消え、異常成長した植物や汚染された空気や水も元に戻ったのである。
 危機を脱した帝都では、早くも避難していた住民たちが戻りつつある。しかし街を守る結界魔導機は復旧しておらず、街の各所に破壊の爪痕が残されたまま……その上、避難先から帝都までの道中には魔物も徘徊している。
 畢竟、残された騎士団やこのザーフィアス城の中は上へ下へと誰もが忙殺されていた。
 今夜はエステルの力を制御する為にも城で休養することになった凜々の明星も、今度こそアレクセイを止める為に明朝にはザウデ不落宮に向けて出発する。
「……ここが一番落ち着けるかと思ったんだがなぁ…」
 レイヴンは小さくぼやいて椅子の背に凭れた。
 最初こそカロルたちと共に下町の住人が避難している食堂で大人しくしていたのだが、城内が慌ただしくなるにつれ騎士の数も増えてきたので、面倒なことになる前にと人目を避けられる場所に移ることにしたのだ。少なくは無い年月を騎士団で過ごしていたので人目に付きにくい場所も熟知してはいたが、確実に誰にも会いたくないならこの執務室が一番だろうと思った。
 しかし実際は、この部屋にいるとシュヴァーンで居た頃のことをあれこれと思い出してしまう……こういう書類にしてもそうだ、とレイヴンは机の山から一枚の書面を取り上げた。
「兵舎の壁の修繕……配給食の味の改善…? こんなのは係に直接言やぁいいのに……まったく、困った奴らだ」
 シュヴァーンはアレクセイの作り出した幻影に過ぎず、実際は部下から慕われるようなご立派な人間ではない。けれど、何かにつけて尊敬のまなざしを向けられ、頼られるのは苦痛ではなかった。何より、まだ自分が誰かに必要とされていると実感出来ることに救われていたのかもしれない。
 少し留守にすれば必ず書類で埋め尽くされるこの机もその象徴のようで、実はそれほど嫌いではなかった……そんなことを思い知らされては、死んだはずの人間を引きずったレイヴンも落ち着ける筈がない。
 やはり大人しく地下牢で寝入るべきだったか……そう後悔しかけた時、書類の中に一冊の本を見つけた。
「これは……童話? そう言えば……」
 以前街を歩いていた時に、下町の女の子が童話の本をどこかで落としてしまったと泣いている場面に遭遇した。
 その童話は誰もが知っているものだったから、今度持っていってやろうと思って、部下に調達を頼んでいたのだった。
 直後に天を射る矢(アルトスク)の仕事が入り、エステルが城から脱走してアレクセイにも仕事を任されたりと、シュヴァーンとして城に戻ってくること等皆無だったのですっかり忘れていた。
 あの女の子は無事だろうか……そんなことを考えてレイヴンが視線を落とした時、コンコンと部屋をノックする音が響いた。
 一瞬ギクリとするレイヴンだったが、こんな時に掃除でもあるまいし、返事をしなければ諦めるだろう、問題など無いと息をつく。しかし、その予想はあっさりと破られることになった。
「――僕です。入りますよ」
 ゲッと思う暇もあらばこそ、あっさりと開けられた扉の向こうに立っていたのは声から予想していた通り、レイヴンの……いや、シュヴァーンの良く知る人物。
「ヨ…ヨーデル殿下……」
「久しぶりですね、シュヴァーン。元気そうで何よりです」
 にっこりと邪気のない笑みを向けられて、レイヴンは頬を引きつらせた。
 この非常事態に当たって、評議会もとうとうヨーデルに指導権を委ねたと聞いたばかりだ。謂わば、次期皇帝と認められたようなもので、いま世界で最も多忙な人物である。
 それがわざわざ訪ねてくるなど碌な事ではないだろうが、それ以上にシュヴァーンの執務室にレイヴンの姿の男が居ることの不自然さなどお構いなしで、ヨーデルははっきりと『シュヴァーン』と呼んだ。
「……シュヴァーンなら、アレクセイの謀反に加わってたって話でしょ。それに、今頃バクティオン神殿の瓦礫の下ですよ」
「おかしいですね。フレンから聞いていた話とは違っているようですが」
 若き理想に溢れた騎士を思い出して、レイヴンはそういうことかと顔を顰めた。
 帝都が汚染されていた時、ヨーデルはフレンに助けられてハルルに避難していたと聞いている。大方その時にでもシュヴァーンがギルドユニオンの一員として生きているというような話をヨーデルに喋ってしまったのだろう。
「あのお喋りめ……」
 恨めしく呟いたレイヴンに、ヨーデルはくすりと笑った。
「本音が出てしまっていますよ、シュヴァーン」
「……そいつは失礼。それで、次期皇帝におなりの多忙な殿下が、今更反逆者に何の御用があったんです?」
 この一見柔和な皇子が実は一筋縄ではいかないことを知っているレイヴンは、諦めてそう尋ねた。しかし満面の笑みを向けられて、早くも後悔が這い上がってくる。
「それはですね、シュヴァーン」
「あー…ちょっとお待ちを。俺はシュヴァーンじゃなくてレイヴン。シュヴァーンはバクティオンで死にました。罪人として刑に服せと仰せなら全部片を付けた後でこの首いくらでも差し出しますが、そうでないなら……」
 言いかけた言葉を今度はヨーデルが遮って、不思議そうに首を傾げた。
「でも、貴方はシュヴァーンでしょう」
 直球で来るからこの皇子は始末に終えない……レイヴンはため息をついた。何やら、これから言われることの予想が付いてしまった為だ。
「僕は罪人やレイヴンという人に会いに来た訳じゃありません。我が帝国騎士団の英雄シュヴァーン・オルトレインに話があって来たのです」
 やはり――と苦虫を噛み潰したような顔のレイヴンを意に介さず、ヨーデルはにこやかに予想通りの言葉を口にした。
「今こそ帝国騎士団が必要とされる時――シュヴァーンには、アレクセイに変わりその総指揮を執って欲しいのです」
 にこにことした毒のない笑みで『皇帝』としての絶対権力を行使した青年は、それを自覚せぬほど愚鈍な人間ではない。それでもこうして柔らかな日だまりのようにそこに在れるのは、強さだとシュヴァーンは思っていた。昔から好ましく思っていたところでもある。
 けれど今のレイヴンには、答えは一つしか無かった。
「今の俺はレイヴンで、シュヴァーンは死にました」
 ただ、先ほどと同じ言葉を繰り返す。
 どの道、凜々の明星に命を預けた今となっては、当面勝手に投獄されて獄死することも許されない。
 そして何より、もう二度とシュヴァーンに戻る気は無かった。
 だからそれがこの時の唯一の答え。
 時はザウデ不落宮の復活直後――アレクセイが星喰みを呼び戻してしまう数日前のことだった。